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ナノ・ソート: 現代美学、あるいは現代美術で考察するということ 単行本 – 2008/1/18
杉田 敦
(著)
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現代の美学のために――現代美術についてではなく、現代美術で考える、ひとつの実践としての極小の思考(ナノ・ソート)。
ドクメンタ11からドクメンタ12へ。
ヴェネツィア・ビエンナーレ、マニフェスタ、ミュンスターの彫刻プロジェクト、
社会彫刻、開かれた作品、オルタナティヴ、PC(政治的正当性)。
作品を制作することだけがアートではない、誰もがアートをとおして世界に言及することができる――アーティストだけでなく、間接的に関わるキュレータ、表現を受け止める観衆について、そして日常生活から発言するための方法としてのアートを考える。
ドクメンタ11からドクメンタ12へ。
ヴェネツィア・ビエンナーレ、マニフェスタ、ミュンスターの彫刻プロジェクト、
社会彫刻、開かれた作品、オルタナティヴ、PC(政治的正当性)。
作品を制作することだけがアートではない、誰もがアートをとおして世界に言及することができる――アーティストだけでなく、間接的に関わるキュレータ、表現を受け止める観衆について、そして日常生活から発言するための方法としてのアートを考える。
- 本の長さ330ページ
- 言語日本語
- 出版社彩流社
- 発売日2008/1/18
- 寸法13.5 x 2.6 x 19.5 cm
- ISBN-104779112990
- ISBN-13978-4779112997
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商品の説明
著者について
atsushi sugita.
女子美術大学芸術学部・大学院芸術表象研究領域・准教授、批評家。名古屋大学理学部物理学科卒業。現代美術と哲学、科学、メディアの関係について論じる。慶應義塾大学、京都造形芸術大学、愛知県立芸術大学などでも講義を行なう。オルタナティヴ・スペース art&river bank(www.art-and-river-bank.net)の運営も行なっている。著書『メカノ 科学の機械、美学の機械』(青弓社、1991)、『ノード 反電子主義の美学』(青弓社、1994)『リヒター、グールド、ベルンハルト』(みすず書房、1998)のほか、文化紀行として『白い街へ』(彩流社、2002)、『アソーレス、孤独の群島』(彩流社、2005)があり、展覧会論文に「存在としての光」(James Tuirrell、水戸芸術館)訳書として『機械たちの戦争』(マヌエル・デ・ランダ著、アスキー出版社、1997)などがある。現在(2007/11)『美術手帖』誌(美術出版社)で『連載…アートで生きる/アートとかかわる』に度々、登場中。
女子美術大学芸術学部・大学院芸術表象研究領域・准教授、批評家。名古屋大学理学部物理学科卒業。現代美術と哲学、科学、メディアの関係について論じる。慶應義塾大学、京都造形芸術大学、愛知県立芸術大学などでも講義を行なう。オルタナティヴ・スペース art&river bank(www.art-and-river-bank.net)の運営も行なっている。著書『メカノ 科学の機械、美学の機械』(青弓社、1991)、『ノード 反電子主義の美学』(青弓社、1994)『リヒター、グールド、ベルンハルト』(みすず書房、1998)のほか、文化紀行として『白い街へ』(彩流社、2002)、『アソーレス、孤独の群島』(彩流社、2005)があり、展覧会論文に「存在としての光」(James Tuirrell、水戸芸術館)訳書として『機械たちの戦争』(マヌエル・デ・ランダ著、アスキー出版社、1997)などがある。現在(2007/11)『美術手帖』誌(美術出版社)で『連載…アートで生きる/アートとかかわる』に度々、登場中。
登録情報
- 出版社 : 彩流社 (2008/1/18)
- 発売日 : 2008/1/18
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 330ページ
- ISBN-10 : 4779112990
- ISBN-13 : 978-4779112997
- 寸法 : 13.5 x 2.6 x 19.5 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 948,470位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 97位ポップアートの美術史
