良質な参考文献をまとめて咀嚼して解説して頂けているので大変わかりやすく
良書案内にもなり平成のダイジェストとして読むことができました。感謝いたします。
平成の政治と経済を主に俯瞰的に総括していますので枝葉にこだわらず大局観を
養える筈です。兎に角、手っ取り早く「平成」の要点を知りたい方におススメです。
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〈平成〉の正体 なぜこの社会は機能不全に陥ったのか (イースト新書) 新書 – 2018/8/10
藤井達夫
(著)
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戦後の日本社会は政治から経済、家族、教育、社会保障に至る制度基盤を、高度経済成長期をとおして形成してきた。そうした制度が徐々に機能不全に陥り、その弊害が誰の目にも明らかな形で社会問題化し始めたのが、平成という時代であった。
本書では、「ポスト工業化」、「ネオリベ」、「格差社会」、「ポスト冷戦とグローバル化」、「五五年体制の終焉」、「日常の政治」という6つのキーワードによって、この時代の赤裸々な姿を浮き彫りにする。ポスト平成を迎えるにあたり、平成の30年間に露わになった社会問題のゆくえを考える一冊。巻末に、辻田真佐憲氏との特別対談収録。
第一章 ポスト工業化と液状化する社会
第二章 ネオリベ化した社会の理想と現実
第三章 格差社会の「希望は戦争」
第四章 ポスト冷戦と強化される対米依存
第五章 55年体制の終焉と挫折した政治改革
第六章 「日常の政治」からポスト平成を切り開く
第七章 辻田真佐憲×藤井達夫 特別対談
本書では、「ポスト工業化」、「ネオリベ」、「格差社会」、「ポスト冷戦とグローバル化」、「五五年体制の終焉」、「日常の政治」という6つのキーワードによって、この時代の赤裸々な姿を浮き彫りにする。ポスト平成を迎えるにあたり、平成の30年間に露わになった社会問題のゆくえを考える一冊。巻末に、辻田真佐憲氏との特別対談収録。
第一章 ポスト工業化と液状化する社会
第二章 ネオリベ化した社会の理想と現実
第三章 格差社会の「希望は戦争」
第四章 ポスト冷戦と強化される対米依存
第五章 55年体制の終焉と挫折した政治改革
第六章 「日常の政治」からポスト平成を切り開く
第七章 辻田真佐憲×藤井達夫 特別対談
- 本の長さ224ページ
- 言語日本語
- 出版社イースト・プレス
- 発売日2018/8/10
- 寸法10.8 x 1.1 x 17.3 cm
- ISBN-104781651054
- ISBN-13978-4781651057
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商品の説明
著者について
1973年岐阜県生まれ。2005年に早稲田大学大学院政治学研究科政治学専攻博士後期課程退学(単位取得)。現在、早稲田大学大学院政治学研究科ほかで非常勤講師として教鞭をとる。近年の研究の関心は、現代民主主義理論。共著に、『公共性の政治理論』(ナカニシヤ出版)、共訳に『熟議民主主義ハンドブック』(現代人文社)などがある。
登録情報
- 出版社 : イースト・プレス (2018/8/10)
- 発売日 : 2018/8/10
- 言語 : 日本語
- 新書 : 224ページ
- ISBN-10 : 4781651054
- ISBN-13 : 978-4781651057
- 寸法 : 10.8 x 1.1 x 17.3 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 376,178位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2020年11月17日に日本でレビュー済み
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2022年5月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
マスメディアでもよく聞く議論であり、洞察の深さや研究の緻密さはあまり感じられなかった。
2019年3月31日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「平成」を総括すべく一気に読んでみた。この国はどうしてオカシクなってしまったのだろうかと常日頃思いながらもすっきりした答えが見いだせていなかったからだ。本書はタイトルからもわかるとおり平成を概して否定的にとらえていて、哲学的な思考から"ネトウヨ"など眼前にある現象まで様々な深さでなされる。また、過去の経緯の説明がわかりやすい。
様々な(当時は正しいと思われた)改革の末に現在の格差社会と反民主主義的に見える統治があるとするが、戦後の羽振りが良かった時期の「昭和」は良かったという意味ではない。"再帰性"が一旦は成功した「昭和」に向けられその価値体系が自明でなくなったことがより本質的であろう。それは理性の必然的な働きであり啓蒙主義的には望ましいことだとも読める。ただ、その先に具体的な社会像が見えないことから、人によっては手応えを感じ別の人は不安や生き辛さを感じるが、外的事実としてはモラルハザードや民主主義への反動・復古主義、経済指標の悪化等が起きていて、ポストモダン的な(発信者自身にとっても内実を伴なっていない)記号の消費や応酬がそれに拍車をかけていると総括されるだろう。
