喪失体験、自責の念、遺族が受ける二次的な苦痛…
ここには、数多くの遺児たちの思いが綴られている。
実名、顔を公表しないと伝わらない、とまで覚悟を決めた遺児たちの行動が、自殺対策基本法の成立を推し進めた原点にもなった。
一方で、そこまでしなければと動かないほど、遺族のケアを進められなかった現実も痛感させられる。
自殺者を減らしたいという遺児たちの思いとは裏腹に、毎年3万人を超える状態がもう10年続いた。自殺によって影響を受ける遺族・関係者はおよそ6人程度おり、単純計算で年間18万人となる。
私は、当事者になるまでその痛みに気付かずに生きてきた。
自死遺族には、読み進めるのは辛いが、同じ思いをしている人がいるという支えになるでしょう。
身近に遺族がいたら、支えになってあげるための想像力を働かせる一冊として読んで頂きたい。
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自殺って言えなかった。 (サンマーク文庫 G- 89) 文庫 – 2005/9/1
自死遺児編集委員会 あしなが育英会
(編集)
- 本の長さ326ページ
- 言語日本語
- 出版社サンマーク出版
- 発売日2005/9/1
- ISBN-104763184105
- ISBN-13978-4763184108
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登録情報
- 出版社 : サンマーク出版 (2005/9/1)
- 発売日 : 2005/9/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 326ページ
- ISBN-10 : 4763184105
- ISBN-13 : 978-4763184108
- Amazon 売れ筋ランキング: - 484,497位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 188位サンマーク文庫
- - 1,506位社会病理
- - 83,768位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2009年11月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
小学生や中学生などの多感でまだ自立していない時期に親を自死で失うというのは、
精神的なショックだけでなく、経済的な問題もあり、想像以上に大変なことだ。
こんな境遇の中強く生きている彼らがいる。
泣きながら自分の経験を語る彼らがいる。これは並大抵のことではない。
彼らの強さに励まされた。何があっても強く生きていかなければいけないと考えさせられる一冊。
精神的なショックだけでなく、経済的な問題もあり、想像以上に大変なことだ。
こんな境遇の中強く生きている彼らがいる。
泣きながら自分の経験を語る彼らがいる。これは並大抵のことではない。
彼らの強さに励まされた。何があっても強く生きていかなければいけないと考えさせられる一冊。
2013年3月2日に日本でレビュー済み
交通事故死や他殺なら、加害者を恨むこともできる。病気や震災なら、恨む恨まないの話ではない。しかし、自殺だった場合、これは辛い。裏切られたとは言え、恨むに恨めない。自殺されてしまった以上、どうして死んだのか、なぜ置いていったのか、今さら問いつめることもできない。しかも、自殺は、それだけで終わらない。人間不信、貧困、後追い自殺、精神病、社会的孤立、いじめの原因となって、不幸は色濃く重なってゆくだろう。明るい未来は、何一つ、無い。
そうかと言って、社会がもっと自殺について考えるべきだ、授業で父親が話題になった時に悔しくて泣いた、励ますときは言葉を選んで欲しい、というのは身勝手な話で、世界は自殺遺児を中心に回っているわけではない。成長した遺児の一人が、教育実習の際に親の自殺について話したというが、不幸話の自己満足な押し売りも慎んで欲しい。そんな話聞きたくもない生徒は確実に存在するし、教育実習という、自分が勉強させてもらう場で発言する内容でもない。
もともとは交通遺児に始まって、災害遺児、病気遺児、自殺遺児と支援が広がり、さらに、海外の災害遺児、エイズ遺児、紛争遺児にまで拡大したという。しかし、いくらなんでも、それは広げすぎだろう。日本の自殺遺児とウガンダのエイズ遺児には、何の接点も無い。さらに、遺児学生を一年間ウガンダに派遣して、エイズ遺児を支援する制度まで用意されているのだそうだ。日本の自殺遺児は、不幸自慢の国際大会に参加するほどヒマで金持ちなのか。
