再掲
食育の前にあるもの
処理されパックにされた肉を食べ、満腹になれば食べ残し捨てられていく食材。
屠畜という肉を食べるために絶対必要な場面をほとんどの日本人は知らない。
たまたま自分は獣医という資格があるので、実習その他で知っているにすぎない。
そして、被差別という現実を著者の内澤さん同様、まったく知らないで大学に入った。そして初めて人が人を職業や生まれで差別する現実を知った。
本書はまさに肉がどのようにして動物を殺して作られていくのかを、絶妙なイラストで説明してくれる。そして世界中の屠畜の姿と屠畜に対する生身の人間の感情を聞きだしている。
民俗学者の宮本常一は日本の民俗学であえておき忘れてきた「女性史、芸能史、部落史」をやらねば民俗学などと言えないと書いていた。
自ら食べる肉の出来る工程すら知らないで食を語ることのないようにしたいものだ。
そして、穢れなどという思想で人が人を差別してきた現実を我々はしっかり考えないといけないと思う、少なくとも肉を食べるのならば。
そして、動物の命を殺して人間が生き延びていることを、すくなくとも「いただきます」という言葉に心をこめて動物たちに捧げなければいけないのではと思う。
CWニコルはこの「いただきます」という日本語は素晴らしいと著書の中に書いていた。
多くの日本人が忘れている、自然や食材となる動植物に対する感謝の言葉をもう一度考え直す良い本である。そして大人食育教科書にも最適であろう。
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世界屠畜紀行 単行本 – 2007/1/1
内澤 旬子
(著)
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購入オプションとあわせ買い
「食べるために動物を殺すことを可哀相と思ったり、屠畜に従事する人を残酷と感じる文化は、日本だけなの?」 屠畜という営みへの情熱を胸に、アメリカ、インド海外数カ国を回り、屠畜現場をスケッチ!! 国内では東京の芝浦屠場と沖縄をルポ。「動物が肉になるまで」の工程を緻密なイラストで描く。 ◆もくじ 第1章 韓国 カラクトン市場の屠畜場/マジャンドンで働く/差別はあるのかないのか 第2章 バリ島 憧れの豚の丸焼き/満月の寺院でみた生贄牛 第3章 エジプト カイロのラクダ屠畜/ギザの大家族、羊を捌く 第4章 イスラム世界 イスラム教徒と犠牲祭 第5章 チェコ 屠畜と動物愛護/ザビヤチカ・豊穣の肉祭り 第6章 モンゴル 草原に囲まれて/モンゴル仏教と屠畜 第7章 韓国の犬肉 Dr.ドッグミートの挑戦 第8章 豚の屠畜 東京・芝浦屠場 肉は作られる/ラインに乗ってずんずん進め/それぞれの職人気質/すご腕の仕事師世界 第9章 沖縄 ヤギの魔力に魅せられて/海でつながる食肉文化 第10章 豚の内臓・頭 東京・芝浦屠場 豚の内臓と頭 第11章 革鞣し 東京・墨田 革鞣しは1日にしてならず 第12章 動物の立場から おサルの気持ち? 第13章 牛の屠畜 東京・芝浦屠場 超高級和牛肉、芝浦に結集/枝肉ができるまで/BSE検査と屠畜 第14章 牛の内臓・頭 東京・芝浦屠場 内臓業者の朝 第15章 インド ヒンドゥー教徒と犠牲祭/さまよえる屠畜場 第16章 アメリカ 屠畜場ブルース/ 資本主義と牛肉 終章 屠畜紀行その後 あとがき/主要参考文献一覧
- 本の長さ367ページ
- 言語日本語
- 出版社解放出版社
- 発売日2007/1/1
- ISBN-104759251332
- ISBN-13978-4759251333
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登録情報
- 出版社 : 解放出版社 (2007/1/1)
- 発売日 : 2007/1/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 367ページ
- ISBN-10 : 4759251332
- ISBN-13 : 978-4759251333
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- - 7,048位旅行ガイド
- - 25,804位科学・テクノロジー (本)
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2019年4月24日に日本でレビュー済み
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2018年6月26日に日本でレビュー済み
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都会を出て田舎に暮らして、山からの恵みを身近なところからいただくようになってから、「お肉」の出どころや、製造工程に興味を持つようになり、こちらの本にたどり着きました。
前書きの著者の「屠畜」という言葉を使うことへのこだわりを説明したくだりは、動物への愛と、屠畜に関わるすべてのことや人への敬意、おいしくいただくことへの感謝がこめられているようで、好感が持てました。
