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炎の海: 報道カメラマン空母と共に (光人社ノンフィクション文庫 328) 文庫 – 2001/10/1

4.6 5つ星のうち4.6 8個の評価

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 潮書房光人新社 (2001/10/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2001/10/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 文庫 ‏ : ‎ 340ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4769823282
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4769823285
  • カスタマーレビュー:
    4.6 5つ星のうち4.6 8個の評価

著者について

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牧島 貞一
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カスタマーレビュー

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上位レビュー、対象国: 日本

2015年6月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
 たくさんの戦記を読んできました。
 人が、死を目前にして、何を思い、どう行動し、周囲の人についてどう考察するのかなど、極限状態の真摯な記録に関心があったからです。

 本書は、第一線の第一級の映像ジャーナリストによる体験記です。
 驚きました。
 感動しました。
 そして、生き残ったのは、この記録を後世に伝えるためだと納得しました。

 少し引用します。

<なぜ、こんなに大勢の人たちが「瑞鶴」にいたかといえば、空母に同時録音器を持ちこんでいたからだった。
 さすがに、土屋ニュース部長も、私にもういちど行けとは言えなかったから、これらの人たちが私の身がわりなったのであった。
 上田君は、フィリピンの山奥で戦死してしまったし、北義雄君と渡辺義美君も、フィリピン・ミングナオ島ザンボアンガに行くといって出発したまま、行方不明となった。
 たぶん米軍機に撃沈されたらしい、とのことであった。
 根来重雄君は、大阪が空襲を受けたときに、爆弾によって戦死した。
 その最期は、まことに悲惨なものだった。
 このほか、戦死したもの、飛行機にて連絡の途中、事故のため墜落死したものなど、合計五十九名。
 当時、「日映」のカメラマンは総数で百三十名あまりだったから、これは軍人以上に高い死亡率だった。
 この中には、村岸雅章君のように、ビルマに上陸してたった三日目に、ゲリラの攻撃によって戦死してしまった不運な人もいた。
 おそらく、敵弾の音を聞いたときには、すでに命中して絶命していたのだろう。
 これらの人たちは、もう帰ってはこない。
 みんな親兄弟も、妻子もあるのだ。
 残された人たちは、どんなに悲しがって泣いたことだろう。
 そうした人たちは、はたして何人にのぼるのか、何百万人におよぶのか、何千万人も数えるのか……。
 自分の肉親の中に、死亡者を数えない人は、まずあるまい。
 こんなばかなことがあるものか、と思った。
 人が殺されれば、たった一人でも、殺人事件として大さわぎする。
 それが、十万人、百万人となると、もう殺人事件ではなくて、正義のためとか、祖国のまもりとかいって、言葉の上では、殺人事件とはいわなくなるのだ。
 死というものを、すばらしく美化するのだ。
 言葉の上では、何とでもいえるが、死んでしまった人たちは、もう帰ってこないのだ。
 殺人、放火、強盗、掠奪のかざりをつくすのが、戦争だった。
 おそらく、人間を発狂させ、悪徳の限りをつくすのが戦争かもしれない……と思った>

 「人間を発狂させ、悪徳の限りをつくすのが戦争」
 体験したジャーナリストのみ、語りうる真実だと思います。
 
 率直で、正直で、飾らない文章、私もジャーナリストの端くれですから牧島さんをお手本にしたいと思います。
 よくぞ生き残り、この記録を後世に伝えてくださった。
 心より感謝します。

 
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2009年10月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
続編とまとめて買いました。

本書では、著者が体験した大陸での戦争から航空母艦「赤城」乗組み、ミッドウェー海戦を経て米戦艦ミズーリ艦上での降伏文書の調印式までが書かれています。

報道班員による手記を読むのは吉田一氏の『サムライ零戦記者』に続いて二冊目ですが、吉田氏のものは陸上基地航空隊のものだったので、空母乗組みの記者のものは本書がはじめてです。

本書を読んで驚いたのは、空母の中についての描写があったことです。いままでは写真などで外観や上空から見た空母は知っていましたが、中の様子は知りませんでした。

長期の作戦(航海)に耐えるためにはいろいろな設備が必要で、著者の「まるで一つの街みたい」(148ページより引用)だということを知りました。

もちろん海戦の描写もすばらしく、さすがにその場にいた人の記録だと感心しました(この点ではフィクションはかなわないですね)。

先に、私は続編とまとめて買ったと書きましたが、続編と本書はかなり内容がかぶっているので注意が必要だということを特記しておきます。
9人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2010年7月7日に日本でレビュー済み
本書のタイトル「炎の海」はミットウェー海戦を指しているものと思う。

