紡ぎだされた思考の文脈。
.内田樹がユダヤ研究と武道に向かった動機は、前者には欧米文化を眼下に睥睨する霊的・知的な高みにあるユダヤ教思想に憧れ、後者には霊的・文化的卓越性の本質をなすものとして伝統的武道があるということであった。
そして、両者とも「アメリカを眼下に睥睨したい」ということに結びつくことが三十数年後に分かった。
.全共闘運動・ベトナム反戦闘争とは、属国のルサンチマンから生まれたある種の自己処罰の運動であった。
「ゲバ棒」とは、上陸してくる米軍を竹槍を以って防ぐという「果たされなかった本土決戦」の記号的再演である。先の戦争で死んでいった青年たちの「供養」であった。
.アメリカ、霞ヶ関、マスメディアの複合体が日本のエスタブリッシュメントを形づくっている。ということを明らかにしたのが鳩山政権の数少ない功績の一つである。
.人を殺すことに忙しいときには自分は殺さない。戦争が始まると自殺者と精神疾患者数は激減する。
.競争原理は、豊かな社会向きルールである。例外的に豊かな時代は終わった。若い女の子たちは、時代の「潮目の変化」を感知している。これからは、エコロジカル・ニッチの方向に進むであろう。
.オイゲン・ヘリゲルの「弓と禅」に射というのは、あなたが射るのではない。「それ」が射るのです。という阿波師範の言葉を伝えている。
近代の「二元論」の枠組みでなくて「射の主体」は、「自分自身の身体の全て」であり、「自分を含む周りの空間の全て」であり、「自分の繋がっているものの全て」であるということである。
.「死者」は、「存在するとは別の仕方」で生きている者たちに生々しく触れてくる。死者たちのメッセージを聞き取ること。それが「礼」の本義である。
私たちの世界を構築しているのは「存在しないもの」である。
と云う風な中身である。
読むことにより何かを生み出すことができるだろう。
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最終講義-生き延びるための六講 (生きる技術!叢書) 単行本(ソフトカバー) – 2011/6/24
内田 樹
(著)
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2011年1月22日に行なわれ、多くの人々に感銘を与えた内田樹先生の最終講義。その最終講義加え、これまで行なわれた先生の講演のなかからよりすぐりの「名演」をまとめて収録。超少子化・超高齢化時代を迎えて日本の進むべき道は? 学びのスイッチを入れるカギはどこにある? 窮地に追いつめられた状況から生き延びる知恵とは?……いまを生きるための切実な課題に答える講演録。
- 本の長さ300ページ
- 言語日本語
- 出版社技術評論社
- 発売日2011/6/24
- 寸法13 x 2 x 18.9 cm
- ISBN-104774147095
- ISBN-13978-4774147093
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登録情報
- 出版社 : 技術評論社 (2011/6/24)
- 発売日 : 2011/6/24
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 300ページ
- ISBN-10 : 4774147095
- ISBN-13 : 978-4774147093
- 寸法 : 13 x 2 x 18.9 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 670,078位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 227位社会学の論文・講演集
- - 29,870位楽譜・スコア・音楽書 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1950(昭和25)年東京都生まれ。東京大学文学部仏文科卒。現在、神戸女学院大学文学部総合文化学科教授。専門はフランス現代思想。ブログ「内田樹の研究室」を拠点に武道(合気道六段)、ユダヤ、教育、アメリカ、中国、メディアなど幅広いテーマを縦横無尽に論じて多くの読者を得ている。『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)で第六回小林秀雄賞受賞、『日本辺境論』(新潮新書)で第三回新書大賞を受賞。二〇一〇年七月より大阪市特別顧問に就任。近著に『沈む日本を愛せますか?』(高橋源一郎との共著、ロッキング・オン)、『もういちど村上春樹にご用心』(アルテスパブリッシング)、『武道的思考』(筑摩選書)、『街場のマンガ論』(小学館)、『おせっかい教育論』(鷲田清一他との共著、140B)、『街場のメディア論』(光文社新書)、『若者よ、マルクスを読もう』(石川康宏との共著、かもがわ出版)などがある。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2012年4月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
