横井さん、小野田さんが終戦を知らず
戦後も長らく戦って居た事は知っており
本も読んだ事が有りますが、
まさか、ニューギニアにも4名の方が戦後約10年間、ジャンルの密林で、潜伏生活していたとは知らず。
Amazonで、何か人気の本だな・・・と何気に見つけ、この本を購入して、初めて知りました。
感想:横井さんは、職業柄、服を0から作成してたが、彼らは、裸に葉っぱの褌姿で畑を作り、狩りをし、森の加治屋もする。
マラリアにも負けず、無事?帰国出来た事は、凄い!の一言に尽きる。
現代人は、誰人真似出来ません!
彼らだから出来た事と思う。
一読すべし。
ご苦労様でした。と心から思い
世界平和を改めて願う作品です。
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私は魔境に生きた 終戦も知らずニューギニアの山奥で原始生活十年 (光人社ノンフィクション文庫 337) 文庫 – 2007/10/13
島田 覚夫
(著)
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光人社NF文庫 門田隆将セレクション12
昭和19年6月、孤立無援の東部ニューギニアで味方部隊の再来を信じて籠城した日本軍兵士17名──
熱帯雨林の下、飢餓と悪疫、そして連合軍の掃討戦を克服して生き残った四人の男たちのサバイバル生活を克明にえがいた体験記。岡山県出身の島田覚夫曹長が身に沁みこんだ農業の知識を生かして石器時代さながらの暮らしに挑戦する。敗戦を知らず、10年間におよんだ「生存」への戦いは、日本兵の日本人の底力を余すところなく描き出す。
昭和19年6月、孤立無援の東部ニューギニアで味方部隊の再来を信じて籠城した日本軍兵士17名──
熱帯雨林の下、飢餓と悪疫、そして連合軍の掃討戦を克服して生き残った四人の男たちのサバイバル生活を克明にえがいた体験記。岡山県出身の島田覚夫曹長が身に沁みこんだ農業の知識を生かして石器時代さながらの暮らしに挑戦する。敗戦を知らず、10年間におよんだ「生存」への戦いは、日本兵の日本人の底力を余すところなく描き出す。
- 本の長さ566ページ
- 言語日本語
- 出版社潮書房光人新社
- 発売日2007/10/13
- ISBN-104769823371
- ISBN-13978-4769823377
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商品の説明
出版社からのコメント
光人社NF文庫 門田隆将セレクション12とは
ノンフィクション作家 門田隆将さんは、「毅然と生きた日本人」を唯一絶対のテーマとして多くの作品を世に送り出していらっしゃいます。当事者の証言、日記、手記を重視する門田さんが選んだ12 冊の「歴史の証言」です。
ノンフィクション作家 門田隆将さんは、「毅然と生きた日本人」を唯一絶対のテーマとして多くの作品を世に送り出していらっしゃいます。当事者の証言、日記、手記を重視する門田さんが選んだ12 冊の「歴史の証言」です。
登録情報
- 出版社 : 潮書房光人新社 (2007/10/13)
- 発売日 : 2007/10/13
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 566ページ
- ISBN-10 : 4769823371
- ISBN-13 : 978-4769823377
- Amazon 売れ筋ランキング: - 122,564位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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上位レビュー、対象国: 日本
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2018年7月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
(読後感)
「ジャワの極楽、ビルマの地獄、死んでも帰れぬニューギニア」という言葉があるらしい。
本書は、そのニューギニア戦線から十年に及ぶ密林生活を経て帰還した元日本兵の回想録である。
