視力を失うことがわかった時の想像を絶する絶望感。
その後、「自分の本当にやりたいことをする」ことの発見。生きる意欲。
できないことを考えるのではなく、できることを考えること。
ハンディを負ったことで、それまで気づかなかったことに気づく。
見えないことで、見えてくるものがある。
程度の差はあるが、本当は、誰にでも当てはまることが書いてある。
壁や障害は誰にでもある。
2回目の結婚と2回目の離婚。人生は、やはり、思い通りにいかないことが多い。
生きることの意味と人間の可能性について考えさせられる本。
無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
見えないチカラ 視覚障害のフリークライマーが見つけた明日への希望 単行本(ソフトカバー) – 2011/12/17
小林 幸一郎
(著)
目が見えても見えなくても、大切なのは、面白く生きること!
28歳で、失明の告知。不安と絶望に襲われ、失意の底に沈んだ日々もあった。
視力を失うことで、自分にできなくなることばかりを数え、うつむいて生きていた時期もあった。
でも今は、上を向いて生きている―
私たちは「期待」と「希望」という似て非なることばを口にする。「期待」は将来実現すればいいなあと、待ちの姿勢でいる受動的な感じ。「希望」は望みや願いを成就させるために、自らが動き出す能動的な感じがする。
クライミングは、そのことを実感できる。自分の手で自分の意志で自分の力で登ることを希望しなければ登れない。何かを期待して待っていても永遠に登ることはできない。
だから「希望」ということばが好きだ。(本文より)
28歳で、失明の告知。不安と絶望に襲われ、失意の底に沈んだ日々もあった。
視力を失うことで、自分にできなくなることばかりを数え、うつむいて生きていた時期もあった。
でも今は、上を向いて生きている―
私たちは「期待」と「希望」という似て非なることばを口にする。「期待」は将来実現すればいいなあと、待ちの姿勢でいる受動的な感じ。「希望」は望みや願いを成就させるために、自らが動き出す能動的な感じがする。
クライミングは、そのことを実感できる。自分の手で自分の意志で自分の力で登ることを希望しなければ登れない。何かを期待して待っていても永遠に登ることはできない。
だから「希望」ということばが好きだ。(本文より)
- 本の長さ216ページ
- 言語日本語
- 出版社アスペクト
- 発売日2011/12/17
- 寸法13 x 1.6 x 18.8 cm
- ISBN-10475722012X
- ISBN-13978-4757220126
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
商品の説明
著者について
小林幸一郎(こばやしこういちろう)フリークライマー/NPO法人モンキーマジック代表理事。
1968年東京都生まれ。16歳でフリークライミングと出会う。大学卒業後、旅行会社、アウトドア用品販売会社を経て33歳で独立。28歳のとき、「網膜色素変性症の類縁疾患、錐体桿体機能不全」という目の難病が発覚。将来失明するという診断に失意の日々を送るが、その後のさまざまな出会いから現在の活動を開始。2006年ロシア・エカテリンブルグで開催の「第1回パラクライミング選手権」視覚障害者男子部門優勝。2011年7月イタリア・アルコで開催された「ワールドチャンピオンシップ」視覚障害者B2クラス優勝。主に視覚障害者を対象に、フリークライミングの普及を通じた障害者の運動機会拡大の他、自立支援や相互理解深耕等の活動を行っている。
1968年東京都生まれ。16歳でフリークライミングと出会う。大学卒業後、旅行会社、アウトドア用品販売会社を経て33歳で独立。28歳のとき、「網膜色素変性症の類縁疾患、錐体桿体機能不全」という目の難病が発覚。将来失明するという診断に失意の日々を送るが、その後のさまざまな出会いから現在の活動を開始。2006年ロシア・エカテリンブルグで開催の「第1回パラクライミング選手権」視覚障害者男子部門優勝。2011年7月イタリア・アルコで開催された「ワールドチャンピオンシップ」視覚障害者B2クラス優勝。主に視覚障害者を対象に、フリークライミングの普及を通じた障害者の運動機会拡大の他、自立支援や相互理解深耕等の活動を行っている。
登録情報
- 出版社 : アスペクト (2011/12/17)
- 発売日 : 2011/12/17
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 216ページ
- ISBN-10 : 475722012X
- ISBN-13 : 978-4757220126
- 寸法 : 13 x 1.6 x 18.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,241,510位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 162,206位ノンフィクション (本)
- - 303,092位文学・評論 (本)
- カスタマーレビュー:
カスタマーレビュー
星5つ中4.5つ
5つのうち4.5つ
7グローバルレーティング
評価はどのように計算されますか?
