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中心市街地の創造力 単行本 – 2007/12/30

4.5 5つ星のうち4.5 2個の評価

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商品の説明

抜粋

●いま都心で何がおこっているか

1 暮らしが変わる、街が変わる
  最近、日本の都市の風景が変わってきた。バブルの再来を思わせる東京はますます華やいできた。私の住む京都は、もちろん東京ほどではないが、ほどよく賑わっている。しかし、地方都市の多くはすっかり寂れてしまった。街を歩いている人の数が驚くほど少ない。まちづくり三法にそって、あえて「中心市街地」と呼ぶが、名ばかりの寂れた商店街と駐車場が都心に広がっている。これが多くの地方都市の実態である。人通りは、平日も少ないが、土曜、日曜はもっと少ない。その反面、郊外の大型店はどこも賑わっている。店内もその周辺も、人と車であふれている。
  しかし、大型店だけでなく、地方にも数は少ないが元気な街、都心がある。東京と地方の格差が広がっただけでなく、地方都市でも賑わう町と寂れる町に二極化している。そして、元気な街の都心には、なぜか飲食店が多い。そして、これはどこでもだが、駅前には携帯電話を売る店と語学学校が増えた。
  そして街の中をみると、賑わう店と寂れる店があり、増える業種と消え行く業種がある。喫茶店は急速に消滅しつつある。反面、美容室が目につく。こうして、街中の店の構成が変わっている。その背景には何があるのだろうか。
  また、街中のオフィス・ビルも変わった。テナントの構成が変わったのである。かつての都心には、銀行や証券会社など近寄りがたい大企業と、その支店が周辺を睥睨(へいげい)していた。銀行が減って、若者が出入りするビルや、サラ金が増えた。これも目につく変化である。
  そういえば、我々の都心での時間の過ごし方も変わってきたと思う。私が歳をとったことが主な原因だろうが、そればかりでもないだろう。だから、この変化は単に中心市街地の衰退という問題ではない。その原因は郊外の大型店だけでもなさそうだ。より本質的なところで、都市のあり方が変わっている。その本質と、我々の暮らしの変化には関係があると思う。暮らしが変わったから街が変わったのか、街が変わったから暮らしが変わったのか。どちらが先かという議論でもないだろうが、都市計画を学ぶものには気になる変化である。
  この変化は、欧米の都市が1980年代に経験したものと似通っていると感じる。私は1980年代の大半をイタリアで過ごした。しかし、それは独り暮らしの留学生だった時期の方が長く、イタリアの一般家庭の暮らしの変化にはあまり詳しくない。しかし、帰国した1990年代以降の日本の都市の暮らしは、1970年代の暮らしとは随分違っていた。むしろローマでの暮らしと近くなったと感じた。そればかりか、たまに帰る静岡県の実家での両親の暮らしも変わっていた。外食が多くなり、家にいてもパソコンの前に座る時間が増えた。家で過ごす時間、家族の時間の過ごし方も変わっているのである。
  この生活の変化は都市に大きな影響を及ぼしている。買物をする場所は、いつでも空いているコンビニ、車でいける大型ショッピングセンター。家電製品も郊外の量販店でしか買わない。子供たちもゲームソフトを量販店で買うようになった。ちょっと眼を離したすきに、ファストフードの店もよく利用しているようだ。増え続けていたファミレスも、いつのまにか少し減っていると感じる。こうして、我々の暮らしから昭和30年代の街の風景、商店街が消えてきた。日本の多くの地方都市の風景は、こんな小さな変化の連続で大きく変わっていくのだろう。
