宙出版「ああ玉砕」のコンパクト版。
「セントジョージ岬」(「総員玉砕せよ」の幻のショート版)
「硫黄島の白い旗」
「地獄と天国」
「駆逐艦魂」
「海の男」
「戦争と日本」
水木先生へのロング・インタビューもちゃんと収録されてます。

無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
水木しげるの戦記選集 (ミッシィコミックス) コミック – 2010/7/1
水木 しげる
(著)
- 言語日本語
- 出版社宙出版
- 発売日2010/7/1
- ISBN-104776729628
- ISBN-13978-4776729624
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。

1922年、鳥取県生まれ。漫画「ゲゲゲの鬼太郎」「悪魔くん」など著書多数。1991年、紫綬褒章受章。妖怪と精霊を求めて全世界を旅する。1996年 に郷里の境港市に「水木しげるロード」を設立し、「世界妖怪協会」の会長に就任、「世界妖怪会議」を開催する。2003年、旭日小綬章受章(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『姑娘』(ISBN-10:406276735X)が刊行された当時に掲載されていたものです)
カスタマーレビュー
星5つ中4.5つ
5つのうち4.5つ
5グローバルレーティング
評価はどのように計算されますか?
全体的な星の評価と星ごとの割合の内訳を計算するために、単純な平均は使用されません。その代わり、レビューの日時がどれだけ新しいかや、レビューアーがAmazonで商品を購入したかどうかなどが考慮されます。また、レビューを分析して信頼性が検証されます。
イメージ付きのレビュー

5 星
「ああ玉砕」のコンパクト版
宙出版「ああ玉砕」のコンパクト版。「セントジョージ岬」(「総員玉砕せよ」の幻のショート版)「硫黄島の白い旗」「地獄と天国」「駆逐艦魂」「海の男」「戦争と日本」 水木先生へのロング・インタビューもちゃんと収録されてます。
フィードバックをお寄せいただきありがとうございます
申し訳ありませんが、エラーが発生しました
申し訳ありませんが、レビューを読み込めませんでした
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2022年11月25日に日本でレビュー済み
水木しげるは、子供の頃から妖怪マンガで楽しんでいた。
大人になって、戦記物マンガを描いていたことを知り、(もう平成に入っていた)「総員玉砕せよ」「コミック昭和史」いずれもあまりの救いのなさ、暗鬱さに「これはまったく違うマンガ家だ」と妖怪ものを読む意識とは切り離して読むようになった。
…という方はけっこう多いのではなかろうか?
冒頭、昭和20年3月の「セントジョージ岬」で、玉砕と発表されたあとで生き残っていた部隊の将校たちは「死の使者」を待っていた…とあり、一旦全滅ないし玉砕と発表された以上「皇国のために死んでいる」者が生きている事は許されない→改めて「使い捨てにされて必ず全滅必至の戦闘に行って死ね」
日本軍は自分のメンツのためには同国民を殺す権限があったらしい。
この日本軍の官僚の発想は誰が導入し、それを是としていたのだろう?
他の本だが、安岡章太郎「ぼくの昭和史」でも昭和12年時点で「敗北したら自決させられる」覚悟を持たされていたのが一般の「空気」であったことを書いていたので、それに対して明確に反対の声も上げなかった一般国民が結局は「負け犬は死」という哲学を支持していた、と言われたら当時の日本人たち本人は当然不本意だろうが、後世からそう見られてもやむを得ない。
強いられての服従であれ、暗黙の同意は賛成と参加、つまりは当事者と見られるのである。
同国人の子孫でも、皇軍官僚がどのような付託を受けて国民を死地に追いやる命令を出せるのか不可解なのだから、外国人にはいっそう不可解だろう。
山本七平「これからの日本人」で、昭和初期の新聞は大正年間の世界的視野を持っていて後世にも理解可能だが、軍の支配が完成したあとの昭和5-6年から20年の新聞は戦後の日本人自身にも理解できなくなり、その時代に生きていた人間でなければ理解できない同調圧力、時代の変化によって醸成された時代精神は、それが破綻するや否や、他人からは理解を絶す異世界になる、と喝破していたが、冒頭数十ページの短編で、こうした精神のなかで生きて行かねばならない兵士の生は地獄よりも地獄で、この政体が持続不可能なのは当然であり、大日本帝国の敗北、亡国という結果を祝福した。
