リズムと勢いは感じますが
狙って書いたようなギャグやたとえがあまり面白くないというか、
無理矢理入れました的なものをつよく感じました。
ネタ的なものがかなり多くありますが
著者の年齢のわりにはちょっと感覚が古いような気がします。
もう少し笑えるか楽しめる本を期待していたので
ほとんどツボにくるところがなく残念・・・。
また、全体としても、薄っぺらい内容を余計な言葉で肉付けした感じで
読み終わった後に特に残るものもなく。
リズムと勢いがあるところが救いなのかな。
プライム無料体験をお試しいただけます
プライム無料体験で、この注文から無料配送特典をご利用いただけます。
非会員 | プライム会員 | |
---|---|---|
通常配送 | ¥410 - ¥450* | 無料 |
お急ぎ便 | ¥510 - ¥550 | |
お届け日時指定便 | ¥510 - ¥650 |
*Amazon.co.jp発送商品の注文額 ¥3,500以上は非会員も無料
無料体験はいつでもキャンセルできます。30日のプライム無料体験をぜひお試しください。
無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
ほんたにちゃん (本人本 3) 単行本 – 2008/3/20
{"desktop_buybox_group_1":[{"displayPrice":"¥1,430","priceAmount":1430.00,"currencySymbol":"¥","integerValue":"1,430","decimalSeparator":null,"fractionalValue":null,"symbolPosition":"left","hasSpace":false,"showFractionalPartIfEmpty":true,"offerListingId":"L8g4xbmXJsT9tnuerjW3jEGDtm8iP06ktYf%2FiOXiaoMBpXfdcCKFx6C%2BeeI8kuANj0AiM5geI591wJ5oG3FJAWcD8k4XF0Xsyx8k7LgrkOHbq6MWNZDJBD%2BdEX7jcZS3","locale":"ja-JP","buyingOptionType":"NEW","aapiBuyingOptionIndex":0}]}
購入オプションとあわせ買い
90年代。東京。クリエイターになりたくて上京し、写真専門学校に入学したほんたにちゃんは、生まれた時点ですでに手遅れ、自分の感性をうまく周囲にアピールすることができず、痛い勘違いを繰り返しながら、ジタバタと脳内で悶絶する毎日を送っていた。そんなある日、飲み会で出会ったカリスマ・アーティストに、作品のモデルになってほしいと頼まれたが―――それが死闘の幕開けだった!
- 本の長さ144ページ
- 言語日本語
- 出版社太田出版
- 発売日2008/3/20
- ISBN-104778311167
- ISBN-13978-4778311162
よく一緒に購入されている商品
対象商品: ほんたにちゃん (本人本 3)
¥1,430¥1,430
最短で6月12日 水曜日のお届け予定です
残り1点(入荷予定あり)
総額:
当社の価格を見るには、これら商品をカートに追加してください。
ポイントの合計:
pt
もう一度お試しください
追加されました
一緒に購入する商品を選択してください。
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
商品の説明
著者について
1979年7月14日石川県生まれ。
高校卒業後上京し、演劇学校において松尾スズキ氏のクラスに入学。その後、大人計画『ふくすけ』、宮沢章夫監修『alt.4』、ヴィレッヂプロデュース『1989』に出演。庵野秀明監督のアニメ『彼氏彼女の事情』に声優として、OAV『フリクリ』にエンディングモデルとして参加する。
2000年9月「劇団、本谷有希子」を旗揚げ。主宰として作・演出を手掛ける。2006年に上演した『遭難、』で第十回鶴屋南北戯曲賞を最年少で受賞。
また小説家としても精力的に活動を行い、『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』(講談社文庫)は三島由紀夫賞候補になり、佐藤江梨子主演で映画化。『生きてるだけで、愛。』(新潮社)は芥川賞候補にノミネート。近著は『乱暴と待機』(メディアファクトリー)。
高校卒業後上京し、演劇学校において松尾スズキ氏のクラスに入学。その後、大人計画『ふくすけ』、宮沢章夫監修『alt.4』、ヴィレッヂプロデュース『1989』に出演。庵野秀明監督のアニメ『彼氏彼女の事情』に声優として、OAV『フリクリ』にエンディングモデルとして参加する。
2000年9月「劇団、本谷有希子」を旗揚げ。主宰として作・演出を手掛ける。2006年に上演した『遭難、』で第十回鶴屋南北戯曲賞を最年少で受賞。
