福島原発事故を含めて最新の事故にも触れられてをり、事例が豊富。
工学倫理のテキストとしては、文章中心で写真や図解が不足するものが多い中で、写真や図例が豊富で大変わかりやすい。工学倫理のテキストとしてもっと広く活用していただきたい。
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技術者による実践的工学倫理 第2版: 先人の知恵と戦いから学ぶ 単行本 – 2009/10/1
中村 収三
(編集),
近畿化学協会工学倫理研究会
(編集)
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- ISBN-104759811893
- ISBN-13978-4759811896
- 出版社化学同人
- 発売日2009/10/1
- 言語日本語
- 本の長さ215ページ
登録情報
- 出版社 : 化学同人 (2009/10/1)
- 発売日 : 2009/10/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 215ページ
- ISBN-10 : 4759811893
- ISBN-13 : 978-4759811896
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2020年3月22日に日本でレビュー済み
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2017年1月15日に日本でレビュー済み
※以下は本書第3版の書評です。
原発問題と臨床倫理に関心のある臨床医です。工学者自身の語る工学倫理に興味があり拝読しました。
20世紀後半以降、おもに米国生まれの技術(多くは軍事技術)を日本が成熟した商業技術に育ててきた。成熟した商業技術となってこそ人類に計り知れない利便と富をもたらしたのだ、と語る著者らは、化学産業や電気産業を中心とする、戦後日本の平和主義のもとでの経済成長を支えてきた一流技術者OBたちである。
卑近な例を挙げれば、世界に誇る新幹線の信頼性・安全性は、日本の工学倫理の賜物である。工学者の高い倫理観なくして、高い安全性・信頼性が成り立たないことは容易に想像できる。そこには多くのプロジェクトXが刻み込まれてきたことだろう。
技術者の高度な倫理性の由来を、著者は人類が火という危険物を使いこなすようになったところから説き起こす。危険物を安全に取扱う専門家として、一般人以上に求められ育まれた倫理性が工学倫理である。リスク評価・リスク管理が工学倫理の主柱をなす。社会からの信頼を失えば技術者は仕事ができなくなるし、ときに信頼回復が不可能になる場合もある。
数多くの事例が実名を挙げて検討され、倫理的問題を乗り越えた技術者の苦悩と奮闘ぶり、その人生への敬意、倫理的過ちを犯した技術者への、技術者仲間としての悔しさをまじえた非難と反省が情熱を込めて語られている。いくつかの事例は、問題が未だ改善されていないことをオブラートに包むことなく指摘される。その高潔な態度に、著者らの技術者魂が表れている。
3.11原発事故の衝撃を受けて、本書は第3版へと改定された。原発技術は「技術が進んでいるのに社会的合意が不十分」(第2版)なものから「リスク評価の誤りが重大な事故をもたらした場合」(第3版)へと変更された。つまり3.11原発事故は、工学倫理上の誤りが起こした重大事故に他ならないとされる。
3つの事故調報告を検討したうえで、著者らは、あの事故を防止するチャンスは何度もあったはずなのにそのたびに経営が優先されて安全が軽視され、事故に至ったと結論する。吉田所長の献身ぶりに敬意を表しつつも、何度も大津波の可能性が指摘されたのに巨大防潮堤の建設案を退けた吉田所長の判断は、技術者の倫理を忘れて経営を優先して目を曇らせてしまったNASAのチャレンジャー事故の過ちに類比される。そもそも原子力安全委員会自身が「長期間の外部電源喪失は想定しなくてよい」と規定しており、国家としてリスク評価を誤った。原子力技術のリスクを社会が許容するかどうかは、技術者群にたいする社会の信認によるはずが、実際には産官学の「原子力ムラ」が牛耳って振りまいた裏付けのない安全神話によっていた。政府高官に助言すべき学識経験者たちは国民の信頼を見事に裏切った、と著者は歯に衣着せず指弾している。