著者の最終講義を直接聞けなかったので、この本を買いました。これほど平易な表現で自分の主張を展開できる才能に感銘を受けました。
最終講義−生き延びるための六講 (生きる技術!叢書)
2023年11月25日に日本でレビュー済み
興味深い箇所の多い本だが、最も印象的だったのは222ページからの「素晴らしい校舎には『学びの比喩』が込められている」という章である。
「校舎が人を作る」。著者が勤務していた神戸女学院大学の設計者メレル・ヴォーリズの言葉だ。ヴォーリズの校舎には、「隠し部屋」とか「隠し屋上」など・・そこら中に「隠しなんとか」がある。新入生は全体像がなかなか把握できない。そこここに謎が仕掛けられていて、部屋に入ると、階段を登ると、廊下の奥まで行くと、そこには必ず「次の部屋に続く扉」か窓がある。窓からは「その窓以外のどこからも見えない景色」が見える。
好奇心に駆られて、校舎にさまよいこんだ学生は、その行為の報奨として、「他の誰も見ることができない美しい風景」を受け取ることができる。
これこそ「学びの比喩」だ、と内田はいう。ヴォーリズが校舎を「学びの比喩」を意図して設計したかどうかはわからない。しかし、内田の言葉には同感である。
私は1952年、札幌に生まれた。札幌南小学校、柏中学、旭丘高校に通った。どの学校の校舎も、無限の郷愁と愛をもって思い出す。とくに柏中学は、腰折屋根の美しい校舎で、ヴォーリズほどではないが、わくわくする謎や意外な部屋があった。ひょうたん池を中心に置いた中庭の美しさ、その中庭を窓のむこうに見ながら、モーツァルトを聴いていた音楽のものうげな時間を思い出す。卒業間近のあるときには、屋根裏に巨大な倉庫があることを知って驚いた。
大人になってからも、何度も繰り返し中学の夢を見た。その中で、私は特定の教室に行こうとして、必ず迷う。謎のある校舎だったからこそ、夢でも「迷う」のである。
旭丘高校にも不思議な場所がいくつもあり、これまた卒業後何十年、おそらく100回以上も見た母校の夢の中で、私は謎のドアを開けてみたりした。
以上すべての校舎は、はるか昔に解体された。新たに建てられたのは、旧校舎で過ごした世代の目には、何の変哲もないコンクリートの固まり・・のように映る。もちろん、新校舎で学んだその後の世代は、また別の思いを持っているだろう。ただ、新しい校舎には、もはや中庭は存在せず、「謎」や「意外性」もほとんどなかったことは事実である。
レビューとしてはいかがなものかと思うが、内田の文章で、自分の私的な経験、思いに新たな光を当てられた気がした。ある世代以前の読者には、似たような感興を抱いた人も少なくないのではないか。
内田の所論のすべてに納得できたわけではなく、著者の想像力が時に現実性を失い、虚空をさまよっているような印象を持った箇所もある。しかし、この校舎の話のように、思わずペンをとってサイドラインを引きたくなる部分も多い。それが内田の本を読む楽しみである。
「校舎が人を作る」。著者が勤務していた神戸女学院大学の設計者メレル・ヴォーリズの言葉だ。ヴォーリズの校舎には、「隠し部屋」とか「隠し屋上」など・・そこら中に「隠しなんとか」がある。新入生は全体像がなかなか把握できない。そこここに謎が仕掛けられていて、部屋に入ると、階段を登ると、廊下の奥まで行くと、そこには必ず「次の部屋に続く扉」か窓がある。窓からは「その窓以外のどこからも見えない景色」が見える。
好奇心に駆られて、校舎にさまよいこんだ学生は、その行為の報奨として、「他の誰も見ることができない美しい風景」を受け取ることができる。
これこそ「学びの比喩」だ、と内田はいう。ヴォーリズが校舎を「学びの比喩」を意図して設計したかどうかはわからない。しかし、内田の言葉には同感である。
