私は中学でブルマを知りました。
初め見たときは、女子のズボンは何であんなに短いのかなあと思ったことを覚えています。
短くて尻に張り付いた変わったズボンだなと思いました。
普段は膝下10cm(校則で決まっている)のスカートをはいた女子が、
真っ白い太腿の付け根まで見せて、ぎこちなく走っていました。
中学では、男女で体操服が違うのかと知った瞬間です。
それがブルマーという体操服で、女子にとっては恥ずかしくてたまらない物だと知って、
意識するようになりました。
体育祭のリレー走りたくない、開会式で前に立ちたくない、と言う人もいました。
体育の授業には長ズボン穿いて来て、先生が来た時にブルマー姿になる、嫌々脱ぐ表情に興奮していました。
体育祭で並んだ時は、斜め前の女子の太腿に目がいって、集中できませんでした。
横に白い細い線がある緑色のブルマーでした。
どんな理由でブルマーを穿くようになったのか、諸説あるようですが、1つだけ言えることは、当時ブルマーを肯定する風潮があったのだろうと言うことです。
女子生徒は恥ずかしがったとしても、親の世代は反対しなかった。
小学校は女性の教師が多いと思いますが、そこでも反対する者はいなかったのでしょう。
私の中学時代でも、保護者がブルマーをやめて欲しいと言った話は聞いたことがありません。
ブルマーを穿いた最初の学年の女性はどんな気持ちだったのかと聞きたくなりました。
無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
ブルマーの社会史: 女子体育へのまなざし (青弓社ライブラリー 36) 単行本 – 2005/4/1
高橋 一郎
(著)
- ISBN-104787232428
- ISBN-13978-4787232427
- 出版社青弓社
- 発売日2005/4/1
- 言語日本語
- 本の長さ250ページ
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
登録情報
- 出版社 : 青弓社 (2005/4/1)
- 発売日 : 2005/4/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 250ページ
- ISBN-10 : 4787232428
- ISBN-13 : 978-4787232427
- Amazon 売れ筋ランキング: - 968,076位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。
著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2022年7月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ブルマは、痴漢対策にもなる。
2022年4月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「ブルマーの謎」を読み、社会学的な関心から本書のKindle版を購入した。しかしテキストデータではなく、まさかの現物(?)スキャン画像集であった。しかも低品質の。これでは読みづらいばかりか、資料としての価値を大きく損なっている。電子書籍に対して真摯に向き合ってほしいと願うのは贅沢なのだろうか。
2009年4月26日に日本でレビュー済み
ブルマーに関する議論ほど賛否両論、男と女でまっぷたつに見解が分かれる話題も珍しい。それだけに、中立的な視点が持ちにくいともいえる。
その意味で「戦後史」を扱う第四章だけは他の章に比べて中立性を欠き、どうも廃止の正当性を証明するだけに終始しているような印象がある。ピッタリ型に移行した当初から不満・反発の声が圧倒的多数だった証拠をデータで示すくらいなら、それにもかかわらず30年近くも強制させた点で、むしろ現代日本に見る学校教育のあり方こそ批判対象として然るべきだ。なお仮に男子の側が、例えば競泳用水着の件で、同様の不満・反発の声をあげたとしたら、おそらく『 男の子が心をひらく親、拒絶する親 』にて、しばしば言及される処の「男の掟」を口実に、我慢が足りないなどとの理屈で押し切られたに違いない。
また忌避理由についても、羞恥心や強制力によるとの声を挙げているが、前者であればビキニ水着を販売停止とし、後者であれば制服自体を廃止するくらいでなければ、片手落ちになろう。従って、単なる廃止実行は受動的反応による対症療法にすぎない。
もちろんブルマーの導入・改良過程も女生徒への体育振興における服装改良であったのだが、その最終的な進化形態に対しても「女性性」のイメージでしか見ないほど、男の性欲は罪作りなものである。それは廃止によって沈静化するどころかさらに悪質化し、少女を狙った犯罪事件も多発するようになったのだから、何の解決にもなっていない。