全体的な星の評価と星ごとの割合の内訳を計算するために、単純な平均は使用されません。その代わり、レビューの日時がどれだけ新しいかや、レビューアーがAmazonで商品を購入したかどうかなどが考慮されます。また、レビューを分析して信頼性が検証されます。
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2013年3月31日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2011年12月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
視覚障害者であるコバちゃん。
そして、クライミング世界チャンピオンであるコバちゃん。
コバちゃんの目の前には
希望が、光が、夢が広がっています。
それは晴眼者だからといって、簡単には見ることのできないものです。
この本は
1ページ1ページが明かりに満ちています。
28歳で失明の告知を受けたコバちゃん。
きっとそのショックや戸惑い、絶望は私の想像を絶するものであったろうと思います。
しかし、本書にはそれがほんの数ページ、いやほんの数行でしか綴られていないのです。
それよりも、
明るく生きるコバちゃんと、
コバちゃんの周りを支える多くの仲間の生き生きとした姿が本書の大半に描かれています。
私とコバちゃんとの出会いは、視覚障害児のクライミングのサポートをさせていただいた時でした。
その現場に赴いた時、
コバちゃんの壁をひょいひょいと登る姿、子どもと明るく接する姿を目にしました。
私は初め、楽しそうにしているコバちゃんが視力が悪いだなんて全く気がつきませんでした。
今となって考えてみると、
私は偏見を抱いていたのだと思います。
視覚障害者とは、できないことが多く、多くのサポートが必要なんだと。
どんなに、平等に見たいと感じても、やはり頭のどこかには偏見があったのだと思います。
そういった固定観念が打ち砕かれたのです。
なぜ、コバちゃんはこんなにも笑顔で素敵に生きられるのだろう、と
ずっと不思議でなりませんでした。
その答えが、この本にはありました。
人生を楽しみ、自分の信じた方向に進み、
道なき道を登っていく。
コバちゃんの前向きさ。
そして、そんなコバちゃんの周りに集まる人たちの力。
コバちゃんと知り合いであるということを抜きにしても、
この本は一人でも多くの方に手にとっていただきたいです。
私も先日、医師から視力ことで告知を受けました。
「今後、視力が急激に低下してしまうおそれがある体質だ」と。
ただ、コバちゃんと出会っていたからか、不思議とひどく落胆することはありませんでした。
今となっては、その診断はあまり気にすることはないとのことでしたが、
その時、きっと自分の中には、コバちゃんたちの明るく生きる姿があったのだと思います。
そして、クライミング世界チャンピオンであるコバちゃん。
コバちゃんの目の前には
希望が、光が、夢が広がっています。
それは晴眼者だからといって、簡単には見ることのできないものです。
この本は
1ページ1ページが明かりに満ちています。
28歳で失明の告知を受けたコバちゃん。
きっとそのショックや戸惑い、絶望は私の想像を絶するものであったろうと思います。
しかし、本書にはそれがほんの数ページ、いやほんの数行でしか綴られていないのです。
それよりも、
明るく生きるコバちゃんと、
コバちゃんの周りを支える多くの仲間の生き生きとした姿が本書の大半に描かれています。
私とコバちゃんとの出会いは、視覚障害児のクライミングのサポートをさせていただいた時でした。
その現場に赴いた時、
コバちゃんの壁をひょいひょいと登る姿、子どもと明るく接する姿を目にしました。
私は初め、楽しそうにしているコバちゃんが視力が悪いだなんて全く気がつきませんでした。
今となって考えてみると、
私は偏見を抱いていたのだと思います。
視覚障害者とは、できないことが多く、多くのサポートが必要なんだと。
どんなに、平等に見たいと感じても、やはり頭のどこかには偏見があったのだと思います。