私は1952年、札幌に生まれた。札幌南小学校、柏中学、旭丘高校に通った。どの学校の校舎も、無限の郷愁と愛をもって思い出す。とくに柏中学は、腰折屋根の美しい校舎で、ヴォーリズほどではないが、わくわくする謎や意外な部屋があった。ひょうたん池を中心に置いた中庭の美しさ、その中庭を窓のむこうに見ながら、モーツァルトを聴いていた音楽のものうげな時間を思い出す。卒業間近のあるときには、屋根裏に巨大な倉庫があることを知って驚いた。
大人になってからも、何度も繰り返し中学の夢を見た。その中で、私は特定の教室に行こうとして、必ず迷う。謎のある校舎だったからこそ、夢でも「迷う」のである。
旭丘高校にも不思議な場所がいくつもあり、これまた卒業後何十年、おそらく100回以上も見た母校の夢の中で、私は謎のドアを開けてみたりした。
以上すべての校舎は、はるか昔に解体された。新たに建てられたのは、旧校舎で過ごした世代の目には、何の変哲もないコンクリートの固まり・・のように映る。もちろん、新校舎で学んだその後の世代は、また別の思いを持っているだろう。ただ、新しい校舎には、もはや中庭は存在せず、「謎」や「意外性」もほとんどなかったことは事実である。
レビューとしてはいかがなものかと思うが、内田の文章で、自分の私的な経験、思いに新たな光を当てられた気がした。ある世代以前の読者には、似たような感興を抱いた人も少なくないのではないか。
内田の所論のすべてに納得できたわけではなく、著者の想像力が時に現実性を失い、虚空をさまよっているような印象を持った箇所もある。しかし、この校舎の話のように、思わずペンをとってサイドラインを引きたくなる部分も多い。それが内田の本を読む楽しみである。
2012年12月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
内田樹さんの「最終講義」を含めた、最終講義からちょっと前の講義までが本書に掲載されています。 ですが、最終講義が最初の章なので、時間的には新し方から過去へと遡っていく形式をとっています。 で、その理由は、自分の考えですが、最終講義ではめっちゃ大きなでも繊細な話が展開されており、そこでのふとした疑問点が、それ以前の数回の講義でひもとかれているからだと思います。 自分が特に印象深かったのは、人文科学に未来はあるのか(あるといいけど)の章笑 ここでの人文科学の必要性に真っ向から疑問を呈する学生とのやりとりが痛快でたまりません。 文学部の自分の背中をちょっと押されたような感じで、とても嬉しかったです笑 内田節の真骨頂を、是非本書を通して体感して下さい。
2014年9月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
もっとステキな内容かと思って期待して買ったんですけど、がっかりしましたー
2011年6月26日に日本でレビュー済み
まだだれもレビューせんのかいな。
しゃあない、アタイが一番乗りしてまお。
まあいつもの話。
なんていうかな、余裕がありすぎる?
平成の植木等?
なんやろ、特にいいたいことなかったらゆわんでええでっていうか。
かまわれたい症候群のベビーブーマーがもう一人。
粗製濫造でもないんやけど。
たとえたらプッチーニの駄作みたいなもんかな〜。
テクッてるでしょうボク、ぼかあキミといるときがいちばん幸せなんだ的な。
築き上げたファン層にだけ向けてしゃべってるっていうのかな〜。
一向に物議をかもさない。
早くネッスンドルマを書いてくれよっていう。
まあ死ぬ間際にでもええ本を書いてくれたらそれでええんやけど。
ドラッカーみたく責任もって社会に、いや世間に提言していかへんのやったら、そら橋本知事に負けてまうよっていう。
安全なとこからゴチョゴチョゆうだけなら、技術的にいくら高くてもそら届かんよっていう。
アホな影響を受けやすい学生相手に「メディアはもうダメ」ゆうてるうちに自分がメディアであることすら忘れてもうてるというか。
まあ、寝転びながらしょーもないレビュー書いてるボクよりはよっぽどマシなんだろうけど。
期待してただけに限界が見えると失望は大きいな〜。
内田先生の復活をのぞむ。
そう、レビナス本とかはわりと力入ってたよな〜。 あれちかぢか文庫化されるんだっけ。 紀伊国屋に買いにいかなっ
おまけ kenichiromogi 結論は一言で、何かやろうとする人を批判するより、自分がやれ。批判するよりも、批判される人になれ、批判されてナンボや、ということですな。他人の揚げ足とりばかりやっている人は、まったく成長しないよ。
levinassien 100%正しく、ラディカルで、実効的な行動以外はすべて微温的で、アリバイ
しゃあない、アタイが一番乗りしてまお。
まあいつもの話。
なんていうかな、余裕がありすぎる?