パプア・ニューギニアというと「水木しげる」が戦ったニューブリテン島を思い出す。映像にもなっているので見た方もいるであろう。ニューブリテン島は、著者たちが戦ったニューギニア東部の海上にある。
本書の帯には、こうある。「椎名誠氏絶賛、強靱な精神と体。生死紙一重の究極の逆境を生き抜いた、へこたれない日本人の底力。胸踊るサバイバルの興奮も横溢している。」
直後の読後感はしみじみしたものであった。おそらく最後の方で、ラジオから流れる「君が代」を聞き入るシーンや帰還のための大成丸の人々が「御苦労さんでした」と声をかけるシーンがあったからである。著者たちがどんな気持ちであったかを想像すると胸に迫るものがあった。
次に思ったのは、よくぞこのような記録を残してくれたということである。初めは小さな活字で読みにくいなと感じながら次第に引き込まれてしまった。筆者の力量を感じるが、何よりも事実であるという重みが大きい。
戦後も日本語、漢字教育が続けられたのは本当によかった。戦後生まれの私もこうして記録を読むことができるからだ。
補給や情報から隔絶された密林でどうして十年間も生きることができたのか。
偶然もあった。参謀たちは図上で考える。兵士たちは、飢えと病と無理な行軍でどんどん疲弊していく。これで戦争になるのかという思いもあったであろう。敵の攻撃により進路をたたれ、密林に隠れて持久戦に持ち込むしかなかった。装備の多くは渡河時に失い、友軍の備蓄倉庫は、敵軍の度々の襲撃によって焼き払われてしまう。
十数人いた戦友たち(氏名階級の記載ありp.77)は、敵に撃たれたり、行方不明になったり、病に倒れたりして、最終的には四名になってしまう。
本書の文章からは筆者の強い意志を感じる。同時に本文を読むと、彼らに柔軟性やユーモアを失わなかったこともうかがえる。もちろん若さもあったであろう。
当初は、残された軍の乾パンをかき集め、何とか食べられそうなものを選別し命をつないでいた。それがつきると自活の道を切り開いていく。彼らが農村出身者ということも幸いした。過去に見聞きした知識や経験を総動員してサバイバル生活を構築していく。
それでも、過酷な生活であることには変わりがない。しばしば襲われるマラリアの発作、潰瘍、栄養失調、衣服や靴も傷んで怪我は日常茶飯事である。蛇や蛙はもとより、トカゲや芋虫、甲虫、バッタ類も口にする。
食べられそうな草を探し、下痢や腹痛、栄養失調に耐えながら、農園を切り開いていく。
とても感心したのは、どんなに生活レベルが低下しようとも、当番制や公と私の区別を守り、規律ある生活を失わなかったことである。軍の階級は廃止するという柔軟な姿勢もあった。
残された数少ない金属から、驚くべき根気強さで刃物や縫い針なども作っている。当初はタガネや自然石で加工していたが、後にふいごを作り、試行錯誤で炭焼きを行い、鍛冶屋のような金属加工も可能となった。
本書では、「原始時代」「石器時代」「鉄器時代」という表題で、その様子が詳細に描かれている。
ないものを最小限の材料から根気強く作り出す様は、江戸時代の漂流民を思い出す。
船を造って鳥島から脱出した長平や、同じく漂着した北方の孤島から船を新造してロシアに渡り日本に帰還した光太夫たちを思い出した。
狩にも工夫が見られる。仕留めた火喰鳥の内臓を調べ、どんな食べ物を好んでいるかを調べて次の狩に生かしている。
飯ごうの容量を利用して秤を造ったり、レンズ二枚と水で屈折率を上げて火付用に利用したりするなど感心させられた。
他にも様々な道具類を作っているので本書で確認してほしい。いつか訪れるサバイバル時にきっと役に立つ。
パプア・ニューギニアでは多くの言語が使われている。後に原住民と接触するようになってからは、村の言葉を積極的に覚え、彼らとの交流の中で彼らの話す村の物語を聞くことが楽しみになったと書いている。こうした姿勢や学習能力も素晴らしい。
格好だけ見ると現地人と同じようになるのだが、こうした柔軟な姿勢が結果的に日本人たちの命を長らえさせることにつながった。
彼らは現地で写真を撮っている。一度は現地政府関係者の求めで、もう一度は彼らから希望して別の機会に撮っている。口絵の一枚は最初の機会に撮ったものであろう。筆者は木の葉の褌一枚の姿である。他の者の短パンはその時に渡されたものだったと思われる。この一枚をよく残してくれた。
(現代人の生き方と教育のあり方、余談あれこれ)
彼らと同じような状況になったら、現代人も生き抜くことができるであろうか。こうした問いに意味があるかどうかは別としてどうしても考えてしまう。
