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ヲ乙女図鑑 (THE WOTOME BOOK 1) 単行本(ソフトカバー) – 2010/9/25
田中 秀幸
(写真)
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購入オプションとあわせ買い
1980年代に生れた「おたく」が、20数年で様々な意味が加わり、呼び名が「ヲタク」と変化しだした頃、いつの間にか男子だけの領域ではなくなっていました。
マイナスイメージをもたれることが多かった当初に比べると、今では「カルチャー」的要素を持つ趣味人の範囲として使われているなど、世間への浸透化が進んでいます。
そして一般的に「可愛い」といわれる女子が、アニメや漫画、ゲーム、コスプレにはまりヲタクを公言するようにもなってきました。
ヲタク女子を総称している言葉は現在「腐女子」といった言葉が主流となっていますが、本書籍では様々なカルチャーヲタクの女子を新しく「ヲ乙女(をとめ)」と呼び、ヲタクで可憐な乙女が過去を独白。
ゲーム、アニメ、BLはもちろん、歴史、鉄道、ミリタリーなど様々な分野のヲ乙女達総勢29名が140ページに及ぶ生の声で紹介します。
まさに〝可愛すぎるヲタク〝として彼女たちを取り上げた初の書籍となります。
主要掲載者
加藤夏希/ 喜屋武ちあき/原田まりる/七海綾音/松島初音/乃亜/杏野はるな/能登有沙/サオリリス/斉藤雪乃/史絵./天野あい/美甘子/小日向えり/北村ひとみ/オオゴシトモエ/鈴木咲/上住マリア/市川友理/相原みぃ/加戸ひなた
マイナスイメージをもたれることが多かった当初に比べると、今では「カルチャー」的要素を持つ趣味人の範囲として使われているなど、世間への浸透化が進んでいます。
そして一般的に「可愛い」といわれる女子が、アニメや漫画、ゲーム、コスプレにはまりヲタクを公言するようにもなってきました。
ヲタク女子を総称している言葉は現在「腐女子」といった言葉が主流となっていますが、本書籍では様々なカルチャーヲタクの女子を新しく「ヲ乙女(をとめ)」と呼び、ヲタクで可憐な乙女が過去を独白。
ゲーム、アニメ、BLはもちろん、歴史、鉄道、ミリタリーなど様々な分野のヲ乙女達総勢29名が140ページに及ぶ生の声で紹介します。
まさに〝可愛すぎるヲタク〝として彼女たちを取り上げた初の書籍となります。
主要掲載者
加藤夏希/ 喜屋武ちあき/原田まりる/七海綾音/松島初音/乃亜/杏野はるな/能登有沙/サオリリス/斉藤雪乃/史絵./天野あい/美甘子/小日向えり/北村ひとみ/オオゴシトモエ/鈴木咲/上住マリア/市川友理/相原みぃ/加戸ひなた
- 本の長さ160ページ
- 言語日本語
- 出版社壽屋
- 発売日2010/9/25
- 寸法15.1 x 1.6 x 21.1 cm
- ISBN-104775308505
- ISBN-13978-4775308509
登録情報
- 出版社 : 壽屋 (2010/9/25)
- 発売日 : 2010/9/25
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 160ページ
- ISBN-10 : 4775308505
- ISBN-13 : 978-4775308509
- 寸法 : 15.1 x 1.6 x 21.1 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 749,803位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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2014年1月8日に日本でレビュー済み
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田中秀幸著「ヲ乙女図鑑」は、数多くのヲタクの若い女性の部屋を見せてくれる。乃亜ファンである批評子は、それらの中でも乃亜篇に絞って議論しようと思う。
17世紀にフランスの哲学者ルネ・デカルトが解析幾何学をはじめた。それは、数学という元来数値によるデジタル化された情報をグラフを使って視覚化したことを大まかに意味する。それは単に数学世界にとどまらず、一般市民社会の精神あり方にも影響を与えことになった。つまり同じ世紀のオランダの画家フェルメールの絵画に表れるような何の変哲もない市民の私室が絵画の主題として取り上げられるようになった。それは、その部屋に暮らす人の精神の内側と同じだということを意味している。人は部屋なりそして部屋は人なりである。
