本書の著者は、早稻田大學の名譽教授・臼井善隆氏であり、氏は、T.S.エリオットの飜譯でも知られてゐる。本書は、正漢字歴史的假名遣で綴られてゐるが、その理由は、本書にも所收のエリオット著『教育の目的とは何か』の「譯者あとがき」にて明記されてゐる。少し許り、その理由を、私の記憶に基き書いて見ようと思ふ。
英語の表音主義化を主張した、イギリスの左翼知識人達に對して、文字は音を響かせるものではなく、意味を傳へるものだと反論したのが、エリオットだつた。國語國字の傳統の何たるかを知つてゐるイギリス人は、英語を表音主義化する愚擧など行はなかつた。然るに、吾國日本のばあひ、敗戰後の混亂に乘じて、「國語の改良・民主化」の掛け聲の下、一部の勢力により、今日流通してゐる處の略字現代假名遣が、日本國民に押附けられる事となつた。その「國語國字」は、紛ひの國語國字であり、假名遣に到つては、表音主義を謳ひながらも、一方で、表意主義的側面も一部殘すと云ふ甚だ中途半端で、合理性と歴史性に缺けた代物であり、國字に到つても、國字の意味と一貫性が失はれてゐる事は、論を俟たない。英語は今もなほ、表意主義の下、「歴史的假名遣」であり續けてゐるが、吾國の假名遣に於ては、表意主義に基き、歴史性と傳統とを有してゐる「歴史的假名遣」が、一般的に使はれなくなつて久しい。臼井氏は、英文學の泰斗であらせられ、日本と英文學、雙方の傳統を尊重する立場から、正漢字歴史的假名遣で文章を綴られてをられる。
扨、本書の正式名は、『文學と政治・クリスト教――ジョージ・オーウェル、テネシー・ウィリアムズ他』となつてゐるが、私自身の事情からして、テネシー・ウィリアムズ論に就いて語れるだけの、(クリスト教的)經驗と知識は、殘念ながら今の處、有してゐないし、これからも有する事は不可能と思はれる。ウィリアムズの藝術をとほして、知識として、クリスト教的宗教的體驗の何たるかを知る事は可能かも知れないし、その努力は、吾々日本人が歐米を知る爲に必須なものゝ、然し、吾々日本人が、クリスト教的宗教體驗を「直接」得ると云ふ事は、まづ不可能と思はれる。オーウェルに就いては、物書きのみならず、古今東西の人間が、人間らしく生きる爲には、知的誠實を重視せねばならないと云ふ事が、オーウェル論の膽となつてゐる。そして、知的誠實を重視するならば、その生き方は、「政治的選擇以上のもの」でなければならない。日本を例に、私なりに考へて見ると、戰中は軍國主義であつた日本は、敗戰後、軍國主義の「反動」として、平和主義國家へと鞍替へした。私が住んでゐる廣島は、正に日本を象徴してゐる都市と云へ、戰中は軍都、敗戰後は平和都市へと樣變りした。私見だが、廣島程、節操が無い都市はなく、その節操の無さを支へてゐるのが、廣島人のぐうたらな相對的思考な訣だが、このやうな眞の價値基準の缺如は、廣島のみならず、日本全體、日本國民全體に云へると思はれる。要するに、戰中は軍國主義、敗戰後は平和主義と、日本に於ては、國際状況の變化に「隷從」しての、「外發的」な一元論的政治主義の變化しか存在しないと云ふ事である。然し、クリスト教を精神的傳統とする歐米に於ては、恆常的で鞏固な二元論的精神の傳統が連綿として存在し、その精神的傳統の下、歐米の優れた作家や思想家は、物を書いてゐると云ふ事實がある。吾々日本人が、知的誠實を重視するならば、歐米から二元論的思考を學ばねばならない。それは、道徳と政治とを峻別し、道徳を「政治に先行する領域」として重んずる事である。そのやうな事をエリオットやオーウェルから學ぶ事が、西洋精神を學ぶ爲の膽であり、吾々日本人の一人一人が、「より善く生きる」事のヒントになると思はれる。
處で、私が本書で一番印象深い文章は、「福田恆存氏の死を悼む」と云ふ一文である。福田氏が、アメリカ知識人と激論を交はす爲、渡米した際、臼井氏が通譯として同行したエピソードと、福田氏が亡くなられる間近、氏が松原正氏に對して、「長い附合ひだつたね」と仰有つたのを見守つてをられた臼井氏のエピソード、これらが非常に印象的であつた。私事であるが、私も福田氏や臼井氏、松原氏に肖り、不斷は「正字正假名」で文章を書いてゐるし、英語のトレーニングも行つてゐる最中である。私自身が、偉い先生方のやうになれるとは、たうてい思へないものゝ、私なりに日々精進し、自らの「正字正假名」や英語に磨きをかけようと思ふ。
以下、平成二十八年一月一日追記――。
軍國主義と平和主義に就いて、追記して置かうと思ふ。
