2001年に起こった、ETVの番組「問われる戦時性暴力」に対して政治家から番組内容改編の圧力がかかった事件について、番組のプロデューサーだった永田氏が当時の出来事をわかる限り記したもの。どきどきしながら読んだ。
著者は事件当時政治家及び海老沢会長の意を受けた上司からの改変要求に若干の抵抗は試みるものの結局はその命令に服し、番組の大幅な改変を行った。その後、取材に協力した団体からの提訴を受けても第一審では組織防衛のために想定問答をひたすら暗記し、知ることを証言しなかった。
永田氏の態度が変わったのは、2006年、朝日新聞のスクープ記事とデスクの長井暁氏の職を賭した内部告発がなされてから。2審では自らの知る限りのことを述べ、NHK敗訴の結果となる(最高裁でひっくり返されるが)。
事件から5年経過してようやく関係者(取材対象やドキュメンタリー・ジャパン、出演者)への謝罪する気持ちとなったのは、確かに遅すぎる。その間に傷つき、職を追われた人にとっては、取り返しのつかない期間だった。しかし、著者のおかげで二審ではNHKが政治家の主張を忖度して改変したことが認められ、その後の大学教員としての活動やこの本を世に出したことで当時の出来事・問題点が明らかになったことには大きな意義がある。未だにNHK本体は「自主的に改変した」とのたまっているのだから。
その後NHKは放映前の番組について政治家への説明はしないことを決めた。大きな前進だが、安倍首相はさらに上手だ。経営委員に自分のお友達を送りこみ、委員会で選出された会長が籾井氏であり、いきなり慰安婦発言である。
加藤周一氏の言葉のように、メディアが連帯して政治からの圧力に抗する「メディア・スクラム」が必要だと思う。大阪の橋本市長は朝日新聞の取材を拒否しているが、他のメディアはなぜそれに抗議しないのだろうか。
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NHK、鉄の沈黙はだれのために: 番組改変事件10年目の告白 単行本 – 2010/7/1
永田 浩三
(著)
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- 本の長さ286ページ
- 言語日本語
- 出版社柏書房
- 発売日2010/7/1
- ISBN-104760138412
- ISBN-13978-4760138418
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登録情報
- 出版社 : 柏書房 (2010/7/1)
- 発売日 : 2010/7/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 286ページ
- ISBN-10 : 4760138412
- ISBN-13 : 978-4760138418
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上位レビュー、対象国: 日本
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2014年3月25日に日本でレビュー済み
01年の女性戦犯法廷を題材にした「問われる戦時性暴力」で、NHKは死に、05年の長井暁氏の内部告発と、NHKは正しく朝日新聞は間違っていると伝える「ニュース7」で、2度死ぬ。
また89年のオウム真理教の放送前介入について、96年、「「NEWS23」内で、筑紫哲也氏は 「TBSは今日、死んだに等しいと思います。」と告げた。
NHKは、この番組をBPOが米山リサ氏の真摯なコメントを大きく損ない、放送倫理違反を犯したとして、職員にも映像を公開せず、TBSは、2009年に各放送局が「弁護士一家殺害事件から20年」を特集する中でも、この件について報道を避けた。
つまり、両者とも逃げているのだ。
本書の番組改変事件では、05年に朝日新聞が「自民党の安倍晋三・官房副長官、中川昭一代議士らの介入があって放送直前に改変された」と報じたとおりの介入があった。