それ故に、これらのヲ乙女達の私室は、彼女達の精神の内側の見事な反映なのである。そこには彼女達が精魂込めて蒐集した関心のある事物が収容されているからである。したがって、その観点から乃亜の私室を見ると、そこには木製ボード上の大きなテレビモニター画面、トール型のサラウンドスピーカー、プリメインアンプ、ガラス天板の楕円形テーブル、座椅子、ファクス兼用固定電話、大きな花瓶とそこに植えられた観葉植物、ゲームソフト数点そしてゲーム機を両手にもつ乃亜があるだけである。ゲームソフトという媒体に全てのコンテンツが詰まっているので、彼女の部屋には彼女の精神の内側を見せてくれるものはなにもない。カラフルであるが、彼女の精神の内側を見せてくれるものがなにもないのである。乃亜は、17世紀以来西洋哲学のインテリアという概念を単なる部屋の飾りとしてのインテリアに格下げしてしまったのである。その意味で、2004年にSODが彼女を最初に売り出し同社のイメージガールに指名した際に使ったコピー「デジタルアイドル」はまことに正鵠を射たものである。
ただし、全てデジタル化されたコンテンツの世界が彼女の精神の内側であるとしても、彼女が整理整頓そして奇麗好きであることは数葉の写真からでも判断することが出来る。
しかし、その後、Twitterの「電撃 乃亜流ゲームコラム第3回」に掲載されている写真は、恐らく乃亜自身の寝室で撮影したもののようである。そこには寝台に斜めに横たわり、上半身を起こしながらゲーム機を携える乃亜が映っている。彼女の出で立ちは、豊かな黒髪をアップに結い、濃紺のセーターと同色のパンタロンというものである。しかし、痩身の方が暗色の衣装で身をかためると、痩身が強調され過ぎることになり、彼女には余り似合わない結果となる。ここでこの写真情報を取り上げたのは、この寝室に乃亜の精神の内側(インテリア)を批評子は窺うことができるからである。そこは白色を基調とし、寝台の角にはいつくものハート型の色彩に富んだ風船のようなものが紐で固定されているかのような室内装飾がなされている。また、サイドテーブルには細長い花瓶に黄色の大輪の花が一輪生けられている。この寝室印象は、全体として極めて少女的な夢見るような空想に満ちたものである。このような色彩に満ちた夢見るような少女の空想の空間こそがゲームにおける壮絶なゾンビークトノス(ゾンビの殺戮者)そしてヴェテランAV女優としての乃亜の真の姿であるように思われる。
肝心の彼女の共同住宅はどこにあるのか。写真から判断すると、山も丘もない平野がひろく広がっている場所にたつ共同住宅の、恐らく7〜8階に私邸はあるように思われる。しかも彼女はよく高雄山に登るので、恐らく京王線の沿線に住まいがあるように思われる。
しかし、批評子にとって二つだけ気になったことがある。ひとつは、彼女が将来を誓い合った男性が高校卒業後すぐにクモ膜下出血かなにかで急死した後、彼という血と肉と骨から成り立つ存在がいる現実世界と仮想空間の視覚だけのイメージがいるゲーム世界とのバランスが崩壊し、後者だけが乃亜がかかわる世界として残ったと。肝心の著者がそれについて何も掘り下げないので、それをもう少し分かりやすく説明することが彼女よりも年配でそのマニアを自称する批評子にとっては責務であるように思う。つまり、ゲーム世界のおける人格は、飽くまでも人工的な創造物である以上、なにか触感で感じることができる人間関係の現実を与えてくれない。そのような人肌の触感は、恋人のような存在を通し容易に獲得することが可能である。しかし、そのために必要な社交性を乃亜はもっとも不得意とする以上、日常ではほぼ不可能に等しい。したがって、その感覚を、それについて乃亜に選択の余地がないとは言え、彼女にそれを提供し、しかもそれとたっぷりと触れることによって現実世界との均衡を取り戻し、乃亜にとっては御礼したいくらいなのに、逆に高額な出演料まで支払ってくれ、そして最後に彼女に名声までもたらしてくれるAV界は、乃亜にとっての現実世界とのゲーム世界との均衡をとってくれる重宝な産業機構なのである。もし乃亜自身の趣向に即した男性を求めたい場合には、ネット上の出会い系サイトで探すことが出来る。それ故に、乃亜は自身からは決してAV界からは身を引くことはないであろう。
もうひとつ批評子が言及したい点は、記事の最後に掲載されている乃亜の理想のゲームに現実世界と平行したパラレルゲームを挙げたことである。そこで彼女は、現実には充足することが出来ない欲望を彼女の周囲の実在の人間を相手にとげること、つまり求婚することもそして殺すことも可能なゲームが制作されればいいなと。ゲーマーとはそれぞれのゲームで自らのサヴァイヴァルばかりに心を占有されるあまりにとうとう最後にはこのような生殺与奪の権力をゲーマー自己の周囲に人々にまでも行使してみようという心性を養成してしまうものなのですね。あぁ、恐ろしや。乃亜よ!是非ともステファン・ツヴァイクの短編小説「チェスの話」(みすず書房)を読むといい。後生だ!!!
