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恋愛論 完全版 (文庫ぎんが堂) (文庫ぎんが堂 は 4-1) 文庫 – 2014/7/10
橋本治
(著)
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購入オプションとあわせ買い
糸井重里氏絶賛!
「若いときにも泣いたけど、いまでもやっぱり泣いてしまう。」
二村ヒトシ氏推薦!
「かなり影響受けてます! 」
今こそ読みたい人生と恋愛のバイブル!
「愛は一般論で語れるが、恋愛は一般論では語れない。それは、恋愛というものが非常に個人的なことだから」ーーーー著者自身の初恋の体験をテキストとし、色褪せることない普遍的な恋愛哲学を展開した名著『恋愛論』が「完全版」となって復活!
本書は1985年に作家・保坂和志氏(当時、西武百貨店コミュニティ・カレッジに在籍)が企画しておこなわれた講演「恋愛論」がベースになっています。
表題作「恋愛論」のほか、「気むずかしい赤胴鈴之助」、有吉佐和子さんへの追悼文「誰が彼女を殺したか?」、「セーター騒動顛末記」、直筆マンガ「意味と無意味の大戦争」、本人による解説「巨大なナメクジ」を収録。さらに、「最後のあとがき」を新たに収録。
解説:二村ヒトシ
カバーイラスト:白根ゆたんぽ
1 恋愛論
2 気むずかしい赤胴鈴之助
3 誰が彼女を殺したか?
4 セーター騒動顛末記
5 講談社文庫版あとがき
6 著者による解説 巨大なナメクジ
7 マンガ 意味と無意味の大戦争
8 SB文庫版あとがき
9 最後のあとがき
10 解説 二村ヒトシ
「若いときにも泣いたけど、いまでもやっぱり泣いてしまう。」
二村ヒトシ氏推薦!
「かなり影響受けてます! 」
今こそ読みたい人生と恋愛のバイブル!
「愛は一般論で語れるが、恋愛は一般論では語れない。それは、恋愛というものが非常に個人的なことだから」ーーーー著者自身の初恋の体験をテキストとし、色褪せることない普遍的な恋愛哲学を展開した名著『恋愛論』が「完全版」となって復活!
本書は1985年に作家・保坂和志氏(当時、西武百貨店コミュニティ・カレッジに在籍)が企画しておこなわれた講演「恋愛論」がベースになっています。
表題作「恋愛論」のほか、「気むずかしい赤胴鈴之助」、有吉佐和子さんへの追悼文「誰が彼女を殺したか?」、「セーター騒動顛末記」、直筆マンガ「意味と無意味の大戦争」、本人による解説「巨大なナメクジ」を収録。さらに、「最後のあとがき」を新たに収録。
解説:二村ヒトシ
カバーイラスト:白根ゆたんぽ
1 恋愛論
2 気むずかしい赤胴鈴之助
3 誰が彼女を殺したか?
4 セーター騒動顛末記
5 講談社文庫版あとがき
6 著者による解説 巨大なナメクジ
7 マンガ 意味と無意味の大戦争
8 SB文庫版あとがき
9 最後のあとがき
10 解説 二村ヒトシ
- 本の長さ384ページ
- 言語日本語
- 出版社イースト・プレス
- 発売日2014/7/10
- ISBN-104781671128
- ISBN-13978-4781671123
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商品の説明
著者について
橋本 治 はしもとおさむ
作家。1948年、東京生まれ。東京大学文学部国文学科卒業後、イラストレーターとなり、1977年、小説『桃尻娘』でデビュー。小説、評論、戯曲、エッセイ、古典の現代語訳などさまざまなフィールドで活躍。『桃尻語訳枕草子』『窯変源氏物語』『貧乏は正しい! 』『ぼくらのsex』『美男へのレッスン』『宗教なんかこわくない! 』『双調平家物語』『「わからない」という方法』『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』『人はなぜ「美しい」がわかるのか』『上司は思いつきで物を言う』『蝶のゆくえ』『日本の行く道』『あなたの苦手な彼女について』『橋本治と内田樹』(内田樹氏と共著)など著書多数。
作家。1948年、東京生まれ。東京大学文学部国文学科卒業後、イラストレーターとなり、1977年、小説『桃尻娘』でデビュー。小説、評論、戯曲、エッセイ、古典の現代語訳などさまざまなフィールドで活躍。『桃尻語訳枕草子』『窯変源氏物語』『貧乏は正しい! 』『ぼくらのsex』『美男へのレッスン』『宗教なんかこわくない! 』『双調平家物語』『「わからない」という方法』『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』『人はなぜ「美しい」がわかるのか』『上司は思いつきで物を言う』『蝶のゆくえ』『日本の行く道』『あなたの苦手な彼女について』『橋本治と内田樹』(内田樹氏と共著)など著書多数。