その模様については、放送前4日間に松尾武・放送総局長、伊東律子・番組制作局長、野島直樹・総合企画室(国会担当)局長、吉岡民夫・教養番組部長が加わった異例の試写会が繰り返され、番組の削除や差し替えを強制され、放送予定の前日、松尾・野島氏が安倍氏らと面会後や、放送当日においても新たな改変命令が出て、放送時間が4分も短くなったまま放映された。
その最中で実際に番組を改編したのは、プロデューサーの著者だ。
05年1月13日、著者の部下であった長井暁デスクが、NHKコンプライアンス通法制度が機能しないために記者会見を行う。
著者も職員有志と番組改編の真相究明を行い、女性国際戦犯法廷を主催した団体のひとつであるバウネット・ジャパンがNHKらを訴えた、06年3月22日の東京高裁口頭弁論での証言で、著者は1審の地裁で行ったNHKの裁判対策の専門家たちによる割り当てられた台詞でなく、「すべて真実を話そう」と腹を括り、局内で「政治家に呼ばれたのではなく、NHKの方から説明に行ったことにしよう」と、松尾・野島の両氏によって口裏合わせが行われたことを吉岡氏が怒って告げたことまで、自分の言葉で見聞きしたままを話す。
この番組改変事件の内実を語った証言によって、著者は報復人事を受け、番組制作現場に戻れないままNHKを去った。
その心が清々しかったろうと、奇麗事を言うつもりはないが、命令を下した上司らの心は晴れることはないはずである。
それは事件後の上司らの態度に表れる。
中川昭一代議士に圧力を受けていた伊東律子・番組制作局長は、著者の追及に「じゃあ言うわよ。会長よ」「えっ、海老沢会長ですか?」「そう、会長。それ以上は言えない」と返答し、その後09年に死亡した。
松尾武・放送総局長を退職後に尋ねると、1度目は風邪だと妻に追い返され、2度目は本人に「ぼくはもうだれにもあわないことにしています。 お引取りください。」といずれもインターホン越しに面会を断られる。
吉岡民夫・教養番組部長は、「口裏あわせ大会」について、「あれは俺の思い込みだった」と逃げる。
いずれも交際証言後に、著者と目も合わさないまま素通りしていった仲良く仕事をしてきた人たちのように、ドップリ組織人として生きていくのだろう。
3.11以降、マスゴミ、犬HKという言葉が頻繁に見られるようになった。
著者に放送センター長が「ぼくは産経と読売しか信用してないから。」と言う場面を読むまでもなく、その気持ちはわかるが、日本全体のメディアという大組織を全て否定しても、それに代わる情報広報媒体を市民は未だ持ちようもないし、そのような言葉を使う輩を信用しない。
私自身、そのような言葉は使わないし、読み捨て(読売)とか、捏造新聞サンケイと言う時もあるが、具体的指摘の元、直接記者や会社に対面した際に言うようにしている。
それでも日本メディアの対権力への弱腰姿勢は、目に余る。
とてもジャーナリズムとは呼べまい。
本書では、加藤周一氏が2005年2月22日付朝日新聞夕刊の連載コラム「夕陽妄語」で、「報道三題」として書いたコラムを言論の自由への侵害として示すが、日本のメディアのふがいなさは現在も続いていると言わざるを得まい。
第一の寓話は、80年代の英国の話である。所用があってロンドンを訪れた私は、ホテルの窓口で宿泊の手続きを取ろうとして、驚いた。
とは言っても、思いもかけず旧知の友人に偶然出会ったのではないし、いわんや突然回転ドアを押して霧の街路からあのシャーロック・ホウムズ氏が現れたのでもない。
要するに窓口の傍(そば)に積んであったその日の新聞の大きな見出しがふと眼に入ったのである。その見出しは、その頃有名であった保守党の政治家がBBC(英国の公共放送)の「偏向報道」を糾弾するという意味のものであった。「偏向」の内容は米軍機のトリポリ爆撃の後、その被害をBBCが誇張して放映したらしいという事であった。
そのくらいのことは、いつでも、どこの国でも、よくあることだ。
現に私が驚いたのも、記事の内容ではなくて、報道のし方であった。
どの新聞も第一面、大見出し。翌日も同じく第一面、大見出しで、BBC会長の反論を掲げるという扱いである。
これはいわゆる「大物」政治家とBBC会長の正面きっての大論争、つまり政府と代表的な報道機関との一騎討ちである。