それに関して、この書の末尾に、無記名で自由回答のアンケートがあり、三つの願い事は何かについて14名の方からの回答が掲載されている。そのひとつは乃亜からの回答であるように思われる。好きなジャンルをもっと有名に、眠くならないで体そしてもっと長い一日をである。読者諸兄は如何お考えであろうか。
最後に、著者がなにも解釈しないと上記で不満を述べたが、やはりもう一度そうせざるを得ない。それは、乃亜が高校二年生で家を出て自らモデルのバイトで稼ぐ資金で家を借りたとあることに対してである。この事実は、もっと吟味されて然るべきである。なぜなら標準的な我が国の家庭では、高校二年生の女子高生が一人で暮らすことは、まず家族も学校も許さないのが当たり前である。それには当然家庭が学校に何もその事実を伝えなかったから、乃亜がそう出来たことを意味している。つまり彼女は、家族と絶縁したからである。何のためにそうしたのか、それは当時の最愛の友とより容易に逢瀬を楽しみたかったためであろう。彼女が家族を絶縁することに踏み切らせた理由もここにあるように思われる。毎日彼との逢瀬で帰宅の遅い乃亜を咎める家人に、恐らく母に乃亜が絶縁したのであろう。それほど乃亜と彼女の家族との縁は薄かったのであろうか。「フラッシュ・エキサイティング」(2004年12月5日増刊号)には、幼少時から高校生に至る様々な乃亜の写真が提供されていて、幼児から小学校の高学年に至までの家族の愛のもとでの幸せな子供時代の愛らしい姿が見られる。ところが、この書だけではなく他の雑誌でも同じように、彼女が生い立ちを語る際に、いつも自らのゲーム人生の事始めに実父からの影響であると言及するにもかかわらず、母については一度たりとも言及したことがない。それならば彼女の家族との破局は、乃亜の頑な態度に怒った母が強行に父に促したのかもしれない。それ故に、容易に彼女は家族を捨てたのである。そして彼女は、大学への進学を放棄し最愛の友と人生を共有することを選択したのである。しかし、まさに好事魔多しとはこのことで、将来において人生の伴侶となり、共に働き家庭を築くはずの肝心要のその友人が急死する。その結果、自殺も辞さないような精神の危機に陥った弱冠19歳の乃亜は、生を受けた浮き世を生き延びるための方便として高報酬を得られるAV界に活路を求め、しかも上述したように、そうすることによってゲームの仮想の世界とこの世の現実との繋ぐための接点をセックスという人肌との接触に見つけ出すことになった。
この書の筆者は、取材対象とその言説を解釈し考察することをしないので、その書は全体として浅薄な印象を与えざるをえない。それにもかかわらず、とにもかくにも乃亜の頁に関しては、それが彼女について多くの情報を提供する記事であることに間違いない。
17世紀にフランスの哲学者ルネ・デカルトが解析幾何学をはじめた。それは、数学という元来数値によるデジタル化された情報をグラフを使って視覚化したことを大まかに意味する。それは単に数学世界にとどまらず、一般市民社会の精神あり方にも影響を与えことになった。つまり同じ世紀のオランダの画家フェルメールの絵画に表れるような何の変哲もない市民の私室が絵画の主題として取り上げられるようになった。それは、その部屋に暮らす人の精神の内側と同じだということを意味している。人は部屋なりそして部屋は人なりである。