 そこで、第7章の日米空母決戦に的を絞って概観してみたい。
この海戦についてはすでに様々検証されているが、本書は報道班員自身の見聞を赤裸々に綴っているので迫力がある。

 赤城には源田航空参謀が居るはずだが何故か名前が出ないのが不審に思う。

当然のことではあるがやはり索敵に手抜かりがあったため、逆に敵の先制攻撃に遭い、かつ、折角の飛龍山口少将の
意見具申も無視するとう赤城側の対応が悔やまれる。

 空母被弾時=艦内が大火炎につつまれ、将兵の悲惨な修羅場を克明に記録された貴重な海戦記で是非ご一読をすすめたい。
5人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2016年1月18日に日本でレビュー済み
著者は昭和12年7月7日の盧溝橋事件勃発直後より、同盟通信社の特派映画カメラマンとして、大陸最前線の取材活動を開始した。初めは戦場の酸鼻な情景に恐々とするものの、次第に慣れ、忽ち無神経な古参報道班員へと姿を変えて行く。南京攻略戦で同乗していた戦車に直撃弾を受けた際は、同乗の戦車兵全員が戦死したにも拘らず負傷で済むなど、九死に一生を得る幸運を幾度も拾った。
記者として戦場慣れしていく様子が面白い。砲弾や銃弾の音で、高さや射撃方法がわかる様になり、直接自分に危険かどうかが察知できる様になる。また、作戦参謀や兵卒も一目見ただけで、初陣か古強者かが区別出来るようになっていった。 ライバル社の朝日・毎日・讀賣らと、現代と何ら変わらないスクープ合戦やスッパ抜き合いを、戦場で歩兵の尖兵と張り合う様にして繰り広げて行く。

やがて昭和15年5月に至り、フィルム等の物資不足や、過剰な報道競争を受けて、軍部の肝煎りで、国策会社日本ニュース映画社が設立された。大手四社が共同して機材やスタッフを提供して製作し、ニュース映画は全国の映画館で上映される様になった。軍により宣伝広報が一種類に限定されたのである。尚、使用されたカメラは全てアメリカ製であった。
再び著者は大陸に特派され、漢口基地での中攻隊の成都空襲や、新型の零戦の初出撃を取材する。その後内地で開戦を迎え、今度は昭和17年4月、セレベス島ケンダリー基地より、第一航空艦隊旗艦「赤城」に、連合艦隊唯一の報道班員として乗り組んだ。

当時世界最高の練度と攻撃力を誇った、南雲機動部隊の旗艦の内部の構造に触れ、淵田中佐、村田少佐、板谷少佐、白根大尉、千早大尉、山田大尉、布留川大尉、指宿大尉といった伝説的な名分隊長と接した際の描写が随所にある。百戦錬磨の機動部隊が英軍を鎧袖一触したインド洋作戦より従軍し、著者の記録した報道は内地でも盛んに上映された。元々報道に余り協力的でなかった海軍部にも気に入られ、専属の様な形で指名されるようになる。艦隊では士官待遇であり、士官室で起居していた為に、分隊長らと親しくなり、その中で本音や素顔に触れる事も多かった様である。

淵田美津雄中佐は、しなくても良いインド洋作戦を実施した為に、貴重な搭乗員と機材を損耗させ、整備休養する時間を与えない儘、次期作戦に投入させる連合艦隊司令部に憤っていた。ミッドウェー作戦では、村田重治少佐は、連合艦隊司令部の坐乗する主力部隊が、戦闘参加の意思がない300浬後方から随伴することに憤慨し、千早大尉は市井の人にまで作戦機密が漏洩している事を深く危惧している。作戦開始前から、機動部隊に不協和音と不信感、そして不運と不吉が交錯していた空気が感じられる。

歴戦の分隊長達に不吉な危機への嗅覚があった事を示すエピソードもある。海戦前夜、濃霧の為、南雲艦隊は約半分がはぐれてしまった。艦隊集結の為に無線封止を破るか否かで司令部が割れていた際、千早猛彦大尉、山田昌平大尉は、二航戦が視界外にあって見えないといっても、フネの足なら50浬と離れていない筈であり、天候回復を待って航空機で探せば良いだけである。また視界外で遠くに離れていた方が、敵の攻撃を受けた際、被害が半分で済む、それより無線封止で此方の所在を暴露するのは危険だ、と主張した。その意見が退けられた結果、無線封止が破られた直後に霧が晴れると、飛来した敵機に機動部隊は発見されてしまった。
また、利根4号機が索敵出発に遅延した際、村田重治少佐は、綿密な二段索敵を実施せず、更に攻撃隊の発艦に先んじて索敵隊を派遣しない緩慢さを憤っている。敵出現の可能性の最も高いと思われる利根機の索敵線への厳重な警戒を怠り、前夜に輸送船団が潜水艦の雷撃を受けているのにも拘らず、敵艦隊がいないと決めてかかっている司令部を危惧した。著者も敵艦隊不在の可能性大である事を述べたところ、「報道班員まで、そんなこと言うのか」と窘められている。

