約二十年程前、当書を知った直接のきっかけは天童荒太さんの『永遠の仔』だっただろうか??、出産前から「子育て」に備えて児童虐待周辺の著作を読み重ねていた私、幼児だったか小学生になっていたかのこどもたちを前に、本書を紐解くことは出来なかった。その後月日が流れてジャニー喜多川氏のモンスターのような性欲の歴史を知り遂に当書を紐解いて。
この間の私自身の知見蓄積ゆえか、どんどん読み進めることが出来、なにが書かれているのか知りたくて夜更かしをしてしまうくらいの勢いで読了。
読んで好かった。改めて広く読まれるといいのではないかと思う。
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児童性愛者: ペドファイル 単行本 – 2004/9/30
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購入オプションとあわせ買い
子どもを性的満足の対象とする一切の行為は性的虐待であり,犯罪である。子どもポルノ・買春・性目的の人身売買は国際的に禁じられている。ところがデンマークには世界で唯一,合法の『児童性愛者愛好者協会』がある。〈結社の自由〉のもとに子どもとのセックスを世界中で合法化しようと「活動」を続ける男たち──。その実態を報道すべく,自ら児童性愛者を装って協会に潜入した若きジャーナリストの告発ドキュメント。会員たちによる子どもへの性犯罪の実態は2000 年にテレビ放映され,世界中を震撼させた。「ユネスコ子ども人権賞」受賞。解説:梁石日
- 本の長さ255ページ
- 言語日本語
- 出版社解放出版社
- 発売日2004/9/30
- ISBN-104759260862
- ISBN-13978-4759260861
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登録情報
- 出版社 : 解放出版社 (2004/9/30)
- 発売日 : 2004/9/30
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 255ページ
- ISBN-10 : 4759260862
- ISBN-13 : 978-4759260861
- Amazon 売れ筋ランキング: - 342,061位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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上位レビュー、対象国: 日本
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2018年5月25日に日本でレビュー済み
図書館で借りて読んだ。正確に言えば最寄りの自治体の図書館には北欧ヨイショ本しかなかったので、相互貸借で読んだ。日本国内で、デンマークは「ヒュッゲ」で税金の使い方のピカイチな福祉先進国で、自由で平等で性にも開放的で…そのライフスタイルを見習うべきだの何だの…と歯の浮くような北欧&白人ヨイショ書籍が目立つ昨今、これは激震を与える一冊だろう。それだけでも一読の価値はあるかもしれない。
一つ解ったのは、児童性愛者の心理は、欧米列強によるアジアやアフリカの植民地政策の頃からの優生意識「人種差別の構図」に端を発しているということ。
幼少期、父親に性行為を迫られ、ポルノ動画を撮影されていたスウェーデン人のモニカという被害者が登場するのだが、少なくとも彼女は大人になった時、父親からされた行為を作者に「屈辱的で侮辱的だ」と告白し、電話口で泣き叫べるだけの自我は育っていた。だが欧米先進国人たちの買春の実態を調べに行ったインドの売春宿では、性行為をされずに済み、煙草を一本渡された、というだけで、作者は「その晩(作者に)買われる予定だった」少年から「いい人だ、ヤコブ」と(恐らくは心から)感謝される。この時の感想を作者は「わけもなく悲しみが襲ってきた」と表現しているが、この言葉は共感に値する。