それ故に、これらのヲ乙女達の私室は、彼女達の精神の内側の見事な反映なのである。そこには彼女達が精魂込めて蒐集した関心のある事物が収容されているからである。したがって、その観点から乃亜の私室を見ると、そこには木製ボード上の大きなテレビモニター画面、トール型のサラウンドスピーカー、プリメインアンプ、ガラス天板の楕円形テーブル、座椅子、ファクス兼用固定電話、大きな花瓶とそこに植えられた観葉植物、ゲームソフト数点そしてゲーム機を両手にもつ乃亜があるだけである。ゲームソフトという媒体に全てのコンテンツが詰まっているので、彼女の部屋には彼女の精神の内側を見せてくれるものはなにもない。カラフルであるが、彼女の精神の内側を見せてくれるものがなにもないのである。乃亜は、17世紀以来西洋哲学のインテリアという概念を単なる部屋の飾りとしてのインテリアに格下げしてしまったのである。その意味で、2004年にSODが彼女を最初に売り出し同社のイメージガールに指名した際に使ったコピー「デジタルアイドル」はまことに正鵠を射たものである。
ただし、全てデジタル化されたコンテンツの世界が彼女の精神の内側であるとしても、彼女が整理整頓そして奇麗好きであることは数葉の写真からでも判断することが出来る。
しかし、その後、Twitterの「電撃 乃亜流ゲームコラム第3回」に掲載されている写真は、恐らく乃亜自身の寝室で撮影したもののようである。そこには寝台に斜めに横たわり、上半身を起こしながらゲーム機を携える乃亜が映っている。彼女の出で立ちは、豊かな黒髪をアップに結い、濃紺のセーターと同色のパンタロンというものである。しかし、痩身の方が暗色の衣装で身をかためると、痩身が強調され過ぎることになり、彼女には余り似合わない結果となる。ここでこの写真情報を取り上げたのは、この寝室に乃亜の精神の内側(インテリア)を批評子は窺うことができるからである。そこは白色を基調とし、寝台の角にはいつくものハート型の色彩に富んだ風船のようなものが紐で固定されているかのような室内装飾がなされている。また、サイドテーブルには細長い花瓶に黄色の大輪の花が一輪生けられている。この寝室印象は、全体として極めて少女的な夢見るような空想に満ちたものである。このような色彩に満ちた夢見るような少女の空想の空間こそがゲームにおける壮絶なゾンビークトノス(ゾンビの殺戮者)そしてヴェテランAV女優としての乃亜の真の姿であるように思われる。
肝心の彼女の共同住宅はどこにあるのか。写真から判断すると、山も丘もない平野がひろく広がっている場所にたつ共同住宅の、恐らく7〜8階に私邸はあるように思われる。しかも彼女はよく高雄山に登るので、恐らく京王線の沿線に住まいがあるように思われる。
しかし、批評子にとって二つだけ気になったことがある。ひとつは、彼女が将来を誓い合った男性が高校卒業後すぐにクモ膜下出血かなにかで急死した後、彼という血と肉と骨から成り立つ存在がいる現実世界と仮想空間の視覚だけのイメージがいるゲーム世界とのバランスが崩壊し、後者だけが乃亜がかかわる世界として残ったと。肝心の著者がそれについて何も掘り下げないので、それをもう少し分かりやすく説明することが彼女よりも年配でそのマニアを自称する批評子にとっては責務であるように思う。つまり、ゲーム世界のおける人格は、飽くまでも人工的な創造物である以上、なにか触感で感じることができる人間関係の現実を与えてくれない。そのような人肌の触感は、恋人のような存在を通し容易に獲得することが可能である。しかし、そのために必要な社交性を乃亜はもっとも不得意とする以上、日常ではほぼ不可能に等しい。したがって、その感覚を、それについて乃亜に選択の余地がないとは言え、彼女にそれを提供し、しかもそれとたっぷりと触れることによって現実世界との均衡を取り戻し、乃亜にとっては御礼したいくらいなのに、逆に高額な出演料まで支払ってくれ、そして最後に彼女に名声までもたらしてくれるAV界は、乃亜にとっての現実世界とのゲーム世界との均衡をとってくれる重宝な産業機構なのである。もし乃亜自身の趣向に即した男性を求めたい場合には、ネット上の出会い系サイトで探すことが出来る。それ故に、乃亜は自身からは決してAV界からは身を引くことはないであろう。
