草柳大蔵の名著『斉藤隆夫・かく戦えり』を再読したところ、巻末に「粛軍演説」(昭和11年5月7日)、
「支那事変処理に関する質問演説」(昭和15年2月2日)と並んで「国家総動員法案に対
する質問演説」(昭和13年2月24日)(全文)が掲載してあり、非常な感銘を受けました。
当時は支那事変勃発約1年半後、事変の収拾の見込みは立たず、それどころか近衛内
閣は「国家総動員法」を制定し、政府への権力集中、国民への統制を強化した。斉藤は、
「国家総動員法」が立法府(議会)を無力化する企てであると見なし、憲法上疑義がある
ことを指摘した。草柳大蔵は次のように解説している。
<国家がその目標に対して人的・物的資源を統制下におく意志を強めるとき、「法の支
配より命令の支配」を求めるものだが、近衛内閣が提出した「国家総動員法」はナチス・
ドイツの「授権法(全権委任法)」と並んでその典型となった。>
斉藤隆夫が「国家総動員法」を悪名高きナチスの「授権法」の兄弟分であると批判して
いることに大きな驚きと感銘を受けた。主に陸軍首脳部(武藤章ら)のナチスかぶれの勢
力が、支那事変が益々拡大し、収拾がつけられない状況に鑑みて、「戦時体制」強化を
目的として作られた法案が「国家総動員法」であった。当時この点を「ズバリ」指摘するこ
とがどれほど勇気のいることであったかは、察するに余りある。国のために「命を捧げる」
愛国心なくしてできることではなかったに違いない。斉藤の愛国心の発露は、国民から信
任された議会人として「憲政を守る」ために、決死の覚悟でその使命を全うすることに表
出された。議会人にとって、国会審議の場こそ「命がけの戦場」であった。軍人たちの職
務が、支那事変完遂の為に、遠き中国大陸の戦場で、命がけで戦うことであるならば、
議会人である斉藤隆夫の職務は、国会審議の場という「戦場で」命がけで戦うことであっ
た。どちらも「国を守るため」であることに優劣はないはずであった。
この時代に、軍部の台頭を許した最大の要因は、「言論人・政治家たちの勇気の欠如」
にあったことも確かであった。軍部の力の源泉は、「サーベルの力」だけではない。それよ
りももっと大きな力があった。それは「戦場で国のために命を捧げている兵士達の力」で
ある。多くの議会人は、この力に屈服させられたのである。
また事あるごとに陸軍首脳部の連中が「満州事変・支那事変完遂の為に命を捧げた、何
万・何十万の英霊達に申し訳が立たない」と言えば、反論を封じ、国民を屈服させられる
ことを知っていたからである。そこに軍部の権力の源泉がある以上、戦争を終結させるこ
とは、軍部は自らの権力の源泉を失うことになる。したがって、戦争を遂行しつづける限
り、「軍部の権力の源泉」は確保されるわけである。
斉藤隆夫にとっては国会審議の場は、言論に依る「命がけの戦場」にほかならなかっ
た。そのためには用意周到な「理論構成」が不可欠であった。確固たる「理論構成」とは
「理論武装」ということでもある。理論武装をせずして「議論の戦場」での戦いに挑むこと
ほど危険なことは無い。どこからかかって来られても太刀打ちできるだけの「論理構成」
ができていなくてはならない。そういう点においても、斉藤の演説は見事に「理論武装」さ
れた内容となっている。
斉藤の演説は、「立憲主義の原理」と「立憲主義の精神」とが見事に統一された一つの芸
術作品でもある。それはまた日頃、新聞・雑誌類などからの情報収集による現状分析、さ
らには怠ることなき読書、また斉藤は米国エール大学に留学もしているから、ジャパン・タ
イムズなどの英字新聞や海外文献などもしっかり眼を通していた。そのような学識に基づ
いた確信が無ければ「勇気」や「胆力」だけでこれだけの演説内容が生まれて来るもので
はない。
軍部の依って立つ権力の源泉が「戦場で国のために命を捧げている兵士達の力」であ
るならば、斉藤隆夫の依って立つ確信の源泉は何であったのか。それは「立憲主義の原理」
と「立憲主義の精神」であった。陸海軍のふりかざす統帥権もまた大日本帝国憲法に
よって規定されて初めて行使が正当化されているにすぎない。あらゆる国家権力の行使
の根拠は、憲法に準拠していなくてはならない。それが近代立憲主義国家の大原則であ
る。軍部の連中が「戦場で国のために命を捧げている兵士達の力」を背景にすれば、超
法規的な行動さえも正当化されるとするならば、それは大きな誤りである。そのような国
家は近代立憲国家とは言えず、国際社会の一員として相手にされることはない。
そのような近代立憲国家の建設の為に、明治維新の志士たちをはじめとして先人達は戦
って来たのではないのか。そういう確信が、斉藤隆夫の議会人としての「勇気の源泉」で
あった。
斉藤隆夫の凄さは、多くの議会人が、軍部の背後にある「戦場で国のために命を捧げて
いる兵士達の力」の前に屈服していったのに対して、「立憲主義の原理」と「立憲主義の
精神」という「武器」を以って、最後まで戦い続けたところにある。
