本のタイトルから想像する内容ではありませんでした。いずれも昭和天皇に関する1980年代および1990年代に発表した9編の論文で、このうちの一つが様々な資料をもとにそのご言行を集めた「陛下ご自身による『天皇論』」でした。
が、昭和の前半に起きた様々なできごとに対する昭和天皇のお立場やお考えを、周辺の方々の日記などの資料をもとに構成されています。その後も様々な資料が出てきていますが、基本的には本書の内容が古びているとは思えません。丹念に資料をあたり、推測は推測として記述する著者の姿勢は、他の著書と変わることはありません。
なお、読了後に読んだ「あとがき」は笑えますよ。
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昭和天皇ご自身による「天皇論」 単行本 – 2006/3/1
半藤 一利
(著)
- 本の長さ218ページ
- 言語日本語
- 出版社五月書房
- 発売日2006/3/1
- ISBN-104772704361
- ISBN-13978-4772704366
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登録情報
- 出版社 : 五月書房 (2006/3/1)
- 発売日 : 2006/3/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 218ページ
- ISBN-10 : 4772704361
- ISBN-13 : 978-4772704366
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,121,293位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1930年、東京・向島生まれ。
東京大学文学部卒業後、文藝春秋入社。松本清張、司馬遼太郎らの担当編集者をつとめる。「週刊文春」「文藝春秋」編集長、取締役などをへて作家。「歴史探偵」を名乗り、おもに近現代史に関する著作を発表。
著書は『日本の一番長い日』、『漱石先生ぞな、もし』(正続、新田次郎文学賞)、『ノモンハンの夏』(山本七平賞)、『幕末史』など多数。『昭和史 1926-1945』『昭和史 戦後篇 1945-1989』で毎日出版文化賞特別賞を受賞。
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2006年4月21日に日本でレビュー済み
事情を知らなければ、この題名を見た読者は、「昭和天皇」へのインタビューかと思いそうである。もちろん、「昭和天皇」は、「天皇論」を公式にも非公式にも語っていない。この書は、『昭和天皇』の行動から『昭和天皇』の考えていたであろう「天皇論」を検証するものである。もちろん、昭和史の語り部である筆者が精魂傾けたのであるから間違いはないが、この題名はいただけない。
さて、昭和天皇は、「君臨するとも統治せず」のイギリス流王室の伝統を皇太子時代のイギリス訪問で体得され、それを実践して来た。ただ、2・26事件について、この「統治せず」に反する「行動」をとられた。歴史的に見て決して間違いではなかったと思うが、このことが、その後の「昭和天皇」の政治に対する「過度の」「不干渉」につながったのではないかと思わせる。
太平洋戦争の開戦を誰よりも望まなかったのは、「昭和天皇」であったことは、開戦の詔勅を発する時に明治天皇の「平和」への和歌を2度までもお読みになったことでよく分かる。「統帥権」を乱用する軍部に対して本当は山のように言いたい事があったのに、黙っていたのも「君臨すれども統治せず」を2・26事件で一時破ったことへの過度の抑制になっていたのではないか?
しかし、終戦の時には、鈴木貫太郎がいた。「ご聖断」として「例外」を使って、対応した。「昭和天皇」二度目の「君臨すれども統治せず」の違反である。
でも、「昭和天皇」の「君臨すれども統治せず」の違反は、いずれも的確な判断であった。歴史の「IF」が許されるなら、「昭和」という時代を「昭和天皇」ご自身に統治させることが出来たら、どうなっていたか、日本は、アジアは、世界は、より良くなっていたのではなかろうかと思う。
さて、昭和天皇は、「君臨するとも統治せず」のイギリス流王室の伝統を皇太子時代のイギリス訪問で体得され、それを実践して来た。ただ、2・26事件について、この「統治せず」に反する「行動」をとられた。歴史的に見て決して間違いではなかったと思うが、このことが、その後の「昭和天皇」の政治に対する「過度の」「不干渉」につながったのではないかと思わせる。
太平洋戦争の開戦を誰よりも望まなかったのは、「昭和天皇」であったことは、開戦の詔勅を発する時に明治天皇の「平和」への和歌を2度までもお読みになったことでよく分かる。「統帥権」を乱用する軍部に対して本当は山のように言いたい事があったのに、黙っていたのも「君臨すれども統治せず」を2・26事件で一時破ったことへの過度の抑制になっていたのではないか?
しかし、終戦の時には、鈴木貫太郎がいた。「ご聖断」として「例外」を使って、対応した。「昭和天皇」二度目の「君臨すれども統治せず」の違反である。
でも、「昭和天皇」の「君臨すれども統治せず」の違反は、いずれも的確な判断であった。歴史の「IF」が許されるなら、「昭和」という時代を「昭和天皇」ご自身に統治させることが出来たら、どうなっていたか、日本は、アジアは、世界は、より良くなっていたのではなかろうかと思う。