加害者たちは「あんな少女はたった百ドルあれば一年間学校に通えるんだ。それに教育はこれらの国では大事なことだ(自分たちは人助けをしてやっているのだ)」という。かつて(もしかしたら今も)白人が有色人種を支配する時に使っていた「白人は全ての人種の父親だから、知能の低い有色人種を、教え導いてやるべき立場なのだ」という方便と、これは完全に合致する。彼ら支配者にとっては、被害者は「自分たちに支配されることを喜んでいる」「自ら進んで強者に体を与えに来た」存在なのだ。そもそも東インド会社の時代、イギリスがどれほど彼ら(インド)から財産や資源を搾取したか、何故インドが貧困に陥ったのかなんてことは、当然彼らの念頭に微塵も浮かんではいない。
日本でも、当然この手の買春ツアーに参加している者は数多くいるのだろうが、この凄惨な光景は、第二次世界大戦敗戦下の日本の上野付近の有様をも、彷彿させずにいられない為、有色人種の日本人としては、更に複雑な心境に頭を抱えこみたくなる。
今なお日本人は、かつて残虐極まりない支配民族だった白人に頭が上がらず、何かあれば北欧人…いや白人には「さすが先進国~」「白人は紳士だから」「いい人だ」「日本も北欧を見習うべき!」だ。…多分この手の本を読んでさえも。
逆に日本人はインドや東南アジアの、自分たちと同じ有色人種を野蛮な後進国だと決めつけ差別し、蔑むだろう…誰が大航海時代に、ゲルマンより体もずっと小さく華奢で、武器も持っていなかった有色人種の彼らの国を、そのようにしてしまったのかなど、考えることもなく。白人の権威をアゲるためには、自らを悪者にすることすら辞さない。その姿は滑稽なほどだ。
メンバーの主な出身地として、名前の挙がった国々の名を見て驚く。オランダ、イギリス、スウェーデン、ドイツ、ベルギー、ノルウェー。日本が福祉の国だと信じて疑わない人権先進国が、そこには名をズラリと連ねる。かつてからゆきさんやパンパンでもあった日本は「元被害者であった現加害者(売買春の)」であり、最初から白人至上主義の最高峰として圧倒的優位を誇っていたデンマーク人(北方ゲルマン)とは、また異なる立場にある。
支配者と被支配者、差別者と被差別者、両方の目線を知ることの出来る特殊な立場として、日本には一体何が出来るのかを、これから考えてゆきたいと思った。目下の所は、今自分がしている発展途上国の子どもたちへの僅かな教育支援を、今後も地道に続けてゆく、それしか浮かばないのだが。
ただこの書には欠点も多い。まず、加害者側の生い立ちを全然掘り下げていないこと。兎に角、後半のインド取材の衝撃が凄まじ過ぎて圧倒され、最初に知りたいと思っていたそれを、つい忘れてしまうのだが、私は読み始めた時、加害者たちの生い立ちを知りたかった。
「何故、彼らは児童性愛に憑かれてしまったのか?」「何故彼らは『少年少女たちも(行為を)喜んで進んでやっている』と思い込みたがっているのか?」「何故、普通の成人男女(同性愛でもいいが…)の愛を、彼らは受け入れられないでいるのか?」「何故、他者を思いやる能力に、彼らはここまで欠如しているのか?」「彼ら自身はどんな『子供時代』を送ってきたのか?」「もしかしたら、彼らも幼い頃、大人たちに同じように扱われてきて、弱肉強食の連鎖を続ける者たちなのでは?」という素朴な疑問だ。
幼い子どもしか愛せない彼らを「病んでいる」と作者が少しでも感じたのなら、そこの「病み」の原因をこそ是非訊ねてほしかったのに、一度もそれを訊ねてくれる様子がなかった。これを知ることが出来なかったため、結局、お定まりのアムネスティ目線で終わってしまった感が、拭い去れない。
その為、これを読み終えてもなお、恐怖が消えない。逆に「…で?その後どうなったの?」という疑問符が、次々浮かんでくるのだ。逮捕されることなど、ただの不愉快な通過儀式として以外、何とも思っておらず、性カウンセリングを完全に無駄だと嘲笑いつつ受けているような彼ら児童性愛者たちが、北欧の快適な刑務所で六年の懲役を終えて戻ってきた後、自分の過ちに気付き、更生しているだろうとは、微塵も思えないからだ。