また、ネオリベラリズムは社会の繋がりを破壊し自立した経済プレーヤーのいわばホッブス的な競争社会を理想とするので民主主義とは必然的に相いれないという意味のことが書かれている。私自身、日本的な"悪平等"に辟易とした実体験があり自由競争をある程度は支持するので、反民主主義とまで言えるかどうかは疑問があるが、実際の経緯を見る限りネオリベラリズムが結果的に悪い方に作用したことはうなずける。
数時間で平成を総括してその背景の問題まで考えられる良書
様々な(当時は正しいと思われた)改革の末に現在の格差社会と反民主主義的に見える統治があるとするが、戦後の羽振りが良かった時期の「昭和」は良かったという意味ではない。"再帰性"が一旦は成功した「昭和」に向けられその価値体系が自明でなくなったことがより本質的であろう。それは理性の必然的な働きであり啓蒙主義的には望ましいことだとも読める。ただ、その先に具体的な社会像が見えないことから、人によっては手応えを感じ別の人は不安や生き辛さを感じるが、外的事実としてはモラルハザードや民主主義への反動・復古主義、経済指標の悪化等が起きていて、ポストモダン的な(発信者自身にとっても内実を伴なっていない)記号の消費や応酬がそれに拍車をかけていると総括されるだろう。
また、ネオリベラリズムは社会の繋がりを破壊し自立した経済プレーヤーのいわばホッブス的な競争社会を理想とするので民主主義とは必然的に相いれないという意味のことが書かれている。私自身、日本的な"悪平等"に辟易とした実体験があり自由競争をある程度は支持するので、反民主主義とまで言えるかどうかは疑問があるが、実際の経緯を見る限りネオリベラリズムが結果的に悪い方に作用したことはうなずける。
数時間で平成を総括してその背景の問題まで考えられる良書
2018年8月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
著者が「おわりに」でも書いているように、個々人が生きた時代として「平成」を見た場合、それぞれに感慨があり、けして悪い時代ではなかっただろう。ただ、ひとつの社会として見た場合はどうか? 本書は、6つの背景からわかりやすく、かつ、立体的に、いまの日本社会を浮き彫りにする。
これまでよかれと思ってきたことが平成の時代にすべて裏目になってあらわれているということがわかる。
たとえば、第5章の「五五年体制の終焉と挫折した政治改革」の章を読むと、すっかり忘れていた小選挙区制の始まりが、いまの執行権力の強化につながっているかを知らされ、愕然とする。あの改革はこんな政治を目指していたのだろうか?と。
ただ、批判だけで終わらない。冷静に俯瞰しつつ、ポスト平成の時代をいかに希望あるものにするか真摯にまとめられた一冊だ。
これまでよかれと思ってきたことが平成の時代にすべて裏目になってあらわれているということがわかる。
たとえば、第5章の「五五年体制の終焉と挫折した政治改革」の章を読むと、すっかり忘れていた小選挙区制の始まりが、いまの執行権力の強化につながっているかを知らされ、愕然とする。あの改革はこんな政治を目指していたのだろうか?と。
ただ、批判だけで終わらない。冷静に俯瞰しつつ、ポスト平成の時代をいかに希望あるものにするか真摯にまとめられた一冊だ。
2018年8月15日に日本でレビュー済み
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文章が平明なため、即日読み終えた。
本書は民主主義の研究者という著者が、平成の30年間を政治経済、社会、国際関係などの動態から多角的に分析したものである。著者はこの間我が国が時代の変化に適応しようとしてとってきた、「改革」という名の様々な施策の現時点における結果、特にミクロでの経済状況の悪化と、その帰結と著者が論じている社会の分断を批判的にとらえているようである。ネットスラング的にいえば、「どうしてこうなった?」という著者の問題意識を本書に著したのであろう。確かに今日よく目にする各種の統計、例えば40代の所得水準の変遷などを見るにつけ、この30年の「改革」が成功であったと手放しで評価できるものではないということが了解できる。もちろん、この30年間の我々が生きる社会の変化を巧みに乗り切っている人もいれば、本書で批判的に論じられている「改革」が不可避的であったと考える人もいるだろう。したがってこの手の著書は結局いわゆる勝ち組負け組の水掛け論になりがちである。この点、著者は政治学者らしく「改革」の結果このように鮮やかに隔てられた社会的境遇の人々が構成する社会における民主主義は、果たして我々が日ごろ常識のように口にする民主主義と意味を同じくするものなのか、という問題意識を本書に通底させていて、類書にありがちな陥穽を回避しており新鮮であった.
