他のレビュアーが書いているとおり
この書はシティズンシップと女性についての考察が特徴的であり大変興味深いです。
キムリッカに対する批判は、共通する価値による統合を促進するナショナルなシティズンシップに対する批判など、今日のシティズンシップを学んでいく上で大変重宝する一冊であると思います。
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シティズンシップの政治学―国民・国家主義批判 フェミニズム的転回叢書 単行本 – 2003/12/1
岡野 八代
(著)
- 本の長さ262ページ
- 言語日本語
- 出版社白澤社
- 発売日2003/12/1
- ISBN-104768479073
- ISBN-13978-4768479070
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
「国家」と「わたし」の関係はどうあるべきか。過去のシティズンシップ(市民権)論、主にリベラリズムの議論を批判的に再検討しながら、「平等で自由な人格」がよりよく尊重されるための新たな理念を構想する。
登録情報
- 出版社 : 白澤社 (2003/12/1)
- 発売日 : 2003/12/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 262ページ
- ISBN-10 : 4768479073
- ISBN-13 : 978-4768479070
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,044,204位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2004年1月28日に日本でレビュー済み
内容そのものはよいと思うので、本来は星4つつけたいところです。
ただ、このタイトルの本として読んでみると、政治学ではなく、政治思想の本という色彩が強すぎると思います。
では、叢書名のフェミニズムが前面に出ているのかと言えば、これも、割合的にはそれほどでもない。
政治学と銘打つのであれば、様々な政治学者の引用も不可欠とは思いますが、著者自身の政治分析を中心に据えて、論を展開して欲しかったと思います。
本来、シティズンシップ論とフェミニズム政治学と、二つに分けるべきテーマを、諸々の事情から、無理に一つにまとめてしまったような印象が残ります。
ただ、このタイトルの本として読んでみると、政治学ではなく、政治思想の本という色彩が強すぎると思います。
では、叢書名のフェミニズムが前面に出ているのかと言えば、これも、割合的にはそれほどでもない。
政治学と銘打つのであれば、様々な政治学者の引用も不可欠とは思いますが、著者自身の政治分析を中心に据えて、論を展開して欲しかったと思います。
本来、シティズンシップ論とフェミニズム政治学と、二つに分けるべきテーマを、諸々の事情から、無理に一つにまとめてしまったような印象が残ります。
2005年4月15日に日本でレビュー済み
本書のクライマックスが第4章にあることは明らかだが、そこだけを読んでもおそらくその意義は理解できない。ロールズに始まる現代リベラリズムとそれに対する批判を含む多くの議論の蓄積の上に立ってはじめて、それまで問題にされていなかった問題を脱自然化するフェミニズムの真価が理解できる。現代につながるリベラリズム論の潮流は、「国家」と「私たちひとりひとり」との間に、明らかに多くの問題を積み残した。その批判者たちは、そうした積み残された問題をいくつか指摘しはしたが、それでもなお多くの問題が積み残され、問われないままに残されている。フェミニズム=シティズンシップ論は、この先に位置づけられる、フェミニズムから「抽出された」シティズンシップ論であり、著者は説得的にその意義を語る。
だが、この本をナショナリズム批判として読んだ場合、上記と同様の評価を下すのは難しい。本書におけるナショナリズム批判は、完全に挫折していると判断せざるを得ない。リベラリズムもリパブリカニズムもマルチカルチュラリズムもナショナリズム批判としては無力であり、ロールズやキムリカといえども国民国家の枠内でしか議論を展開できていない。差異の承認やフェミニズムに関しては、ナショナリズム批判との関連性すら明らかではない(それらをすべて承認してもネイションはダメージを受けないのではないだろうか?)。