登録情報
- 出版社 : イースト・プレス (2014/7/10)
- 発売日 : 2014/7/10
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 384ページ
- ISBN-10 : 4781671128
- ISBN-13 : 978-4781671123
- Amazon 売れ筋ランキング: - 105,198位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1948年東京生まれ。東京大学在学中に駒場祭のポスターで話題を集めるが、イラストレーターから小説家に転身。小説・評論・戯曲・古典の現代語訳・エッ セイ・芝居の演出など、ジャンルにとらわれず精力的に活動。『双調平家物語』で第62回毎日出版文化賞を受けるなど受賞歴多数。小林秀雄賞選考委員(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 桃尻娘 (ISBN-13: 978-4591117552 )』が刊行された当時に掲載されていたものです)
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2019年5月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本に付いている帯に、糸井重里がやっぱり泣いてしまうと書いている。わたしは、有吉佐和子さんへの追悼文「誰が彼女を殺したか?」に泣いてしまった。高円寺駅でバンザイのくだりです。肝心の「恋愛論」の方は、筆者独特の話し言葉で語られる内容に、なるほどと思ったり、なんだかとりとめない話のうちに終わってしまった印象もあり、どこまで共感できたかわからない感じです。「気難しい赤胴鈴之助」は、どんな世代であれ自分の世代の記憶を残しておきたいものだろうかという感想で興味深く読んだ。橋本さんて、ずいぶん年上だったんだなと再認識させられた。
2021年3月25日に日本でレビュー済み
●概要
まだジェンダー関連の解像度、理解、認識が低く、下手をすれば精神的な問題とされた時代に、巧みに、そして文句を言わせないくらい社会的に成功を収め逞しくサバイブした作者が、性別を、社会的枠組みを、越境もしくは超越した場所から届けるのは、
人並み(と思い込んでいる)の恋愛、幸せな(こうあるべきという)結婚の圧力、誰と何処でどのようにするか本来自由で多様性を持つはず恋愛への不寛容、無理解、
物事の理解のために、枠組みに捕らえる事でしか捉えられない囚われた人達、傷付き易く臆病な人達への救いの言葉でした。
今なら差別ガーとなりかねない案件も、自らを加害者にも被害者に貶す事なく、世間の狭量な偏見と切って捨て、後ろ指刺す者を、遥か高みからバカだのめんどうだのどうでもいいだのと一笑に付してみせる剛腕にはただただ見惚れる他有りません。
●内容
タイトル通り恋愛について語られる訳ですが、恋愛話ではなく論となっているだけあってカバーする範囲は広く、恋愛、出会いに対して漠然とした不安を持つ人には、恋愛する理由は有るか、そもそも今の自分、今の生活に恋愛が必要かを客観視させ、圧力に屈した末の消極的な理由、救いを求めての恋愛には警鐘を鳴らすような事もしています。
鳴らすと言っても大袈裟なものではなく、馬鹿だね、上手くいきっこないよ、と大きな怪我には繋がらないレベルの危険に手を出そうとする、好奇心いっぱいの子供を見守るようなそれですが。
そうした波乱含みの恋愛の使われ方として挙げられていたのは、人が持っているものが良い物であった時、無理なく努力なく自分らしさを失わずに手に入れる手段として使用する。
自分の事が好きになれないから、他人に好かれるかどうか、他者評価が大事で、他人に好きになって貰おうとする、他人に代行させるために使用する、等々。
そして、好きになれない自分を隠し、それを他人に見つけて欲しがる。これが『愛されたい』という事であるとも。
こう解説を受けると、上手く行かないケースの恋愛の成り立ち、形が良く分かります。
作者により貫かれていた姿勢は単純にして至高。恋愛と救いを一緒にしない。他人は神聖なもので、簡単に依存するな、雑にするな、まずは自分の足で立て、と。
作中、最も興味深かったのは、恋愛が成立する要件である二つの矛盾する要素についてで、『二人は同じだ』、『この人は自分とは違う』というものでした。