また小説家としても精力的に活動を行い、『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』(講談社文庫)は三島由紀夫賞候補になり、佐藤江梨子主演で映画化。『生きてるだけで、愛。』(新潮社)は芥川賞候補にノミネート。近著は『乱暴と待機』(メディアファクトリー)。
登録情報
- 出版社 : 太田出版 (2008/3/20)
- 発売日 : 2008/3/20
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 144ページ
- ISBN-10 : 4778311167
- ISBN-13 : 978-4778311162
- Amazon 売れ筋ランキング: - 766,046位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 17,619位日本文学
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。
著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
カスタマーレビュー
星5つ中4つ
5つのうち4つ
全体的な星の数と星別のパーセンテージの内訳を計算するにあたり、単純平均は使用されていません。当システムでは、レビューがどの程度新しいか、レビュー担当者がAmazonで購入したかどうかなど、特定の要素をより重視しています。 詳細はこちら
7グローバルレーティング
虚偽のレビューは一切容認しません
私たちの目標は、すべてのレビューを信頼性の高い、有益なものにすることです。だからこそ、私たちはテクノロジーと人間の調査員の両方を活用して、お客様が偽のレビューを見る前にブロックしています。 詳細はこちら
コミュニティガイドラインに違反するAmazonアカウントはブロックされます。また、レビューを購入した出品者をブロックし、そのようなレビューを投稿した当事者に対して法的措置を取ります。 報告方法について学ぶ
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2018年9月2日に日本でレビュー済み
自意識、という言葉だけであればまるでカントかフロイトか、心理学か哲学のカテゴリに入れられてしまいそうなのだが、そこに過剰の二字がついてしまえば、そこはもう本谷有希子の領域である。この『ほんたにちゃん』に出てくる主人公にしてヒロイン、汚れ役にしてヒーローのほんたにちゃんは、迷いつつ、ぶれつつも、それでも周囲と群れることなく、時に調子に乗りながら我が道を突き進んでいく。
その迷走を、その暴走を、その世間や他者との致命的な噛み合わなさっぷりを「痛い奴wwwwww」と軽薄に笑うことはたやすい。作中後半の野次マサムネとの対話のシーン、そのクライマックスはまさしく笑い抜きでは読み進められない。だが彼女の言動を笑っている内に、その笑いは徐々に乾いていき、胸には痛みを覚えていくことになってしまう。それは何故か?
誰であれ、自分に対しての愛はある。ナルシズムほどわかりやすくはないだろうが、自らへの愛着を抜きにどうして自分を生かそうと思おうか。自らのどこかを、なにかを、特別だと思わずに、どうしてつまらない日々を我慢して生きていこうなどと思えるのものか。量の多寡こそあれ、誰しもが持つ自分への潜在的な信頼を、自己肯定の気持ちをデフォルメし、過剰なまでの「痛さ」へと仕立て上げる。根底には共通しているはずの、切って捨てることの出来ない「自尊心」とでも言うべきものが、彼女の言動の奥には眠っているのだ(『綾波レイ』という願望の奥に)。それが分かってしまうから笑いには痛みが伴い、空転する彼女の必死さに愛を覚えてしまう。
すなわちこのほんたにちゃんを笑うということは、我々の中にいる――あるいは、かつて存在していた――リトルほんたにちゃんを笑うことにもつながる行為なのだ。だからこそ笑い飛ばした瞬間に自分にも跳ね返ってくる苦さと痛みがつきまとう。
この堂々巡りの如き独り相撲の果てに、結局、彼女は一歩も前には進まない。悪あがきの末の失敗、その中の偶然が彼女にささやかな救いを与える。取りようによっては「これは救いではなく、呪いなのでは?」という解釈も可能だろう。彼女はもうしばらく痛々しい夢を見続けるのだ。既に夢から覚めて現実を見つめざるを得ない、我々の代わりに。
その迷走を、その暴走を、その世間や他者との致命的な噛み合わなさっぷりを「痛い奴wwwwww」と軽薄に笑うことはたやすい。作中後半の野次マサムネとの対話のシーン、そのクライマックスはまさしく笑い抜きでは読み進められない。だが彼女の言動を笑っている内に、その笑いは徐々に乾いていき、胸には痛みを覚えていくことになってしまう。それは何故か?