私が驚いたのは、その舞台がどこかの高級料亭でも、ロンドンの「クラブ」の一室でもなく、主要な新聞の第一面であった、ということだ。
英国では国民生活に関係の深い劇が国民の前で演じられる!まるでシェイクスピアの舞台でのように。
第二の寓話は、70年代の米国。
まだ民主主義の栄えていた頃の話である。
副大統領と有力な一新聞との間に、知事時代の副大統領の収賄・脱税疑惑などをめぐって対立が生じた。
対立はたちまち劇しくなり、ほとんど個人攻撃の応酬のようになった。
一方は、疑惑が事実でない、事実を伝えない新聞はつぶしてしまえ、という。
他方は、疑惑の真偽を弁じるのは行政府ではなく、司法の権限である、権力を濫用する副大統領はその職を去るべきだという。
この二つの立場には妥協の余地がないようにみえた。 しかし力関係はあきらかに平等でなかった。
一方は一新聞社にすぎない。他方はその背景に強大な政府の力をもつ政治家である。
米国民は、かたずをのんで事の成り行きを注視していたといえよう。
するとある朝、突如として天地が動いたとまではいわないが、情勢が一変したのである。
前日までは副大統領対一新聞社の戦いが、その日からは副大統領と米国の主要な報道機関すべてとの戦いに変わった。
副大統領のどういう行動乃至言説がその引き金となったのか。
それは些事にすぎない。副大統領個人の疑惑が事実であったかなかったか。
それもありふれた政治家の不祥事の一つにすぎないだろう。
その程度のことで問題の新聞社の競争紙までも含め、ワシントンからニュー・ヨークを通ってボストンまで、シカゴからサンフランシスコを通ってロス・アンジェラスまで、米国中の主要な新聞がほとんどすべて、結束して事に当たるという壮絶な場面がにわかに現出するはずはない。
報道の自由に対する政治的圧力がある一線を越えたとき、すなわち報道機関の「存在理由」そのものが脅かされたと感じたとき、またそのときにのみ、彼らは結束して起ち、徹底的に抵抗したのである。
少なくとも私はそう感じた。
なぜ彼らはそうすることができたのだろうか。
それは彼らの背後に、報道の自由を偉大なアメリカの文化的伝統の欠くことのできない一部分と考える国民があったからであろう。
そして最後に、しかし最小にではなく、私は第三の寓話も思いだす。
それは30年代後半、二・二六事件以後真珠湾までの東京の話である。
日常の生活に大きな変化はなかった。衣食は足り、電車は動いていた。小学校から大学まで、どこの学校も開いていた。
六大学の野球のリーグ戦もあり、映画館では欧米の映画が上映され、大学の研究室では欧米の雑誌を読むことさえできた。
そのとき何が変わろうとしていたのか。
変わりつつあったのは、ラジオや新聞が用いる日本語の語彙であり、総合雑誌が載せる論文の表題や著者の名前である。
その背景の見えないところで、どういう圧力や取引や「自己規制」が言論機関に作用していたかは、学生の一人であった当時の私には知る由もなかった。
しかし報道言論の表面にあらわれた変化、一見おだやかな、なしくずしの変化に、特定の『方向』のあることだけは、私にも見誤りようがなかった。
言論の自由は、そしてあらゆる批判精神は、指の間から漏れる白砂のように、静かに、音もなく、しかし確実に、失われつつあったのである。
その結果がどこへ行き着いたかは、いうまでもない。 私が思いだしたのはこのような三つの寓話である。この道はいつか来た道?いや、そうではなくするために、時には昔の寓話を思いだすことも、いくらか役立つかもしれない・・・・。(引用終わり)
ついでに安倍晋三氏の言葉も転記する。
『歴史教科書への疑問』から、「河野官房長官の談話は、当時の作られた日韓両国の雰囲気のなかで、事実より外交上の問題を優先し」「何の裏づけもとっていないにもかかわらず、軍の関与、官憲等の直接の加担があったと認め、発表されたものである」。
沖縄返還をめぐる密約の問題が明らかになった時は、「秘密を暴露するのではなく、国家の安全を守り続けたことを評価すべきだ」と吐いた。
そんな安倍氏は、今や中韓のみならず米をも含む、味方無し状態に日本外交を陥らせた。