関係が上手くいっている時は、
『似ているからやっていけると思う』、『自分とは違うから惹かれる』になりますが、
駄目になる時は、
『同じ方向を向いていなかった』、『なんだ、自分と同じだったのかと幻滅する』と言います。
例えば、二人は違うのに、『察しろ!』と言ってしまう人は、基本的な愛情を成立させる努力を放棄しており、相手に対して暴力的に『分かれ!分かれ!』とやってしまい、一方に似せる、合わせるという無理をやらせてしまう。
結果、二人の恋愛は上記の駄目な時の『違う』と『同じ』へと至ってしまう、という具合。
これもまた唸らされたのですが、
世界が百人一首のゲームだとして、どうにもこの世界で生き辛いと思っていたら、それもそのはず、自分はどうやらジャンル違いのトランプのジョーカーだったらしいとなった時。
自分が上手くやれないのは世界のルールがおかしいからだと疑い、百一人首にしてそこへ自分のカードを含めるルール、ゲームを作って、勝手に始めてしまうという豪胆さ、柔軟さに感心しきりでした。
何せ、自分で自分が駄目だと認める事は出来ない、許せない、耐えられない、だから認めてくれない世間の方が悪いのだ、という承認欲求の出し方ではなく、罪悪感も被害者意識も仮想敵も必要無いよと教え諭してみせたのですから。
併せて大事なモノの考え方、見方として、目につきがちな自分を嫌いな人より、自分を好きでいてくれる人の方が魅力的で有る、という事実に目を向ける事。
分かる、分からない、無理解も価値基準の一つであり、そんな人の数以上に有る価値基準の中で、実際に適用すべき唯一絶対の価値基準は、自分と自分が好きな相手が二人で決める事である、とも。
作品自体は古い物ですが、今に通じるタイムリーな問題にも触れていました。『好き』の使い方と告ハラです。
自分が相手を好きでいるのは相手を加味しない勝手な状態なので、相手との関係の中において好きである事が重要であり、『好き』を一方的に使うのは相手を無視した行為になる。
故に『好き』を使う時には関係性が決まっている時に行うべし、と。これが犠牲者を作らず、加害者(失恋という意味では犠牲者)にならないために必要な配慮である、と。
恋愛はスタート時点では『好き』というカード一枚だけを持った状態の上、そのままでは使えません。また、相手からも『好き』が返って来ないと意味がない、カードを使ったゲームでもあります。
ならばと人は相手に『好き』のカード一枚を持たせる事を考えがちですが、力技であり、配慮に欠けますし、ゲームとしての矜持と機能を失っています。
そこで使うためのゲームを作り、ルールを整える、他のカードを用意する必要が出て来ます。つまり、二人が、『好き』を使えるような関係の構築、土壌の醸成が必要である、と。簡単に言えば告ハラとゲームとしての負け(失恋)の可能性を減らすためにも、お互いを尊重し、マナーを守って、交友を深めなさい、と。
また、こうも言っています。『好き』は始まりの言葉のように思われがちです。ですが、確かに新たな関係のスタートではあるのですが、一方でこれまでの関係の終わり、状態の確定(お互い好き合っていたんですね。良かったですね。めでたしめでたし)が行われる終わりの言葉でもあります。
等々、本作を通して、恋愛に対する心構え、一緒に恋愛する対象である他者に対する配慮、自分を保つ確固たる価値観と色々学ばせて頂きました。
●本書と橋本治氏の在り方、付き合い方
とは言え、自分も当初から、このように模範的な生徒然として作者と本作に向き合っていた訳ではありません。あくまで自分と異なる時代に活躍し、異なる世代に評価された作家さんという認識でしたし、
(笑)、めんどくさい、どうでもいいけど、話が一向に進まない、が頻出する緩さ、お茶目さが、昭和のギャグ漫画みたいで、事実あまり入り込めずにおりました。
そこで、ネタバレじゃない場合に限り良くやるあとがきから読む、を実行した結果、態度を改める事となった次第です。
それがこちら。人によっては、本作を読む一番の価値、理由は本文ではなく、この追悼文に有ると言っても過言では無いと思うのですが、
#和宮様御留 の作者 #有吉佐和子 氏の人となり、交友が描かれる『誰が彼女を〜』の章。この文章の存在が大変大きく、涙なくしては読めません。
(結論ありき、都合の良いデータ、自称専門家を起用してのセンセーショナルな煽り、逆張り、レッテル貼り、世論誘導と傍若無人な振る舞いを見せていたマスコミが、
SNSにより情報伝達のスピードが上がり、ゴシップ対象の本人に直接否定されたり、本職の専門家に看破されるようになり、マスコミがマスゴミと揶揄されるようになって久しいですが、ここで明らかにされる件も御多分に洩れず)