結局、作者の最後の無力感も、その辺りに起因するものなのではないだろうか。取材を中途半端で、消化不良のまま終わらせたからだ。
取材後、インド版アムネスティに、子ども人権賞の賞金の一部を渡して良心の呵責をかわしただけで、作者の問題追及は終わってしまう。
私が作者だったら内心、思っているだろう 「アムネスティや国連の中にも、どうせこの手の性嗜好者はいるだろうし、彼らを刑務所に入れたところで更生などしない。児童性愛者協会を潰した所で、この手の結社はどうせ無くなりはしない。デンマークよりもっと法の甘い国に、ただ彼らが結社の場所を移動させ、差別と貧困にあえぐ国を探して搾取するだけだ」と。
また、あとがきの在日コリアンの映画監督の「金にものを言わせて子どもを買い漁っている欧米人や日本人がいるが…」という発言にやや興ざめ。
ご説ご尤もだし「ああ、日本にもこういう奴いるんだろうなぁ…」というのは読んだ人全てが感じる感想だろう。現に最近、新潟で小学校二年生の女の子が二十歳の男に殺される痛ましい事件が起きたばかりだ。また、この本を読むまで、女児は兎も角、男児が性被害のターゲットになる事は、思いもよらなかったから、男子への性暴力も性犯罪に含める法改正も、日本でも必要なのかもしれないとも思った。
だが、仮にも日本以上に国内外での売買春が問題視されており、国連のデータでも性犯罪率が世界第4位という国を祖国に持つ人に、わざわざ「買い漁っている欧米人と日本人」と言わせる理由があっただろうか?と思う。この筆者本人の母国もまたその「買い漁っている客」の中に名を連ね、性犯罪が国内問題になっていることに僅かでも触れているなら、腑に落ちた内容になっただろうと思うが、わざと自分の母国はこれらの悲惨な事実と無関係だと思わせる意図の仄見える、矛盾した書き方だ。アジア1危険な治安環境にありながら、存在を無視されている彼の母国の女性たちに、同情すら感じる。
自国の重大問題から他人事のように逃れようとする、狡賢い先進国の大人の後ろ姿を、図らずももう一人見かけてしまったような、嫌な気分だ。その為ますます「ああ、どうせこの手の犯罪は世界からなくならないんだろうなぁ」という思いに、拍車がかかってしまった。
最後にデンマークは2015年4月まで獣姦も合法であり、獣姦売春宿を自国の観光の目玉にしていたこと、その利用客の多くがやはり近隣の北欧+ゲルマン諸国であったことをも、付け加えておきたいと思う。
これがモニカの言った「まあ、何て楽しそう。何てデンマーク風なの…」の実態なのだ。…その為に彼女の一生は破壊されたのだが。
北欧諸国の掲げる「結社の自由」「思想・権利の平等」。それは時として絶対権力者の一方的な倫理であり、力無き者の屍の上に成り立つかもしれないということは、日本人もストックホルム症候群に浸っていないで、キッチリと理解し、欧米への盲目的な右へ倣えには、慎重を期すべきだと思う。その上で、ヒュッゲの国に憧れでも陶酔でもしたらいい。
一つ解ったのは、児童性愛者の心理は、欧米列強によるアジアやアフリカの植民地政策の頃からの優生意識「人種差別の構図」に端を発しているということ。
幼少期、父親に性行為を迫られ、ポルノ動画を撮影されていたスウェーデン人のモニカという被害者が登場するのだが、少なくとも彼女は大人になった時、父親からされた行為を作者に「屈辱的で侮辱的だ」と告白し、電話口で泣き叫べるだけの自我は育っていた。だが欧米先進国人たちの買春の実態を調べに行ったインドの売春宿では、性行為をされずに済み、煙草を一本渡された、というだけで、作者は「その晩(作者に)買われる予定だった」少年から「いい人だ、ヤコブ」と(恐らくは心から)感謝される。この時の感想を作者は「わけもなく悲しみが襲ってきた」と表現しているが、この言葉は共感に値する。