誰であれ、自分に対しての愛はある。ナルシズムほどわかりやすくはないだろうが、自らへの愛着を抜きにどうして自分を生かそうと思おうか。自らのどこかを、なにかを、特別だと思わずに、どうしてつまらない日々を我慢して生きていこうなどと思えるのものか。量の多寡こそあれ、誰しもが持つ自分への潜在的な信頼を、自己肯定の気持ちをデフォルメし、過剰なまでの「痛さ」へと仕立て上げる。根底には共通しているはずの、切って捨てることの出来ない「自尊心」とでも言うべきものが、彼女の言動の奥には眠っているのだ(『綾波レイ』という願望の奥に)。それが分かってしまうから笑いには痛みが伴い、空転する彼女の必死さに愛を覚えてしまう。
すなわちこのほんたにちゃんを笑うということは、我々の中にいる――あるいは、かつて存在していた――リトルほんたにちゃんを笑うことにもつながる行為なのだ。だからこそ笑い飛ばした瞬間に自分にも跳ね返ってくる苦さと痛みがつきまとう。
この堂々巡りの如き独り相撲の果てに、結局、彼女は一歩も前には進まない。悪あがきの末の失敗、その中の偶然が彼女にささやかな救いを与える。取りようによっては「これは救いではなく、呪いなのでは?」という解釈も可能だろう。彼女はもうしばらく痛々しい夢を見続けるのだ。既に夢から覚めて現実を見つめざるを得ない、我々の代わりに。
2010年5月23日に日本でレビュー済み
他の方が書かれているように、
主人公のキャラが著者本人かは気になるところですが、
終盤、頭のなかが爆発するように、それしかない!と息巻いて
その後の人生の黒歴史を抱えてしまう。それは誰しも経験があると思います。
謎の啓示、謎の気迫、謎の焦燥、謎の疾走感が体を駆け巡って、
クラウチングスタートで走った記憶がありありと思い出される。
小悪魔agehaを読んでるギャルは、そういうことするんだろうか?
装苑読んでる森ガールもしない気がする。
これは、サブカル女のひとつの到達点かもしれない。
と、同時に新しい反面教師本なのだと思います。
主人公が将来、唯一無二の存在になれるかどうかは、誰にも解らない。
でも、賢いことがそんなに大事なのか、むちゃくちゃでも良いんじゃないか?
と思えたことは、良かったのだと思う。少なくとも何かに気付いた時点で、
割り切ったり、考え切ることはできる。
自伝小説だと捉えた方が、私には救いがあるように思えます。
こんなに痛くても、有名で凄い人になれるんだよ?って。
中二病、なんちゃって多重人格の経験がある人は、是非読んで欲しいです。
女の子の方が入りやすいかな。記憶の扉が開いちゃうこと受け合い。
主人公のキャラが著者本人かは気になるところですが、
終盤、頭のなかが爆発するように、それしかない!と息巻いて
その後の人生の黒歴史を抱えてしまう。それは誰しも経験があると思います。
謎の啓示、謎の気迫、謎の焦燥、謎の疾走感が体を駆け巡って、
クラウチングスタートで走った記憶がありありと思い出される。
小悪魔agehaを読んでるギャルは、そういうことするんだろうか?
装苑読んでる森ガールもしない気がする。
これは、サブカル女のひとつの到達点かもしれない。
と、同時に新しい反面教師本なのだと思います。
主人公が将来、唯一無二の存在になれるかどうかは、誰にも解らない。
でも、賢いことがそんなに大事なのか、むちゃくちゃでも良いんじゃないか?