知識や技術は確かに進歩した。しかし道具や体を使い生活していく力や感覚は退化していないだろうか。自分自身は退化している。
筆者らは、農村出身であると書いている。戦前の農村であれば、江戸時代の暮らしに近かったであろう。密林では猪の子どもや村人から譲り受けた鶏も飼育し、子犬も育てている。
昭和三十年代の都市部の生活でも江戸時代に近いものが残っていた。肥桶担ぎのおじさんや鉄砲風呂、風呂焚きは楽しかった。高学年になって日直は早めに教室の達磨ストーブを暖めておく仕事があった。今日の当番は上手だと褒められたことがある。
戦前の話ではない。昭和四十年代、昼には白黒だがテレビカメラで校内放送も行っていた。
鉛筆削りを使ってはいけないという先生もいた。今だったら考えられないがナイフを持参しないと怒られた。私は「肥後守」という折りたたみナイフを使っていた。家でも愛用し怪我もしたが刃物の使い方には慣れていた。
大工道具も子どもの頃から使っていた。カンナの使い方は中学校の技術家庭科でも習ったような気がする。今でもこうした教育は行われているのだろうか。筆者たちはカンナも自作している。今の私は鉋の構造を正確に覚えているかと自問してみる。
筆者の略歴を見ると、復員後、桐箱製造会社に勤務している。密林にあって道具を作り、構造を完全に理解して最初から最後まで自分の責任で物作りをすることは、困難な厳しい生活の中でも喜びや充実感を感じさせるものであったと思われる。
私は新し物好きで、コンピュータ、FAX、携帯の所有は早かった方である。スマホを初めて見たときも驚嘆した。しかし最近では、機械に使われているという感覚が大きくなり面白くない。
小学生の頃、電子ブロックというものが発売された。欲しかったが高くて買えなかった。先日ネットでラジオの組み立てキットを見つけて購入した。キットといっても中心部分はDSPといってデジタル回路のICである。それでも抵抗やコンデンサを半田付けして組み立てるのは構造がわかって楽しい。今そのラジオで聴いている。
デジタルは便利だが、仕組みや構造が複雑になり、どんどんブラックボックス化していく。部分的な修理はほぼ不可能である。時代の流れで仕方がないが、これからは機械に使われるのではなく機械や道具を使って何かを作りたい。
「読み・書き・算・プログラム」ということを盛んに唱える人がいる。本質が見えていないのではないか。
私は「物ぐさ」なのでプログラミングはしない。ただ先日、アルゴリズムとプログラム言語の入門書数冊を集中的に読んだ。初歩のアルゴリズムの理解にも論理パズルを解くような頭の使い方に面白さを感じるかということが問われているような気がした。つまり人によって向き不向きがあるということだ。
こうした学習を読み書きと同列に扱い、小学校で教師が同じようにエネルギーを使うことが本当に賢明な政策であるかは疑問である。もちろん学校でやっては駄目というのではない。家庭で経験できない子どももいるだろうからお遊び程度にやるのはよい。
しかし本格的に多くの時間をかけて実施するのはよくない。こうした教育で得をするのは学力的に余裕のある子どもたちである。彼らにとっては息抜きの時間になるであろう。
結果的に基本的な読み書きの学力差がさらに広がることになる。これは将来的には国力の低下につながる。
小学校での英語学習も同じである。私は英語を自由に操れない。それは学校教育のせいだとは思わないし卑下もしていない。英語が喋れないのは植民地に育っていないのと自分が知りたいことはほぼ全て母国語で理解することができるからである。
英語が話せないのは自分の意志と努力不足の結果であり、本気で学習しなければ語学の習得は無理であると思っている。
そのうちAIがAIソフトを作るようになり、自動翻訳ももっと便利なものが出てくるであろう。AI業界で活躍するためには、高度な数学の知識やプログラミング能力が要求されるはずだ。小学校では中途半端にプログラミングや英語の学習をするより日本語や漢字の習得に励んだ方がよい。
日本語がしっかり読め、微分積分までの基本がわかっていれば、いつでもどこでも学べるものである。もともと能力があり興味関心が高い子どもは学校で教えなくても自分でものにする。基本はやはり「読み・書き・算」である。
以前、日に数回英語で道を尋ねられたことがある。私のひどい英語でも通じたが、今度はまず、「Do you speak Japanese?」と聞き返したい。