あとがき回り読後は、その真っ直ぐな心根にやられ、改めて本文読み進めて行くうちに、時代、社会背景、ジェンダーの問題に絡み取られる事無く、凛としてあった生き様に圧倒されるに至り、襟を正した次第です。ただの苦労人ではなく成果を出す苦労人に人はドラマを見ますし、弱いものですから。
その生き様、強さが如何にして培われたかですが、時は昭和、24時間働けるか否かがビジネスマンに広く問われた、恥と我慢と尊敬で世界が回る厳しい前近代。
出来ないと泣き事を言う前に出来るような努力をしなければならない時代。そこでは、したつもりの努力も結果として現れなければ努力のうちに入りません。
そんな時代をサバイブした結果得たものですから、弱さを認め、頑張れないのも個性と受け入れられる、誰もが成功大成を理想とする訳ではない、多種多様な在り方に、理解と認知が求められる現代においては、
今や誰もが真似出来る強さでは有りません。その上、タヒを意識した時でさえ、タヒそのものよりタヒを止める理由、タヒなない理由が無い事の方が恐ろしい、とまで語るのですから。
そんな作者が真に凄い(強い)所は、どうなれば、どうあれば良いかを示しつつも、他者には決して強要しない所です。
しない、できない人を馬鹿だね、というだけ。それなのに安心を与える言葉はかけ続けてくれる。この求めない人から与えられる無償の優しさ、もたらされる愛の深さたるや。
読み終えて、この無償の愛(書籍代825円)に応える言葉は何か、ずっと考えていました。そして多分これが正解に近いのではないかと結論しました。
ありがとう、もう大丈夫だよ。
まだジェンダー関連の解像度、理解、認識が低く、下手をすれば精神的な問題とされた時代に、巧みに、そして文句を言わせないくらい社会的に成功を収め逞しくサバイブした作者が、性別を、社会的枠組みを、越境もしくは超越した場所から届けるのは、
人並み(と思い込んでいる)の恋愛、幸せな(こうあるべきという)結婚の圧力、誰と何処でどのようにするか本来自由で多様性を持つはず恋愛への不寛容、無理解、
物事の理解のために、枠組みに捕らえる事でしか捉えられない囚われた人達、傷付き易く臆病な人達への救いの言葉でした。
今なら差別ガーとなりかねない案件も、自らを加害者にも被害者に貶す事なく、世間の狭量な偏見と切って捨て、後ろ指刺す者を、遥か高みからバカだのめんどうだのどうでもいいだのと一笑に付してみせる剛腕にはただただ見惚れる他有りません。
●内容
タイトル通り恋愛について語られる訳ですが、恋愛話ではなく論となっているだけあってカバーする範囲は広く、恋愛、出会いに対して漠然とした不安を持つ人には、恋愛する理由は有るか、そもそも今の自分、今の生活に恋愛が必要かを客観視させ、圧力に屈した末の消極的な理由、救いを求めての恋愛には警鐘を鳴らすような事もしています。
鳴らすと言っても大袈裟なものではなく、馬鹿だね、上手くいきっこないよ、と大きな怪我には繋がらないレベルの危険に手を出そうとする、好奇心いっぱいの子供を見守るようなそれですが。
そうした波乱含みの恋愛の使われ方として挙げられていたのは、人が持っているものが良い物であった時、無理なく努力なく自分らしさを失わずに手に入れる手段として使用する。
自分の事が好きになれないから、他人に好かれるかどうか、他者評価が大事で、他人に好きになって貰おうとする、他人に代行させるために使用する、等々。
そして、好きになれない自分を隠し、それを他人に見つけて欲しがる。これが『愛されたい』という事であるとも。
こう解説を受けると、上手く行かないケースの恋愛の成り立ち、形が良く分かります。
作者により貫かれていた姿勢は単純にして至高。恋愛と救いを一緒にしない。他人は神聖なもので、簡単に依存するな、雑にするな、まずは自分の足で立て、と。
作中、最も興味深かったのは、恋愛が成立する要件である二つの矛盾する要素についてで、『二人は同じだ』、『この人は自分とは違う』というものでした。
関係が上手くいっている時は、
『似ているからやっていけると思う』、『自分とは違うから惹かれる』になりますが、
駄目になる時は、
『同じ方向を向いていなかった』、『なんだ、自分と同じだったのかと幻滅する』と言います。
例えば、二人は違うのに、『察しろ!』と言ってしまう人は、基本的な愛情を成立させる努力を放棄しており、相手に対して暴力的に『分かれ!分かれ!』とやってしまい、一方に似せる、合わせるという無理をやらせてしまう。
結果、二人の恋愛は上記の駄目な時の『違う』と『同じ』へと至ってしまう、という具合。