加害者たちは「あんな少女はたった百ドルあれば一年間学校に通えるんだ。それに教育はこれらの国では大事なことだ(自分たちは人助けをしてやっているのだ)」という。かつて(もしかしたら今も)白人が有色人種を支配する時に使っていた「白人は全ての人種の父親だから、知能の低い有色人種を、教え導いてやるべき立場なのだ」という方便と、これは完全に合致する。彼ら支配者にとっては、被害者は「自分たちに支配されることを喜んでいる」「自ら進んで強者に体を与えに来た」存在なのだ。そもそも東インド会社の時代、イギリスがどれほど彼ら(インド)から財産や資源を搾取したか、何故インドが貧困に陥ったのかなんてことは、当然彼らの念頭に微塵も浮かんではいない。
日本でも、当然この手の買春ツアーに参加している者は数多くいるのだろうが、この凄惨な光景は、第二次世界大戦敗戦下の日本の上野付近の有様をも、彷彿させずにいられない為、有色人種の日本人としては、更に複雑な心境に頭を抱えこみたくなる。
今なお日本人は、かつて残虐極まりない支配民族だった白人に頭が上がらず、何かあれば北欧人…いや白人には「さすが先進国~」「白人は紳士だから」「いい人だ」「日本も北欧を見習うべき!」だ。…多分この手の本を読んでさえも。
逆に日本人はインドや東南アジアの、自分たちと同じ有色人種を野蛮な後進国だと決めつけ差別し、蔑むだろう…誰が大航海時代に、ゲルマンより体もずっと小さく華奢で、武器も持っていなかった有色人種の彼らの国を、そのようにしてしまったのかなど、考えることもなく。白人の権威をアゲるためには、自らを悪者にすることすら辞さない。その姿は滑稽なほどだ。
メンバーの主な出身地として、名前の挙がった国々の名を見て驚く。オランダ、イギリス、スウェーデン、ドイツ、ベルギー、ノルウェー。日本が福祉の国だと信じて疑わない人権先進国が、そこには名をズラリと連ねる。かつてからゆきさんやパンパンでもあった日本は「元被害者であった現加害者(売買春の)」であり、最初から白人至上主義の最高峰として圧倒的優位を誇っていたデンマーク人(北方ゲルマン)とは、また異なる立場にある。
支配者と被支配者、差別者と被差別者、両方の目線を知ることの出来る特殊な立場として、日本には一体何が出来るのかを、これから考えてゆきたいと思った。目下の所は、今自分がしている発展途上国の子どもたちへの僅かな教育支援を、今後も地道に続けてゆく、それしか浮かばないのだが。
ただこの書には欠点も多い。まず、加害者側の生い立ちを全然掘り下げていないこと。兎に角、後半のインド取材の衝撃が凄まじ過ぎて圧倒され、最初に知りたいと思っていたそれを、つい忘れてしまうのだが、私は読み始めた時、加害者たちの生い立ちを知りたかった。
「何故、彼らは児童性愛に憑かれてしまったのか?」「何故彼らは『少年少女たちも(行為を)喜んで進んでやっている』と思い込みたがっているのか?」「何故、普通の成人男女(同性愛でもいいが…)の愛を、彼らは受け入れられないでいるのか?」「何故、他者を思いやる能力に、彼らはここまで欠如しているのか?」「彼ら自身はどんな『子供時代』を送ってきたのか?」「もしかしたら、彼らも幼い頃、大人たちに同じように扱われてきて、弱肉強食の連鎖を続ける者たちなのでは?」という素朴な疑問だ。
幼い子どもしか愛せない彼らを「病んでいる」と作者が少しでも感じたのなら、そこの「病み」の原因をこそ是非訊ねてほしかったのに、一度もそれを訊ねてくれる様子がなかった。これを知ることが出来なかったため、結局、お定まりのアムネスティ目線で終わってしまった感が、拭い去れない。
その為、これを読み終えてもなお、恐怖が消えない。逆に「…で?その後どうなったの?」という疑問符が、次々浮かんでくるのだ。逮捕されることなど、ただの不愉快な通過儀式として以外、何とも思っておらず、性カウンセリングを完全に無駄だと嘲笑いつつ受けているような彼ら児童性愛者たちが、北欧の快適な刑務所で六年の懲役を終えて戻ってきた後、自分の過ちに気付き、更生しているだろうとは、微塵も思えないからだ。
結局、作者の最後の無力感も、その辺りに起因するものなのではないだろうか。取材を中途半端で、消化不良のまま終わらせたからだ。
