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孤独なボウリング: 米国コミュニティの崩壊と再生 単行本 – 2006/4/1
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- ISBN-104760129030
- ISBN-13978-4760129034
- 出版社柏書房
- 発売日2006/4/1
- 言語日本語
- 本の長さ689ページ
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商品の説明
メディア掲載レビューほか
本書はハーバード大学教授である著者が、米国における「社会関係資本」の衰退について論じた書である。
「社会関係資本」とは、市民が自発的にコミュニティーを形成、あるいは参加し、金銭的・物質的な見返りを求めることなく活動する社会的絆を指す。経済行為に関わる「物的資本」や主に高等教育に関わる「人的資本」とともに、豊かな社会づくりには不可欠の財だが、「社会関係資本」を体系的に論じた研究者、書物は欧米でも極めて少なかった。
善意の米国市民が育んだ「社会関係資本」は、宗教団体や労働関連組織からPTAや社交クラブといったものまで社会の隅々に根を張り巡らしてきた。ボウリング場には誰でも参加できるリーグが存在し、ともにゲームに興じれば人種や年齢、職業を超えた絆が生まれ、“愛他主義”に基づく互助活動が行われていた。今ではそれが失われ、黙々と「孤独なボウリング」に興じる市民が増えたと著者は憂える。
本書では様々な統計を読み解きながら、「善意のコミュニティー」の生成と崩壊の歴史を丹念に追う。伝統的な家族構造の衰退や、企業の巨大化、グローバル化の影響を負の要因として挙げるなど、日本の社会にとっても、見過ごせぬ教訓を提示している。
(日経ビジネス 2006/05/29 Copyright©2001 日経BP企画..All rights reserved.)
-- 日経BP企画
登録情報
- 出版社 : 柏書房 (2006/4/1)
- 発売日 : 2006/4/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 689ページ
- ISBN-10 : 4760129030
- ISBN-13 : 978-4760129034
- Amazon 売れ筋ランキング: - 125,638位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,552位社会一般関連書籍
- - 2,469位社会学概論
- - 14,370位ビジネス・経済 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
しばない・やすふみ/東京経済大学コミュニケーション学部教授
1970年千葉市生まれ。1994年東京大学文学部卒業、1999年東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得。同志社大学文学部専任講師、同助教授・准教授、同社会学部准教授を経て現職。専門はメディア論、コミュニケーション論、ソーシャルキャピタル論、社会心理学。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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これまでの自分の人生における、他人や社会とのかかわりあい方を振り返りながら読みました。どんな社会が「豊な」社会なのか、これからの人生をどう生きていけばより豊かに生きられるのか、そんなことを考えるためにも有用でした。
でも、ともかく分厚い。凶器に使えるほど重くて分厚いです。しかも、データに基づく緻密な論証の積み上げが行われている分、説明が饒舌で読んでいて退屈します。
元気の出るバックミュージックと、山ほどのコーヒーを準備したうえで読み始めることをお勧めします。
一昨年ぐらいから、行きつけのショートコースで一人でゴルフバッグを担いで、黙々と回られている、昔プロゴルファーを目指した方といっしょに回る機会が増えました。行きつけのコースは、自然とそんな仲間ができてきます。行きつけの居酒屋、定食屋さんもそんな感じです。この本のテーマは社会的資本(ソーシャル・キャピタル)。
キーワード: 社会ネットワークと、それに付随する互酬性規範。相互扶助・協力・信頼・制度の有効性。1960年代の都市計画家ジェーン・ジェイコブス。
この本のテーマは社会関係資本。米国社会の絆につて分析した本である。宗教的、職業、ボランティアの章では、macher, schmoozer, 魂の交歓(The flow of Soul)などなど、興味深い。訳者のあとがきにはリースマン著「孤独な群衆」のことも載っていた。米国でも、組合の組織率の低下が起こっていた。米国の労働者は、一世代前よりも職場において満足度が増しているということはなく、おそらくはむしろ不満が増大している。なんてコメントがあるが、経済ニュースでこの手の議論を聞いたことがなかった。
以下少し、メモ。
仕事を基盤としたネットワークは、道具的な目的で使われることが多く、したがって、コミュニティー、社会的目的という価値をいくぶんか切り捨てている。女性の方が男性より熱心な社会関係資本家だ。見ることが増え、することが減る(日本でも、お祭りの写真をとっている方が、やるほうよりも多いという現象がある) 親切という単純な行為は、波及効果を持つのである。
翻訳者の「あとがき」にこうあります。
「孤独なボウリング」と共通の言葉を含む既刊書として、デビッド・リースマンの「孤独な群衆」のことを思い出される読者もおられるであろう。「伝統指向型」、「内部指向型」、「他人指向型」という社会的性格について論じた。「孤独な群衆」の出版は1950年のことである。それからちょうど半世紀の経過後、アメリカ人の「他人」との関わりについて膨大なデータをパットナムが提供した。 これらを併せて考察することも、知的興味をかき立てられることと思う。