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齋藤隆夫かく戦えり 単行本 – 2006/3/1
草柳 大蔵
(著)
- 本の長さ351ページ
- 言語日本語
- 出版社ルックナウ(グラフGP)
- 発売日2006/3/1
- ISBN-104766209613
- ISBN-13978-4766209617
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登録情報
- 出版社 : ルックナウ(グラフGP) (2006/3/1)
- 発売日 : 2006/3/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 351ページ
- ISBN-10 : 4766209613
- ISBN-13 : 978-4766209617
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,091,895位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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トップレビュー
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2013年11月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2013年3月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
磯田道史の読売新聞「古今をちこち」で、百年後の国を誤らぬようにと、帝国議会で[粛軍演説]をし、議会を追われた政治家の話である。命の危険を顧みず行った演説を、当時の政治家はどう聞いたのだろう。今でこそ、政治家は[先生]等と呼ばれるが、相応しい者は、何人いるか疑わしい。今記念館が生地の兵庫県豊岡市出石に記念館[静思堂]が有るが、電話した所老女が出て訳の分らぬ対応でがっかりした。「ネズミの殿様」も苦笑して居られると思う。
2011年12月27日に日本でレビュー済み
齋藤隆夫の、いわゆる粛軍演説を知ったのは、92年7月27日の日経ビジネスに本書が紹介されていたことがきっかけ。当時、本書の以前の版(文芸春秋)が掲載されていたが、既に絶版となっていた。
さて、本書には、巻末に付録掲載されている「粛軍に関する質問演説」「国家総動員法案に関する質問演説」「支那事変処理に関する質問演説」等の演説(3点セットはネット上でも簡単には探せず。資料としても貴重では。)や、回顧録の文言にある当時の背景、齋藤隆夫の人となり等を、本人の日記やメモ等を使い、更には関係者へのインタビューによって、詳しく紹介している。
歴史に残る代議士について著した本書は、復刻されるに値する内容であるし、特に今の時代、単なる「用語の定義」質問に終始するような国会質問が横行する時代には、一読されるべき本だと思う。「言いたいことをいう」論者ではなく、齋藤のような「言うべきことを言う」論者が求められるのは、何も今に限ったことではない。今までも、将来も必須である。選挙で選ばれた国及び地方の議員の方々には、一人のスタンダードとなる代議士として、目指してもらいたいものだ。
更に付けくわえれば、齋藤のような意見がなぜ通らなかったのか?彼の正論に、正論による反駁がなされ、それに国民を代表しているはずの各代議士が賛成したのか?現在、国会議員の質が落ちた・・・というのは間違いで、当時から大半の議員は、寄らば大樹の陰、付和雷同していただけではなかったのか?そんなところを突き止めた続編を期待したい。
さて、本書には、巻末に付録掲載されている「粛軍に関する質問演説」「国家総動員法案に関する質問演説」「支那事変処理に関する質問演説」等の演説(3点セットはネット上でも簡単には探せず。資料としても貴重では。)や、回顧録の文言にある当時の背景、齋藤隆夫の人となり等を、本人の日記やメモ等を使い、更には関係者へのインタビューによって、詳しく紹介している。
歴史に残る代議士について著した本書は、復刻されるに値する内容であるし、特に今の時代、単なる「用語の定義」質問に終始するような国会質問が横行する時代には、一読されるべき本だと思う。「言いたいことをいう」論者ではなく、齋藤のような「言うべきことを言う」論者が求められるのは、何も今に限ったことではない。今までも、将来も必須である。選挙で選ばれた国及び地方の議員の方々には、一人のスタンダードとなる代議士として、目指してもらいたいものだ。
更に付けくわえれば、齋藤のような意見がなぜ通らなかったのか?彼の正論に、正論による反駁がなされ、それに国民を代表しているはずの各代議士が賛成したのか?現在、国会議員の質が落ちた・・・というのは間違いで、当時から大半の議員は、寄らば大樹の陰、付和雷同していただけではなかったのか?そんなところを突き止めた続編を期待したい。