そして運命の時を迎える。著者は発着艦指揮所で、飛行長の増田中佐と共に被弾。全艦火達磨となる中、早い段階で司令部と共に前甲板より軽巡「長良」へ司令部と共に移乗した。そのカッター上で、ミッドウェー占領後の海軍部隊を指揮する予定で乗艦していた森田大佐は、「こりゃあ、日本の国運を左右するぞ」という印象的な言葉を呟いている。
帰還した将兵は分散して軟禁され、著者は戦艦「霧島」に収容される。そこでは盛んに敗因についての議論が起こったという。作戦失敗の理由として、
①暗号解読されていたとしか思えない。敵の出現位置が絶好過ぎる。
②司令部が艦隊集合の為に無線封止を破った事が、位置特定されるに繋がった。
③真珠湾偵察の潜水艦からの敵なし、の報告を司令部が鵜呑みにした。
④「筑摩」偵察機が敵艦隊上空を通過しながら発見出来なかった。
⑤「利根」偵察機が発艦に30分遅れ、更に此れが帰路敵を発見したものの、曖昧な報告をしてきた。
⑥山口司令官の「ただちに発進の要ありと認む」の意見具申を司令部が握りつぶした。
⑦アリューシャン作戦に分散した空母2隻も、機動部隊に帯同させるべきであった。
⑧主力部隊が無用な位置におらず、寧ろ300浬前方へ展開して、敵の攻撃を吸収するべきであった。
 と、かなり早い段階で、此れ程の分析がなされていたことに驚くが、これから海軍はどうすれば良いのか、という問題には皆一様に沈鬱になったという。空母4隻の生存者は、皆外地の部隊へ転出させられ、南雲長官、草鹿参謀長、残務処理の吉岡参謀、そして著者が最後まで残留した。著者は7月中旬になって、「熊野」に乗組み、インド洋通商破壊の従軍を命ぜられた。

その熊野が、ビルマ領内の泊地からまさにインド洋に出撃する直前に、米軍のガダルカナル島上陸が入電した。「熊野」は其の儘ソロモン方面へ向かい、著者は再び南雲機動部隊旗艦「翔鶴」へ乗組む。機動部隊では先のミッドウェー海戦の戦訓が徹底され、艦隊は前衛部隊を機動部隊前方に広く展開して警戒に当たり、空母には徹底的な難燃対策を施し、ペンキまで剥いでコンクリートに塗り替える程であった。
その甲斐あってか、南太平洋海戦では、綿密な二段索敵と敵発見即攻撃隊発艦を行い、さらに格納庫内の可燃物投棄を徹底した為、「翔鶴」は4発の直撃弾で飛行甲板が目茶苦茶に破壊されながらも、火災を直ぐに消し止め、更に機関への被害を喰い止めた。しかし、攻撃隊の村田重治少佐、関衛少佐、山田昌平大尉らを始め、多くの搭乗員が生還しなかった。著者は此処でも負傷せず帰還したが、艦内の阿鼻叫喚の様を目撃している。
著者の従軍は以上で終わり、同盟通信社としての最後の任務は、戦艦「ミズーリ」艦上での降伏調印式の取材であった。嘗て乗艦した「大和」に未較べ、随分小さな艦だと感じている。
満洲事変以来、軍属として大勢の報道班員が従軍したが、59名が戦死している。「瑞鶴」沈没の際だけで、4名が艦と運命を共にした。
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2010年8月17日に日本でレビュー済み
続編を先に買って読んでいたのですが、後で読んだこちらにも満足です。
戦車上での九死に一生の体験、陸攻による爆撃行、インド洋作戦と南太平洋海戦、そしてミズーリ艦上での降伏調印式等、現場に立ち会った作者にしか語りえない、しかも軍人ではなく報道の人間としての写実的な描写が心に残ります。
日本軍が機上から撮影したブレブレの真珠湾攻撃の映像が布留川大尉撮影であった事や、南太平洋海戦で爆撃された翔鶴の飛行甲板上にあって艦首方向に逃げたおかげで助かったエピソードなど、興味深い内容がたくさんありました。
写真はあまり多くありません。
ミッドウェー海戦についてだけ詳しく読みたい方は続編をお勧めしますが、こちらの本編だけでも悪くありません。
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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