日本語は、学ぶに値する効率のよい言語であると思う。日本語を学べば、ほぼ全ての分野を日本語で学ぶことができるし、千年前の日本語も読むことができるからである。日本語を広めることも考えてほしい。
話を元に戻すが小学校では泥臭い教育を期待したい。経済界の要求という視点ではなく、人が動物であることを思い出し、すぐに役立たなくても生きていく上で様々な場面で応用のきく基本的な人間としての力を身につけさせたい。
本書には、そうしたことを考える上でも貴重なヒントを与えてくれる記述が多々あった。
「ジャワの極楽、ビルマの地獄、死んでも帰れぬニューギニア」という言葉があるらしい。
本書は、そのニューギニア戦線から十年に及ぶ密林生活を経て帰還した元日本兵の回想録である。
パプア・ニューギニアというと「水木しげる」が戦ったニューブリテン島を思い出す。映像にもなっているので見た方もいるであろう。ニューブリテン島は、著者たちが戦ったニューギニア東部の海上にある。
本書の帯には、こうある。「椎名誠氏絶賛、強靱な精神と体。生死紙一重の究極の逆境を生き抜いた、へこたれない日本人の底力。胸踊るサバイバルの興奮も横溢している。」
直後の読後感はしみじみしたものであった。おそらく最後の方で、ラジオから流れる「君が代」を聞き入るシーンや帰還のための大成丸の人々が「御苦労さんでした」と声をかけるシーンがあったからである。著者たちがどんな気持ちであったかを想像すると胸に迫るものがあった。
次に思ったのは、よくぞこのような記録を残してくれたということである。初めは小さな活字で読みにくいなと感じながら次第に引き込まれてしまった。筆者の力量を感じるが、何よりも事実であるという重みが大きい。
戦後も日本語、漢字教育が続けられたのは本当によかった。戦後生まれの私もこうして記録を読むことができるからだ。
補給や情報から隔絶された密林でどうして十年間も生きることができたのか。
偶然もあった。参謀たちは図上で考える。兵士たちは、飢えと病と無理な行軍でどんどん疲弊していく。これで戦争になるのかという思いもあったであろう。敵の攻撃により進路をたたれ、密林に隠れて持久戦に持ち込むしかなかった。装備の多くは渡河時に失い、友軍の備蓄倉庫は、敵軍の度々の襲撃によって焼き払われてしまう。
十数人いた戦友たち(氏名階級の記載ありp.77)は、敵に撃たれたり、行方不明になったり、病に倒れたりして、最終的には四名になってしまう。
本書の文章からは筆者の強い意志を感じる。同時に本文を読むと、彼らに柔軟性やユーモアを失わなかったこともうかがえる。もちろん若さもあったであろう。
当初は、残された軍の乾パンをかき集め、何とか食べられそうなものを選別し命をつないでいた。それがつきると自活の道を切り開いていく。彼らが農村出身者ということも幸いした。過去に見聞きした知識や経験を総動員してサバイバル生活を構築していく。
それでも、過酷な生活であることには変わりがない。しばしば襲われるマラリアの発作、潰瘍、栄養失調、衣服や靴も傷んで怪我は日常茶飯事である。蛇や蛙はもとより、トカゲや芋虫、甲虫、バッタ類も口にする。
食べられそうな草を探し、下痢や腹痛、栄養失調に耐えながら、農園を切り開いていく。
とても感心したのは、どんなに生活レベルが低下しようとも、当番制や公と私の区別を守り、規律ある生活を失わなかったことである。軍の階級は廃止するという柔軟な姿勢もあった。
残された数少ない金属から、驚くべき根気強さで刃物や縫い針なども作っている。当初はタガネや自然石で加工していたが、後にふいごを作り、試行錯誤で炭焼きを行い、鍛冶屋のような金属加工も可能となった。
本書では、「原始時代」「石器時代」「鉄器時代」という表題で、その様子が詳細に描かれている。
ないものを最小限の材料から根気強く作り出す様は、江戸時代の漂流民を思い出す。
船を造って鳥島から脱出した長平や、同じく漂着した北方の孤島から船を新造してロシアに渡り日本に帰還した光太夫たちを思い出した。
狩にも工夫が見られる。仕留めた火喰鳥の内臓を調べ、どんな食べ物を好んでいるかを調べて次の狩に生かしている。
飯ごうの容量を利用して秤を造ったり、レンズ二枚と水で屈折率を上げて火付用に利用したりするなど感心させられた。
他にも様々な道具類を作っているので本書で確認してほしい。いつか訪れるサバイバル時にきっと役に立つ。