取材後、インド版アムネスティに、子ども人権賞の賞金の一部を渡して良心の呵責をかわしただけで、作者の問題追及は終わってしまう。
私が作者だったら内心、思っているだろう 「アムネスティや国連の中にも、どうせこの手の性嗜好者はいるだろうし、彼らを刑務所に入れたところで更生などしない。児童性愛者協会を潰した所で、この手の結社はどうせ無くなりはしない。デンマークよりもっと法の甘い国に、ただ彼らが結社の場所を移動させ、差別と貧困にあえぐ国を探して搾取するだけだ」と。
また、あとがきの在日コリアンの映画監督の「金にものを言わせて子どもを買い漁っている欧米人や日本人がいるが…」という発言にやや興ざめ。
ご説ご尤もだし「ああ、日本にもこういう奴いるんだろうなぁ…」というのは読んだ人全てが感じる感想だろう。現に最近、新潟で小学校二年生の女の子が二十歳の男に殺される痛ましい事件が起きたばかりだ。また、この本を読むまで、女児は兎も角、男児が性被害のターゲットになる事は、思いもよらなかったから、男子への性暴力も性犯罪に含める法改正も、日本でも必要なのかもしれないとも思った。
だが、仮にも日本以上に国内外での売買春が問題視されており、国連のデータでも性犯罪率が世界第4位という国を祖国に持つ人に、わざわざ「買い漁っている欧米人と日本人」と言わせる理由があっただろうか?と思う。この筆者本人の母国もまたその「買い漁っている客」の中に名を連ね、性犯罪が国内問題になっていることに僅かでも触れているなら、腑に落ちた内容になっただろうと思うが、わざと自分の母国はこれらの悲惨な事実と無関係だと思わせる意図の仄見える、矛盾した書き方だ。アジア1危険な治安環境にありながら、存在を無視されている彼の母国の女性たちに、同情すら感じる。
自国の重大問題から他人事のように逃れようとする、狡賢い先進国の大人の後ろ姿を、図らずももう一人見かけてしまったような、嫌な気分だ。その為ますます「ああ、どうせこの手の犯罪は世界からなくならないんだろうなぁ」という思いに、拍車がかかってしまった。
最後にデンマークは2015年4月まで獣姦も合法であり、獣姦売春宿を自国の観光の目玉にしていたこと、その利用客の多くがやはり近隣の北欧+ゲルマン諸国であったことをも、付け加えておきたいと思う。
これがモニカの言った「まあ、何て楽しそう。何てデンマーク風なの…」の実態なのだ。…その為に彼女の一生は破壊されたのだが。
北欧諸国の掲げる「結社の自由」「思想・権利の平等」。それは時として絶対権力者の一方的な倫理であり、力無き者の屍の上に成り立つかもしれないということは、日本人もストックホルム症候群に浸っていないで、キッチリと理解し、欧米への盲目的な右へ倣えには、慎重を期すべきだと思う。その上で、ヒュッゲの国に憧れでも陶酔でもしたらいい。
2005年3月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
詳細なデータや幼児性愛の歴史が記載されているわけではなく、
外国の記者が幼児性愛の会合に潜入しその姿を追うという
ドキュメントを小説のように綴られているだけなので、
児童性愛という病をデータの方向から知りたいと言う方には向きません。
しかし、それでも読み進めて行けばリアルな外国の幼児性愛者の現状・・
法的活動規制やポルノ収集、そして売春など・・
といった幼児性愛者の実情は知ることが出来ます。
しかし、幼児性愛というと偏見で凶悪殺人などを並べバッシングをする姿勢を
前提とし、自論だけを書き連ねている本も多いので
当事者の会合や活動、内心告白などが載せられている点は貴重だと思います。
外国の記者が幼児性愛の会合に潜入しその姿を追うという
ドキュメントを小説のように綴られているだけなので、
児童性愛という病をデータの方向から知りたいと言う方には向きません。
しかし、それでも読み進めて行けばリアルな外国の幼児性愛者の現状・・
法的活動規制やポルノ収集、そして売春など・・
といった幼児性愛者の実情は知ることが出来ます。