本書は民主主義の研究者という著者が、平成の30年間を政治経済、社会、国際関係などの動態から多角的に分析したものである。著者はこの間我が国が時代の変化に適応しようとしてとってきた、「改革」という名の様々な施策の現時点における結果、特にミクロでの経済状況の悪化と、その帰結と著者が論じている社会の分断を批判的にとらえているようである。ネットスラング的にいえば、「どうしてこうなった?」という著者の問題意識を本書に著したのであろう。確かに今日よく目にする各種の統計、例えば40代の所得水準の変遷などを見るにつけ、この30年の「改革」が成功であったと手放しで評価できるものではないということが了解できる。もちろん、この30年間の我々が生きる社会の変化を巧みに乗り切っている人もいれば、本書で批判的に論じられている「改革」が不可避的であったと考える人もいるだろう。したがってこの手の著書は結局いわゆる勝ち組負け組の水掛け論になりがちである。この点、著者は政治学者らしく「改革」の結果このように鮮やかに隔てられた社会的境遇の人々が構成する社会における民主主義は、果たして我々が日ごろ常識のように口にする民主主義と意味を同じくするものなのか、という問題意識を本書に通底させていて、類書にありがちな陥穽を回避しており新鮮であった.
2019年6月23日に日本でレビュー済み
個人の自由を尊重する社会になったことで人同士のつながりが弱くなり、生きづらい社会になったのは皮肉です。これからは自律性や自己決定権を尊重しつつ福祉の大事さを理解してもらう必要があると思います。
2018年8月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書は7章から構成されるが、その内容を突き詰めると、
1. 工業化社会が進展した戦後の昭和の時代は良かった
2. 平成になってポスト工業化社会となり、社会的分断、格差が広がった
3. この原因はネオリベラリズム(新自由主義)にある
以上の3点に集約される。
著者は、ネオリベラリズム(ネオリベ)は個人の競争と自由を統治の基盤としており、人々の社会的繋がりを破壊し、その結果「貧困問題」がまず浮上したと論じている。
また、「自己責任論」の蔓延が、本来政治や社会が取り組むべき貧困などの問題を先送り・放置したとしている。(第1、2章)
まず、ネオリベを徹底的に批判しているが、冷戦が終結しグローバルにモノ、カネ、ヒトの動きが加速していくなかで、資源を輸入し製品を輸出するという「貿易立国」の日本だけが蚊帳の外という選択が可能だったのだろうか。仮に排外主義的な政策を固持していたら、現在の経済規模を日本は有していないだろう。
日本が政官財に国民までもが一体となって一方向に頑張れば良かったのは昭和までで、平成からは、各構成員がその知識を深め想像力を鍛えて「自分の進むべき道を自分で選択する時代になった」ということを理解し、時代に立ち向かうべきだったのに、その認識をしっかりした者と、しなかった者の格差が、貧富の「二極化」という結果になったのではないだろうか。
結局は、時代の流れであった「規制の撤廃や緩和」という既得権益を開放する社会構造の変化に付いて来なかったという意味では、完全に自己責任である(ここに社会的弱者は含まれない。彼らは最初から保護の対象である)。
確かに「自己責任」という言葉は便利で、個人の失敗は何でもこの言葉のせいにできてしまうので危険ではあるが、著者のようにそのデメリットばかりを強調するのは如何なものか。求人倍率が低下しても正社員(公務員を含む)として採用される学生がゼロになったわけではない。過去のデータを見たが、それまでの80%台の就職率が50%程度に落ちただけだ。半分以上の学生は無事に就職できているのだ。ようするに、景気の波に左右されやすい中堅クラスの学生の就職が影響を受けたという話である。さらに言えば、下位クラスの学生は例年就職に苦労しているはずだ。そしてそれらの大学を選んだのは他ならぬ自分自身ではないか。
さて、平成の時代の政治・経済を語るに欠かせないキーワードに「民営化」がある。これは親方日の丸の殿様商売が、自己責任のもとで経営手腕が問われるという価値観の大転換だ。
旧国鉄は民営化されてJR各社になった。それまでは毎年のようにストライキ・運賃引き上げを実施、職員の態度も横柄だったが、JRになって「労働貴族」と呼ばれた労組幹部や不良社員を一掃し、新型車両や駅設備等への積極投資を行い輸送手段としての付加価値を向上させ、JR東日本は電子マネーSUICAの普及まで実現した。
旧電電公社もNTTとなり、グループ企業間および他の民間企業とのサービス向上の競争が起き、高速ネットワーク網、モバイル通信などで大きな進展があった。