この本にはフランス人、トックビルの1835年に出版した「アメリカの民主主義」の記述が良く引用されている。こちらもアメリカ人の政治家には良く読まれている本とのこと。 先日、後藤新平シンポジュウムで片山善博(元鳥取県知事、元総務大臣)さんが地方自治の観点から、読むことを勧めていました。トックビルの同書は、話題のトマ・ピケティーの「21世紀の資本」にも登場する。
社会的つながり(社会的資本)が、様々な生活のリスクを減じる議論には説得力があります。都市計画関係では古典となっている、ジェイコブスの1961年の著書「アメリカ大都市の死と生」の一部も紹介されています。
曰く:
20世紀の都市計画・再開発への取り組みを冷徹に批判する中で、近隣とのインフォーマルな接触を最大化するように設計された都市では、 街路は安全で、子供は手をかけられ、人々も環境に満足していると主張した。ジェイコブスにとって、近所の食品雑貨店での日々のやりとり、 軒先の家族、教区の区画を歩く牧師といったものは、街頭市や適切に街を仕切る公園の存在と同様に、地域住民の内に、持続性と、責任の感覚を育てるものであった
以下は、以前読んだ「アメリカ大都市の死と生」について書いたメモ。
アメリカ大都市の死と生(ジェイン・ジェイコブズ著、山形浩生訳、2010年4月30日第1刷(原著: The Death and Life of Great American Cities (Vintage, 1961)) 黒川紀章さんが、部分訳本を出していましたが、質が悪かったようです。
都市計画の用途規制が都市の活気を損なうといった論調です。皮相な形式主義を批判しています。 以下は、その引用ですが、ダイナミズムがどこにあるか示唆していておもしろい。
P270「アメリカの都市には、複雑に入り混じって相互支援を行う、いろんな種類の多様性が必要です。都市生活がきちんと建設的に機能するように、また都市の人々が社会と文明を維持(そしてもっと発展)できるようにするためには、それが必要なのです。公共体、準公共体は都市の多様性をつくり出す助けになる事業の一部を担当しています。――たとえば公園、博物館、学校、ほとんどの公会堂、病院、一部の職場や住宅。でもほとんどの都市多様性とは、公共の活動の正式な枠組みの外にある、思い思いのアイデアや目的、計画や企みを抱く膨大な数の人々や民間組織によってつくられたものです。都市計画とデザインのおもな責務は――公共政策と活動にできる範囲で――こうした幅広い非公式な計画、アイデア、機会が公共的な事業と共に繁栄できるような都市の開発であるべきです。一次用途、頻繁な街路、規模の似た古さのちがう建物の混在、人口の集中がうまく組み合わさっていれば、都市地区は経済的、社会的に見て、多様性が自然発生して最大限の能力を発揮するのに適した場所になるでしょう。」
ただし、この方の志は大いに評価されるべきですし、的を射た提示も少なくありません。
コミュニティに関する文献として避けては通れない一冊。
ここでの社会関係資本とは、個人間のつながり(社会的ネットワーク)、およびそこから生じる互酬性と信頼性の規範であり、「橋渡し型(ブリッジング)」と「結束型(ボンディング)」とに大別される。そして社会関係資本は、人々の生活の多くの側面に対して測定可能な影響力を及ぼしており、学校や近隣関係が、コミュニティの結束が弱まっている状況ではうまく機能しないこと、そして経済、民主主義、さらには健康や幸福までもが、社会関係資本の十分な蓄積に依存していると主張する。
以上のような問題設定のもと、本書は膨大な統計資料を分析し、労働における時間と金銭面でのプレッシャー、郊外化における通勤とスプロール現象、テレビといった電子的娯楽、世代的変化などが原因となって、1960年以降、アメリカのコミュニティは衰退したと主張する。そして、現在われわれが取り組まなければならない課題と非常に類似した問題に直面していた「金ぴか時代」(1870~1900年)と「革新主義時代」(1900~1915年)とを取り上げ、21世紀のアメリカ人の市民参加と社会的つながりをいかにして取り戻すか、について論じる。
本書には、いくつかの点で批判が寄せられている。ここでは大きく2点にまとまる。まず、社会関係資本の性質の問題である。本書は、社会関係資本には個人的側面と集合的側面があり、「私財」であると同時に「公共財」でありうるとする。つまり、それが個人に帰属されるものか、人と人とのネットワークにあるものなのか曖昧なままなのである。そのため、経済的に発展している地域は社会関係資本が高く、社会関係資本が高いところはその地域の発展を促進する、というように社会関係資本が原因にも結果にも解釈できる循環論を回避できなくなってしまっている。次に、社会関係資本の測定・分析方法の問題である。本書は、量的調査が中心であり、単純に組織の数や人数によって測定している。そのため、組織内部あるいは組織間での権力関係、不平等を看過してしまう危険性がる。さらに、歴史的に蓄積され,個人やグループが非意図的に創出した社会関係資本は機能的にその成員に割り当てられるというパットナムの理解では,各アクターの主体的な意図や行動,受ける資源配分の差などが完全に脱落しており,社会関係資本が誰にとってどのような意味を持つのかも不明瞭である。
以上のような批判があるものの、本書は、趣旨は非常に明快で読みやすく、説得的である。近年では、社会関係資本への注目は高まっており、様々な分野で多くの成果が出されているが、本書はすでに必読書として古典的著作に位置づけられ評価されている。注を含めて600ページを超える大著ではあるが、一読を勧めたい。
数年前、町の回覧板を手にすることがなかった私が、自治会役員と町のクリーン作戦委員をすることになり、何かのキッカケで本書を知りました。
20世紀のアメリカ社会の100年、有給の長時間労働、女性の労働参加、テレビの普及、中間層の減少など、市民参加の社会関係資本の衰退について、その原因究明がなされています。
教育水準とコミュニティの関わりの統計と歴史、楽器の演奏者の激減、スポーツを「する」から「見る」への現象など、1970年からの30年間の急激な変化の影響を、とても丁寧に分析されています。
p431 1950年を舞台にした風刺映画『カラー・オブ・ハート』(1998年)の紹介も印象的でした。
社会学者、人と社会に関する研究者、政治家、地方自治の関係者、起業家には必読書のように思われます。
本書を読まれる人は、かなり少数派の限定層なので、その役割と個々の使命感が、次世代のコミュニティを維持、創造され、ご活躍されることを心より祈ります。