  一方、国を挙げて変革の時代だといわれて久しい。国も地方自治体も行財政改革、グローバル化の中で産業経済界も再編を強いられている。これら改革・再編が、その根底で起こっている社会の変化、さらにその構成員である市民・国民の変化に起因し、またそれに対応するものであるとはあまり考えられていないと思う。国際競争力のためとか、効率性とかは言われてはいるが、我々の生活がどのように変わり、その変化に合わせた行財政、産業経済がどうあるべきか、あるいは変化の中でこれからの都市とその都心のあり方、つまりまちづくりが何を目指すべきかを論じたものは少ない。ただ確実に進む高齢社会への対応として、バリアフリーなどが技術面で論じられているに過ぎないと思う。
  我が国の高齢化は急速に進んだ。少子化も急速である。この結果、家族の形が急速に変わっている。「家」という単位が尊重されていた日本でも、一人暮らしの増加で、家族が崩壊しつつある。女性の社会参画が当たり前になり、結婚しない男女が増え、子供が少なくなった。離婚率も上がった。日曜日の夕方には相変わらず「サザエさん」が放映されているが、1960年代には一般的だった「磯野家」のような日本の家族はもういなくなったか、いてもわずかである。
  この変化に合わせて税制の他、雇用、年金、社会福祉など様々な分野での改革が検討されている。しかし、これは制度的な問題だけではない。より本質的な個人の生き方への影響を考える必要がある。子供を持たない男女も、経済的な面からは老後を心配する必要はなくなったかもしれない。また、相続すべき子がいないと財産形成の意味も大きく変わるだろう。子がいてもサラリーマンには、昔の農家のように一生働いて子孫に美田を残す意味はない。将来子供が住まない家、自分だけが20余年暮らす家に何千万ものローンを組む意味は失われている。勤勉に質素倹約を続け、資産を蓄えること以上に、重要な人生の課題を見出す人は増えている。
  人は婚姻することによって妻や夫に、子を持つことで親になる。妻や夫として、あるいは親として祖父母として成長して、家族とともに食べて寝る暮らしを続けてきた。暮らしの場である家庭を営み、家族の生活を守るために地域社会に根付こうとした。このプロセスをへて地域社会を支える人となるという価値観が、根底から揺らいでいる。
  30歳を過ぎても親と暮らす人は、パラサイト・シングル(寄生虫的独身者)といわれる。結婚しないでいれば、親とは別に一人で生きることが求められているようだ。実際一人で生きる人は確実に増えている。この変化を受け止めるべく都市と都市社会を変える必要がある。
  日本の地域社会は、都市でも農村でも、個人が家あるいは家族を単位にその地に根付き、相互扶助の精神のもと、農地や宅地、事業所など資産の保全と発展を、集団として目指してきたといえる。子供も家族もいない個人は、これまでは少数派かつ例外的な存在であることを余儀なくされてきた。しかし、この仕組みが都市でも農村でも急速に崩れている。地域社会でワンルームマンションが嫌われるのは、自治会・町内会の一般構成員の負担が増えるのに、単身者が町内の人間関係に関心を示さず、活動に協力しないからである。単身者が増加し続け、家を単位にしている旧来の構成員が少数派に転じたところでは、すでに地域社会は崩壊した。単身者を地域に結び付けるようなコミュニティはいまだに形成されていない。その代わり地域から離れた部分で活動する市民組織が受け皿となろうとしている。
  都市部で起こっているこの変化は、農村部ではまだ一般的ではないかもしれない。しかし、生活利便性の面では都市と農村の格差はかなり少なくなった。市民の意識、価値観の差が残っているが、やがて農村部でも地域社会は崩壊の危機を迎えるだろう。すでに一人暮らしの高齢者は多い。残された高齢者がその暮らしをかろうじて支えている。こうして、都市でも農村でも、高齢者ばかりか、若者、中年の孤独が蔓延し始めている。これを支える人も仕組みもない。