しかし、幼児性愛というと偏見で凶悪殺人などを並べバッシングをする姿勢を
前提とし、自論だけを書き連ねている本も多いので
当事者の会合や活動、内心告白などが載せられている点は貴重だと思います。
2010年7月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
梁石日の小説のような衝撃を得ようとして読むととんだ肩透かしを喰らう。
志もやる気もないルポライターが嫌々潜入やらされてるだけの内容。
淡白です。文章も内容も。
扱っているテーマの重さ分だけこの薄さに腹が立つ。
弱者がさらなる弱者を搾取し,搾取された弱者自らが助長させている現状
この根の深い問題について, 確かにジャーナリストとして自分の内面を
透明にして挑まねばならないのはわかるが、夏休みの宿題こなしてる学生みたいな薄さ。
潜入してストレスから深酒して云々なんて自分の記述いらないし
「だってらやめなよ」と突っ込みたくなった。
昔のデニーロみたいな「役の為ならなんにでもなる」カメレオン人間ならば
自ら同化しちゃうかもだがそのリスクをしょってでも心を震わせる潜入ルポをモノにしただろう。
そん位ガッツある奴でないとこのテーマは駄目。事実以上の驚きは文中に何もない。
持って生まれた特殊な性癖の為に日陰者になりざるを得なかった人間の哀しさや,
それでも人の心と体を長きに渡って傷つけて欲望を満たす行為がいかに卑劣な事かを
具体的にもっと深くちゃんと描いて欲しかった。この内容でこの価格はなんにしろ高い。
志もやる気もないルポライターが嫌々潜入やらされてるだけの内容。
淡白です。文章も内容も。
扱っているテーマの重さ分だけこの薄さに腹が立つ。
弱者がさらなる弱者を搾取し,搾取された弱者自らが助長させている現状
この根の深い問題について, 確かにジャーナリストとして自分の内面を
透明にして挑まねばならないのはわかるが、夏休みの宿題こなしてる学生みたいな薄さ。
潜入してストレスから深酒して云々なんて自分の記述いらないし
「だってらやめなよ」と突っ込みたくなった。
昔のデニーロみたいな「役の為ならなんにでもなる」カメレオン人間ならば
自ら同化しちゃうかもだがそのリスクをしょってでも心を震わせる潜入ルポをモノにしただろう。
そん位ガッツある奴でないとこのテーマは駄目。事実以上の驚きは文中に何もない。
持って生まれた特殊な性癖の為に日陰者になりざるを得なかった人間の哀しさや,
それでも人の心と体を長きに渡って傷つけて欲望を満たす行為がいかに卑劣な事かを
具体的にもっと深くちゃんと描いて欲しかった。この内容でこの価格はなんにしろ高い。
2023年11月19日に日本でレビュー済み
※本書に登場するのは,少女よりもむしろ「男の子が好い」(14頁)者が主。表紙の画像は明らかにミスリーディングである。
ルポとしての出来は上々。とりわけ,父からの性的虐待を受け続けた女性(「彼女が彼に尿をかける」151頁)の悲痛な叫びは,性的虐待が人間を追い詰める仕方,そのあまりの残酷さを,ありありと示すものである。「自分が汚らわしかった。私によくないところがあるからだと信じていたの」(155頁),「私は一度も愛されたことがないから,自分が愛を知っているかどうか確信が持てないの」(158頁)……。性的虐待に母親も加担していた(と推察される)点でも,この例は衝撃的なものである(cf. 85; 179頁)。児童の性的虐待の「闇」(本書の原題は『闇の男たち』)への問題意識で本書を手にするのであれば,まずは第14章(147-158頁)から。(おそらくこれで事足りる)