問題はおそらく、著者と著者が取り上げる論者のナショナリズム理解にある。近代におけるネイションは、自由や平等と同様、いやむしろそれらの前提としてよりいっそうの重みをもって、「そこにあるべきもの」として規範的に希求されてきたのである。リベラリズムでナショナリズムを批判しようとする企図自体、無理があるのではないかと思われてならない。ネイションは、人々を抑圧するものであると同時に、人々に求められるものでもあるのだ。後者の側面を看過したナショナリズム批判は無力である、と私は思う。
だが、この本をナショナリズム批判として読んだ場合、上記と同様の評価を下すのは難しい。本書におけるナショナリズム批判は、完全に挫折していると判断せざるを得ない。リベラリズムもリパブリカニズムもマルチカルチュラリズムもナショナリズム批判としては無力であり、ロールズやキムリカといえども国民国家の枠内でしか議論を展開できていない。差異の承認やフェミニズムに関しては、ナショナリズム批判との関連性すら明らかではない(それらをすべて承認してもネイションはダメージを受けないのではないだろうか?)。
問題はおそらく、著者と著者が取り上げる論者のナショナリズム理解にある。近代におけるネイションは、自由や平等と同様、いやむしろそれらの前提としてよりいっそうの重みをもって、「そこにあるべきもの」として規範的に希求されてきたのである。リベラリズムでナショナリズムを批判しようとする企図自体、無理があるのではないかと思われてならない。ネイションは、人々を抑圧するものであると同時に、人々に求められるものでもあるのだ。後者の側面を看過したナショナリズム批判は無力である、と私は思う。
2004年1月31日に日本でレビュー済み
社会の成員資格をさす言葉「シティズンシップ」についての原理的な考察として,脳みそを揺さぶられる思いで興味深く読んだ。ふだん何気なく使っていた「市民」という言葉は,こんなにも複雑な問題が背景にあったのかと考えさせられる。
副題の「国民・国家主義批判」というのも言い得て妙。「国民・国家主義」とは特定の誰かの主張ではなく,社会の成員は国民であるとぼんやり思い込んでいた自分の無反省さのことだと思い至ってちょっとショックを受けた。
本書の主眼は後半で述べられている,従来のシティズンシップ論に対するフェミニズムからの批判にあるのだろうが,前半のロールズとその批判者たちのシティズンシップ論争についての詳細な紹介と分析も,この分野の類書がほとんどないだけにたいへん有益だった。
外見は学生向けを意識した入門書のようだが,内容の濃さと分析の緻密さは本格的な思想書といってよいのではないだろうか。
あえて注文をつけるなら,これは著者自身も認めていることだが,本書で主として取りあげられているのがアメリカの政治思想についてだけなのが惜しまれる。ヨーロッパや日本の政治思想についての岡野氏の見解も知りたくなった。例えば,ハーバーマスやアガンベンらの考え方について,日本なら丸山真男,大塚久雄の市民社会論について,岡野氏ならどう論じるのだろうと気になる。もちろんこれは無い物ねだりであり,文句をつけているのではなく期待である。
副題の「国民・国家主義批判」というのも言い得て妙。「国民・国家主義」とは特定の誰かの主張ではなく,社会の成員は国民であるとぼんやり思い込んでいた自分の無反省さのことだと思い至ってちょっとショックを受けた。
本書の主眼は後半で述べられている,従来のシティズンシップ論に対するフェミニズムからの批判にあるのだろうが,前半のロールズとその批判者たちのシティズンシップ論争についての詳細な紹介と分析も,この分野の類書がほとんどないだけにたいへん有益だった。
外見は学生向けを意識した入門書のようだが,内容の濃さと分析の緻密さは本格的な思想書といってよいのではないだろうか。
あえて注文をつけるなら,これは著者自身も認めていることだが,本書で主として取りあげられているのがアメリカの政治思想についてだけなのが惜しまれる。ヨーロッパや日本の政治思想についての岡野氏の見解も知りたくなった。例えば,ハーバーマスやアガンベンらの考え方について,日本なら丸山真男,大塚久雄の市民社会論について,岡野氏ならどう論じるのだろうと気になる。もちろんこれは無い物ねだりであり,文句をつけているのではなく期待である。