日野市に落成した「あしなが心塾」では、「ウガンダ、ブラジル、メキシコ、カナダ、インド、オーストラリア、中国、ベトナムなどへの一年間の留学で国際性を身につけ、さらに実力をつける」カリキュラムが準備されているらしい。バカじゃないだろうか。なんの「実力」だ。
自殺遺児を差別するな、特別視するなと要求する一方で、おいしい優遇だけはちゃっかりもらって行く。吐き気がするほど嫌らしい、最低の人間たちだ。不幸を売り物にしながら、不幸扱いすると怒り出す。ゆすり、たかり、言いかがりにも程がある。
しかし、本書は読んで欲しい。そのうち死のうかな、と思っている人が読むとは思えないが、それでもやはり、読んで欲しいと願わずにはいられない。自殺が、どれだけ家族を不幸に追いつめるか。死んだもん勝ちとは思わないで、苦しんで欲しい。思いとどまって欲しい。とは言っても、遺された家族の惨状に思いが及ばない程度の人間だから、勝手に死んでしまうのだろうけれど。
そうかと言って、社会がもっと自殺について考えるべきだ、授業で父親が話題になった時に悔しくて泣いた、励ますときは言葉を選んで欲しい、というのは身勝手な話で、世界は自殺遺児を中心に回っているわけではない。成長した遺児の一人が、教育実習の際に親の自殺について話したというが、不幸話の自己満足な押し売りも慎んで欲しい。そんな話聞きたくもない生徒は確実に存在するし、教育実習という、自分が勉強させてもらう場で発言する内容でもない。
もともとは交通遺児に始まって、災害遺児、病気遺児、自殺遺児と支援が広がり、さらに、海外の災害遺児、エイズ遺児、紛争遺児にまで拡大したという。しかし、いくらなんでも、それは広げすぎだろう。日本の自殺遺児とウガンダのエイズ遺児には、何の接点も無い。さらに、遺児学生を一年間ウガンダに派遣して、エイズ遺児を支援する制度まで用意されているのだそうだ。日本の自殺遺児は、不幸自慢の国際大会に参加するほどヒマで金持ちなのか。
日野市に落成した「あしなが心塾」では、「ウガンダ、ブラジル、メキシコ、カナダ、インド、オーストラリア、中国、ベトナムなどへの一年間の留学で国際性を身につけ、さらに実力をつける」カリキュラムが準備されているらしい。バカじゃないだろうか。なんの「実力」だ。
自殺遺児を差別するな、特別視するなと要求する一方で、おいしい優遇だけはちゃっかりもらって行く。吐き気がするほど嫌らしい、最低の人間たちだ。不幸を売り物にしながら、不幸扱いすると怒り出す。ゆすり、たかり、言いかがりにも程がある。
しかし、本書は読んで欲しい。そのうち死のうかな、と思っている人が読むとは思えないが、それでもやはり、読んで欲しいと願わずにはいられない。自殺が、どれだけ家族を不幸に追いつめるか。死んだもん勝ちとは思わないで、苦しんで欲しい。思いとどまって欲しい。とは言っても、遺された家族の惨状に思いが及ばない程度の人間だから、勝手に死んでしまうのだろうけれど。
2007年6月6日に日本でレビュー済み
本書は自殺した父親を持つ遺児達の肉声を綴った痛ましい作品。自殺した本人も当然苦悩を抱えていた事だろうが、遺された家族達も経済面の苦労は勿論、「あの時声を掛けてあげればこんな事にはならなかったのでは」という自責の念、自殺した姿を直視した場合は何時までも残る衝撃、父親が自殺したと言えば周りから偏見の目で見られるかもしれないという抑圧された心境など様々な後遺症が残る。自殺はバブル崩壊後の90年代後半から急増し、三万人を越え、交通事故による死者の4倍に上るという。
私の会社では、社内ブログを開設しているが、偶々本書が話題に上った。その時、ブログ始まって以来の反響があった。言い方は変かもしれないが、私の世代は"自殺するかもしれない世代"である。投書は殆ど自殺と鬱病の関連性を指摘し、友人が鬱病によって自殺した話、自身が鬱病でカウンセリングを受けている話、鬱病対策の一般論など真剣な論評が続いた。私が思っていたより、鬱病と自殺の問題が身近に存在し、かつ深刻な問題である事を痛感させられた。
自殺する者も遺される者も苦しむ身近で深刻な問題。せめて身近な人だけでも、折に触れ声を掛けるなど、当たり前の思い遣りを見せる心使いの大切さを改めて思い知らされた。
私の会社では、社内ブログを開設しているが、偶々本書が話題に上った。その時、ブログ始まって以来の反響があった。言い方は変かもしれないが、私の世代は"自殺するかもしれない世代"である。投書は殆ど自殺と鬱病の関連性を指摘し、友人が鬱病によって自殺した話、自身が鬱病でカウンセリングを受けている話、鬱病対策の一般論など真剣な論評が続いた。私が思っていたより、鬱病と自殺の問題が身近に存在し、かつ深刻な問題である事を痛感させられた。