そういった固定観念が打ち砕かれたのです。
なぜ、コバちゃんはこんなにも笑顔で素敵に生きられるのだろう、と
ずっと不思議でなりませんでした。
その答えが、この本にはありました。
人生を楽しみ、自分の信じた方向に進み、
道なき道を登っていく。
コバちゃんの前向きさ。
そして、そんなコバちゃんの周りに集まる人たちの力。
コバちゃんと知り合いであるということを抜きにしても、
この本は一人でも多くの方に手にとっていただきたいです。
私も先日、医師から視力ことで告知を受けました。
「今後、視力が急激に低下してしまうおそれがある体質だ」と。
ただ、コバちゃんと出会っていたからか、不思議とひどく落胆することはありませんでした。
今となっては、その診断はあまり気にすることはないとのことでしたが、
その時、きっと自分の中には、コバちゃんたちの明るく生きる姿があったのだと思います。
2012年1月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
子どもたちのクライミング教室で小林さんとお会いしたあと、この本を読んだ。
初対面の人も緊張させない彼の人柄は、このような人生を歩んで育まれてきたのだ。
小林さんには人と出会うチカラ、そして、
それをきっかけにぐんと前に進めるチカラを持った人なのだと強く感じた。
「すごい」という言葉はありふれていて使いたくないけれど、
人と共鳴し・夢に向かって行動を起こせるというのは、やはり才能だと思う。
その根っこには、大変な状況に置かれても前向きになれるポジティブさがある。
というところが著者に対する感想で、もうひとつ感じたこととして。
自分の抱いている淡い夢を、やっぱり必ず叶えたいなーと思わせてくれました。
そのような意味で、「視覚障害」「クライマー」という言葉に馴染みのない人にも、
ぜひ読んでほしいとお薦めします。
初対面の人も緊張させない彼の人柄は、このような人生を歩んで育まれてきたのだ。
小林さんには人と出会うチカラ、そして、
それをきっかけにぐんと前に進めるチカラを持った人なのだと強く感じた。
「すごい」という言葉はありふれていて使いたくないけれど、
人と共鳴し・夢に向かって行動を起こせるというのは、やはり才能だと思う。
その根っこには、大変な状況に置かれても前向きになれるポジティブさがある。
というところが著者に対する感想で、もうひとつ感じたこととして。
自分の抱いている淡い夢を、やっぱり必ず叶えたいなーと思わせてくれました。
そのような意味で、「視覚障害」「クライマー」という言葉に馴染みのない人にも、
ぜひ読んでほしいとお薦めします。
2017年12月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
筆者が2015年7月に開催された全米障害者クライミング選手権視覚障害者男子部門を他を寄せ付けない強さで制したことは記憶に新しい。本書はNPO法人モンキーマジックの代表理事でもある筆者の来し方が綴られている。 モンキーマジックとは視覚障害者を主な対象としたフリークライミングの普及活動を行うNPO法人で、様々な交流を生み出し障害者理解やその自立支援の実現を目指し、同時によりよい社会、開かれた社会の実現を提唱するものだ。
引っ込み思案だった小学生時代。高校2年生で出会ったクライミングは確かに彼を変えた。しかし、28歳で眼病を患い「将来は失明」と診断された時からが実は著者の本質は真に変貌し始めたと読み取れる。すなわち著者が想像を絶する自らの状況を「見えない力」に転化し、その役割を自覚した時にこそ「モンキーマジック構想」は生まれ得たのだから。
「クライミングで世界をつなげたい」
最終章でそういわしめたもの。イタリアのアルコでの世界選手権パラクライミング部門優勝の後、独りフランスのリヨン、トゥールーズへ向かい、障害のある子どもたちの教育施設から「そのメソッドをとり得れたい」との依頼を受け、講演して改めて気づいた自らのクライミング人生が他に及ぼす影響力の大きさだった。