パプア・ニューギニアでは多くの言語が使われている。後に原住民と接触するようになってからは、村の言葉を積極的に覚え、彼らとの交流の中で彼らの話す村の物語を聞くことが楽しみになったと書いている。こうした姿勢や学習能力も素晴らしい。
格好だけ見ると現地人と同じようになるのだが、こうした柔軟な姿勢が結果的に日本人たちの命を長らえさせることにつながった。
彼らは現地で写真を撮っている。一度は現地政府関係者の求めで、もう一度は彼らから希望して別の機会に撮っている。口絵の一枚は最初の機会に撮ったものであろう。筆者は木の葉の褌一枚の姿である。他の者の短パンはその時に渡されたものだったと思われる。この一枚をよく残してくれた。
(現代人の生き方と教育のあり方、余談あれこれ)
彼らと同じような状況になったら、現代人も生き抜くことができるであろうか。こうした問いに意味があるかどうかは別としてどうしても考えてしまう。
知識や技術は確かに進歩した。しかし道具や体を使い生活していく力や感覚は退化していないだろうか。自分自身は退化している。
筆者らは、農村出身であると書いている。戦前の農村であれば、江戸時代の暮らしに近かったであろう。密林では猪の子どもや村人から譲り受けた鶏も飼育し、子犬も育てている。
昭和三十年代の都市部の生活でも江戸時代に近いものが残っていた。肥桶担ぎのおじさんや鉄砲風呂、風呂焚きは楽しかった。高学年になって日直は早めに教室の達磨ストーブを暖めておく仕事があった。今日の当番は上手だと褒められたことがある。
戦前の話ではない。昭和四十年代、昼には白黒だがテレビカメラで校内放送も行っていた。
鉛筆削りを使ってはいけないという先生もいた。今だったら考えられないがナイフを持参しないと怒られた。私は「肥後守」という折りたたみナイフを使っていた。家でも愛用し怪我もしたが刃物の使い方には慣れていた。
大工道具も子どもの頃から使っていた。カンナの使い方は中学校の技術家庭科でも習ったような気がする。今でもこうした教育は行われているのだろうか。筆者たちはカンナも自作している。今の私は鉋の構造を正確に覚えているかと自問してみる。
筆者の略歴を見ると、復員後、桐箱製造会社に勤務している。密林にあって道具を作り、構造を完全に理解して最初から最後まで自分の責任で物作りをすることは、困難な厳しい生活の中でも喜びや充実感を感じさせるものであったと思われる。
私は新し物好きで、コンピュータ、FAX、携帯の所有は早かった方である。スマホを初めて見たときも驚嘆した。しかし最近では、機械に使われているという感覚が大きくなり面白くない。
小学生の頃、電子ブロックというものが発売された。欲しかったが高くて買えなかった。先日ネットでラジオの組み立てキットを見つけて購入した。キットといっても中心部分はDSPといってデジタル回路のICである。それでも抵抗やコンデンサを半田付けして組み立てるのは構造がわかって楽しい。今そのラジオで聴いている。
デジタルは便利だが、仕組みや構造が複雑になり、どんどんブラックボックス化していく。部分的な修理はほぼ不可能である。時代の流れで仕方がないが、これからは機械に使われるのではなく機械や道具を使って何かを作りたい。
「読み・書き・算・プログラム」ということを盛んに唱える人がいる。本質が見えていないのではないか。
私は「物ぐさ」なのでプログラミングはしない。ただ先日、アルゴリズムとプログラム言語の入門書数冊を集中的に読んだ。初歩のアルゴリズムの理解にも論理パズルを解くような頭の使い方に面白さを感じるかということが問われているような気がした。つまり人によって向き不向きがあるということだ。
こうした学習を読み書きと同列に扱い、小学校で教師が同じようにエネルギーを使うことが本当に賢明な政策であるかは疑問である。もちろん学校でやっては駄目というのではない。家庭で経験できない子どももいるだろうからお遊び程度にやるのはよい。
しかし本格的に多くの時間をかけて実施するのはよくない。こうした教育で得をするのは学力的に余裕のある子どもたちである。彼らにとっては息抜きの時間になるであろう。
結果的に基本的な読み書きの学力差がさらに広がることになる。これは将来的には国力の低下につながる。
小学校での英語学習も同じである。私は英語を自由に操れない。それは学校教育のせいだとは思わないし卑下もしていない。英語が喋れないのは植民地に育っていないのと自分が知りたいことはほぼ全て母国語で理解することができるからである。