そのうえで、原子力は「極限的な危険性」のために、失敗を重ねることのできない「特異な技術」である(27頁)と著者は指摘し、原子力技術者群や原子力行政が公衆の信頼を回復できるか、疑問符をつける。個々の技術者の「技術者倫理(工学倫理)」を超えた次元の、原発技術そのもののリスクを社会が許容しうるかという「技術倫理」の問題が提示される。社会が「原子の火」を永久に手放す選択肢をとるなら、技術者や行政はそれに従わねばならない、と著者は論じる。
リスクを被害規模と発生確率の積として定義し、数値化して評価する「確率論的リスク評価」法は、従来、原発事故リスクは自動車事故リスクと比べても少ないなどと「安全神話」を拡散する役割をしてきた。しかし被害規模が3.11事故のようにカタストロフィックである場合、「確率論的リスク評価」の適応外だという考えに著者らは至ったのである。
原子力を極限的リスクをもった「特異な技術」というとき、3.11以後に改めて注目を浴びたウルリッヒ・ベックのリスク論が著者の念頭にあるのかもしれない。(朝日新聞2011年5月13日朝刊「原発事故の正体」。ググれば見つかるので一読されたい)。
ところで、科学研究費配分に絡んで、日本の科学者や技術者が軍事研究に従事すべきかが焦眉の倫理的問題となっている。日本の経済発展が軍事技術ではなく商業技術の発展によってもたらされたことを著者は誇らしく思っているが、その技術の背景に米国生まれの多くの軍事技術があることは、面はゆいところであろう。軍事技術については工学倫理とは「次元の異なる議論が必要」(18頁)として、本書ではあえて踏み込んでいないが、議論が必要であることを指摘するだけでも、著者らの誠実さがうかがわれる。本書には米国の技術者倫理規定や医師のヒポクラテスの誓いに類比して定められた米国技術者信条が、工学倫理の一つの模範として収録されている。その重要なポイントは「公衆の安全、健康、福利を何より最優先し、業務命令でそれに違反させられようとする場合は雇い主企業をも内部告発します」という独立した一人の技術者としての高潔な倫理であり、著者らも共感するところである。だが、米国軍需産業の技術者たちは、この高潔な信条と軍事技術の結果もたらされる人的被害とを、どう折り合いをつけているのか?、というのは一人の医療者としての私の素朴な疑問である。まあ、米軍の軍事技術で被害を受けるのは、みな米国に敵対するテロリストたちだ、と単純化して自分を納得させている、そんなところかもしれない。しかし軍事技術による一般市民の人的被害は、広島長崎を持ち出すまでもなく、日本人技術者として倫理的に無視できるはずはなかろう。日本政府がイスラエルと無人機を共同開発するのも、当然工学倫理的な問題である。技術者の良心を保ちつつ軍事技術開発に従事するのは、いかなる条件が満たされれば可能だろうか?この工学倫理上の問いに、ぜひ第4版で取り組んでいただけると期待したい。
原発問題と臨床倫理に関心のある臨床医です。工学者自身の語る工学倫理に興味があり拝読しました。
20世紀後半以降、おもに米国生まれの技術(多くは軍事技術)を日本が成熟した商業技術に育ててきた。成熟した商業技術となってこそ人類に計り知れない利便と富をもたらしたのだ、と語る著者らは、化学産業や電気産業を中心とする、戦後日本の平和主義のもとでの経済成長を支えてきた一流技術者OBたちである。
卑近な例を挙げれば、世界に誇る新幹線の信頼性・安全性は、日本の工学倫理の賜物である。工学者の高い倫理観なくして、高い安全性・信頼性が成り立たないことは容易に想像できる。そこには多くのプロジェクトXが刻み込まれてきたことだろう。
技術者の高度な倫理性の由来を、著者は人類が火という危険物を使いこなすようになったところから説き起こす。危険物を安全に取扱う専門家として、一般人以上に求められ育まれた倫理性が工学倫理である。リスク評価・リスク管理が工学倫理の主柱をなす。社会からの信頼を失えば技術者は仕事ができなくなるし、ときに信頼回復が不可能になる場合もある。
数多くの事例が実名を挙げて検討され、倫理的問題を乗り越えた技術者の苦悩と奮闘ぶり、その人生への敬意、倫理的過ちを犯した技術者への、技術者仲間としての悔しさをまじえた非難と反省が情熱を込めて語られている。いくつかの事例は、問題が未だ改善されていないことをオブラートに包むことなく指摘される。その高潔な態度に、著者らの技術者魂が表れている。