ただ,ルポとしての内容が良いだけに,筆者の考察の浅薄さが目につくことは否めない。①「自分の好きな子どもと一緒にいるだけで楽しい」(22頁)という児童性愛者の発言を含む章が「女の子に性的行為をしてもよいと彼は確信していた」(25頁)と総括される。②被害者の「大人になってから[…]成人男性に対してはいつも冷ややかに見ていた」というつぶやきを「男性への信頼感は壊された」と拡大解釈する(145頁)。③「ときには子どもたち自身がしたがる」(49頁)という「自発的」(65頁)子ども像は, トレイナーの著作 などを読めば実情であることがわかるが,「子どもはいつも支配される側」(213頁)であるとして,筆者はこれを直視しない(この背景には,「自分たち[大人]の肉であり血である子ども」(198頁)という,児童性愛者とは別のベクトルの「子ども幻想」がある)。④児童性愛は,実際に性的虐待を実行して芽生えるものだと臆断している(228頁)。
筆者は取材を進めるなかで,児童性愛者を断罪する(「疑いの余地はありません」213頁)方向に明らかにシフトしていった。これは「この間の取材体験のせいでトラウマを感じ始めた」(160頁)筆者の防衛機制だったのだろう。が,「すべて,あまりにも単純な二元論で片付けられ,問題点が曖昧になった」(237頁)という結末の咎は,政治家にではなく,むしろ筆者の「転向」にあるのではないかと疑ってみたくなる。「私たちには,何の権利もないんだ」(120頁)と自嘲する児童性愛者。彼(女)を理解する必要はないし,おそらくそんなことは不可能だろう。しかし,それでも児童性愛者は存在する以上,その「実像に迫る」(28頁)ことは無駄ではない。私見では,筆者はこれに失敗している。
梁石日の解説は単なる意見表明であり,全く読むに耐えないものであることを付言しておく。「人間の性が内にかかえ込んでいる陰湿で卑劣な欲望[…]ファシズム的な要求」(252-253頁)。そんな分析は,本書のどこにも書かれていない。
ルポとしての出来は上々。とりわけ,父からの性的虐待を受け続けた女性(「彼女が彼に尿をかける」151頁)の悲痛な叫びは,性的虐待が人間を追い詰める仕方,そのあまりの残酷さを,ありありと示すものである。「自分が汚らわしかった。私によくないところがあるからだと信じていたの」(155頁),「私は一度も愛されたことがないから,自分が愛を知っているかどうか確信が持てないの」(158頁)……。性的虐待に母親も加担していた(と推察される)点でも,この例は衝撃的なものである(cf. 85; 179頁)。児童の性的虐待の「闇」(本書の原題は『闇の男たち』)への問題意識で本書を手にするのであれば,まずは第14章(147-158頁)から。(おそらくこれで事足りる)
ただ,ルポとしての内容が良いだけに,筆者の考察の浅薄さが目につくことは否めない。①「自分の好きな子どもと一緒にいるだけで楽しい」(22頁)という児童性愛者の発言を含む章が「女の子に性的行為をしてもよいと彼は確信していた」(25頁)と総括される。②被害者の「大人になってから[…]成人男性に対してはいつも冷ややかに見ていた」というつぶやきを「男性への信頼感は壊された」と拡大解釈する(145頁)。③「ときには子どもたち自身がしたがる」(49頁)という「自発的」(65頁)子ども像は, トレイナーの著作 などを読めば実情であることがわかるが,「子どもはいつも支配される側」(213頁)であるとして,筆者はこれを直視しない(この背景には,「自分たち[大人]の肉であり血である子ども」(198頁)という,児童性愛者とは別のベクトルの「子ども幻想」がある)。④児童性愛は,実際に性的虐待を実行して芽生えるものだと臆断している(228頁)。
筆者は取材を進めるなかで,児童性愛者を断罪する(「疑いの余地はありません」213頁)方向に明らかにシフトしていった。これは「この間の取材体験のせいでトラウマを感じ始めた」(160頁)筆者の防衛機制だったのだろう。が,「すべて,あまりにも単純な二元論で片付けられ,問題点が曖昧になった」(237頁)という結末の咎は,政治家にではなく,むしろ筆者の「転向」にあるのではないかと疑ってみたくなる。「私たちには,何の権利もないんだ」(120頁)と自嘲する児童性愛者。彼(女)を理解する必要はないし,おそらくそんなことは不可能だろう。しかし,それでも児童性愛者は存在する以上,その「実像に迫る」(28頁)ことは無駄ではない。私見では,筆者はこれに失敗している。