平成の植木等?
なんやろ、特にいいたいことなかったらゆわんでええでっていうか。
かまわれたい症候群のベビーブーマーがもう一人。
粗製濫造でもないんやけど。
たとえたらプッチーニの駄作みたいなもんかな〜。
テクッてるでしょうボク、ぼかあキミといるときがいちばん幸せなんだ的な。
築き上げたファン層にだけ向けてしゃべってるっていうのかな〜。
一向に物議をかもさない。
早くネッスンドルマを書いてくれよっていう。
まあ死ぬ間際にでもええ本を書いてくれたらそれでええんやけど。
ドラッカーみたく責任もって社会に、いや世間に提言していかへんのやったら、そら橋本知事に負けてまうよっていう。
安全なとこからゴチョゴチョゆうだけなら、技術的にいくら高くてもそら届かんよっていう。
アホな影響を受けやすい学生相手に「メディアはもうダメ」ゆうてるうちに自分がメディアであることすら忘れてもうてるというか。
まあ、寝転びながらしょーもないレビュー書いてるボクよりはよっぽどマシなんだろうけど。
期待してただけに限界が見えると失望は大きいな〜。
内田先生の復活をのぞむ。
そう、レビナス本とかはわりと力入ってたよな〜。 あれちかぢか文庫化されるんだっけ。 紀伊国屋に買いにいかなっ
おまけ kenichiromogi 結論は一言で、何かやろうとする人を批判するより、自分がやれ。批判するよりも、批判される人になれ、批判されてナンボや、ということですな。他人の揚げ足とりばかりやっている人は、まったく成長しないよ。
levinassien 100%正しく、ラディカルで、実効的な行動以外はすべて微温的で、アリバイ
2015年8月22日に日本でレビュー済み
内田先生の本は、ほぼ読んでおりますので、この最終講義は世の中に流布している内田先生の上梓なされた出版物と重なる部分はかなりあります。
ですが、同じ事ばかり繰り返すと受け取るのか、発言はほぼ一貫していると受け取るのか、によってもとらえ方は異なると思います。ある意味、この最終講義は全ての出版物の原点ではないのかと考えておりますし、そうとらえて読まれた方がすんなり入るように思います。
私感ですが、持ち続けている思いの基本線が変わっていないことが、読み返す度に形にならない勇気をたくさんいただくことが出来ているように思われます。
もちろん、内田先生のお考えとすべてがぴったり同じになるという人は誰も居ないと思いますし、内田先生はきっとそんな事は望んでおられないでしょう。
これを読んで、「多様に」考える土台とする事の方を望まれているのではないのでしょうか。
ですが、同じ事ばかり繰り返すと受け取るのか、発言はほぼ一貫していると受け取るのか、によってもとらえ方は異なると思います。ある意味、この最終講義は全ての出版物の原点ではないのかと考えておりますし、そうとらえて読まれた方がすんなり入るように思います。
私感ですが、持ち続けている思いの基本線が変わっていないことが、読み返す度に形にならない勇気をたくさんいただくことが出来ているように思われます。
もちろん、内田先生のお考えとすべてがぴったり同じになるという人は誰も居ないと思いますし、内田先生はきっとそんな事は望んでおられないでしょう。
これを読んで、「多様に」考える土台とする事の方を望まれているのではないのでしょうか。