この空気、この時代を作り出した日本人の狂気を考えさせられた。
一度それをした以上、未来の戦争時代においてそれを再現しかねない。
戦線から生還した兵士を「英雄」として讃えるのではなく(中田整一「トレイシー」では、同時代の米兵が歓呼の声で迎えられている姿が描かれている)、「恥」として自決させ、または再び玉砕の死地に追いやる発想になったことを知らなければ、次の戦争においても日本人は他者には理解しがたい自己陶酔の美学で青年男子を自決・自滅させ、敵国から見れば日本軍そのものが頼みもしないのに自ら自軍の兵力を削る「利敵行為」を遂行してくれる協力者となる。
「辱しめを受けぬ」美学は、他国からは単に自己陶酔の自国民の自殺強要となる自滅行為をしかねない。百歩譲って敗北した兵士はことごとく自殺を命じるという哲学を容認したとしても、偽悪的に言えばそれは国力の浪費である。
…その空気の中では、今でこそ「狂気」と指摘する筆者も大勢に巻き込まれ、どうみてもおかしいと思いながらその空気に敵し得ず、敗軍は自決し、自分が兵隊だったらそれを当然として自死を選ばされる発想に巻き込まれる陥穽があるので、自分ごとになったとしたらどうしようという恐怖のなかで読んだ。
筆者は日本が戦争を政治手段として持つことは、こうした戦争を使いこなすことが出来ない以外に、その経済的コストからも反対なのだが。なお2022年、ロシアの青年が万単位でさっさと逃亡したのは、大日本帝国の再来のようなウラジミール・プーチンの戦争ぶりとはいえ、21世紀は国外逃亡という適応が進んでいることは文明の進歩というべきか。
それ以外にも、妻子を残して死ぬ将校の思いを描き、青年だけではなく中年の立場から見た戦争を描いた「海の男」や、水木しげる本人が現地社会に溶け込んでいく「地獄と天国」(かなり異端の日本兵だったと思わせる…さすがに妖怪マンガを描いただけはある)と、とぼけた味、または視点を変えた目線で描いた戦争だったが、そうした視点はおそらく生き残るため敢えて悲惨から目を背け、生きる工夫としてそうした視点から戦争を捉えた結果と思える。
重苦しく、救いがない。
戦争の前に、こうした敗北=死の強制があり、参戦者自身は自分の死を覚悟しての戦争というややこしい前提を持った戦争を、他国人はどれだけ理解できるだろうか。
そうした空気を作り出した国家の子孫であることを忘れず、その点は警戒を忘れず生きていくことにしたい。
日本人が戦争を再度、政治手段として使用するには、まだ課題があると思う。
他国民も自国民も問わず、作戦上の必要性以上・以外の理由で自軍の兵士の死を容認せず、自分の誤りを認められない、自己修正機能がない、官僚のメンツで死を命じることが出来る愚劣を排し、戦争の世界的なルールを徹底し、さらに政治手段としての戦争を自覚して、その犠牲の範囲や敗北・勝利のあとの出口作戦まで想定し、つまりは戦争を使いこなす政治的成熟がなければ、到底、戦争という高度な政治手段を使う資格はないのではないだろうか。
深く考えさせられた。
大人のための歴史マンガ、学習マンガだろうか。
いや、この過去の教訓を避けなければ現在進行形になり、未来形でもありえる問題提起のマンガだった。さきの大戦での教訓を学んでいると思いたいが、杞憂だとしてもそうした狂気を忘れないようにしたい。筆者はそう思っている。
大人になって、戦記物マンガを描いていたことを知り、(もう平成に入っていた)「総員玉砕せよ」「コミック昭和史」いずれもあまりの救いのなさ、暗鬱さに「これはまったく違うマンガ家だ」と妖怪ものを読む意識とは切り離して読むようになった。
…という方はけっこう多いのではなかろうか?
冒頭、昭和20年3月の「セントジョージ岬」で、玉砕と発表されたあとで生き残っていた部隊の将校たちは「死の使者」を待っていた…とあり、一旦全滅ないし玉砕と発表された以上「皇国のために死んでいる」者が生きている事は許されない→改めて「使い捨てにされて必ず全滅必至の戦闘に行って死ね」
日本軍は自分のメンツのためには同国民を殺す権限があったらしい。
この日本軍の官僚の発想は誰が導入し、それを是としていたのだろう?