自殺する者も遺される者も苦しむ身近で深刻な問題。せめて身近な人だけでも、折に触れ声を掛けるなど、当たり前の思い遣りを見せる心使いの大切さを改めて思い知らされた。
2014年5月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
4年前、姉を亡くしました。私は一部の人には、打ち明けましたが、ほとんどの人には
黙っています。この本は、親御さんを亡くされた方が、主に書かれているにで、私とは状況が
少し違いますが、戻って来ない、悲しみや苦しみは、知っているつもりです。
現在、日本では年間3万人の自殺者を出しています。その背後には何十倍の人が、それを背負って生きているという現実があります。統計では97年の程から、一気に自殺者が増えています。おそらく社会構造が劇的に変わったんだと思います(リストラなど)。
こういう時代なので、幸せに生きるというのは、非常に困難なこととなっています。生き延びることを前提に生活する、自分は、日々そう思っています。「絆」という言葉が出回っていますが、それを強調せずにはおれないほど、現実は厳しいかもしれません。
黙っています。この本は、親御さんを亡くされた方が、主に書かれているにで、私とは状況が
少し違いますが、戻って来ない、悲しみや苦しみは、知っているつもりです。
現在、日本では年間3万人の自殺者を出しています。その背後には何十倍の人が、それを背負って生きているという現実があります。統計では97年の程から、一気に自殺者が増えています。おそらく社会構造が劇的に変わったんだと思います(リストラなど)。
こういう時代なので、幸せに生きるというのは、非常に困難なこととなっています。生き延びることを前提に生活する、自分は、日々そう思っています。「絆」という言葉が出回っていますが、それを強調せずにはおれないほど、現実は厳しいかもしれません。
2005年12月1日に日本でレビュー済み
商業目的で出版された類のものでもなく、評価点をつけるような種類の本ではないが、非常に多くのことを考えさせられたので星5つをつけさせていただいた。
私自身、母子家庭で育っており、いろいろつらい思いや寂しい思いもした。
親を早くに亡くすことだけでも耐え難い悲しみであるのに、彼らはそれに加えて、自死遺児であるという底知れず深い悩みを背負い込んでいる。
社会の偏見に対する恐怖、わかったような同情に対するいらだち、自分を遺していった親への恨み・憎しみ、自殺を止められなかったという後悔、笑うことさえも罪悪と感じる自責の念、遺された親も死ぬのではという不安。
我々にできることは何だろう?
決して彼らを完全に癒す役割は果たせないだろう。
しかし、まずは関心をもつことから始めてみよう。
そのためには他人事ではなく、自分の事と置き換えて考えてみること。
そこからそれぞれ、何か動き出すきっかけを作れればよいのではないだろうか?
私自身、母子家庭で育っており、いろいろつらい思いや寂しい思いもした。
親を早くに亡くすことだけでも耐え難い悲しみであるのに、彼らはそれに加えて、自死遺児であるという底知れず深い悩みを背負い込んでいる。
社会の偏見に対する恐怖、わかったような同情に対するいらだち、自分を遺していった親への恨み・憎しみ、自殺を止められなかったという後悔、笑うことさえも罪悪と感じる自責の念、遺された親も死ぬのではという不安。
我々にできることは何だろう?
決して彼らを完全に癒す役割は果たせないだろう。
しかし、まずは関心をもつことから始めてみよう。
そのためには他人事ではなく、自分の事と置き換えて考えてみること。
そこからそれぞれ、何か動き出すきっかけを作れればよいのではないだろうか?
2007年8月12日に日本でレビュー済み
仮名であれ実名であれ、今風に言えば「カミングアウト」するには相当のガッツがいると思われます。
さて、彼らのガッツに応えて自分に何ができるか?
例えば本書を購入することで印税が遺児たちの役に立つ。そんな形でもいいし、これを機にあしながさんになるのもいいでしょう。(勿論、出来れば後者がなお良し。)
自死に限らず、親との関係というものはは親がいなくなってから強く感じるものなのでしょうか。両親が健在な自分にとっても考えさせられるものがあります。
さて、彼らのガッツに応えて自分に何ができるか?