権力は、排除によって社会的にも人生をも潰す事ができる反面、なぜわかってくれないのだとの被害者意識が強く、ナイーブで、孤立していると、43年に反東條英機内閣だと中野正剛代議士を逮捕した町村金五・警保局長や、88年の天皇戦争責任答弁で、90年に銃撃を受けた、本島等・長崎市長の例から著者は言う。
そんな権力に、黒子であるべきジャーナリストが、自身の知識と取材力をもって、事実を突き止め、木鐸を鳴らし、市民共々連帯していく状況はいつ生まれるのだろうか、どのようにそのようなクウキづくりをしていけばよいのかと、日々考え、行動するようにしているが、その初端を掴めば更にわからなくなる。
日々の中で起きる出来事であっても、検証も容易くはないし、検証をしようとすれば、組織も人もそれを避ける。
それでもその日常を続けることでしか、私のような無名の一般人は著者らの足元の支えになりようがないのだ。
また89年のオウム真理教の放送前介入について、96年、「「NEWS23」内で、筑紫哲也氏は 「TBSは今日、死んだに等しいと思います。」と告げた。
NHKは、この番組をBPOが米山リサ氏の真摯なコメントを大きく損ない、放送倫理違反を犯したとして、職員にも映像を公開せず、TBSは、2009年に各放送局が「弁護士一家殺害事件から20年」を特集する中でも、この件について報道を避けた。
つまり、両者とも逃げているのだ。
本書の番組改変事件では、05年に朝日新聞が「自民党の安倍晋三・官房副長官、中川昭一代議士らの介入があって放送直前に改変された」と報じたとおりの介入があった。
その模様については、放送前4日間に松尾武・放送総局長、伊東律子・番組制作局長、野島直樹・総合企画室(国会担当)局長、吉岡民夫・教養番組部長が加わった異例の試写会が繰り返され、番組の削除や差し替えを強制され、放送予定の前日、松尾・野島氏が安倍氏らと面会後や、放送当日においても新たな改変命令が出て、放送時間が4分も短くなったまま放映された。
その最中で実際に番組を改編したのは、プロデューサーの著者だ。
05年1月13日、著者の部下であった長井暁デスクが、NHKコンプライアンス通法制度が機能しないために記者会見を行う。
著者も職員有志と番組改編の真相究明を行い、女性国際戦犯法廷を主催した団体のひとつであるバウネット・ジャパンがNHKらを訴えた、06年3月22日の東京高裁口頭弁論での証言で、著者は1審の地裁で行ったNHKの裁判対策の専門家たちによる割り当てられた台詞でなく、「すべて真実を話そう」と腹を括り、局内で「政治家に呼ばれたのではなく、NHKの方から説明に行ったことにしよう」と、松尾・野島の両氏によって口裏合わせが行われたことを吉岡氏が怒って告げたことまで、自分の言葉で見聞きしたままを話す。
この番組改変事件の内実を語った証言によって、著者は報復人事を受け、番組制作現場に戻れないままNHKを去った。
その心が清々しかったろうと、奇麗事を言うつもりはないが、命令を下した上司らの心は晴れることはないはずである。
それは事件後の上司らの態度に表れる。
中川昭一代議士に圧力を受けていた伊東律子・番組制作局長は、著者の追及に「じゃあ言うわよ。会長よ」「えっ、海老沢会長ですか?」「そう、会長。それ以上は言えない」と返答し、その後09年に死亡した。
松尾武・放送総局長を退職後に尋ねると、1度目は風邪だと妻に追い返され、2度目は本人に「ぼくはもうだれにもあわないことにしています。 お引取りください。」といずれもインターホン越しに面会を断られる。
吉岡民夫・教養番組部長は、「口裏あわせ大会」について、「あれは俺の思い込みだった」と逃げる。
いずれも交際証言後に、著者と目も合わさないまま素通りしていった仲良く仕事をしてきた人たちのように、ドップリ組織人として生きていくのだろう。
3.11以降、マスゴミ、犬HKという言葉が頻繁に見られるようになった。
著者に放送センター長が「ぼくは産経と読売しか信用してないから。」と言う場面を読むまでもなく、その気持ちはわかるが、日本全体のメディアという大組織を全て否定しても、それに代わる情報広報媒体を市民は未だ持ちようもないし、そのような言葉を使う輩を信用しない。