以上のどちらの民営化も、企業が活性化したことで国民生活に貢献しているのは事実。これが「昭和」のままで、著者のいうネオリベの波に晒されなかったら、日本経済がどうなっていたか想像もできない。
新しい時代を切り開くには、良くも悪くも犠牲が伴うものである。政府の役割はこの犠牲(リストラされる業界や従業員への対応など)を少なくすることだが、必要以上の保護は改革の勢いを削ぐことになりかねない。
この保護のレベルが現状において、まだ許容の範囲内なのか、もう限界にきているのかは、国民が選挙でその意思を示すしかないだろう。著者は貧困化などの原因を、安倍政権の政策運営にあると厳しく批判しているが、ここ数年政権与党が国政選挙で連戦連勝しているのは、「他に選択肢がない」という消極的な理由だけで説明が付くとは思えないのだが。
1. 工業化社会が進展した戦後の昭和の時代は良かった
2. 平成になってポスト工業化社会となり、社会的分断、格差が広がった
3. この原因はネオリベラリズム(新自由主義)にある
以上の3点に集約される。
著者は、ネオリベラリズム(ネオリベ)は個人の競争と自由を統治の基盤としており、人々の社会的繋がりを破壊し、その結果「貧困問題」がまず浮上したと論じている。
また、「自己責任論」の蔓延が、本来政治や社会が取り組むべき貧困などの問題を先送り・放置したとしている。(第1、2章)
まず、ネオリベを徹底的に批判しているが、冷戦が終結しグローバルにモノ、カネ、ヒトの動きが加速していくなかで、資源を輸入し製品を輸出するという「貿易立国」の日本だけが蚊帳の外という選択が可能だったのだろうか。仮に排外主義的な政策を固持していたら、現在の経済規模を日本は有していないだろう。
日本が政官財に国民までもが一体となって一方向に頑張れば良かったのは昭和までで、平成からは、各構成員がその知識を深め想像力を鍛えて「自分の進むべき道を自分で選択する時代になった」ということを理解し、時代に立ち向かうべきだったのに、その認識をしっかりした者と、しなかった者の格差が、貧富の「二極化」という結果になったのではないだろうか。
結局は、時代の流れであった「規制の撤廃や緩和」という既得権益を開放する社会構造の変化に付いて来なかったという意味では、完全に自己責任である(ここに社会的弱者は含まれない。彼らは最初から保護の対象である)。
確かに「自己責任」という言葉は便利で、個人の失敗は何でもこの言葉のせいにできてしまうので危険ではあるが、著者のようにそのデメリットばかりを強調するのは如何なものか。求人倍率が低下しても正社員(公務員を含む)として採用される学生がゼロになったわけではない。過去のデータを見たが、それまでの80%台の就職率が50%程度に落ちただけだ。半分以上の学生は無事に就職できているのだ。ようするに、景気の波に左右されやすい中堅クラスの学生の就職が影響を受けたという話である。さらに言えば、下位クラスの学生は例年就職に苦労しているはずだ。そしてそれらの大学を選んだのは他ならぬ自分自身ではないか。
さて、平成の時代の政治・経済を語るに欠かせないキーワードに「民営化」がある。これは親方日の丸の殿様商売が、自己責任のもとで経営手腕が問われるという価値観の大転換だ。
旧国鉄は民営化されてJR各社になった。それまでは毎年のようにストライキ・運賃引き上げを実施、職員の態度も横柄だったが、JRになって「労働貴族」と呼ばれた労組幹部や不良社員を一掃し、新型車両や駅設備等への積極投資を行い輸送手段としての付加価値を向上させ、JR東日本は電子マネーSUICAの普及まで実現した。
旧電電公社もNTTとなり、グループ企業間および他の民間企業とのサービス向上の競争が起き、高速ネットワーク網、モバイル通信などで大きな進展があった。
以上のどちらの民営化も、企業が活性化したことで国民生活に貢献しているのは事実。これが「昭和」のままで、著者のいうネオリベの波に晒されなかったら、日本経済がどうなっていたか想像もできない。
新しい時代を切り開くには、良くも悪くも犠牲が伴うものである。政府の役割はこの犠牲(リストラされる業界や従業員への対応など)を少なくすることだが、必要以上の保護は改革の勢いを削ぐことになりかねない。
この保護のレベルが現状において、まだ許容の範囲内なのか、もう限界にきているのかは、国民が選挙でその意思を示すしかないだろう。著者は貧困化などの原因を、安倍政権の政策運営にあると厳しく批判しているが、ここ数年政権与党が国政選挙で連戦連勝しているのは、「他に選択肢がない」という消極的な理由だけで説明が付くとは思えないのだが。