2 誰が都心を必要としているのか
  単身者の増加は、欧米先進国ではすでに永年続いた傾向である。その影響は身近な食生活と住生活に、見方によってはファッションにまで及んでいる。都市の住宅需要を根底から変え、人口の都心回帰を進め、市街地をコンパクト化することにもつながった。一人二人が自宅で夕食をとる替わりに、外食やパーティの機会が多くなる。スタジオと住居が一緒になったSOHO(小さなホームオフィス)が人気を集める。ニューヨークやパリのDinksや独身貴族は都市の新しい文化の担い手でもある。好むと好まざるとに関わらず日本の都市社会もこの方向に進んでいる。
  そしてこの人々は広く街中の賑わい形成にも貢献している。交通インフラの整った都市内のモビリティは高い。子供や高齢者を除き、平均的市民の生活圏は町内や小学校区単位ではなく都市全体にまで広がった。中心市街地の活性化の面からみても、可処分所得の多い単身者をどれだけ惹きつけられるかは重要な課題である。しかし、孤独な単身者が生活の場を街中に求め、その街を面白く変えようという期待に応える柔軟性が都市政策にあるのだろうか。
  中心市街地の衰退は、都心の商業がこの変化に対応できなかったために起こった問題であると考えられる。道路鉄道などのインフラと工業団地・住宅団地を造りながらも、都市本来の機能である商業を長年疎かにしたという遠因はあるものの、直接的には時代遅れになった商店街組織の保護・振興施策を頑なに守り続けたことが対応の遅れの原因である。共働きが当然となり一世帯当りの人数が激減し、毎日買物する習慣がなくなった。しかし、ショッピングセンターでの買物は必要不可欠である。生鮮食料品など必需品を商店街で求める客は今や高齢者が中心である。60年代のようにサザエさんが磯野家7人の食材を購う商店街よりも、独身のOLとなったワカメ、定年間近で単身赴任のマスオさん、高齢で一人暮らしのお母さんが買物しやすいコンビニが増えている。
  欧米と比べると、日本の街には単身者が優雅に暮らすための場はまだ極端に少ない。単身の高齢者のための施設はもっと少ない。そうはいうものの、人口は郊外住宅地から都心に回帰し始めている。その背景に都市型生活を好む単身者、若年・中高年の需要がある。そのためにこそ都市、特に都心再生が必要である。旧態然とした商店街でない、従来の小売店でもない、新しい都心暮らしの需要に応える商業を活かす街、広場や街路がかつての茶の間に変わる交流の場となる街が求められている。
  一方、旧態然とした零細商業者にも変化が訪れている。家の崩壊は家業としての小売店を激減させてもいる。封建時代ならいざ知らず、商売は代々「あきない」で続けるものでは決してない。日々の変化に素早く対応するものである。衰退した多くの街の商店街組織は高齢の経営者が増え、変化への対応を嫌っていた。まちづくりも停滞し、変革の潮流を傍観していた。しかし、彼らには後継者はいない。継ごうにも家業が衰退したのである。
  この点、元気な街は違う。大阪でも京都でも賑わいある街では、新規開業する店が多い。それも後継者ではなく、若い事業者が個性的な店を開いている。変革の潮流の中では、商業者の新陳代謝を促進する必要がある。彼らの自由な営業活動を保障することこそが都心活性化への道である。
  そして若い事業者はこの変革の流れをよくとらえている。都心には、若者や中高年が遠くから集まる場所が増えている。それも、学生のコンパや職場の宴会ではない、家族連れも来ないお洒落な店が増えている。個人的な趣味をもつ仲間が集う場所である。私鉄沿線にも学生相手の一膳飯屋に代わって、趣味の良い中高年夫婦が落ち着いて夕食をとるアットホームな店が増えている。家族団らんに代わって、街の中、店の雰囲気の中で孤独を癒す人々がその居場所を見出しつつある。すでに欧米では浸透したこのような街をつくることが、変革の潮流をとらえた商業政策である。
  同時に、単身者が孤立し内向化するのを避ける社会づくり・まちづくりが必要であることは言うまでもない。家族同様の付き合いをする友人、夫婦同然のカップル、隣組に代わる同好の志、街で出会う仲間が求められている。今各地で熱心にまちづくりに参加する人たちには、この種の友人、仲間づくりの達人が多い。動きの鈍い町内会や商店街振興組合でなく、NPOやボランティア組織に集いまちづくりを語り合うことで、交流の輪を広げつつ新しい時代の市民社会を築き、街を変えようとしている。この志を活かすことこそが、中心市街地活性化の本質的な課題であると思う。賑わいが戻り商業が振興することだけが本来の目的ではない。しかし、急速に進んだ高齢化が、この変化を見逃し、対応の遅れを許しがちである。
  変革の潮流の中、溺れるように流される我々にさしたる展望はない。先が見えないまま構造改革を語るよりも、身近な変化に注意を払った方がいい。自分自身の10年後、家族の20年後がどのように変わっているのか。確実なことは、過去数十年の間に見続けてきた常識的な暮らしに戻り着こうとは望むべくもないことである。一人で生きる、夫婦二人で仲良く生きる。こんな最小限の幸せへの希望ですら不確かなのである。広がる我々の孤独に応える街、いつわりの賑わいでない、自らがいつの間にかその輪に入り込んでいる。変わり行く都市社会の目指すべき姿は、家を離れた我々が集う場所である。孤独な大人の街、そんな都心に暮らしたいと思う人が増えている。
  そんな人々の動きを捉える街は、彼らの力を上手に取り込むことで元気になろうとしている。新しい市民と変革する事業者の力である。市民はより快適で楽しく、刺激的な街に暮らそうとする。事業者は、都市という市場の中でその創意と工夫を発揮し、新しいものを提案し続けることで、消費者の高い要求に応えようとする。それぞれの存在理由にも関わるような何らかの本質的な原理があって、その原理が街を元気にさせる力になる。
  しかし、実際の街にはこの力を阻害する様々な要因がある。住まいをきれいに見せたい、庭を飾りたい、店の意匠に凝りたい。至極当然な気持ちがもてないような町並みがある。夢に描いた住まいと現実の町並みは、あまりに遠いのである。また、お洒落な店を始めたい、個性的な商品を並べたい、老舗の伝統を守り続けたいという、善意の事業者の努力を無にするような不合理な土地利用、商業立地がなされている。住民、事業者それぞれに相互の行動の規範となる行動原理が示されていないからである。
  街をつくることは、市民、事業者のもつそれぞれの力をあわせることである。誰もが暮らしのために、また生業のために、街をよくしようと小さいながら努力を続けている。皆がそれぞれに街の将来像、自らの理想像を描いている。そのために惜しまない日々の努力には一定の方向がある。この努力の小さなベクトルを合わせることができれば、その力はもっと大きくなる。それぞれの力が相互に補完しあい、相乗効果をもつことで、小さくとも魅力的な街が生まれる。そんな調整の妙案を発揮することで、街の人々の底力が発揮される。