3.11原発事故の衝撃を受けて、本書は第3版へと改定された。原発技術は「技術が進んでいるのに社会的合意が不十分」(第2版)なものから「リスク評価の誤りが重大な事故をもたらした場合」(第3版)へと変更された。つまり3.11原発事故は、工学倫理上の誤りが起こした重大事故に他ならないとされる。
3つの事故調報告を検討したうえで、著者らは、あの事故を防止するチャンスは何度もあったはずなのにそのたびに経営が優先されて安全が軽視され、事故に至ったと結論する。吉田所長の献身ぶりに敬意を表しつつも、何度も大津波の可能性が指摘されたのに巨大防潮堤の建設案を退けた吉田所長の判断は、技術者の倫理を忘れて経営を優先して目を曇らせてしまったNASAのチャレンジャー事故の過ちに類比される。そもそも原子力安全委員会自身が「長期間の外部電源喪失は想定しなくてよい」と規定しており、国家としてリスク評価を誤った。原子力技術のリスクを社会が許容するかどうかは、技術者群にたいする社会の信認によるはずが、実際には産官学の「原子力ムラ」が牛耳って振りまいた裏付けのない安全神話によっていた。政府高官に助言すべき学識経験者たちは国民の信頼を見事に裏切った、と著者は歯に衣着せず指弾している。
そのうえで、原子力は「極限的な危険性」のために、失敗を重ねることのできない「特異な技術」である(27頁)と著者は指摘し、原子力技術者群や原子力行政が公衆の信頼を回復できるか、疑問符をつける。個々の技術者の「技術者倫理(工学倫理)」を超えた次元の、原発技術そのもののリスクを社会が許容しうるかという「技術倫理」の問題が提示される。社会が「原子の火」を永久に手放す選択肢をとるなら、技術者や行政はそれに従わねばならない、と著者は論じる。
リスクを被害規模と発生確率の積として定義し、数値化して評価する「確率論的リスク評価」法は、従来、原発事故リスクは自動車事故リスクと比べても少ないなどと「安全神話」を拡散する役割をしてきた。しかし被害規模が3.11事故のようにカタストロフィックである場合、「確率論的リスク評価」の適応外だという考えに著者らは至ったのである。
原子力を極限的リスクをもった「特異な技術」というとき、3.11以後に改めて注目を浴びたウルリッヒ・ベックのリスク論が著者の念頭にあるのかもしれない。(朝日新聞2011年5月13日朝刊「原発事故の正体」。ググれば見つかるので一読されたい)。
ところで、科学研究費配分に絡んで、日本の科学者や技術者が軍事研究に従事すべきかが焦眉の倫理的問題となっている。日本の経済発展が軍事技術ではなく商業技術の発展によってもたらされたことを著者は誇らしく思っているが、その技術の背景に米国生まれの多くの軍事技術があることは、面はゆいところであろう。軍事技術については工学倫理とは「次元の異なる議論が必要」(18頁)として、本書ではあえて踏み込んでいないが、議論が必要であることを指摘するだけでも、著者らの誠実さがうかがわれる。本書には米国の技術者倫理規定や医師のヒポクラテスの誓いに類比して定められた米国技術者信条が、工学倫理の一つの模範として収録されている。その重要なポイントは「公衆の安全、健康、福利を何より最優先し、業務命令でそれに違反させられようとする場合は雇い主企業をも内部告発します」という独立した一人の技術者としての高潔な倫理であり、著者らも共感するところである。だが、米国軍需産業の技術者たちは、この高潔な信条と軍事技術の結果もたらされる人的被害とを、どう折り合いをつけているのか?、というのは一人の医療者としての私の素朴な疑問である。まあ、米軍の軍事技術で被害を受けるのは、みな米国に敵対するテロリストたちだ、と単純化して自分を納得させている、そんなところかもしれない。しかし軍事技術による一般市民の人的被害は、広島長崎を持ち出すまでもなく、日本人技術者として倫理的に無視できるはずはなかろう。日本政府がイスラエルと無人機を共同開発するのも、当然工学倫理的な問題である。技術者の良心を保ちつつ軍事技術開発に従事するのは、いかなる条件が満たされれば可能だろうか?この工学倫理上の問いに、ぜひ第4版で取り組んでいただけると期待したい。