著者が獲得してきた、ポジティブシンキングという語彙域をはるかに越える人生観に胸を熱くして、読了後は読者も必ず変貌する。ユニバーサリストであろうと欲するのはもとより、見えないものを見る力を得たいと願い、「みずみずしく鮮度のいい人であり続けたい」「そのためには常に新しいもの、場所、ことを追い求めたい」という著者の意志を共有するに違いない。
引っ込み思案だった小学生時代。高校2年生で出会ったクライミングは確かに彼を変えた。しかし、28歳で眼病を患い「将来は失明」と診断された時からが実は著者の本質は真に変貌し始めたと読み取れる。すなわち著者が想像を絶する自らの状況を「見えない力」に転化し、その役割を自覚した時にこそ「モンキーマジック構想」は生まれ得たのだから。
「クライミングで世界をつなげたい」
最終章でそういわしめたもの。イタリアのアルコでの世界選手権パラクライミング部門優勝の後、独りフランスのリヨン、トゥールーズへ向かい、障害のある子どもたちの教育施設から「そのメソッドをとり得れたい」との依頼を受け、講演して改めて気づいた自らのクライミング人生が他に及ぼす影響力の大きさだった。
著者が獲得してきた、ポジティブシンキングという語彙域をはるかに越える人生観に胸を熱くして、読了後は読者も必ず変貌する。ユニバーサリストであろうと欲するのはもとより、見えないものを見る力を得たいと願い、「みずみずしく鮮度のいい人であり続けたい」「そのためには常に新しいもの、場所、ことを追い求めたい」という著者の意志を共有するに違いない。
2011年12月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
これは著者の半生を記した自伝である。
28歳で失明しますと言われた著者が、何故上を向いて歩き続けられたのかが
彼の半生と共に書かれている。
失明するという宣告は壮絶だが、それを乗り越える背景が
それまでの日々にあり、その後に出会った仲間との日々があってこそだということが伺える。
さだまさしの小説「解夏」と同様の失明していく病気であり、
今もなお、クライミングというチャレンジと共に歩んでいる作者の日々が
明るいテンポで書かれている。
障害者という一般的なイメージを払拭するそのチャレンジは
読んでいて爽快である。
28歳で失明しますと言われた著者が、何故上を向いて歩き続けられたのかが
彼の半生と共に書かれている。
失明するという宣告は壮絶だが、それを乗り越える背景が
それまでの日々にあり、その後に出会った仲間との日々があってこそだということが伺える。
さだまさしの小説「解夏」と同様の失明していく病気であり、
今もなお、クライミングというチャレンジと共に歩んでいる作者の日々が
明るいテンポで書かれている。
障害者という一般的なイメージを払拭するそのチャレンジは
読んでいて爽快である。
2012年4月19日に日本でレビュー済み
久々に、特別よかった本に出会う。
超間単に内容説明。作者の小林さんは28歳のとき自分が治療不可能の視力を失っていく難病だということがわかる。そのことに悩み、苦しみぬきながらも受け入れて強く生きていく。
簡単すぎて感動が伝わらないと思うけどそれでいい。ぜひ読んで感じてください。
個人的に一番心に残ったところのみ書き出すことにします。
主人公が尊敬する全盲アメリカ人クライマーのエリック(アメリカでは教科書にのるくらい有名で尊敬されているそう)に小林さんがなぜ山に登るか問うたときの答えが最高。
山頂の素晴らしい景色を見ることが出来ないエリックは言う「山頂は、誰の心の中にもある夢の実現の象徴なんだよ。強い意志があれば、自分の足で登ることが出来る。自分のこの手でつかむことができる。誰もが自分の人生を自分の手で切り拓き、作り変えていくことができる。登山はその証、山頂はその象徴なんだよ。」
「これ以上登る必要がない一点。だから、やり遂げたと感じることができる。山頂に立ち達成感に包まれるその瞬間は、いつだって大いなる悦びをもたらしてくれる。」
う〜んさすが世界的に活躍してる人間は言うことが違うな!と思わせてくれるパーフェクトな答え!!
