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それが映画をダメにする 単行本 – 2017/3/10
批評タイトルは話題作を中心とした48作品!
月刊「ビデオサロン」で2013年2月号から2017年1月号まで掲載した映画批評家・前田有一氏の連載を1冊に!
映画を愛するからこそのダメ出しは豊富な知識とデータに基づいた批評で、その映画を知らなくても面白く、
その作品を必ず観たくなリます。これぞまさに「批評エンタテイメント」という1冊!
【紹介されている主な映画】
『のぼうの城』/『パシフィック・リム』『アナと雪の女王』 『STAND BY ME ドラえもん』
『ジョーカー・ゲーム』『進撃の巨人 』『ニシノユキヒコの恋と冒険』
『マッドマックス 怒りのデス・ロード』『スター・ウォーズ/ フォースの覚醒』『君の名は。』 ...他
【この本を読むとこの謎が解ける! 】
・「君の名は。」「アナと雪の女王」はなぜあんなに大ヒットしたのか
・どうして3D映画は思ったより大したことがないのか
・アカデミー賞の受賞作がその年の最高傑作じゃないのはなぜなのか
・日本の女優の脱ぎっぷりはどうしてあんなに悪いのか
・気づかずに見せられているプロパガンダ映画の実名をあげていく
・右翼的な映画は凡作揃いのわりになぜか増えている、そのワケは?
・日本のマンガ原作映画がいつもろくでもない理由とその裏事情
・アメリカのコミック原作映画はなぜ成功するのか
・チャイナマネーはハリウッドにどこまで影響を与えているのか
・ヘンテコな時代劇映画ばかり作られているのはなぜか
・歳を取ったアクションスターはどうすればいいのか
・原発、震災映画がパッとしないのはなぜか
・予告編はどうして面白いシーンばかり使って、私たちにネタバレを食らわせるのか
・「進撃の巨人」の監督はなぜ私にマジギレしたのか
・映倫が時代遅れのヘアヌード規制ばかりしているという噂は本当なのか?
「はじめに」より抜粋
- 本の長さ217ページ
- 言語日本語
- 出版社玄光社
- 発売日2017/3/10
- ISBN-104768308295
- ISBN-13978-4768308295
商品の説明
著者について
「週刊アサヒ芸能」「男の隠れ家」「日刊ゲンダイ」などの新聞・雑誌での執筆に加え、テレビ出演、8000万ヒットWEB『前田有一の超映画批評』にて、100%消費者側に立った「批評エンタテイメント」を展開する映画批評家。
登録情報
- 出版社 : 玄光社 (2017/3/10)
- 発売日 : 2017/3/10
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 217ページ
- ISBN-10 : 4768308295
- ISBN-13 : 978-4768308295
- Amazon 売れ筋ランキング: - 883,185位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 607位映画論・映像論
- カスタマーレビュー:
著者について
まえだゆういち 映画批評家 1972年東京都浅草生まれ、葛飾亀有育ち 宅建主任者、健康運動実践指導者、消費者問題ライター等を経て映画評論家に。
日本最大級の批評サイト『前田有一の超映画批評』(http://movie.maeda-y.com/)をはじめテレビ、ラジオ、雑誌、新聞などマスメディアで独自の「批評エンタテイメント」を展開中。また国際映画祭実行委員、トークライブ、こども映画会等のイベント出演など映画ファンを広げる活動も続けている。
超映画批評
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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ふんふん と納得しながら 読みました。