梁石日の解説は単なる意見表明であり,全く読むに耐えないものであることを付言しておく。「人間の性が内にかかえ込んでいる陰湿で卑劣な欲望[…]ファシズム的な要求」(252-253頁)。そんな分析は,本書のどこにも書かれていない。
2013年8月25日に日本でレビュー済み
デンマークには児童性愛愛好者協会という組織が合法的に存在していた! 筆者は児童性愛者になりすまし会に入会し、児童性愛の世界を探っていく。
デンマークで話題になったテレビドキュメンタリの書籍化。
児童性愛者は世間を欺かないと生きていけない。そんな彼らがいつか自分達が市民権を得ようと会合を開いている。そこに自らを欺き潜入する筆者という二重構造が面白い。
彼らは自分達が社会から虐げられていると感じていて、少年や少女との恋愛や性交は自由ではないかと考えている。筆者はそこに違和感を感じつつどんどん深い世界に入っていく。やがて、児童ポルノに映っていたかつての子ども達や、インドの買春街でオリに入れられた男の子などに辿りつく。児童性愛者は自分達が虐げられていると訴えながら、自分達が子どもを傷つけ虐げていることから目を逸しているもう一つの二重構造が明らかになる。
最終的に筆者は情報をくれた協会の会員達を警察に通報し、結社の自由と犯罪の境界線の問題を指摘する。
ノンフィクションとしての格段の読み応えがあり、いくつもの社会問題がそこに内包されている。
これはなかなかすごい本である。
デンマークで話題になったテレビドキュメンタリの書籍化。
児童性愛者は世間を欺かないと生きていけない。そんな彼らがいつか自分達が市民権を得ようと会合を開いている。そこに自らを欺き潜入する筆者という二重構造が面白い。
彼らは自分達が社会から虐げられていると感じていて、少年や少女との恋愛や性交は自由ではないかと考えている。筆者はそこに違和感を感じつつどんどん深い世界に入っていく。やがて、児童ポルノに映っていたかつての子ども達や、インドの買春街でオリに入れられた男の子などに辿りつく。児童性愛者は自分達が虐げられていると訴えながら、自分達が子どもを傷つけ虐げていることから目を逸しているもう一つの二重構造が明らかになる。
最終的に筆者は情報をくれた協会の会員達を警察に通報し、結社の自由と犯罪の境界線の問題を指摘する。
ノンフィクションとしての格段の読み応えがあり、いくつもの社会問題がそこに内包されている。
これはなかなかすごい本である。
2008年10月31日に日本でレビュー済み
デンマークの「児童性愛愛好者協会」にこっそり潜入した、ヤコブ・ビリングのルポ。
君は男の子が好き?女の子が好き?僕はどっちでもいけるんだ。年齢は11歳くらいがいいな…うんちょうどいいね、それ以上はダメだ…
まるで好きなセットメニューを選ぶかのような会話。
デンマークだけではなく、スウェーデン、インドへも飛ぶ。
まさかこんな子どもが性的に好きな人が多くいる事実のほかに、
それが世界各地のネットワークでとんでもない繋がりがあることが分かる。
別に彼らはなりたくてなったわけではないだろうし、その苦悩もあるんだろうけど、
被害を考えるととんでもないことだ。
日本人もアジアで買春が多いらしいニュースは見るけど…
際どい子どものDVDも、親が売り込みにくるのが現実らしいし。
君は男の子が好き?女の子が好き?僕はどっちでもいけるんだ。年齢は11歳くらいがいいな…うんちょうどいいね、それ以上はダメだ…
まるで好きなセットメニューを選ぶかのような会話。
デンマークだけではなく、スウェーデン、インドへも飛ぶ。
まさかこんな子どもが性的に好きな人が多くいる事実のほかに、
それが世界各地のネットワークでとんでもない繋がりがあることが分かる。
別に彼らはなりたくてなったわけではないだろうし、その苦悩もあるんだろうけど、
被害を考えるととんでもないことだ。
日本人もアジアで買春が多いらしいニュースは見るけど…
際どい子どものDVDも、親が売り込みにくるのが現実らしいし。