英語が話せないのは自分の意志と努力不足の結果であり、本気で学習しなければ語学の習得は無理であると思っている。
そのうちAIがAIソフトを作るようになり、自動翻訳ももっと便利なものが出てくるであろう。AI業界で活躍するためには、高度な数学の知識やプログラミング能力が要求されるはずだ。小学校では中途半端にプログラミングや英語の学習をするより日本語や漢字の習得に励んだ方がよい。
日本語がしっかり読め、微分積分までの基本がわかっていれば、いつでもどこでも学べるものである。もともと能力があり興味関心が高い子どもは学校で教えなくても自分でものにする。基本はやはり「読み・書き・算」である。
以前、日に数回英語で道を尋ねられたことがある。私のひどい英語でも通じたが、今度はまず、「Do you speak Japanese?」と聞き返したい。
日本語は、学ぶに値する効率のよい言語であると思う。日本語を学べば、ほぼ全ての分野を日本語で学ぶことができるし、千年前の日本語も読むことができるからである。日本語を広めることも考えてほしい。
話を元に戻すが小学校では泥臭い教育を期待したい。経済界の要求という視点ではなく、人が動物であることを思い出し、すぐに役立たなくても生きていく上で様々な場面で応用のきく基本的な人間としての力を身につけさせたい。
本書には、そうしたことを考える上でも貴重なヒントを与えてくれる記述が多々あった。
2011年10月19日に日本でレビュー済み
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パプアニューギニアのジャングルでの悲惨な撤退行軍と、
12年におよぶサバイバル生活の記録です。
米軍に敗れ後退してきた前線部隊に追随して筆者所属の飛行場建設部隊が
撤退するところから、日本の土を踏むところまでを記録しています。
ジャングルでのサバイバル生活は、人間のたくましさ、
日本人の知恵と勤勉さが生む力を雄弁に語る事実であふれており、
驚きの連続です。
生き残るだけのサバイバルではなく、狩猟、農業、畜産、炭焼き、
木工、衣料生産、鍛冶と金属加工、工具の作成、生活環境改善などを
次々実行してゆく様子は、くじけずに、あきらめずにコツコツと
継続すれば、なんとかなるという見事な実例であり、
読んでいて勇気と力をもらった気がしています。
しかし、本書は、美談ではありません。
いつ終わるとも知れない苦しく希望の無いサバイバル生活を、
心折れそうになりながらも支えあって生き抜いた兵士を美化
しているのではなく、ありのままの真実を記録しています。
派閥間の対立や仲間割れ、横柄な将校、
病気に苦しみ自ら食を絶ち死んでゆく兵士の姿なども、
ありのままに記録されています。
後から知った事実による背景描写や補足などもなく、
ジャングルで著者が知りえなかった米軍の動向なども
一切書かれていません。
当時著者が目にした事実や、知りえた事象のみで構成されています。
著者の主張もありませんので、日本や軍などへの批判や糾弾もありません。
とはいえ、一度も組織的戦闘をする機会がないまま
飢餓や風土病で消滅した隊、幹部が責任放棄して部隊を解散した事実、
戦後10年間のみならず生存が判明した後もしばらく現地に放置された
兵士たちの様子などから、日本軍や戦後日本政府の姿が読み取れます。
鮮明な写真には被写体だけでなく背景が写っているのに似ています。
12年におよぶサバイバル生活の記録です。
米軍に敗れ後退してきた前線部隊に追随して筆者所属の飛行場建設部隊が
撤退するところから、日本の土を踏むところまでを記録しています。
ジャングルでのサバイバル生活は、人間のたくましさ、
日本人の知恵と勤勉さが生む力を雄弁に語る事実であふれており、
驚きの連続です。
生き残るだけのサバイバルではなく、狩猟、農業、畜産、炭焼き、
木工、衣料生産、鍛冶と金属加工、工具の作成、生活環境改善などを
次々実行してゆく様子は、くじけずに、あきらめずにコツコツと
継続すれば、なんとかなるという見事な実例であり、
読んでいて勇気と力をもらった気がしています。
しかし、本書は、美談ではありません。
いつ終わるとも知れない苦しく希望の無いサバイバル生活を、
心折れそうになりながらも支えあって生き抜いた兵士を美化
しているのではなく、ありのままの真実を記録しています。
派閥間の対立や仲間割れ、横柄な将校、
病気に苦しみ自ら食を絶ち死んでゆく兵士の姿なども、