私自身、そのような言葉は使わないし、読み捨て(読売)とか、捏造新聞サンケイと言う時もあるが、具体的指摘の元、直接記者や会社に対面した際に言うようにしている。
それでも日本メディアの対権力への弱腰姿勢は、目に余る。
とてもジャーナリズムとは呼べまい。
本書では、加藤周一氏が2005年2月22日付朝日新聞夕刊の連載コラム「夕陽妄語」で、「報道三題」として書いたコラムを言論の自由への侵害として示すが、日本のメディアのふがいなさは現在も続いていると言わざるを得まい。
第一の寓話は、80年代の英国の話である。所用があってロンドンを訪れた私は、ホテルの窓口で宿泊の手続きを取ろうとして、驚いた。
とは言っても、思いもかけず旧知の友人に偶然出会ったのではないし、いわんや突然回転ドアを押して霧の街路からあのシャーロック・ホウムズ氏が現れたのでもない。
要するに窓口の傍(そば)に積んであったその日の新聞の大きな見出しがふと眼に入ったのである。その見出しは、その頃有名であった保守党の政治家がBBC(英国の公共放送)の「偏向報道」を糾弾するという意味のものであった。「偏向」の内容は米軍機のトリポリ爆撃の後、その被害をBBCが誇張して放映したらしいという事であった。
そのくらいのことは、いつでも、どこの国でも、よくあることだ。
現に私が驚いたのも、記事の内容ではなくて、報道のし方であった。
どの新聞も第一面、大見出し。翌日も同じく第一面、大見出しで、BBC会長の反論を掲げるという扱いである。
これはいわゆる「大物」政治家とBBC会長の正面きっての大論争、つまり政府と代表的な報道機関との一騎討ちである。
私が驚いたのは、その舞台がどこかの高級料亭でも、ロンドンの「クラブ」の一室でもなく、主要な新聞の第一面であった、ということだ。
英国では国民生活に関係の深い劇が国民の前で演じられる!まるでシェイクスピアの舞台でのように。
第二の寓話は、70年代の米国。
まだ民主主義の栄えていた頃の話である。
副大統領と有力な一新聞との間に、知事時代の副大統領の収賄・脱税疑惑などをめぐって対立が生じた。
対立はたちまち劇しくなり、ほとんど個人攻撃の応酬のようになった。
一方は、疑惑が事実でない、事実を伝えない新聞はつぶしてしまえ、という。
他方は、疑惑の真偽を弁じるのは行政府ではなく、司法の権限である、権力を濫用する副大統領はその職を去るべきだという。
この二つの立場には妥協の余地がないようにみえた。 しかし力関係はあきらかに平等でなかった。
一方は一新聞社にすぎない。他方はその背景に強大な政府の力をもつ政治家である。
米国民は、かたずをのんで事の成り行きを注視していたといえよう。
するとある朝、突如として天地が動いたとまではいわないが、情勢が一変したのである。
前日までは副大統領対一新聞社の戦いが、その日からは副大統領と米国の主要な報道機関すべてとの戦いに変わった。
副大統領のどういう行動乃至言説がその引き金となったのか。
それは些事にすぎない。副大統領個人の疑惑が事実であったかなかったか。
それもありふれた政治家の不祥事の一つにすぎないだろう。
その程度のことで問題の新聞社の競争紙までも含め、ワシントンからニュー・ヨークを通ってボストンまで、シカゴからサンフランシスコを通ってロス・アンジェラスまで、米国中の主要な新聞がほとんどすべて、結束して事に当たるという壮絶な場面がにわかに現出するはずはない。
報道の自由に対する政治的圧力がある一線を越えたとき、すなわち報道機関の「存在理由」そのものが脅かされたと感じたとき、またそのときにのみ、彼らは結束して起ち、徹底的に抵抗したのである。
少なくとも私はそう感じた。
なぜ彼らはそうすることができたのだろうか。
それは彼らの背後に、報道の自由を偉大なアメリカの文化的伝統の欠くことのできない一部分と考える国民があったからであろう。
そして最後に、しかし最小にではなく、私は第三の寓話も思いだす。
それは30年代後半、二・二六事件以後真珠湾までの東京の話である。
日常の生活に大きな変化はなかった。衣食は足り、電車は動いていた。小学校から大学まで、どこの学校も開いていた。