3 暮らしが街を変える
  しかし、一般市民の街への関心は低い。特に公務員や大企業の正社員である給与所得者には、商業者を取り巻く競争の厳しさに形だけは同情するものの、自由競争の勝者である大型店で買物しても、弱者である商店街で買物などしようとも思わない。だから、商業者は、このように無責任で、市場の変化に敏感に反応する顧客、敏感というより移り気な消費者を惹きつけるための日々努力を重ねている。この努力は報われにくい。それでも報われる時もある。努力の内容が、変化を先取りしているか否かの問題である。
  一般に言われる家計消費の低迷という要因についても考え直す必要がある。供給は確かに過剰ではあるが、消費の低迷は一部に限られた現象であるようだ。したがって、不振の原因は質的な問題、消費者が求めるものを提供していないという需給のミスマッチにあり、この方がより深刻ではないだろうか。求めるものとは商品だけではない。消費はソフト化、サービス化している。この変化が進めば、商店や商店街、そして都心のあり方にも関わる都市を巡る大きな問題が見えてくる。
  古典的な意味で「都市」とは城壁に囲まれた市場を意味する。かつて中に住む市民の生命財産を保護していた城壁は、現代の社会を支える様々な社会資本、都市基盤に置き換えられた。情報社会では、その都市基盤のあり様も変わってきた。一方、市場で行われる経済活動はより高度化し、その全体像は見えにくい。我々の現実の暮らしに必要な、ごく一部の伝統的な市場は残されているが、大規模化した流通も見えにくい。こうして、城壁と市場の関係が見えにくくなったにもかかわらず、手探りで都市計画を続けている。しかし、我々はどこにいこうとしているのか。我々が暮らし働く都市はどう変わろうとしているのか。かつて描いた未来都市への幻想が崩れた今、都市論を再構築するために、私はもう一度、市場の現状を見る必要があると考えた。
  一昔前までは、地方都市でも駅前開発や沿道区画整理事業などが民間投資を誘引し、都市経済を活性化してきた。しかし最近では、大通りや広場、そこに名前と外観だけが華やかな再開発ビルが建っても、空テナントばかりという事態が多くなった。まして、その周辺は衰退の一途である。地域の人口減少と高齢化でマーケットが縮小したことに加え、都心の商店街では高いテナント料など閉鎖的な状況が新規出店を阻害している。投資意欲のない事業者ばかりが残る街が増えている。
  その一方で、全国には新規開業が盛んな街もある。業種、業態でも近年増加するものがある。その結果、新陳代謝が進み、時代の流れとともに変化する消費者のニーズに対応しつつある街と、取り残される街が二極化している。新陳代謝が進んでいる元気な街に、これからの街をつくっていくエネルギーがあるのではないかと考えた。
  だから、商店街を再生しようとは思っていない。今も頑張っている一部の商店街の皆さんには、たいへん申し訳ないが、「商店街」という言葉は、もはや20世紀の遺物、今や多くの日本人にとっては懐かしい昭和の思い出でしかないと思う。映画「Always三丁目の夕日」の中で郷愁とともに、振り返る過去であろう。しかし、全国で多くの商店街が衰退しても、その一方で小売商業・サービス業は決して衰退していない。大型店が有利ではあるものの、伸びている個店も多い。都市の商業・サービス業は発展している。だから、これを都市再生の中心に考えることには変わりはない。
  我々の暮らしは、いま急速に変わっている。ついに、人口減少社会が到来した。都市でも農村部でも、その現われ方は違うが、少子高齢化の影響が大きくなった。一方で、世帯の数が増え世帯人員が減った。結婚しない人々、子供のいない世帯の増加が、一人暮らしをますます増やしている。そして、労働時間は減少し、だからといって家で過ごす時間が増えたわけでもない。家事労働も労働時間以上に減少し、炊事・洗濯・掃除・育児などが外部化、家庭外で済まされる時代になってしまった。だから、近所づきあいも変わった。こんな社会で、どうやってふれあいを求め、仲間を作るのだろうか。
  家族のあり様が変わり、仕事の形も変わった。こんな時代の子供たちは人生設計を考えるのは、さぞ難しいだろう。しかし、私も二人の中学生の父親であり、毎日大学で若者に接し、都市計画を教えている。就職の世話もする。だから、彼らの暮らしがよくなるように、地域社会、都市、住まいの変化を読み、その計画手法を考えなければならない。暮らしが変わることで、街が変わる。それがどういう現象であるかを考えてみることにした。