例えば本書を購入することで印税が遺児たちの役に立つ。そんな形でもいいし、これを機にあしながさんになるのもいいでしょう。(勿論、出来れば後者がなお良し。)
自死に限らず、親との関係というものはは親がいなくなってから強く感じるものなのでしょうか。両親が健在な自分にとっても考えさせられるものがあります。
2011年8月18日に日本でレビュー済み
以前たまたま古本屋で見つけた。
その時は、なんとなく暗い気持ちになりたくなくて買わなかった。
今年お盆で帰省して父の墓参りをして、
自宅のアパートに戻ったら父の思い出が溢れ出して
父を思い出して泣きじゃくった。
誰にも話せないし、誰にも分かってもらえない。
父が亡くなって10年以上、
この気持ちとはなるべく向き合わないようにしてきたし、
父を思い出すのは、いい思い出だけにしてきた。
でも今回ばかりはどうにも気持ちが整理できず、
この本を思い出した。
自分と同じ立場の人のことが書かれているのなら、
少しは救いになるかもしれないと思い購入した。
泣きたかった。
読んでみると、驚く程私と同じ心境の方が多くて、
少しひとりじゃない気になれた。
「私のせいかもしれない」「あの時気付いてあげられれば」「母までいなくなってしまうんじゃないか」
「父に愛されていなかったんじゃないか」「誰にもわかってもらえない」
そして究極、「自殺っていえない」。
その気持ちは10年以上経っても消えないし、この本を読んでも正直薄まりやしない。
一生私につきまとうんだろう。
でも、ただ私だけじゃないという一点で、少し、救われた。
ただひとつ違和感だったのは、
「自殺に対する偏見」って言葉と
「自殺したのは社会が悪い」的な描写。
自殺っていえないのは、偏見があるからなんだろうか。
具体的にどんな偏見なのかがいまいちすっきりしない。
自殺した人が弱いってことなのであれば、
それは偏見ではなく厳然たる事実であると私は思っている。
病気だったからであって弱いからじゃない的な表現もあったけど、
病気で弱ってたんなら同じこと。
私の父はすばらしい人だった。
他の誰と替えられると言われても
絶対お断り、と即答できる程、大好きな父だった。
でも悲しいくらい弱かったのだ。
私は死んだ後もそんな弱い父を他人に傷つけられたくないから、
黙っている。父を守っている。
誰かに理解される必要もないし、
究極理解なんて不可能だから。
私が逆の立場でも理解できるわけない。
偏見があるからじゃない。
相手がなんと思おうと私の意思で黙ってる意識が私には厳然とある。
なんとなく原因を外に追い出して安心したい願望が
見られるのには、私は同意しかねる。
その時は、なんとなく暗い気持ちになりたくなくて買わなかった。
今年お盆で帰省して父の墓参りをして、
自宅のアパートに戻ったら父の思い出が溢れ出して
父を思い出して泣きじゃくった。
誰にも話せないし、誰にも分かってもらえない。
父が亡くなって10年以上、
この気持ちとはなるべく向き合わないようにしてきたし、
父を思い出すのは、いい思い出だけにしてきた。
でも今回ばかりはどうにも気持ちが整理できず、
この本を思い出した。
自分と同じ立場の人のことが書かれているのなら、
少しは救いになるかもしれないと思い購入した。
泣きたかった。
読んでみると、驚く程私と同じ心境の方が多くて、
少しひとりじゃない気になれた。
「私のせいかもしれない」「あの時気付いてあげられれば」「母までいなくなってしまうんじゃないか」
「父に愛されていなかったんじゃないか」「誰にもわかってもらえない」
そして究極、「自殺っていえない」。
その気持ちは10年以上経っても消えないし、この本を読んでも正直薄まりやしない。
一生私につきまとうんだろう。
でも、ただ私だけじゃないという一点で、少し、救われた。
ただひとつ違和感だったのは、
「自殺に対する偏見」って言葉と
「自殺したのは社会が悪い」的な描写。
自殺っていえないのは、偏見があるからなんだろうか。
具体的にどんな偏見なのかがいまいちすっきりしない。
自殺した人が弱いってことなのであれば、
それは偏見ではなく厳然たる事実であると私は思っている。
病気だったからであって弱いからじゃない的な表現もあったけど、
病気で弱ってたんなら同じこと。
私の父はすばらしい人だった。
他の誰と替えられると言われても
絶対お断り、と即答できる程、大好きな父だった。
でも悲しいくらい弱かったのだ。
私は死んだ後もそんな弱い父を他人に傷つけられたくないから、
黙っている。父を守っている。
誰かに理解される必要もないし、
究極理解なんて不可能だから。
私が逆の立場でも理解できるわけない。
偏見があるからじゃない。
相手がなんと思おうと私の意思で黙ってる意識が私には厳然とある。
なんとなく原因を外に追い出して安心したい願望が
見られるのには、私は同意しかねる。