超間単に内容説明。作者の小林さんは28歳のとき自分が治療不可能の視力を失っていく難病だということがわかる。そのことに悩み、苦しみぬきながらも受け入れて強く生きていく。
簡単すぎて感動が伝わらないと思うけどそれでいい。ぜひ読んで感じてください。
個人的に一番心に残ったところのみ書き出すことにします。
主人公が尊敬する全盲アメリカ人クライマーのエリック(アメリカでは教科書にのるくらい有名で尊敬されているそう)に小林さんがなぜ山に登るか問うたときの答えが最高。
山頂の素晴らしい景色を見ることが出来ないエリックは言う「山頂は、誰の心の中にもある夢の実現の象徴なんだよ。強い意志があれば、自分の足で登ることが出来る。自分のこの手でつかむことができる。誰もが自分の人生を自分の手で切り拓き、作り変えていくことができる。登山はその証、山頂はその象徴なんだよ。」
「これ以上登る必要がない一点。だから、やり遂げたと感じることができる。山頂に立ち達成感に包まれるその瞬間は、いつだって大いなる悦びをもたらしてくれる。」
う〜んさすが世界的に活躍してる人間は言うことが違うな!と思わせてくれるパーフェクトな答え!!
2011年12月29日に日本でレビュー済み
率直に言うと本書は読んでいてものすごく感銘を受けるとか、感動して泣けるとかはありません。もっと言えば読み物としては著者の日記を読んでいるようでとくに抑揚がある訳でもなく、内容に引き込まれる事もありません。あくまで淡々と著者の幼い頃からの回想と視力を失う難病「錐体桿体機能不全」の宣告を受けてから起こった事や取り組んできた事が書かれています。
しかしながら読了後なにかものすごく勇気づけられるというか、なにかじっとしてられない感じがしてきます。それはこの淡々と綴られている出来事が視力健常者であってもとても大変なことなのに、著者はまるでこの病気を自分の強みのように感じているのではないかと錯覚するほどの行動力で新しい事を次々と切り開いてゆく様が私たちにとってうらやましいからなのでしょう。明らかな逆境をものともせず、前だけを見て進む著者の様を本書を読んで触れる事で生きる力が湧いてきます。最終章で初めて著者の経験から学んだ教訓らしきものがでてきますが、そこで初めて著者がどれだけ精神的にも肉体的にも苦労されたということが垣間見え、この淡々と語られてる事はあくまで著者が前を向いて進んでいるからこそなのでしょう。
人としてどう生きるかという課題に対しては障害者と健常者というステレオタイプの見方がすでに何の意味も持っていないということを本書を読んで強く感じました。視覚障害者の方がここまでやっているという事に勇気づけられるというよりも、人生に対する取り組み方を教えてもらった気がします。気軽に読めるわりに感じる事は大きいのでお勧めします。
しかしながら読了後なにかものすごく勇気づけられるというか、なにかじっとしてられない感じがしてきます。それはこの淡々と綴られている出来事が視力健常者であってもとても大変なことなのに、著者はまるでこの病気を自分の強みのように感じているのではないかと錯覚するほどの行動力で新しい事を次々と切り開いてゆく様が私たちにとってうらやましいからなのでしょう。明らかな逆境をものともせず、前だけを見て進む著者の様を本書を読んで触れる事で生きる力が湧いてきます。最終章で初めて著者の経験から学んだ教訓らしきものがでてきますが、そこで初めて著者がどれだけ精神的にも肉体的にも苦労されたということが垣間見え、この淡々と語られてる事はあくまで著者が前を向いて進んでいるからこそなのでしょう。
人としてどう生きるかという課題に対しては障害者と健常者というステレオタイプの見方がすでに何の意味も持っていないということを本書を読んで強く感じました。視覚障害者の方がここまでやっているという事に勇気づけられるというよりも、人生に対する取り組み方を教えてもらった気がします。気軽に読めるわりに感じる事は大きいのでお勧めします。