 本書は2部からなる。まず、第1部は、暮らしの変化、都心の変化として、各種の統計から市民生活の変化を述べ、京都の街で観察した都心の変化を語る。次に、第2部は、都市再生の方途として、暮らしの変化に応じた都心再生のあり方を示し、そのための都市計画論を述べたい。より豊かな暮らしと仕事の場として、都心がどうあるべきか。また、一人一人の市民が華やぎ、安らぎつつ交流を深める場としての都心を創る都市計画のあり方を考えた。
  都市は、市場であると同時に、広場でもあった。そこに住む人が遠来の客人と商品を手にしつつ、世界と触れ合う場であった。この意味で、都市は人々の交流のための装置でもある。機能性を追及した工業化社会では様々な分業が行われ、職住が分離し、社会が断片化した。そんな断片をもう一度つなぎ合わせることによって、よりよい都市社会を創ろうというのは近代都市計画の夢でもあった。現在の都市社会は、ますます断片化している。しかし、その一方で創造的な活動をする人々のネットワークが生まれつつある。この新しいネットワークを展望するために、都市の現状分析から、都市再生論を語りたい。

著者について

1956年浜松市生まれ、法政大学工学部建築学科、同大学院を経て、イタリア・ピサ大学・ローマ大学大学院にて都市・地域計画学専攻、歴史都市再生政策の研究で工学博士(京都大学)。国際連合地域開発センターを経て、1993年より現職(京都府立大学人間環境学部准教授)。国際記念物遺産会議理事、東京文化財研究所客員研究員、国立民族学博物館共同研究員などを歴任。
著書に、『イタリアの地方自治制度−ローマ市の事例を中心に』(東京都議会事務局調査部、1998年)、『にぎわいを呼ぶイタリアのまちづくり−歴史的環境と商業政策』(2000年、学芸出版社)『都に自然をとりもどす』(共著、2000年、学芸出版社)など。

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 学芸出版社 (2007/12/30)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2007/12/30
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 294ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4761531592
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4761531591
  • カスタマーレビュー:
    4.5 5つ星のうち4.5 2個の評価

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宗田 好史
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