今日の日本に於ては、「平和主義こそが最高善であり、戰中の軍國主義は否定すべきである」と信じてゐる人が少からずゐる。さう云ふ人達には、平和主義は政治主義的イデオロギーに過ぎないと云ふ認識が決定的に缺けてゐる。今日の吾々は、大方の者が、平和主義の對立概念として軍國主義と云ふ事を考へ、それが戰中の吾國に於て、支配的な影響力を持してゐたと考へ勝ちである。が、吾々が身近な人間(今日の中高年の父母や祖父母、若者の曾祖父母)から學ぶ事が出來るのは、戰中を生きた日本人は、決して、軍國主義の權化抔ではなかつたと云ふ確かな事實である。
軍國主義だの平和主義だのと云ふ政治主義的イデオロギーを賣り物にしてゐるのは、昔も今もマスコミである。そして、戰中の大日本帝國臣民としての日本人は、決して軍國主義の影響抔受けてゐなかつた訣だが、今日の日本に於ては、平和主義の影響を受けてゐる日本國市民が少くないと云ふ違ひがある。

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文學と政治・クリスト教―ジョージ・オーウェル、テネシー・ウィリアムズ他 単行本 – 2014/5/30
臼井 善隆
(著)
- 本の長さ444ページ
- 言語日本語
- 出版社近代文藝社
- 発売日2014/5/30
- ISBN-104773379111
- ISBN-13978-4773379112
登録情報
- 出版社 : 近代文藝社 (2014/5/30)
- 発売日 : 2014/5/30
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 444ページ
- ISBN-10 : 4773379111
- ISBN-13 : 978-4773379112
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,850,472位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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2015年8月7日に日本でレビュー済み
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2015年3月4日に日本でレビュー済み
「特定秘密保護法案や、集団的自衛権を巡る与野党の論争を聴いていると、本書に引用されたジョージ・オ-ウェルの言葉が何一つ古びていないことに驚かされる。政府輿党は『これこれ、しかじかの状況のもとで君はどうするか』といふ問ひに絶えず直面してゐる。が、一方、野党は責任をとる事も、眞に決断を迫られる事もない。(中略)万年野党で、しかも年金付きとなれば、知的堕落は所詮免れまいといふものだ。」オーウェルが作家キプリングを論じつつ、一九三〇年代当時の左翼文化人の偽善を厳しく批判した文章である。。イギリスの帝国主義を擁護し、常に支配階級の一員を自認していたキプリングの姿勢にオーウェルは嫌悪感を隠さない。が、彼は「己が安眠を守ってくれる兵士たちを嘲笑ふ」自称人道主義者や左翼知識人たちの偽善とはかけ離れた「責任感」をキプリングに認めたのである。」(以上、は評論家三浦小太郎の「色あせぬジョージ・オーウェルの警鐘」『正論』からの引用である。)自身社会主義者でありながら、とりわけ左翼や進歩派を自称する、所謂、知識人の偽善を批判し続けたオーウェルのやうな物書きは、日本には、当時も今も存在しない。彼は社会主義者でありながら、左翼全體主義の総本山であるソビエト連邦の實態と悪とを暴露し、左翼のマスコミに干されながら売れぬ原稿を書き続けた。
著者も左翼・進歩派の全盛期に(昭和50年から平成の一桁時代にかけて)寄稿家として保守派のミニコミ「月曜評論」紙で朝日新聞その他のマスコミ批判は無論のこと、丸谷才一、井上靖、西部邁、清水幾太郎などの偽善と知的不誠実を鋭く批判している。
テネシー・ウィリアムズ論やT.S.エリオット論も面白いが、こういうクリスト教と深い関りのある作家やシェイクスピアに關する評論はさて置き、オーウェル論などは、今の日本のマスコミや政治家や「知識人」の多くの實態を知る上で、頗る有益な本だと思う。
著者も左翼・進歩派の全盛期に(昭和50年から平成の一桁時代にかけて)寄稿家として保守派のミニコミ「月曜評論」紙で朝日新聞その他のマスコミ批判は無論のこと、丸谷才一、井上靖、西部邁、清水幾太郎などの偽善と知的不誠実を鋭く批判している。
テネシー・ウィリアムズ論やT.S.エリオット論も面白いが、こういうクリスト教と深い関りのある作家やシェイクスピアに關する評論はさて置き、オーウェル論などは、今の日本のマスコミや政治家や「知識人」の多くの實態を知る上で、頗る有益な本だと思う。