映画にはテーマというものがつきものだが、著者の批評ではさらにその裏、つまりそのテーマがその時選ばれた社会情勢や、業界のしがらみなんてものまで言及されるのが魅力で、それらを皮肉の利いたツッコミで批評する。
著者が高得点をつける映画は、わたしにとっては必ずしもマッチしないので、そちらでは大して信用していないのだが、社会や業界へのツッコミは的を射ていることが多いし勉強にもなる。自分も観た映画ならば、相槌を打てることもある。
本書の題名がいかにもツッコミメインなので、著者のコラムはある程度無料でネット閲覧できるというのに、つい本書を買ってしまった。文庫本でもないのに…。
ところで、ツッコミに長けた著者は左側、右側問わずにツッコミを入れてくる。おそらく本人は、だからこそ俺はリベラルだと考えていると思うのだが、海外事情へのツッコミがかなり的確(だとわたしが思うだけかもしれないが)なのに対し、国内事情へのツッコミはやや弱いか間違っている印象を受ける。
例えば著者は、沖縄米軍基地や憲法改正のような問題と、公害問題を比較して、前者はあいまいで後者は明瞭な問題という。
だが、わたしに言わせれば、前者などは明瞭な問題である。あいまいに感じるのは、多くのメディアが談合したかのようにこぞってあいまいにしているからである。
逆に後者は、問題となる企業にも責任はあるのだが、省庁や政治がリスクとリターン、基準と対策をあいまいにしたまま、その企業をスケープゴートにして自らは隠れていることが多い。
水俣病しかり、福島原発しかりだ。
これらの裏には、目先の利益、利権を享受する事に慣れたメディアやジャーナリズムの品格の低下が脈づいている。そして安全がどーの、平和がどーの、権力の監視がどーのと偉そうに垂れ流すのである。TVや新聞をぼーっとながめているだけの人間には気付けないことであるが、著者のように、映画を通して人間社会の裏までコメントすることを売りにしているにしては、きわめて残念な見識不足である。
本になっても前田節は炸裂。
一刀両断で映画を斬っています。
ほめている作品と叩いている作品のメリハリが面白い。
しかし、叩いている作品でも、ここをこういう風にすれば……という提案もきちんと書いてあります。
映画大好き中年の愛情を感じられます。
日本映画が外国映画に勝る、並んでほしいという気持ちがすごく伝わりました。
サクサクと読め、小気味のいいリズム感もあります。
見る眼をもった人が映画をどのようにとらえているかもわかると思います。
映画好きはもちろん、映画がまぁまぁ好きな人にもお勧めです。
◯◯とはなんなのか、長年の疑問がようやく解けたわけだがさらなる疑問が浮かんだ。「それが映画をダメにする」の「それ」とはなんなのか、この本を読んでも理解できないからだ。
著者はあとがきで「あらゆる進歩は失敗の分析と対策の先にある。映画批評家とは、それを観客側の立場から行うのが大事な仕事のひとつだと私は考えている」とし、まえがきでは「この本が、人々に映画に興味を取り戻すきっかけになることを強く願っている。そうすればもしかしたら、あなたは年にもう一本だけ多く、映画を見てくれるようになるかもしれない。観る人が増えれば作り手も奮起する。そうすれば良作も増える」としている。つまりプロの批評家による批評は製作される映画を良くするためにやっているのだ、ということか。
「良い批評をすれば映画がよくなる」などというのは「風が吹けば桶屋が儲かる」ぐらいのこじつけではないか。ならば自身の批評文に自信があると思われるが・・・
『のぼうの城』では演じる役者たちが時代劇の初作為を身に着けていないから、チープなコスプレ侍に見えるとし、比較対象として「日舞を学んだり独自に歌舞伎を研究した」松平健を持ちあげているが、時代劇役者として絶賛するのが松平健とは。せめて市川右太衛門、片岡千恵蔵、嵐寛壽郎ぐらいは出てこないのか。時代劇映画ファンからすれば失笑モノの文章である。よくこの程度で時代劇映画のなんたるかを語ろうとしたものである。
