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オウバアキル 単行本 – 2004/11/1
三角 みづ紀
(著)
- 本の長さ96ページ
- 言語日本語
- 出版社思潮社
- 発売日2004/11/1
- ISBN-104783719578
- ISBN-13978-4783719571
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登録情報
- 出版社 : 思潮社 (2004/11/1)
- 発売日 : 2004/11/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 96ページ
- ISBN-10 : 4783719578
- ISBN-13 : 978-4783719571
- Amazon 売れ筋ランキング: - 788,323位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 218,750位文学・評論 (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2014年5月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
いじめられっ子の悲痛な叫びが聞こえた。社会福祉をしている者は読んでほしい。
2005年7月17日に日本でレビュー済み
様々な批判を浴びている詩集であるが、「詩とは」という常識的な定義に当てはまるか否かという陳腐で皮相的なアプローチは、この詩集を理解する上で何の手がかりも与えない。『オウバアキルに寄せて』という本書に関する噴飯物の批評も、却って無い方が良い。
欧米に並び豊かで幸せな先進国日本に生まれて良かった、赤ん坊の三分の一が5歳になる以前に死亡する貧しい国へ支援の手をという、国際政治・経済学者、巨大企業、有名作家、職業詩人の浅はかなアピールを我々は宗教のように信じてきた。よく言われることだが「何が難しいといって、自分の文化を理解することほど困難なことはない」のである。
自分が生きている社会の「幸福感」や「正常さ」を根本的に疑う視点がなければ、総体的に、そして、相対的に、日本社会の現実、そして、その中で生きる住人の心の内を語ることはできない。それは、自分たちが美徳、成功、幸福そして正常と信ずる価値体系の中に生きる人々にとっては不快で理解不能な所業なのである。
突き詰めた言葉の可能性への挑戦、特に、日本語のアクロバティックな駆使によって、実は意外に多いかも知れないこの社会の歪みの中に生きる異邦人たちの告白を綴ったこの作品は、既製の産業商品としての「詩」を美しく破壊している。三角みづ紀は、現代医学の視点からは「病気」を患っているかも知れないし、彼女自身である「詩」が書けなくなった時、この世を去るかも知れないが、そんなことは、この詩集と何の関係も無い些事であろう。
欧米に並び豊かで幸せな先進国日本に生まれて良かった、赤ん坊の三分の一が5歳になる以前に死亡する貧しい国へ支援の手をという、国際政治・経済学者、巨大企業、有名作家、職業詩人の浅はかなアピールを我々は宗教のように信じてきた。よく言われることだが「何が難しいといって、自分の文化を理解することほど困難なことはない」のである。
自分が生きている社会の「幸福感」や「正常さ」を根本的に疑う視点がなければ、総体的に、そして、相対的に、日本社会の現実、そして、その中で生きる住人の心の内を語ることはできない。それは、自分たちが美徳、成功、幸福そして正常と信ずる価値体系の中に生きる人々にとっては不快で理解不能な所業なのである。
突き詰めた言葉の可能性への挑戦、特に、日本語のアクロバティックな駆使によって、実は意外に多いかも知れないこの社会の歪みの中に生きる異邦人たちの告白を綴ったこの作品は、既製の産業商品としての「詩」を美しく破壊している。三角みづ紀は、現代医学の視点からは「病気」を患っているかも知れないし、彼女自身である「詩」が書けなくなった時、この世を去るかも知れないが、そんなことは、この詩集と何の関係も無い些事であろう。