これもまた唸らされたのですが、
世界が百人一首のゲームだとして、どうにもこの世界で生き辛いと思っていたら、それもそのはず、自分はどうやらジャンル違いのトランプのジョーカーだったらしいとなった時。
自分が上手くやれないのは世界のルールがおかしいからだと疑い、百一人首にしてそこへ自分のカードを含めるルール、ゲームを作って、勝手に始めてしまうという豪胆さ、柔軟さに感心しきりでした。
何せ、自分で自分が駄目だと認める事は出来ない、許せない、耐えられない、だから認めてくれない世間の方が悪いのだ、という承認欲求の出し方ではなく、罪悪感も被害者意識も仮想敵も必要無いよと教え諭してみせたのですから。
併せて大事なモノの考え方、見方として、目につきがちな自分を嫌いな人より、自分を好きでいてくれる人の方が魅力的で有る、という事実に目を向ける事。
分かる、分からない、無理解も価値基準の一つであり、そんな人の数以上に有る価値基準の中で、実際に適用すべき唯一絶対の価値基準は、自分と自分が好きな相手が二人で決める事である、とも。
作品自体は古い物ですが、今に通じるタイムリーな問題にも触れていました。『好き』の使い方と告ハラです。
自分が相手を好きでいるのは相手を加味しない勝手な状態なので、相手との関係の中において好きである事が重要であり、『好き』を一方的に使うのは相手を無視した行為になる。
故に『好き』を使う時には関係性が決まっている時に行うべし、と。これが犠牲者を作らず、加害者(失恋という意味では犠牲者)にならないために必要な配慮である、と。
恋愛はスタート時点では『好き』というカード一枚だけを持った状態の上、そのままでは使えません。また、相手からも『好き』が返って来ないと意味がない、カードを使ったゲームでもあります。
ならばと人は相手に『好き』のカード一枚を持たせる事を考えがちですが、力技であり、配慮に欠けますし、ゲームとしての矜持と機能を失っています。
そこで使うためのゲームを作り、ルールを整える、他のカードを用意する必要が出て来ます。つまり、二人が、『好き』を使えるような関係の構築、土壌の醸成が必要である、と。簡単に言えば告ハラとゲームとしての負け(失恋)の可能性を減らすためにも、お互いを尊重し、マナーを守って、交友を深めなさい、と。
また、こうも言っています。『好き』は始まりの言葉のように思われがちです。ですが、確かに新たな関係のスタートではあるのですが、一方でこれまでの関係の終わり、状態の確定(お互い好き合っていたんですね。良かったですね。めでたしめでたし)が行われる終わりの言葉でもあります。
等々、本作を通して、恋愛に対する心構え、一緒に恋愛する対象である他者に対する配慮、自分を保つ確固たる価値観と色々学ばせて頂きました。
●本書と橋本治氏の在り方、付き合い方
とは言え、自分も当初から、このように模範的な生徒然として作者と本作に向き合っていた訳ではありません。あくまで自分と異なる時代に活躍し、異なる世代に評価された作家さんという認識でしたし、
(笑)、めんどくさい、どうでもいいけど、話が一向に進まない、が頻出する緩さ、お茶目さが、昭和のギャグ漫画みたいで、事実あまり入り込めずにおりました。
そこで、ネタバレじゃない場合に限り良くやるあとがきから読む、を実行した結果、態度を改める事となった次第です。
それがこちら。人によっては、本作を読む一番の価値、理由は本文ではなく、この追悼文に有ると言っても過言では無いと思うのですが、
#和宮様御留 の作者 #有吉佐和子 氏の人となり、交友が描かれる『誰が彼女を〜』の章。この文章の存在が大変大きく、涙なくしては読めません。
(結論ありき、都合の良いデータ、自称専門家を起用してのセンセーショナルな煽り、逆張り、レッテル貼り、世論誘導と傍若無人な振る舞いを見せていたマスコミが、
SNSにより情報伝達のスピードが上がり、ゴシップ対象の本人に直接否定されたり、本職の専門家に看破されるようになり、マスコミがマスゴミと揶揄されるようになって久しいですが、ここで明らかにされる件も御多分に洩れず)
あとがき回り読後は、その真っ直ぐな心根にやられ、改めて本文読み進めて行くうちに、時代、社会背景、ジェンダーの問題に絡み取られる事無く、凛としてあった生き様に圧倒されるに至り、襟を正した次第です。ただの苦労人ではなく成果を出す苦労人に人はドラマを見ますし、弱いものですから。
その生き様、強さが如何にして培われたかですが、時は昭和、24時間働けるか否かがビジネスマンに広く問われた、恥と我慢と尊敬で世界が回る厳しい前近代。