六大学の野球のリーグ戦もあり、映画館では欧米の映画が上映され、大学の研究室では欧米の雑誌を読むことさえできた。
そのとき何が変わろうとしていたのか。
変わりつつあったのは、ラジオや新聞が用いる日本語の語彙であり、総合雑誌が載せる論文の表題や著者の名前である。
その背景の見えないところで、どういう圧力や取引や「自己規制」が言論機関に作用していたかは、学生の一人であった当時の私には知る由もなかった。
しかし報道言論の表面にあらわれた変化、一見おだやかな、なしくずしの変化に、特定の『方向』のあることだけは、私にも見誤りようがなかった。
言論の自由は、そしてあらゆる批判精神は、指の間から漏れる白砂のように、静かに、音もなく、しかし確実に、失われつつあったのである。
その結果がどこへ行き着いたかは、いうまでもない。 私が思いだしたのはこのような三つの寓話である。この道はいつか来た道?いや、そうではなくするために、時には昔の寓話を思いだすことも、いくらか役立つかもしれない・・・・。(引用終わり)
ついでに安倍晋三氏の言葉も転記する。
『歴史教科書への疑問』から、「河野官房長官の談話は、当時の作られた日韓両国の雰囲気のなかで、事実より外交上の問題を優先し」「何の裏づけもとっていないにもかかわらず、軍の関与、官憲等の直接の加担があったと認め、発表されたものである」。
沖縄返還をめぐる密約の問題が明らかになった時は、「秘密を暴露するのではなく、国家の安全を守り続けたことを評価すべきだ」と吐いた。
そんな安倍氏は、今や中韓のみならず米をも含む、味方無し状態に日本外交を陥らせた。
権力は、排除によって社会的にも人生をも潰す事ができる反面、なぜわかってくれないのだとの被害者意識が強く、ナイーブで、孤立していると、43年に反東條英機内閣だと中野正剛代議士を逮捕した町村金五・警保局長や、88年の天皇戦争責任答弁で、90年に銃撃を受けた、本島等・長崎市長の例から著者は言う。
そんな権力に、黒子であるべきジャーナリストが、自身の知識と取材力をもって、事実を突き止め、木鐸を鳴らし、市民共々連帯していく状況はいつ生まれるのだろうか、どのようにそのようなクウキづくりをしていけばよいのかと、日々考え、行動するようにしているが、その初端を掴めば更にわからなくなる。
日々の中で起きる出来事であっても、検証も容易くはないし、検証をしようとすれば、組織も人もそれを避ける。
それでもその日常を続けることでしか、私のような無名の一般人は著者らの足元の支えになりようがないのだ。
2010年7月31日に日本でレビュー済み
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10年前に友達と受信料を払ってるか、どうかで、話している時に、この問題がおきました。
以来ずっと、関心をもってきましたが、この本を読んで、当時、朝日新聞に書かれて
あったことが事実だったと、はっきり確信できました。
新聞を読んだり、テレビを見ていると、いったい何が、本当なのか、
ますますわからなくなり、誰が、ほんまのこと教えてくれるんか、
歴史の事実をなんで、こんなにねじまげるんや!と腹がたって、
そのうち、安倍さんが総理大臣になった時は、日本も終わりやなぁと思ったほどです。
著者の永田さんは、自分に、自分の人生に嘘をつかないで、大変立派だと
思いました。こういう方が、日本の放送を引っ張っていって、欲しかった。
以来ずっと、関心をもってきましたが、この本を読んで、当時、朝日新聞に書かれて
あったことが事実だったと、はっきり確信できました。
新聞を読んだり、テレビを見ていると、いったい何が、本当なのか、
ますますわからなくなり、誰が、ほんまのこと教えてくれるんか、
歴史の事実をなんで、こんなにねじまげるんや!と腹がたって、
そのうち、安倍さんが総理大臣になった時は、日本も終わりやなぁと思ったほどです。
著者の永田さんは、自分に、自分の人生に嘘をつかないで、大変立派だと
思いました。こういう方が、日本の放送を引っ張っていって、欲しかった。
2012年4月22日に日本でレビュー済み
う〜ん、書いている内容が、おかしいと思わないんだろうか?