と思えたことは、良かったのだと思う。少なくとも何かに気付いた時点で、
割り切ったり、考え切ることはできる。
自伝小説だと捉えた方が、私には救いがあるように思えます。
こんなに痛くても、有名で凄い人になれるんだよ?って。
中二病、なんちゃって多重人格の経験がある人は、是非読んで欲しいです。
女の子の方が入りやすいかな。記憶の扉が開いちゃうこと受け合い。
2011年6月15日に日本でレビュー済み
個人的には若手ナンバーワンだと思ってる作家・本谷有希子の自伝的小説。
すごいなぁ、またやってくれちゃったなぁ、というのが素直な感想です。すっかり信じているわけではありませんが、これが自伝だとしたらすごすぎます。こんな人、でもいるもんなぁ。
内容はちと方向性の違う「腑抜け……」のお姉ちゃんみたいな人のお話。他人事だと思って読めばひたすら笑える小説です。ただ、デフォルメされてはいるものの、こういう気持ちっておそらく誰もが持っているもので、そういう意味ではそうとう痛く響く小説でもあります。
本谷さん、いまのところハズレなし。(2008年5月現在)
すごいなぁ、またやってくれちゃったなぁ、というのが素直な感想です。すっかり信じているわけではありませんが、これが自伝だとしたらすごすぎます。こんな人、でもいるもんなぁ。
内容はちと方向性の違う「腑抜け……」のお姉ちゃんみたいな人のお話。他人事だと思って読めばひたすら笑える小説です。ただ、デフォルメされてはいるものの、こういう気持ちっておそらく誰もが持っているもので、そういう意味ではそうとう痛く響く小説でもあります。
本谷さん、いまのところハズレなし。(2008年5月現在)
2008年3月24日に日本でレビュー済み
今をときめく才色兼備美女作家、本谷有希子の新刊である。
今回は、作家デビュー前のHP掲載作品のセルフリメイクということで、文芸誌の匂いのしない、本谷本人も、「賞とか取れない作品」と言っている、ストレートなエンターテインメント。とにかく笑えます。自意識爆発、キャラ設定は「綾波レイ」。痛い専門学生の「私」の、彼女をモデルに誘うビッグなクリエーター野次マサムネとの、人生をかけた戦い。序盤から、後先考えないペースで繰り出されるネタの嵐に、最近の、何かが始まる前に終わる文学なんて蹴散らして(まぁ、エンタメだし)、とにかく何度もやってくる失速の壁を、ばかすか壊して無理矢理突き進んでいく物語。ああ、ここでもう終わりだな、という読者の勝手な予想を裏切って、さらに新たなネタを繰り出すパワー。ラストのオチもすっきり決まって、やっぱり本谷はこうでなくっちゃ、と思える作品でした。
が、これが、上のように書いてみても、どうもしっくりこない。なんか釈然としない。というか、いつも、本谷の本については、気に入った感想が言えないのはなんでなんだろう、と思うのである。
言いたいことは、結構あるのだ。「本谷の武器は、文章じゃなくて言葉」とか、「本谷は、普通はそこでやめておこうと思うところから、あえて一歩も二歩も先へ突き進むパワーがすごい」とか、言いたいのだけれど、なんか違う。どうしても、その作品じゃなくて、「本谷有希子」の感想みたいになっちゃう。山崎ナオコーラさんが言っているみたいに、もてない男の若い女性に対するコンプレックスを、僕も作家論に持ちこんでいるんだろうか。
というわけで、ふと考えると、『ほんたにちゃん』は、そんな僕みたいな、美女作家本谷有希子のファンに対する、計算なんだか素なんだかわからないけど、ものすごく周到に作られたパロディみたいに思えてくる。タイトルの、もう、作品論とか作家論とかの区別をさせない感じといい、ついつい僕らは文章から、本谷本人を探してしまう。そういう風に読めるように、本文にもあえて隙を作ってある。そうして、なんだか本谷を見守るファン、という名目で、なんというか、取り込むきっかけを探ってしまう。
それは、野次マサムネそのものじゃないか、と気づいたりして。だから、「私」が、野次とのたたかいに際して覚悟を決めて「すなわち、私は精神的な意味で戦士だ」と言うとき、野次は僕ら、本谷有希子を美女(独身)作家としてしか見ない「男」なのだ、と思う。プロ意識みたいなものを武器に、ヌードを要求する野次は、文学論をネタに本谷の私生活をみたがる、彼氏がいるのか知りたがる、裸をみたがる、僕らなのだ、と思う。
ああ、そんな僕は、これを読んで、やるせなくなる。そういえば、最初に『腑抜け』を読んだときは、顔を知らなかった。若いと知って、漠然と、ああ、美人じゃなければいいな、と、本当に勝手に(ごめんなさい)思ったものだった。それが、不運なことに、本谷みたいな、小顔の、ふんわりかわいい美人の本となると、なんだか、正常に読めなくなる、というのは、確かに、僕の場合はどこかで自覚があるのだろう。