出来ないと泣き事を言う前に出来るような努力をしなければならない時代。そこでは、したつもりの努力も結果として現れなければ努力のうちに入りません。
そんな時代をサバイブした結果得たものですから、弱さを認め、頑張れないのも個性と受け入れられる、誰もが成功大成を理想とする訳ではない、多種多様な在り方に、理解と認知が求められる現代においては、
今や誰もが真似出来る強さでは有りません。その上、タヒを意識した時でさえ、タヒそのものよりタヒを止める理由、タヒなない理由が無い事の方が恐ろしい、とまで語るのですから。
そんな作者が真に凄い(強い)所は、どうなれば、どうあれば良いかを示しつつも、他者には決して強要しない所です。
しない、できない人を馬鹿だね、というだけ。それなのに安心を与える言葉はかけ続けてくれる。この求めない人から与えられる無償の優しさ、もたらされる愛の深さたるや。
読み終えて、この無償の愛(書籍代825円)に応える言葉は何か、ずっと考えていました。そして多分これが正解に近いのではないかと結論しました。
ありがとう、もう大丈夫だよ。
2014年8月24日に日本でレビュー済み
文庫ぎんが堂版で付け加えられた「最後のあとがき」に、「アナと雪の女王」の小ネタがあって、"Let It Go" の橋本訳が振るっている。やっぱり「ありのままで」じゃないよねってことなんだけれど、それだよなあと笑ってしまった。まあ、これはほんとにどうでもいい話だけれど。
勘所を押さえるのが上手なこの人は、素知らぬ顔で皆が通って行くところで、一人ちょっと待てと言う。先日も朝日新聞で「集団的自衛権」について論じていたんだけど、「集団的自衛権」について自分の意見 ――「集団的自衛権」に頭から反対することはできない ―― を述べたあとで、でもほんとに問題なのは集団的自衛権じゃなくて、その是非を議論する仕方を忘れて馬鹿になってしまった国民だと、きっと平気な顔して、そんな当たり前を朝日新聞に書いてしまう。まあ、これもどうでもいい話。
で、なんで私はこんな話を書いているかというと、橋本治はぜんぜん優しい人じゃない、ということを確認するため。いや、厳しいことをわざわざ言うという意味では、もう抜群に優しい人なんだけれど、まずは読者に対して「お前らは何でそんなに馬鹿なの?」って怒る人なの。(なのに、自分が馬鹿だと言われていることすら分からない馬鹿は、自分の恋愛観を橋本治が励ましてくれたような気になってやがったりしてさ。まったくもう。)
話を戻すと、その新聞記事を読んで笑ってしまう私は、橋本治の本を読むと、毎度毎度「お前は馬鹿だなァ」と言われている気がするわけだけれど、それは腹立しいと同時に快感でもあるわけ。だって橋本治は頭がいいから。彼の頭のよさというのは、理論的な頭がものすごく切れるのに、そこに平然と情念(つまり好き嫌い)というものがくっついて来ることで、この情念がくっついて来るというのが、普通の頭のいい男にはできないことなのね。普通の頭のいい男が理論的に片付けようとして上手く行かないところに、情念の論理を持ち出すことで片付けてしまうのが、橋本治という男なんだ。恋愛という事象についての理性的な分析と、彼が恋愛していたときの気持ちと、この両輪でこの「恋愛論」は進んでいく。しつこく、うねうねうねうね進んでいく。やっぱり面倒くさい。まあ、それもいつものことだけれど。
ちゃんと自分の情念に向き合うのは、たいてい億劫だし、時にはこわくて、それをちゃんとやらない自分もいることを自覚している私は、「そういう人っていうのは、・・・感動を一人じめにするっていうことをしないのね。感動したら、それを必ず文章に綴ってみないときがおさまらない人、とかね」(p. 32) という橋本治の軽蔑の言葉にドキッとしてしまう。自分が感動するということを怖がるやつに、ちゃんとした恋愛はできないと言って、彼はそういう人間のことを嫌う。そんな橋本治は、「俺って、他人に『恋愛感情って、こういうもんだよ』って、そういうことを教えるような役回り、というか位置に存在してるの」(p. 173) と、実にあっけらかんとした自画自賛をして、その「橋本治が存在する位置」ってどんな位置なのかという彼自身の解説がかなりファンシーで面白いんだけれど、ここで「そういうことを教える」っていうのは、もちろん相手の男が橋本治に恋愛感情を持っちゃうということなわけ。こういう人の恋愛論だから、それなりの覚悟を決めてから読まなきゃいけない。甘くはない。そう身構えている私でも、橋本治の本を読むと思わず涙が出る。もちろん感動の涙じゃない。自分のバカさ加減を思い知らされる悔し涙だ! ざま見ろ! 悔しがることすらできない馬鹿共め!