ある意味自由な番組を制作していたとも言えるけど、「活動家」と
距離を置くことを否定したジャーナリストってNGだと思います。
「宗教家」と置き換えると分かりやすいかしら? 結局著者自身が
無自覚であることが、結局回りのスタッフを苦しめた元凶だった
と思います。放送法で中立な放送を義務付けられているという意味
の理解が 無さすぎです。
「政治圧力」うんぬん言う前に番組の内容を見直すべきですね。
ある意味自由な番組を制作していたとも言えるけど、「活動家」と
距離を置くことを否定したジャーナリストってNGだと思います。
「宗教家」と置き換えると分かりやすいかしら? 結局著者自身が
無自覚であることが、結局回りのスタッフを苦しめた元凶だった
と思います。放送法で中立な放送を義務付けられているという意味
の理解が 無さすぎです。
「政治圧力」うんぬん言う前に番組の内容を見直すべきですね。
2012年6月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2001年1月にNHK教育テレビ・ ETVシリーズで放送された「問われる戦時性暴力」は、自民党の二人の政治家の圧力によって内容が改変されたとされ、2005年に朝日新聞の報道によって、政治の影響力とそこに諂うNHKの姿が明らかになったが、その後頬被りをした大手メデイアの姿勢と、本筋を外れた最高裁判決によって、うやむやになっていた。
この本は、番組のチーフ・プロデューサーであった著者が、当時の記録とその後の関係者との接触によって、番組改編の支持を出したNHK幹部は誰なのかを突き止めようとするドキュメンタリーであり、回想録である。執筆は事件から10年の後であるにもかかわらず、驚くほど克明な記録と鮮明な記憶力に支えられ、NHK幹部と現場関係者の発言が生々しく再現されている。
評者が最も知りたかった「自民党の二人の有力議員から番組の改編要求・圧力は実際にあったのか」という疑問に関して、著者・永田浩三氏は、関係者の証言・朝日新聞本田記者の録音テープなどを通じて、ほぼ間違いないと思われる状況証拠を積み上げている。安倍官房副長官(当時)中川昭一代議士(当時)、二人の自民党有力議員から、NHK海老沢会長・松尾放送総局長ら幹部への圧力はあったと思わざるを得ない。惜しむらくは、火を見るより晶かと言える程の確証が提示されていないだけだ。
本書に出てくる、2005年1月に完成されたというNHK職員有志による番組改編事件の真相究明文書を読んでみたい。著者らが真摯に政治とジャーナリズムの問題を考える、その姿勢が垣間見えるに違いない。
この本は、番組のチーフ・プロデューサーであった著者が、当時の記録とその後の関係者との接触によって、番組改編の支持を出したNHK幹部は誰なのかを突き止めようとするドキュメンタリーであり、回想録である。執筆は事件から10年の後であるにもかかわらず、驚くほど克明な記録と鮮明な記憶力に支えられ、NHK幹部と現場関係者の発言が生々しく再現されている。
評者が最も知りたかった「自民党の二人の有力議員から番組の改編要求・圧力は実際にあったのか」という疑問に関して、著者・永田浩三氏は、関係者の証言・朝日新聞本田記者の録音テープなどを通じて、ほぼ間違いないと思われる状況証拠を積み上げている。安倍官房副長官(当時)中川昭一代議士(当時)、二人の自民党有力議員から、NHK海老沢会長・松尾放送総局長ら幹部への圧力はあったと思わざるを得ない。惜しむらくは、火を見るより晶かと言える程の確証が提示されていないだけだ。
本書に出てくる、2005年1月に完成されたというNHK職員有志による番組改編事件の真相究明文書を読んでみたい。著者らが真摯に政治とジャーナリズムの問題を考える、その姿勢が垣間見えるに違いない。
2013年8月4日に日本でレビュー済み
読むまでもなく、インチキな本である。政治家からの圧力によって番組が改編されたという。そんなことはありえない。簡単な話である。その政治家は改変前の番組を見ていないからだ。元の番組を知らない以上、政治家が言えるのは放送法に基づく一般論にとどまる。どのように改変しろという指示を出すことは不可能である。したがって、番組が改編されたとしたら、番組をチェックしたNHK自身の判断による以外にない。放送法に照らして問題があると判断されたのであろう。放送法の範囲で一般論として警告することを圧力とは言わないのである。