太宰。
特に興味をひいた箇所のみ、紹介したい。
藤野先生が留学時代の魯迅に課したのは、対象を正確に観察し、それを、正確に再現するための訓練だった。この訓練を積んだおかげで、彼は、当時の中国の民衆の心を巣食っていた細菌の正体を、幻燈事件によって、見定めることができた。岩佐氏は、留学時代における魯迅の心の動きを、「藤野先生」から、そう読んでいる。このような読みは、私には新鮮に映った。
岩佐氏はまた言う。太宰は「惜別」において、幻燈事件が「周さん」(若き日の魯迅)に与えた影響を、〈真剣な思考の対象として反芻〉していない、と。
岩佐氏の指摘通り、確かに、「惜別」という作品そのものに、そのような痕跡は残されていない。しかし、太宰が繰り返し語った〈水夫と燈台守との逸話〉に注目して「惜別」を読みなおすとき、太宰はけして、幻燈事件を軽視してはいなかった、という読みの可能性も浮上してくる。
〈水夫と燈台守との逸話〉は、「惜別」「雪の夜の話」「一つの約束」の三作品で繰り返し登場している。私はこの点から、「惜別」を読み解くためには、三作品を併読すべきである、と考えている(さらに、〈写真〉が登場すること、師弟の関係が重要な役割を果たすことなどから、「佳日」を併読することも視野に入れてもいいだろう)。
さて、「雪の夜の話」のラスト近くに、こうある。
「でも、とうさんのお眼は、綺麗な景色を百倍も千倍も見て来たかはりに、きたないものも百倍も千倍も見て来られたお眼ですものね。」
「さうよ、さうよ。プラスよりも、マイナスがずつと多いのよ。だからそんなに黄色く濁つてゐんだ。わあい、だ。」
「綺麗な景色」=「プラス」とは、「惜別」における藤野先生の肖像写真の、「きたないもの」=「マイナス」とは、幻燈事件によって「周さん」が目の当たりにした同朋の姿、その写真の、それぞれメタモルフォーゼとしてあるのではないか。
また、「雪の夜の話」において<水夫と燈台守との逸話>は、デンマークの医者が、顕微鏡でもって、死んだ水夫の目、その網膜を正確に観察した結果を踏まえ、医者の友人がつむぎだした物語としてある。このことにも、注目したい。顕微鏡、このツールは、けして細菌学とは無縁ではないからだ。
さらに、網膜に光景が映されていた、という点に着目すれば、網膜とは、人間の肉体における天然の写真機である、という解釈も成り立つのではないか。
要するに、「雪の夜の話」における<水夫と燈台守との逸話>が語りだされる過程は、幻燈事件のメタモルフォーゼとしてあるのではないのか。
以上のような読み替えが可能であれば、あるいは、太宰は幻燈事件を軽視してはいなかった、その証左となるのかもしれない。なんて言うのは、私の単なる思いつきである。
思いつきついでに、もう一つ書いておこう。岩佐氏は、芥川龍之介『蜜柑』に、有島武郎『旅する心』受容の影を認めている。私は、太宰『富嶽百景』の一節に、芥川『蜜柑』受容の影を見た。『富嶽百景』の〈私〉は、同乗した老婆とともに、月見草を見るが、彼が目撃したのはバスの上だったこと、見たのはほんの一瞬だったが、彼の目にはっきりと焼きついたことなど、に注目したい。これは、
すべては汽車の窓の外に、瞬く暇もなく通り過ぎた。が、私の心の上には、切ない程はつきりと、この光景が焼きつけられた。
という芥川『蜜柑』の描写と呼応するものだからだ。汽車とバス、蜜柑と月見草、の相関も気にかかる。ただし、相違点もある。『蜜柑』では、感動は観察者の心の内で完結するが、『富嶽百景』では、事情が異なっている。おそらくは、わびしさの共有、月見草をともに見る、という共通の行為を通しての、束の間の心の交流を描いたところに、太宰の手柄があった、と私は思いたい。
れいによって、とんちんかんなことを書いてしまった。致し方なし。
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日本近代文学の断面: 1890-1920 単行本 – 2009/1/27
岩佐 壮四郎
(著)
■ 「自然」や「恋愛」「理想」というような、もともとは近代ヨーロッパに出自す
る「観念」は、日本近代の文学をめぐる言説のなかでどのように生きられたのだろう
か。
■ 本書では、百年余にわたる日本近代の歴史のなかで、最も大きな転換期であ
る1890年代から1920年代にかけての時期いわゆる世紀転換期に焦点を絞りながら、
夏目漱石・国木田独歩・森鴎外・石川啄木・島村抱月・芥川龍之介らの作品や言説を
通して、「自然」「恋愛」「理想」「ユートピア」「検閲」「家父長制」「大衆文化」
「検閲」等の問題系をめぐる日本近代文学の断面を焙り出すことを試みる。
る「観念」は、日本近代の文学をめぐる言説のなかでどのように生きられたのだろう
か。
■ 本書では、百年余にわたる日本近代の歴史のなかで、最も大きな転換期であ
る1890年代から1920年代にかけての時期いわゆる世紀転換期に焦点を絞りながら、
夏目漱石・国木田独歩・森鴎外・石川啄木・島村抱月・芥川龍之介らの作品や言説を
通して、「自然」「恋愛」「理想」「ユートピア」「検閲」「家父長制」「大衆文化」
「検閲」等の問題系をめぐる日本近代文学の断面を焙り出すことを試みる。
- 本の長さ293ページ
- 言語日本語
- 出版社彩流社
- 発売日2009/1/27
- ISBN-104779114055
- ISBN-13978-4779114052
商品の説明
著者について
1946年島根県生まれ
早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了
現 在 関東学院大学文学部教授
専 攻 日本近代文学
著 作 『世紀末の自然主義 明治四十年代文学考 新鋭研究叢書 9』(岩佐 壮四郎著、有精堂出版、1986年)、第20回サントリー学芸賞受賞作『抱月のベル・エポック 明治文学者と新世紀ヨーロッパ』(岩佐 壮四郎著、大修館書店、1998年)
早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了
現 在 関東学院大学文学部教授
専 攻 日本近代文学
著 作 『世紀末の自然主義 明治四十年代文学考 新鋭研究叢書 9』(岩佐 壮四郎著、有精堂出版、1986年)、第20回サントリー学芸賞受賞作『抱月のベル・エポック 明治文学者と新世紀ヨーロッパ』(岩佐 壮四郎著、大修館書店、1998年)
登録情報
- 出版社 : 彩流社 (2009/1/27)
- 発売日 : 2009/1/27
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 293ページ
- ISBN-10 : 4779114055
- ISBN-13 : 978-4779114052
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,659,129位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 410,770位文学・評論 (本)
- カスタマーレビュー:
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