やはり諸悪の根源は、ロリータ・フェティシズムといった不健全な形による性の解放そのものにあろう。廃止の直接的な引き金となったブルセラ騒動にしても、忌避の一方で女性性の商品化自体は肯定するという、いびつな形の自己決定権がその根底にある。にもかかわらず、単に廃止するだけで「改善」とするような論調は、少し不満だった。
その意味で「戦後史」を扱う第四章だけは他の章に比べて中立性を欠き、どうも廃止の正当性を証明するだけに終始しているような印象がある。ピッタリ型に移行した当初から不満・反発の声が圧倒的多数だった証拠をデータで示すくらいなら、それにもかかわらず30年近くも強制させた点で、むしろ現代日本に見る学校教育のあり方こそ批判対象として然るべきだ。なお仮に男子の側が、例えば競泳用水着の件で、同様の不満・反発の声をあげたとしたら、おそらく『 男の子が心をひらく親、拒絶する親 』にて、しばしば言及される処の「男の掟」を口実に、我慢が足りないなどとの理屈で押し切られたに違いない。
また忌避理由についても、羞恥心や強制力によるとの声を挙げているが、前者であればビキニ水着を販売停止とし、後者であれば制服自体を廃止するくらいでなければ、片手落ちになろう。従って、単なる廃止実行は受動的反応による対症療法にすぎない。
もちろんブルマーの導入・改良過程も女生徒への体育振興における服装改良であったのだが、その最終的な進化形態に対しても「女性性」のイメージでしか見ないほど、男の性欲は罪作りなものである。それは廃止によって沈静化するどころかさらに悪質化し、少女を狙った犯罪事件も多発するようになったのだから、何の解決にもなっていない。
やはり諸悪の根源は、ロリータ・フェティシズムといった不健全な形による性の解放そのものにあろう。廃止の直接的な引き金となったブルセラ騒動にしても、忌避の一方で女性性の商品化自体は肯定するという、いびつな形の自己決定権がその根底にある。にもかかわらず、単に廃止するだけで「改善」とするような論調は、少し不満だった。
2017年1月15日に日本でレビュー済み
日本で1910年代から体育の授業で着用が義務付けられ、90年代に廃れていったブルマーの近現代史。20世紀初頭から流行り始めた女子教育と運動を関係づけて述べています。
19世紀的な袴が世紀転換期にはくくり袴となり、1910年代にブルマーが定着しはじめました。この時期のブルマーは、旧習からの解放という意味合いをもっていましたが、90年代には女子学生を抑圧するアイテムだと認識されていきます。それがブルマーのジレンマという風に記されていて面白い所です。
ブルマーの社会史―女子体育へのまなざし (青弓社ライブラリー)
19世紀的な袴が世紀転換期にはくくり袴となり、1910年代にブルマーが定着しはじめました。この時期のブルマーは、旧習からの解放という意味合いをもっていましたが、90年代には女子学生を抑圧するアイテムだと認識されていきます。それがブルマーのジレンマという風に記されていて面白い所です。
ブルマーの社会史―女子体育へのまなざし (青弓社ライブラリー)
2018年9月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
奥が深く面白い内容でした。社会学であり、正統な男女性別史ですね。
2005年7月7日に日本でレビュー済み
1946~70年生まれの5人の男女の社会学者・体育史家による2005年刊行の250頁程の本。近世以来、女性は男性と区別され、家の中でおしとやかに家事を行なうことが望まれた。その結果、女性の服は機能性を軽視する形状になっていた。明治以降、女学生の体育が問題化されてから、こうした女性観・女性服のあり方が再検討されていく。男女観の揺らぎを伴いながら、明治後期の女袴から大正期のくくり袴へ、更に洋装の浸透や女性スポーツの競技化と共に、セーラー服&スカート・ショートパンツへの転換が生ずる。続いて、戦後の民主化の中で男女共学化にもかかわらず男女別修体育が導入されたことにより、ブルマーが本格的に学校に導入される素地が整った。1970年代中頃までは、紺のちょうちんブルマーと白のショートパンツが主流であったが、機能性の追求、化学繊維・生理用品の開発の結果、1960年代以降、伸縮性のあるぴったり化学繊維ブルマーが徐々に学校体育着の王者の地位を獲得してゆく。しかしこれは機能的である反面、足が出る、下着が出る、体の線が出る、といった点で、女子には不満も多いものであり、学校が安価にまとめ買いすることによって維持されていたものであった。このように女子体育着は機能性・開放性を追求する中で、男性からの性的視線をも集め、女子に羞恥心を喚起し、上着の裾を伸ばす、ジャージをはく等の防衛策をとらせることになる。やがて1980年代に、高度成長の終焉の結果である脱規律化された「楽しい体育」への転換、服装のユニ・セックス化、性の商品化と自己決定権の強調が生じると、ブルマーの性的意味合いが顕在化し、1990年代、女子中・高生の性行動の当然化、近代家族観の揺らぎ、ブルセラ・ブーム等の中で、ついにブルマーは急速に学校から排除されることになる。