『パシフィック・リム』では「かつてオタクといえば蔑称だった。野球やサッカーオタクのように活動的なものや専門知識を有する機械系オタクは尊敬を受けることもあるが、映画オタクなんてのは最悪。私がいうのもなんだが、頭でっかちで協調性がないイメージで女にもモテない」などと意味不明の罵詈雑言を浴びせる。映画を評論する仕事をしながらそのジャンルのファン、オタクを平気で批判する(それも筋違いの)というのはどういうことなのか。
『進撃の巨人』では監督の樋口真嗣氏と「揉めて」「炎上」したことを自慢話のように長々と吹聴し、映画の評論そのものよりも個人的な攻撃に文章を割く始末だ。この一件はそもそも2011年に著者がゲンダイネットに掲載した『おかえり、はやぶさ』(11)の評論が映画の内容をまったく理解していない、プロの域に達していない駄文を樋口真嗣氏が「こいつ馬鹿だろ。映画観てりゃ誰のセリフかわかるじゃん。映画を観る知能のない馬鹿が足引っ張るのが一番許せん!」「映画で起きていることをきちんと捉えているかどうかの問題だろう」と批判したのだが、それに関して著者は今に至るまでノーコメントを貫いており、(おそらく反論できる材料がなかったのだろう)『進撃の巨人』批判はその時の仕返しとしか思えないのだ。
半端な知識を恥ずかしくもなくひけらかし、「プロでござい」と大きな顔をしているのを一般の映画ファンに鼻で笑われ、製作者にもバカにされていることに逆ギレして「映画ファンは頭でっかちで女にもモテない」「全映画人は『進撃~』の惨状を教訓に自分たちがいったい誰に支えられてきたのか誰を大切にすべきなのか改めて考えなくてはいけない」などと私怨むき出しで「それが映画をダメにする」(自分を批判する連中がダメなのだ!)と醜い主張を繰り広げるのが本書の正体である。「ダメ」なのは映画ではなく著者本人。
著者は「批判は映画を良くする」と考え、「良いことに関わることは人生を良くする」と言っているのでぜひ、自身への批判も逆ギレせずに「あなたの評論文を良くするため」に甘んじて受け止めてみてはどうか。
著者の文体はひとことで言えば軽妙である。いい意味で引っかかりのないわかりやすい文体、軽い皮肉とユーモアをおりまぜるセンス、容赦のない邦画ディスなど、気にいるところを上げていけばキリがない。しかし、彼のものす文章はその全てが「批評」ではない、と思う。なぜならば、彼は決して映画を「褒めない」からだ。
彼がいかに褒めない「批評家」であるかは、何よりもこの本のタイトルを見れば明らかであろう。
自分がレビューを書いてみれば誰もが気がつくことだが、何かを「的確に」褒めることは、何かをけなすことの一億倍は難しい。なぜならば、「褒める」とはその作品の価値を発見することであり、大抵のばあい、ある作品の価値はその「唯一性」によって担保されるからだ。「唯一無二の長所」を探すために必要なのは、ひとえに教養の幅である。
試みに、彼が97点の高評価を与えた『ダークナイト』の評言を確認しよう。この短評において、彼の作品に対する評価は、実はたった二箇所しかない。文章中盤の「私は大変興味深くそれ【=結末:引用者補足。】を見た。」と、「その難役を、彼【=ヒース・レジャー】はパーフェクトにやり遂げた。」たったこれだけである。じゃああとは何なのか?すべて、映画の「解説」なのだ。
つまり、彼の本質は、実はさほど中身のない文章を、とても面白く読ませる文体にあるのだ。そして、誤解をしてほしくないのだが、僕はそのような彼の文体を好ましく思っている。「読んでいてい楽しい」ことの快楽をひたすらに追求しているように思えるからだ。
さくさく読みやすくて、なぜこんなヘンテコな映画になったのか、背景などを教えてくれて、とても面白いです。
ダメだしをするだけじゃなくて、対策と、見本となる映画を書いているので、スカッとします。
ただ、値段の割には内容が薄く、文字のQ数が大きめで、
無意味に凝ったレイアウトが非常に読みにくい。
雑誌じゃないんだから、段組みのズレで個性を主張する必要なし。
デザイナーの自己満足でしかない。
前田さんの文章をしっかり読みたいのに途中で疲れてくる。
これがなければ満点。