勘所を押さえるのが上手なこの人は、素知らぬ顔で皆が通って行くところで、一人ちょっと待てと言う。先日も朝日新聞で「集団的自衛権」について論じていたんだけど、「集団的自衛権」について自分の意見 ――「集団的自衛権」に頭から反対することはできない ―― を述べたあとで、でもほんとに問題なのは集団的自衛権じゃなくて、その是非を議論する仕方を忘れて馬鹿になってしまった国民だと、きっと平気な顔して、そんな当たり前を朝日新聞に書いてしまう。まあ、これもどうでもいい話。
で、なんで私はこんな話を書いているかというと、橋本治はぜんぜん優しい人じゃない、ということを確認するため。いや、厳しいことをわざわざ言うという意味では、もう抜群に優しい人なんだけれど、まずは読者に対して「お前らは何でそんなに馬鹿なの?」って怒る人なの。(なのに、自分が馬鹿だと言われていることすら分からない馬鹿は、自分の恋愛観を橋本治が励ましてくれたような気になってやがったりしてさ。まったくもう。)
話を戻すと、その新聞記事を読んで笑ってしまう私は、橋本治の本を読むと、毎度毎度「お前は馬鹿だなァ」と言われている気がするわけだけれど、それは腹立しいと同時に快感でもあるわけ。だって橋本治は頭がいいから。彼の頭のよさというのは、理論的な頭がものすごく切れるのに、そこに平然と情念(つまり好き嫌い)というものがくっついて来ることで、この情念がくっついて来るというのが、普通の頭のいい男にはできないことなのね。普通の頭のいい男が理論的に片付けようとして上手く行かないところに、情念の論理を持ち出すことで片付けてしまうのが、橋本治という男なんだ。恋愛という事象についての理性的な分析と、彼が恋愛していたときの気持ちと、この両輪でこの「恋愛論」は進んでいく。しつこく、うねうねうねうね進んでいく。やっぱり面倒くさい。まあ、それもいつものことだけれど。
ちゃんと自分の情念に向き合うのは、たいてい億劫だし、時にはこわくて、それをちゃんとやらない自分もいることを自覚している私は、「そういう人っていうのは、・・・感動を一人じめにするっていうことをしないのね。感動したら、それを必ず文章に綴ってみないときがおさまらない人、とかね」(p. 32) という橋本治の軽蔑の言葉にドキッとしてしまう。自分が感動するということを怖がるやつに、ちゃんとした恋愛はできないと言って、彼はそういう人間のことを嫌う。そんな橋本治は、「俺って、他人に『恋愛感情って、こういうもんだよ』って、そういうことを教えるような役回り、というか位置に存在してるの」(p. 173) と、実にあっけらかんとした自画自賛をして、その「橋本治が存在する位置」ってどんな位置なのかという彼自身の解説がかなりファンシーで面白いんだけれど、ここで「そういうことを教える」っていうのは、もちろん相手の男が橋本治に恋愛感情を持っちゃうということなわけ。こういう人の恋愛論だから、それなりの覚悟を決めてから読まなきゃいけない。甘くはない。そう身構えている私でも、橋本治の本を読むと思わず涙が出る。もちろん感動の涙じゃない。自分のバカさ加減を思い知らされる悔し涙だ! ざま見ろ! 悔しがることすらできない馬鹿共め!
