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少女機械考 単行本 – 2005/9/29


商品の説明

抜粋

本書「あとがき」より
(……)少女機械、それは――高度資本主義の資本運動のなかで、波動・連鎖してくる少女性の形象を、もう少女たち個々の単体として捉えない感覚上の設定だった。
 少女はそれ自体が複数体を内包している。ところが少女は、自らまとうもの、自らの周囲にあるものをも、少女化してしまう脅威でもある。その際に少女は自らの生に離反する死をも取り込んでいて、それが「死の衝動」とつうじあう資本の自己回転衝動と精確にリンクしているのだった。だから少女機械の時代は、資本主義の終焉まで続くだろう。
 これは別段、著者の独創的な思索の結果ではない。「機械性」に取り憑かれたドゥルーズ=ガタリが、文学機械-欲望機械-戦争機械というふうに、機械性の概念を、機械性の性質を利用して増殖させていったその様子を改めて顧みれば、そこに自然に紛れこむものにしかすぎないだろう。そのドゥルーズ=ガタリの著作は、どんな場合でもじつは要約やチャート化に適してはいない。弛緩した思考のみが、そのチャートにすがりつこうとするだけだ。そう、彼らの思考は圧倒的な過程だった。過程を強度に過程化して、それを読者の前に繰り広げることだった。だから本書も、いかなるチャート化とも無縁に、その過程のみを注視してもらえればいい。
 とはいえ――いったん「少女機械」という概念を掲げてみると、現在の少女性表現の多くが簡単に分析できてしまう点に著者自身が興奮したのも確かだった。一例をいうなら、「ヒロイン=ヒロインの周囲=ヒロインの所有する事物=作者=読者」をすべて等号で結んでしまう古典的な少女機械の型をもつ少女漫画の時代から、それとはソリッドさにおいて異質なJコミックの時代が現在はじまっている。こうした新傾向の成立を、主題論に読み解こうとすると、批評はたぶん固い鉱盤にぶつかって立ち往生する。このとき扱おうとする対象を改めて生き生きと動かすものが、少女機械の視点となる。著者は実際、最近、早稲田大学でおこなった講義でも、山本英夫『ホムンクルス』についてこの少女機械の概念を積極的に流用したし、魚喃キリコ作品の解読にもそれを隠し味にした。
 本書のもとになったのは、二〇〇四年度後期の立教大学でのサブカルチャー講義に用意した草稿だった。そもそもは少女性を表現している作品を漫然と扱う予定だったのだが、講義全体の流れに一本芯を入れようとして、少女機械という概念を捏造した嫌いもある。講義での取り扱い対象には受講者の示唆も受けた。その点では講義そのものが、講師-受講者の共同作業だった(ほかに安田弘之のコミック、『紺野さんと遊ぼう』も扱ったのだが、紙幅の都合で割愛した――少女の姿態カタログが差異性の束となり、最終的には時間化してくる、これも驚異の傑作だった)。
 その講義の共同性の根拠とは何だったか。たぶん消費専一体として性的に生きている女子学生たちへの惻隠の情なのではないかとおもう。彼女たちの現状を取り巻いている逼塞を、逼塞のままに現勢化すること。そうして彼女たちにリアルを点火すること。講義はその意味で劇薬の投与とも似ていたはずだ。
 慧眼な読者は、本書に、ある論理の罠を嗅ぎ当てるとおもう。いかなる細部を論及していても、その論理の構造は、「少女機械とは○○である――そして作品Aは少女機械である」という反復を基本に置いているのだった。つまり作品Aから少女機械の属性を立ちあげるという手続き(個別→普遍の手続き)が取られていない。論難を排するためにいっておくと、これこそが機械性を体現する論理だということだ。この意味で本書は「少女機械」の自動性をそのまま生きている。むろんこの作法もまた、ドゥルーズ=ガタリの『アンチ・オイディプス』から導かれた。無前提、そののちの列挙のみが真実に到達できる領域があるということ。ただ著者は一冊の本においてこのような論法をほかに駆使したことがない。結果、何かの苛烈さに届いたとおもう。(……)

著者について

1958年、東京生まれ。1982年、慶応義塾大学法学部卒業後、昼はオーディオ・ビデオ業界紙の編集、夜は早稲田での芝居稽古という日々。1985年、編プロ入社。1990年、西友を退社してキネマ旬報社。その後、評論家としての執筆と、早稲田大学、立教大学等での講師を務める。著書に『日本映画の21世紀がはじまる 2001→2005 スーパーレビュー』(キネマ旬報社、2005)『成瀬巳喜男 映画の女性性』(河出書房新社、2005)『68年の女を探して-私説・日本映画の60年代』(論創社、2004)『椎名林檎vs Jポップ』(河出書房新社、2004)『実践サブカルチャー講義』(河出書房新社、2002)『精解サブカルチャー講義』(河出書房新社、2001)『松本人志ショー』(河出書房新社、1999)『野島伸司というメディア』(図書新聞、1996)『日本映画が存在する』(青土社、2000)『AV原論』(関西学院大学出版会、1998)『北野武vsビートたけし』(筑摩書房、1994)等がある。
個人サイト http://abecasio.s23.xrea.com

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 彩流社 (2005/9/29)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2005/9/29
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 292ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4779111080
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4779111082

著者について

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阿部 嘉昭
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