他の本だが、安岡章太郎「ぼくの昭和史」でも昭和12年時点で「敗北したら自決させられる」覚悟を持たされていたのが一般の「空気」であったことを書いていたので、それに対して明確に反対の声も上げなかった一般国民が結局は「負け犬は死」という哲学を支持していた、と言われたら当時の日本人たち本人は当然不本意だろうが、後世からそう見られてもやむを得ない。
強いられての服従であれ、暗黙の同意は賛成と参加、つまりは当事者と見られるのである。
同国人の子孫でも、皇軍官僚がどのような付託を受けて国民を死地に追いやる命令を出せるのか不可解なのだから、外国人にはいっそう不可解だろう。
山本七平「これからの日本人」で、昭和初期の新聞は大正年間の世界的視野を持っていて後世にも理解可能だが、軍の支配が完成したあとの昭和5-6年から20年の新聞は戦後の日本人自身にも理解できなくなり、その時代に生きていた人間でなければ理解できない同調圧力、時代の変化によって醸成された時代精神は、それが破綻するや否や、他人からは理解を絶す異世界になる、と喝破していたが、冒頭数十ページの短編で、こうした精神のなかで生きて行かねばならない兵士の生は地獄よりも地獄で、この政体が持続不可能なのは当然であり、大日本帝国の敗北、亡国という結果を祝福した。
この空気、この時代を作り出した日本人の狂気を考えさせられた。
一度それをした以上、未来の戦争時代においてそれを再現しかねない。
戦線から生還した兵士を「英雄」として讃えるのではなく(中田整一「トレイシー」では、同時代の米兵が歓呼の声で迎えられている姿が描かれている)、「恥」として自決させ、または再び玉砕の死地に追いやる発想になったことを知らなければ、次の戦争においても日本人は他者には理解しがたい自己陶酔の美学で青年男子を自決・自滅させ、敵国から見れば日本軍そのものが頼みもしないのに自ら自軍の兵力を削る「利敵行為」を遂行してくれる協力者となる。
「辱しめを受けぬ」美学は、他国からは単に自己陶酔の自国民の自殺強要となる自滅行為をしかねない。百歩譲って敗北した兵士はことごとく自殺を命じるという哲学を容認したとしても、偽悪的に言えばそれは国力の浪費である。
…その空気の中では、今でこそ「狂気」と指摘する筆者も大勢に巻き込まれ、どうみてもおかしいと思いながらその空気に敵し得ず、敗軍は自決し、自分が兵隊だったらそれを当然として自死を選ばされる発想に巻き込まれる陥穽があるので、自分ごとになったとしたらどうしようという恐怖のなかで読んだ。
筆者は日本が戦争を政治手段として持つことは、こうした戦争を使いこなすことが出来ない以外に、その経済的コストからも反対なのだが。なお2022年、ロシアの青年が万単位でさっさと逃亡したのは、大日本帝国の再来のようなウラジミール・プーチンの戦争ぶりとはいえ、21世紀は国外逃亡という適応が進んでいることは文明の進歩というべきか。
それ以外にも、妻子を残して死ぬ将校の思いを描き、青年だけではなく中年の立場から見た戦争を描いた「海の男」や、水木しげる本人が現地社会に溶け込んでいく「地獄と天国」(かなり異端の日本兵だったと思わせる…さすがに妖怪マンガを描いただけはある)と、とぼけた味、または視点を変えた目線で描いた戦争だったが、そうした視点はおそらく生き残るため敢えて悲惨から目を背け、生きる工夫としてそうした視点から戦争を捉えた結果と思える。
重苦しく、救いがない。
戦争の前に、こうした敗北=死の強制があり、参戦者自身は自分の死を覚悟しての戦争というややこしい前提を持った戦争を、他国人はどれだけ理解できるだろうか。
そうした空気を作り出した国家の子孫であることを忘れず、その点は警戒を忘れず生きていくことにしたい。
日本人が戦争を再度、政治手段として使用するには、まだ課題があると思う。
他国民も自国民も問わず、作戦上の必要性以上・以外の理由で自軍の兵士の死を容認せず、自分の誤りを認められない、自己修正機能がない、官僚のメンツで死を命じることが出来る愚劣を排し、戦争の世界的なルールを徹底し、さらに政治手段としての戦争を自覚して、その犠牲の範囲や敗北・勝利のあとの出口作戦まで想定し、つまりは戦争を使いこなす政治的成熟がなければ、到底、戦争という高度な政治手段を使う資格はないのではないだろうか。
深く考えさせられた。
大人のための歴史マンガ、学習マンガだろうか。
いや、この過去の教訓を避けなければ現在進行形になり、未来形でもありえる問題提起のマンガだった。さきの大戦での教訓を学んでいると思いたいが、杞憂だとしてもそうした狂気を忘れないようにしたい。筆者はそう思っている。