一部の方が文体に嫌悪感を持たれたようですが、私自身はとくに気になりませんでした。
口語に近い調子ですし、著者の頭のナカの声をそのまま文字に起こしたような、くだけた感じです。
おカタイ書物をお望みの方は、こちらの本はやめたほうがいいです。
屠畜だけでなく、各国の歴史や文化、言葉にも少し触れることができ、まるで旅行もののエッセイのようです。まだ100ページも読んでいませんが、楽しみながら読み進めています。
前書きの著者の「屠畜」という言葉を使うことへのこだわりを説明したくだりは、動物への愛と、屠畜に関わるすべてのことや人への敬意、おいしくいただくことへの感謝がこめられているようで、好感が持てました。
一部の方が文体に嫌悪感を持たれたようですが、私自身はとくに気になりませんでした。
口語に近い調子ですし、著者の頭のナカの声をそのまま文字に起こしたような、くだけた感じです。
おカタイ書物をお望みの方は、こちらの本はやめたほうがいいです。
屠畜だけでなく、各国の歴史や文化、言葉にも少し触れることができ、まるで旅行もののエッセイのようです。まだ100ページも読んでいませんが、楽しみながら読み進めています。
2018年8月25日に日本でレビュー済み
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肉を食べる以上、動物を解体することは避けて通れない。その技術は世界中でそれぞれの動物を相手に発達してきた。しかし日本では社会的な問題からタブーとされてきた。実際に解体場を見学した人は少ない。本書の作者はその数少ない一人だ。その記述は正確で観察も鋭い。例えば牛を解体する最初の段階だが、牛の頭蓋骨を空砲銃で穴をあけ、ワイヤーで脊髄をカットする。この作業は解体作業でも最も危険なもので担当者は名人芸で牛を制する。この銃は解体場により同じではないかもしれないが、38口径スミスアンドウェットソン製のものだったと思う。牛の頭蓋骨は人間の物とは段違いに頑丈なのでこのくらい強力なものが必要なのだ。もっとも、これでも角度を誤ると穴が開かないという。一度目は電気ショックで麻痺させて不意打ちなので牛も静かだが、二回目はそれこそ職員総出で抑え込みにかからなくてはならない。それは危険極まる状況だ。それだけに腕利きの職員が配される。
本書では牛の体温で暑いとなっているが、BSE騒ぎのあと厚生省の通達で温水での消毒が行われるようになり、別の解体の現場ではサウナのようになっていた。国の指導が厳格化されたということは全国一律で実施されたはずなのでこの暑さは温水によるものではないだろうか。
ただ、この描写自体、現場を見ないと書けないものなので本書のドキュメンタリーとしての価値はむしろ担保されたと言えるだろう。
本書では牛の体温で暑いとなっているが、BSE騒ぎのあと厚生省の通達で温水での消毒が行われるようになり、別の解体の現場ではサウナのようになっていた。国の指導が厳格化されたということは全国一律で実施されたはずなのでこの暑さは温水によるものではないだろうか。
ただ、この描写自体、現場を見ないと書けないものなので本書のドキュメンタリーとしての価値はむしろ担保されたと言えるだろう。
2019年7月5日に日本でレビュー済み
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屠畜と差別に関する民族、宗教などに起因するもっと掘り下げた考察を期待していた。
2012年11月19日に日本でレビュー済み
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ずっと読みたかった本なので、うれしかったです。
ちょっと肉に対する考え方、私の中で、かわったかも。
ちょっと肉に対する考え方、私の中で、かわったかも。
2019年11月3日に日本でレビュー済み
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このテーマ自体避けられ勝ちな仕事に正面から取り組んだ素晴らしい本です。絵の丁寧さもこの本の価値を高めているとおもいます。
2008年10月2日に日本でレビュー済み
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この本のテーマは「肉を食べることの意味」であるように思う。
人間として、生きている動物を殺し、その肉を食べる。その行為の意味を探求するために屠畜の現場を巡り、世界各地の様々な人々の話を聞き、まとめられた本である。
そのため、『世界屠畜紀行』という題名を持ってはいるが、決して紀行を主体とするものではない。屠畜の過程が見えず、食肉という結果しか見えない日本に生きる著者が最も精力的に取材し、最も紙幅を割いたのが芝浦屠場であったのは必然といえよう。世界各地の屠畜の現場は日本の屠畜を映し出すための鏡である。
世界と日本を比較して最も対照的なあり方は屠畜に従事する人々への差別である。世界では高度な技術者として尊敬され、経済的にも社会的にも高い位置にある場合も多いことと対照的である。日本では仏教の殺生戒などとの関連もあるかもしれないが、世界的に見れば非常に珍しいあり方であるようだ。ただ歴史的経緯もあり、かなり複雑な問題のため、著者も問題提起し、疑問を呈するがそれ以上の結論を出すことはできない。であるからか著者はひたすら屠畜の現場を丹念に描写する。そこには怖れも汚れもない、尊敬すべき高度な技術者の営みを見ることができる。