ありのままに記録されています。
後から知った事実による背景描写や補足などもなく、
ジャングルで著者が知りえなかった米軍の動向なども
一切書かれていません。
当時著者が目にした事実や、知りえた事象のみで構成されています。
著者の主張もありませんので、日本や軍などへの批判や糾弾もありません。
とはいえ、一度も組織的戦闘をする機会がないまま
飢餓や風土病で消滅した隊、幹部が責任放棄して部隊を解散した事実、
戦後10年間のみならず生存が判明した後もしばらく現地に放置された
兵士たちの様子などから、日本軍や戦後日本政府の姿が読み取れます。
鮮明な写真には被写体だけでなく背景が写っているのに似ています。
2020年3月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ぶ、分厚い・・・文庫本で566p.横の行が19字組み。届いたときはびっくりした。
読み出したら止まらなくなって、結局朝の5:00まで読んで仮眠、ふらふら起きても続きが気になって一気読みした。
お話はこんな感じ。↓
男4人がジャングルの奥地で10年共同生活をしていた。農園を開墾し、狩りにも出かけ毎日毎日朗らかに。いつか迎えに来てくれるであろう友軍をたまには夢想しつつ・・・。
いくら、日本の敗戦を信じられない・敵は近くにまだいるはずだ思っていても、毎日毎日緊張して過ごしてはいられない。だから、日々やれることに精を出す。そして1日の成果にみんなで笑いあう。90%は現地でのおもしろ生活報告だろうか。で、たまに故国を偲ぶ。お正月であったり、誰かが重病になったりしたときに。
レンズをこしらえようと思いつく場面
P.114 ーーー万一火が消えたらもう次に火を得る方法はないのだ。敵の襲撃でも受ければ火をつけてくれるだろうが、これではこちらがたまらない。
極限下での笑えないジョーク。にやにや笑ってしまった。
4人にはとにかく戦況が分からない。
篭城が始まったのは終戦のおよそ1年2ヶ月前、その後オランダが統治し始めたから日本軍はほぼ壊滅で引き上げているんだろう。9年近く終戦を知らないまま過ごしたことになる。4人がパプア原住民と交流するようになったのは1952年のことなので、パプアが独立するかしないかくらいのところだろうか?
原住民に報告してもらっても、拾ってきてもらった敵国(実際にはとっくに終戦していたわけだが)オランダの写真雑誌を見ても何を信じていいのか分からない。
「おかしいなー」 p.348 ーーー万一、日本が敗れたとすれば戦の終わることは考えられる。だが、当時、敵アメリカが「地球上より日本を抹殺する」と宣言したことを思えば、敗れて日本国の存在は到底考えられぬ。恐らく日本の名はすでに失われているはずだ。天皇陛下が健在でおられるなどとは夢にもあり得ないことだ。
・・・・そらそうなりますわな。日本人的発想なら敵軍の将は処刑の一択だろうし、おそらく内地で終戦を迎え新しい生活を始めた人たちですらなにが起こっているのか困惑していたと思う。要するに薄々、日本の敗戦を感じつつも「敗戦=見つかれば死」なので出てくることが出来ないのだ。
普段は平穏な生活をしているのに、なにか事件が起こると「ついにそのときが来たか。いざとなれば自決もかまわない。私たちは弾を分配しそのときを待った」と思い出したかのように戦時の思考が顔を出す。
p.513 ーーー(前略)最悪の場合には日本軍人として恥ずかしくない態度をとるよう、互いに堅く決意を誓い合った。
・・・また始まった・・・やめなさいって・・・。物騒な考え起こすなよー、もうすぐ日本に還れるんだぞー。
p.528 ーーーしかし日本は今、敗戦国なのだ。憎むべき米英の圧迫下に、悲惨な生活を送っていることであろう。傲慢な面をして、同胞を虐げる姿が目に見えるようだ。
↑まったくの誤解であとになれば可笑しいのだが、そのために10年間の潜伏生活をすることになる。
島田覚夫氏は、別に文筆の専門家ではない。ところが文章が、上品かつユーモラスでとても読ませる力がある。軟らかい表現⇔硬い表現・弛緩⇔緊張のバランスが絶妙で文字を追っかけているだけでもうおもしろい。戦前の人は一般人でもこんなに文章力あったんだろうか?年表と照らし合わせると島田氏がパプアに上陸したのは22歳のとき、23歳のときから篭城生活が始まってその後10年余り活字から離れる生活をしていたのにこの文章力はどうなっているんだろう?