2023年8月7日に日本でレビュー済み
橋本治の本にしては分かりやすい。論旨明快で話もあちこち飛ばずにつながっている。講演録を半分に削って三百枚書き足したもの、とのこと(あとがきより)で、だから分かりやすいのか? 講演録というより恋愛小説のよう。
2015年8月9日に日本でレビュー済み
『恋愛論』というタイトルは、少し的を外していると思う。本当に「恋愛論」として読むならば★2つだと思っていたが、、、
というのも、『恋愛論』というタイトルから想像されるような抽象的な議論の占めるウェイトが質的・量的ともに非常に小さいのである。36歳当時の橋本治の自分語りが大半を占めているので、橋本治個人に興味がなければ詰まらない。そもそも、約30年前の講演から起こした口語体の文章が抽象的議論に馴染まないし、橋本治にそれを求めるのもお門違いだ(笑)。読んでいるとまるで80年代のイタい青年誌、週刊誌を読んでいるような感覚になってきて、内容も頭にすんなり入ってくるようで実は入ってこない、非常に読みにくい文章。だが、今でこそ珍しくもない主張だが、80年代半ばに「恋愛には向き不向きがある」「皆が恋愛を必要としているわけじゃない」と言い放った橋本治はやはり凄くて、でも今、これを読んでも「そんなの当たり前じゃん」で終わってしまう。
「あぁ、せいぜい★2つかな、つまんねー本だな」と苦行をしているかのような錯覚を覚えつつ退屈な文章を読み続けていったが、なんと、最後の文章がとんでもなく凄かった。引用しよう。
”なんか、この世の中には「大丈夫なの」っていう、そういう保証だけがないみたいだから言っちゃうんだけどサ、「大丈夫だよ」って、俺は、そう思うけどね。”
痺れた。
「恋愛論」と離れちゃうけど、今の世の中に生きていて「大丈夫なの」って思ってない人なんているのかな?みんなそう思ってるよね?このままで「大丈夫なの」って不安になってるよね?でも、30年前から世の中はずっと「大丈夫なの」だったんだと気付いた。そして、橋本治の「大丈夫だよ」に救われる。そんな本だった。
蛇足ですが、最後の二村ヒトシの解説がなかなか秀逸なので読む価値大ありです。『恋愛論』のタイトルが微妙なので★-1、それ以外は★5でした。
というのも、『恋愛論』というタイトルから想像されるような抽象的な議論の占めるウェイトが質的・量的ともに非常に小さいのである。36歳当時の橋本治の自分語りが大半を占めているので、橋本治個人に興味がなければ詰まらない。そもそも、約30年前の講演から起こした口語体の文章が抽象的議論に馴染まないし、橋本治にそれを求めるのもお門違いだ(笑)。読んでいるとまるで80年代のイタい青年誌、週刊誌を読んでいるような感覚になってきて、内容も頭にすんなり入ってくるようで実は入ってこない、非常に読みにくい文章。だが、今でこそ珍しくもない主張だが、80年代半ばに「恋愛には向き不向きがある」「皆が恋愛を必要としているわけじゃない」と言い放った橋本治はやはり凄くて、でも今、これを読んでも「そんなの当たり前じゃん」で終わってしまう。
「あぁ、せいぜい★2つかな、つまんねー本だな」と苦行をしているかのような錯覚を覚えつつ退屈な文章を読み続けていったが、なんと、最後の文章がとんでもなく凄かった。引用しよう。
”なんか、この世の中には「大丈夫なの」っていう、そういう保証だけがないみたいだから言っちゃうんだけどサ、「大丈夫だよ」って、俺は、そう思うけどね。”
痺れた。
「恋愛論」と離れちゃうけど、今の世の中に生きていて「大丈夫なの」って思ってない人なんているのかな?みんなそう思ってるよね?このままで「大丈夫なの」って不安になってるよね?でも、30年前から世の中はずっと「大丈夫なの」だったんだと気付いた。そして、橋本治の「大丈夫だよ」に救われる。そんな本だった。
蛇足ですが、最後の二村ヒトシの解説がなかなか秀逸なので読む価値大ありです。『恋愛論』のタイトルが微妙なので★-1、それ以外は★5でした。
2021年5月12日に日本でレビュー済み
橋本治「恋愛論」、全く内容が入ってこない。
話があちこち飛んだり「まあそういうことです」とかまとめるので、意味も文脈も何も掴めない。
語り口調だから読みやすいのになぁ。
ためしに橋本治の喋ってる動画も見てみたけど、そちらも何言ってるのかさっぱりだった。
「合わない」とはこういうこと。
何を言ってるのかが少しでもつかめればよいのだけど、50ページくらいよんだものの、何もわからない、つかめない……。
あと、帯文が糸井重里なもんで、それが目に入るたびにイラッとしてたので、帯はいま捨てた。
話があちこち飛んだり「まあそういうことです」とかまとめるので、意味も文脈も何も掴めない。
語り口調だから読みやすいのになぁ。
ためしに橋本治の喋ってる動画も見てみたけど、そちらも何言ってるのかさっぱりだった。
「合わない」とはこういうこと。
何を言ってるのかが少しでもつかめればよいのだけど、50ページくらいよんだものの、何もわからない、つかめない……。
あと、帯文が糸井重里なもんで、それが目に入るたびにイラッとしてたので、帯はいま捨てた。