全編を通じて流れるのは生命を奪う屠畜という行為に対しての畏敬の念と言えようか。人が生きていくことは必ず他の生命の犠牲の上に成り立っている。残酷だから、汚いからと敬遠したり差別したりするのではなく、動物がかわいそうという近視眼的な視点から糾弾するのではなく、人が生きるために犠牲になった動物たちへの感謝の念と高度な技術者である屠畜の関係者への敬意を込めて肉を食べるという行為の意味を考え続けていく必要性を感させられた次第である。
人間として、生きている動物を殺し、その肉を食べる。その行為の意味を探求するために屠畜の現場を巡り、世界各地の様々な人々の話を聞き、まとめられた本である。
そのため、『世界屠畜紀行』という題名を持ってはいるが、決して紀行を主体とするものではない。屠畜の過程が見えず、食肉という結果しか見えない日本に生きる著者が最も精力的に取材し、最も紙幅を割いたのが芝浦屠場であったのは必然といえよう。世界各地の屠畜の現場は日本の屠畜を映し出すための鏡である。
世界と日本を比較して最も対照的なあり方は屠畜に従事する人々への差別である。世界では高度な技術者として尊敬され、経済的にも社会的にも高い位置にある場合も多いことと対照的である。日本では仏教の殺生戒などとの関連もあるかもしれないが、世界的に見れば非常に珍しいあり方であるようだ。ただ歴史的経緯もあり、かなり複雑な問題のため、著者も問題提起し、疑問を呈するがそれ以上の結論を出すことはできない。であるからか著者はひたすら屠畜の現場を丹念に描写する。そこには怖れも汚れもない、尊敬すべき高度な技術者の営みを見ることができる。
全編を通じて流れるのは生命を奪う屠畜という行為に対しての畏敬の念と言えようか。人が生きていくことは必ず他の生命の犠牲の上に成り立っている。残酷だから、汚いからと敬遠したり差別したりするのではなく、動物がかわいそうという近視眼的な視点から糾弾するのではなく、人が生きるために犠牲になった動物たちへの感謝の念と高度な技術者である屠畜の関係者への敬意を込めて肉を食べるという行為の意味を考え続けていく必要性を感させられた次第である。
2007年6月5日に日本でレビュー済み
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日本での屠畜関係者に向けられる差別的な眼差しは、表立って肉食をはじめて100年を超えた今でも理不尽に残っているのだが、本書はその差別の歴史、差別の現場から、差別する者を糾弾しようというスタンスとは異なる地点から筆を起こしている。
まずは「食卓に届く肉は、どうやってつくられているの?」という純粋な好奇心があり、現場から作業の方法、人々の働きぶりやインタビューをユーモアを交えてレポートしている。イラストもよく描けている。妹尾河童の紀行文のような飄々とした語り口が頁を進める。
基本は刀一本で肉をさばく職人の世界だ。すし職人や畳職人と同じような、高度に機械化された現代において腕一本で生きるかっこいいオヤジ達の世界なのである。屠畜という用語の使用にも、著者の職人達の技能に対する尊敬がある。
世代が変わって、差別意識も変化している。差別よりも知らないから怖いというごく一般的な感情こそが大きな課題である。
だから差別を糾弾するよりも、まず知ろうとすること。屠畜の中には他業界と同じような苦労も喜びもあるし、神業的な職人もいれば茶髪の若者もいるということ。そして、そこで作られた肉を私たちは毎日のように食べているということ。これらを正確に伝えようとする地に足のついたアプローチが、差別意識の前に、自然な感情とも言える無知による忌避感を相対化するし、本書はこの時代には有効とは思えない主義主張が見え隠れする差別教育よりも、質の高いコミュニケーションや啓蒙のきっかけとなるだろう。
まずは「食卓に届く肉は、どうやってつくられているの?」という純粋な好奇心があり、現場から作業の方法、人々の働きぶりやインタビューをユーモアを交えてレポートしている。イラストもよく描けている。妹尾河童の紀行文のような飄々とした語り口が頁を進める。
基本は刀一本で肉をさばく職人の世界だ。すし職人や畳職人と同じような、高度に機械化された現代において腕一本で生きるかっこいいオヤジ達の世界なのである。屠畜という用語の使用にも、著者の職人達の技能に対する尊敬がある。
世代が変わって、差別意識も変化している。差別よりも知らないから怖いというごく一般的な感情こそが大きな課題である。
だから差別を糾弾するよりも、まず知ろうとすること。屠畜の中には他業界と同じような苦労も喜びもあるし、神業的な職人もいれば茶髪の若者もいるということ。そして、そこで作られた肉を私たちは毎日のように食べているということ。これらを正確に伝えようとする地に足のついたアプローチが、差別意識の前に、自然な感情とも言える無知による忌避感を相対化するし、本書はこの時代には有効とは思えない主義主張が見え隠れする差別教育よりも、質の高いコミュニケーションや啓蒙のきっかけとなるだろう。