でも、最近の、メディアに露出しまくりの、顔だしまくりの本谷有希子は、逆に、そんな僕らを、あざわらっているみたいだ。そして、利用しているみたいだ。強いな、したたかだな、と、そう思うことでしか、自分を慰めることができない、男による、ダメなレビューでした。
今回は、作家デビュー前のHP掲載作品のセルフリメイクということで、文芸誌の匂いのしない、本谷本人も、「賞とか取れない作品」と言っている、ストレートなエンターテインメント。とにかく笑えます。自意識爆発、キャラ設定は「綾波レイ」。痛い専門学生の「私」の、彼女をモデルに誘うビッグなクリエーター野次マサムネとの、人生をかけた戦い。序盤から、後先考えないペースで繰り出されるネタの嵐に、最近の、何かが始まる前に終わる文学なんて蹴散らして(まぁ、エンタメだし)、とにかく何度もやってくる失速の壁を、ばかすか壊して無理矢理突き進んでいく物語。ああ、ここでもう終わりだな、という読者の勝手な予想を裏切って、さらに新たなネタを繰り出すパワー。ラストのオチもすっきり決まって、やっぱり本谷はこうでなくっちゃ、と思える作品でした。
が、これが、上のように書いてみても、どうもしっくりこない。なんか釈然としない。というか、いつも、本谷の本については、気に入った感想が言えないのはなんでなんだろう、と思うのである。
言いたいことは、結構あるのだ。「本谷の武器は、文章じゃなくて言葉」とか、「本谷は、普通はそこでやめておこうと思うところから、あえて一歩も二歩も先へ突き進むパワーがすごい」とか、言いたいのだけれど、なんか違う。どうしても、その作品じゃなくて、「本谷有希子」の感想みたいになっちゃう。山崎ナオコーラさんが言っているみたいに、もてない男の若い女性に対するコンプレックスを、僕も作家論に持ちこんでいるんだろうか。
というわけで、ふと考えると、『ほんたにちゃん』は、そんな僕みたいな、美女作家本谷有希子のファンに対する、計算なんだか素なんだかわからないけど、ものすごく周到に作られたパロディみたいに思えてくる。タイトルの、もう、作品論とか作家論とかの区別をさせない感じといい、ついつい僕らは文章から、本谷本人を探してしまう。そういう風に読めるように、本文にもあえて隙を作ってある。そうして、なんだか本谷を見守るファン、という名目で、なんというか、取り込むきっかけを探ってしまう。
それは、野次マサムネそのものじゃないか、と気づいたりして。だから、「私」が、野次とのたたかいに際して覚悟を決めて「すなわち、私は精神的な意味で戦士だ」と言うとき、野次は僕ら、本谷有希子を美女(独身)作家としてしか見ない「男」なのだ、と思う。プロ意識みたいなものを武器に、ヌードを要求する野次は、文学論をネタに本谷の私生活をみたがる、彼氏がいるのか知りたがる、裸をみたがる、僕らなのだ、と思う。
ああ、そんな僕は、これを読んで、やるせなくなる。そういえば、最初に『腑抜け』を読んだときは、顔を知らなかった。若いと知って、漠然と、ああ、美人じゃなければいいな、と、本当に勝手に(ごめんなさい)思ったものだった。それが、不運なことに、本谷みたいな、小顔の、ふんわりかわいい美人の本となると、なんだか、正常に読めなくなる、というのは、確かに、僕の場合はどこかで自覚があるのだろう。
でも、最近の、メディアに露出しまくりの、顔だしまくりの本谷有希子は、逆に、そんな僕らを、あざわらっているみたいだ。そして、利用しているみたいだ。強いな、したたかだな、と、そう思うことでしか、自分を慰めることができない、男による、ダメなレビューでした。
2008年9月1日に日本でレビュー済み
「自分は特別なのだ」という当世若者の根拠レスな自意識が、
やはり根拠レスであると心の底では思い知りながらも
そうではないと振舞わなければ、自分が保てないという
痛々しさをとことんまで追求した傑作。
笑いのオブラートに包んではあるものの、
その痛々しさは尋常ではない。
それをここまで書きつめられる作者の腕(覚悟?)も
尋常ではない。胸が痛いが、すばらしい。
やはり根拠レスであると心の底では思い知りながらも
そうではないと振舞わなければ、自分が保てないという
痛々しさをとことんまで追求した傑作。
笑いのオブラートに包んではあるものの、
その痛々しさは尋常ではない。
それをここまで書きつめられる作者の腕(覚悟?)も
尋常ではない。胸が痛いが、すばらしい。
2008年4月8日に日本でレビュー済み
著者の姿か想像か?(笑)彼女らしくもあり違う一面も垣間見える少し他の作品とは色の違う一冊。新提案の「オロカワイイ」をここに見よ。