- - 103位アール・デコの美術史
- - 112位アール・ヌーヴォーの美術史
- カスタマーレビュー:
著者について
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美術批評。名古屋大学で素粒子物理学を専攻後、画像解析、人工知能の研究を経て、批評家。現在、女子美術大学 芸術学部 美術学科 芸術表象専攻 教授。
関係性の美学など、今日の芸術理論について考察するとともに、ゲルハルト・リヒター、ジェームズ・タレル、フィッシリ&ヴァイス、ピピロッティ・リストら現代美術作家を軸としながら、芸術理論、美学、科学哲学、人工知能などについて考察。またポルトガルの、文学、映像、アートなどについても論じる。
アートの活動として、"批評家の海岸"(2009, 越後妻有アートトリエンナーレ)などがある。現代アートについてのディスカッション・イヴェント"Picnic"もおこなっている。現代美術、写真、映像を中心としたオルタナティヴ・スペース "art & river bank"のディレクタ。
カスタマーレビュー
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2013年2月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
正確に商品を送ってもらいました。また本も痛んでおらずこの次もお世話になりたいと思いました。
2009年6月10日に日本でレビュー済み
私は展覧会を見に行くと、作品と同じくらい、見に来ている人の反応が気になります。作家が作品に向かい合って考えたであろう事と、それを見ている自分、そして見に来ている他の観客。自分が作品にどのように向かい合っているかということは、来場している他の観客にも影響を与えているわけです。純粋な観察者というのはありえません。
アートは、作家や作品について「勉強する」ことで面白さが理解できるようになることもあります。自分で勝手に想像することで面白いこともあります。その二つのどちらも同じくらい大事で、自分の想像が作家やキュレーターの意図よりも軽いと決めつけてはいけないと思います。
逆に言えば、そういった前提がなければ、アートの持つ意味、個々の人間の人生における位置づけというものを見誤り、過大にまたは過小に評価することによって、アートを通じて何かを考えるきっかけというのを簡単に失ってしまいかねません。美術批評家をはじめとする「アート関係者」が率先してそのような傾向を助長しているように思える時があり、つねづね残念に思ってきました。
一方で、この本は、明快に何かを書いている本ではないにも関わらず、似たような事をもやもや考えていた私にとっては、上記のような自分の問題意識を明確化するのにとても役立ちました。「我が意を得たり」という思いです。
一般大衆、作家、コレクター、美術館、キュレーター、批評家、それぞれの立場自体に独自の意味があるのではなく、どんな表現も一人の個人の人生を反映しきれるものではなく、ただ、何を目指しているかということが重要なのだと言う、当たり前のことを、国際的なアートのトレンドの変遷を客観的に見ながら(そして、「互いに影響を与え合う観客」の立場を意識的に叙述しながら)述べた、大変意欲的な本だと思います。
アートは、作家や作品について「勉強する」ことで面白さが理解できるようになることもあります。自分で勝手に想像することで面白いこともあります。その二つのどちらも同じくらい大事で、自分の想像が作家やキュレーターの意図よりも軽いと決めつけてはいけないと思います。
逆に言えば、そういった前提がなければ、アートの持つ意味、個々の人間の人生における位置づけというものを見誤り、過大にまたは過小に評価することによって、アートを通じて何かを考えるきっかけというのを簡単に失ってしまいかねません。美術批評家をはじめとする「アート関係者」が率先してそのような傾向を助長しているように思える時があり、つねづね残念に思ってきました。
一方で、この本は、明快に何かを書いている本ではないにも関わらず、似たような事をもやもや考えていた私にとっては、上記のような自分の問題意識を明確化するのにとても役立ちました。「我が意を得たり」という思いです。
一般大衆、作家、コレクター、美術館、キュレーター、批評家、それぞれの立場自体に独自の意味があるのではなく、どんな表現も一人の個人の人生を反映しきれるものではなく、ただ、何を目指しているかということが重要なのだと言う、当たり前のことを、国際的なアートのトレンドの変遷を客観的に見ながら(そして、「互いに影響を与え合う観客」の立場を意識的に叙述しながら)述べた、大変意欲的な本だと思います。