読書好きは必読!
おもしろすぎて還って来れないから明日の予定がない晩から読み始めよう!
読み出したら止まらなくなって、結局朝の5:00まで読んで仮眠、ふらふら起きても続きが気になって一気読みした。
お話はこんな感じ。↓
男4人がジャングルの奥地で10年共同生活をしていた。農園を開墾し、狩りにも出かけ毎日毎日朗らかに。いつか迎えに来てくれるであろう友軍をたまには夢想しつつ・・・。
いくら、日本の敗戦を信じられない・敵は近くにまだいるはずだ思っていても、毎日毎日緊張して過ごしてはいられない。だから、日々やれることに精を出す。そして1日の成果にみんなで笑いあう。90%は現地でのおもしろ生活報告だろうか。で、たまに故国を偲ぶ。お正月であったり、誰かが重病になったりしたときに。
レンズをこしらえようと思いつく場面
P.114 ーーー万一火が消えたらもう次に火を得る方法はないのだ。敵の襲撃でも受ければ火をつけてくれるだろうが、これではこちらがたまらない。
極限下での笑えないジョーク。にやにや笑ってしまった。
4人にはとにかく戦況が分からない。
篭城が始まったのは終戦のおよそ1年2ヶ月前、その後オランダが統治し始めたから日本軍はほぼ壊滅で引き上げているんだろう。9年近く終戦を知らないまま過ごしたことになる。4人がパプア原住民と交流するようになったのは1952年のことなので、パプアが独立するかしないかくらいのところだろうか?
原住民に報告してもらっても、拾ってきてもらった敵国(実際にはとっくに終戦していたわけだが)オランダの写真雑誌を見ても何を信じていいのか分からない。
「おかしいなー」 p.348 ーーー万一、日本が敗れたとすれば戦の終わることは考えられる。だが、当時、敵アメリカが「地球上より日本を抹殺する」と宣言したことを思えば、敗れて日本国の存在は到底考えられぬ。恐らく日本の名はすでに失われているはずだ。天皇陛下が健在でおられるなどとは夢にもあり得ないことだ。
・・・・そらそうなりますわな。日本人的発想なら敵軍の将は処刑の一択だろうし、おそらく内地で終戦を迎え新しい生活を始めた人たちですらなにが起こっているのか困惑していたと思う。要するに薄々、日本の敗戦を感じつつも「敗戦=見つかれば死」なので出てくることが出来ないのだ。
普段は平穏な生活をしているのに、なにか事件が起こると「ついにそのときが来たか。いざとなれば自決もかまわない。私たちは弾を分配しそのときを待った」と思い出したかのように戦時の思考が顔を出す。
p.513 ーーー(前略)最悪の場合には日本軍人として恥ずかしくない態度をとるよう、互いに堅く決意を誓い合った。
・・・また始まった・・・やめなさいって・・・。物騒な考え起こすなよー、もうすぐ日本に還れるんだぞー。
p.528 ーーーしかし日本は今、敗戦国なのだ。憎むべき米英の圧迫下に、悲惨な生活を送っていることであろう。傲慢な面をして、同胞を虐げる姿が目に見えるようだ。
↑まったくの誤解であとになれば可笑しいのだが、そのために10年間の潜伏生活をすることになる。
島田覚夫氏は、別に文筆の専門家ではない。ところが文章が、上品かつユーモラスでとても読ませる力がある。軟らかい表現⇔硬い表現・弛緩⇔緊張のバランスが絶妙で文字を追っかけているだけでもうおもしろい。戦前の人は一般人でもこんなに文章力あったんだろうか?年表と照らし合わせると島田氏がパプアに上陸したのは22歳のとき、23歳のときから篭城生活が始まってその後10年余り活字から離れる生活をしていたのにこの文章力はどうなっているんだろう?
読書好きは必読!
おもしろすぎて還って来れないから明日の予定がない晩から読み始めよう!