もうひとつ批評子が言及したい点は、記事の最後に掲載されている乃亜の理想のゲームに現実世界と平行したパラレルゲームを挙げたことである。そこで彼女は、現実には充足することが出来ない欲望を彼女の周囲の実在の人間を相手にとげること、つまり求婚することもそして殺すことも可能なゲームが制作されればいいなと。ゲーマーとはそれぞれのゲームで自らのサヴァイヴァルばかりに心を占有されるあまりにとうとう最後にはこのような生殺与奪の権力をゲーマー自己の周囲に人々にまでも行使してみようという心性を養成してしまうものなのですね。あぁ、恐ろしや。乃亜よ!是非ともステファン・ツヴァイクの短編小説「チェスの話」(みすず書房)を読むといい。後生だ!!!
それに関して、この書の末尾に、無記名で自由回答のアンケートがあり、三つの願い事は何かについて14名の方からの回答が掲載されている。そのひとつは乃亜からの回答であるように思われる。好きなジャンルをもっと有名に、眠くならないで体そしてもっと長い一日をである。読者諸兄は如何お考えであろうか。
最後に、著者がなにも解釈しないと上記で不満を述べたが、やはりもう一度そうせざるを得ない。それは、乃亜が高校二年生で家を出て自らモデルのバイトで稼ぐ資金で家を借りたとあることに対してである。この事実は、もっと吟味されて然るべきである。なぜなら標準的な我が国の家庭では、高校二年生の女子高生が一人で暮らすことは、まず家族も学校も許さないのが当たり前である。それには当然家庭が学校に何もその事実を伝えなかったから、乃亜がそう出来たことを意味している。つまり彼女は、家族と絶縁したからである。何のためにそうしたのか、それは当時の最愛の友とより容易に逢瀬を楽しみたかったためであろう。彼女が家族を絶縁することに踏み切らせた理由もここにあるように思われる。毎日彼との逢瀬で帰宅の遅い乃亜を咎める家人に、恐らく母に乃亜が絶縁したのであろう。それほど乃亜と彼女の家族との縁は薄かったのであろうか。「フラッシュ・エキサイティング」(2004年12月5日増刊号)には、幼少時から高校生に至る様々な乃亜の写真が提供されていて、幼児から小学校の高学年に至までの家族の愛のもとでの幸せな子供時代の愛らしい姿が見られる。ところが、この書だけではなく他の雑誌でも同じように、彼女が生い立ちを語る際に、いつも自らのゲーム人生の事始めに実父からの影響であると言及するにもかかわらず、母については一度たりとも言及したことがない。それならば彼女の家族との破局は、乃亜の頑な態度に怒った母が強行に父に促したのかもしれない。それ故に、容易に彼女は家族を捨てたのである。そして彼女は、大学への進学を放棄し最愛の友と人生を共有することを選択したのである。しかし、まさに好事魔多しとはこのことで、将来において人生の伴侶となり、共に働き家庭を築くはずの肝心要のその友人が急死する。その結果、自殺も辞さないような精神の危機に陥った弱冠19歳の乃亜は、生を受けた浮き世を生き延びるための方便として高報酬を得られるAV界に活路を求め、しかも上述したように、そうすることによってゲームの仮想の世界とこの世の現実との繋ぐための接点をセックスという人肌との接触に見つけ出すことになった。
この書の筆者は、取材対象とその言説を解釈し考察することをしないので、その書は全体として浅薄な印象を与えざるをえない。それにもかかわらず、とにもかくにも乃亜の頁に関しては、それが彼女について多くの情報を提供する記事であることに間違いない。