欧米列強の圧迫に対して、いかに明治日本が対応していこうとしていたのか?
天皇による一視同仁、皆赤子として、平等に見る、という基調の思想感を持ちながら。「日本人」としてのアイデンティティを強要し、受け入れなければ差別をする。
植民地なのか?日本なのか?どういう思想をもって、台湾・朝鮮・沖縄・アイヌに向き合っていくのか?曖昧模糊とし、ご都合主義に陥らざるを得ないなか、不十分な統治機構「総督府」という憲法の中に入るのか入らないのか不明瞭な存在を抱え、その後の中央の統制が効かない満州・関東軍の存在を予見させる記述。
戦後の沖縄史についても、理解が深まる。
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「日本人」の境界―沖縄・アイヌ・台湾・朝鮮 植民地支配から復帰運動まで 単行本 – 1998/7/1
小熊 英二
(著)
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- 本の長さ778ページ
- 言語日本語
- 出版社新曜社
- 発売日1998/7/1
- ISBN-104788506483
- ISBN-13978-4788506480
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
「単一民族神話の起源」の著者が、琉球処分より台湾・朝鮮統治を経て沖縄復帰まで、近代日本の100年にわたる「植民地」政策の言説をつぶさに検証。「日本人」の境界とその揺らぎを探究する。
登録情報
- 出版社 : 新曜社 (1998/7/1)
- 発売日 : 1998/7/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 778ページ
- ISBN-10 : 4788506483
- ISBN-13 : 978-4788506480
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上位レビュー、対象国: 日本
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2021年10月3日に日本でレビュー済み
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2014年7月28日に日本でレビュー済み
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日本の台湾及び朝鮮の植民地支配の実態とその比較をある程度理解
出来たことを評価した。
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2017年4月22日に日本でレビュー済み
本書は、日本の植民地支配を通して生まれた「日本人」というものが一体何であったのかということを、沖縄・アイヌ・台湾・朝鮮の人々への時の政府の政策、あるいは知識人や一庶民の言葉をもとに、明らかにしていく大作。
著者は、「日本人」という概念は固定的なものではなく可動するものであり、その境界線にあたる地域や人々は、その時期や政策ごとになされる国家側の判断によって、包摂あるいは排除の対象とされる、と述べている。
また、これは国家側の裁量によって変わるものである以上、今まで認められていた「日本人」から外される人々も生まれてきていたことを指摘している。
沖縄・アイヌ・台湾・朝鮮の人々がどのようにして「日本人」として作られていったのかという問題とともに、日本人の植民地政策などに関心のある人にお薦めの本。
著者は、「日本人」という概念は固定的なものではなく可動するものであり、その境界線にあたる地域や人々は、その時期や政策ごとになされる国家側の判断によって、包摂あるいは排除の対象とされる、と述べている。
また、これは国家側の裁量によって変わるものである以上、今まで認められていた「日本人」から外される人々も生まれてきていたことを指摘している。
沖縄・アイヌ・台湾・朝鮮の人々がどのようにして「日本人」として作られていったのかという問題とともに、日本人の植民地政策などに関心のある人にお薦めの本。
2005年10月9日に日本でレビュー済み
本書での研究方法も「単一民族神話の起源」と同様、過去の言説の収集および分析である。「単一民族」を取り上げた著者の関心からいえば、次は「日本人とは何か」にテーマが移るのはごく自然だろう。
本書では大きく分けて戦前の植民地の同化の問題、戦後の沖縄復帰問題の二つを取り扱っている。そこにアイヌ問題が挿入されている。もちろん、この問題については戦前と戦後の連続性は見逃せない視点なのだが、次の「民主と愛国」に繋がっていく問題意識からは戦後の沖縄問題の方により興味を覚えた。とりわけ「日の丸」こそが復帰前の革新のシンボルであったという指摘には意表を突かれた。また、革新大田県政から保守稲嶺県政への移り変わりの裏には<日本人>であることの葛藤を含めた沖縄の方々の複雑な思いがあることに改めて注意を促された。
酒井直樹氏その他の指摘通り、国家の統一においては言語は重要な要素を占めている。アイヌ・沖縄をはじめとする「境界」のひとびとに対して、方言札という象徴的な方法も含めて、徹底した独自文化(=言語)の抑圧が行われたことも見逃してはなるまい。言語学者では田中克彦氏が積極的に発言しているが、ここでの小熊氏の視点も併せて参考になる。
本書は著者の政治的な視点が図らずも滲み出てしまっているが、それは取り上げた題材が題材だけに仕方ないだろう。本書の、<日本人>を論ずるときの共通理解としての地位は不動であると思われる。
本書では大きく分けて戦前の植民地の同化の問題、戦後の沖縄復帰問題の二つを取り扱っている。そこにアイヌ問題が挿入されている。もちろん、この問題については戦前と戦後の連続性は見逃せない視点なのだが、次の「民主と愛国」に繋がっていく問題意識からは戦後の沖縄問題の方により興味を覚えた。とりわけ「日の丸」こそが復帰前の革新のシンボルであったという指摘には意表を突かれた。また、革新大田県政から保守稲嶺県政への移り変わりの裏には<日本人>であることの葛藤を含めた沖縄の方々の複雑な思いがあることに改めて注意を促された。
酒井直樹氏その他の指摘通り、国家の統一においては言語は重要な要素を占めている。アイヌ・沖縄をはじめとする「境界」のひとびとに対して、方言札という象徴的な方法も含めて、徹底した独自文化(=言語)の抑圧が行われたことも見逃してはなるまい。言語学者では田中克彦氏が積極的に発言しているが、ここでの小熊氏の視点も併せて参考になる。
本書は著者の政治的な視点が図らずも滲み出てしまっているが、それは取り上げた題材が題材だけに仕方ないだろう。本書の、<日本人>を論ずるときの共通理解としての地位は不動であると思われる。
2008年9月28日に日本でレビュー済み
前著『単一民族神話の起源』が日本人の自画像を論壇レベルを中心に分析したのに対し、本書は、日本人の境界が恣意的で可変的に揺れ動くさまを主に法制・教育制度レベルにおいて分析する。「日本人の境界」がどのような要因によって設定されてきたのか。「境界線上」にあった沖縄・アイヌ・台湾・朝鮮などに対する政策論を分析していくことによって「日本人」とは何かというテーマに迫っていく。
大日本帝国の国民統合において、「包摂」と「排除」は常に表裏一体であった。朝鮮・台湾総督府・内地の内務省・民権運動家などといった多様なアクター間の葛藤、そして欧米の脅威という対外関係といった諸変数が交錯する中、「日本人の境界」は常に排除志向と包摂志向の狭間で揺れ動く。国家が国防・財政上の人的資源を動員しようと企図するとき「包摂」の力学が働く一方で、ご都合主義的な「排除」の力学も混入するのである。かくして朝鮮や台湾等の「日本人の境界」にあたる地域の人々は「日本人」としての義務を背負わされる一方で、「日本人」としての権利を付与されないという境遇に置かれてきたのであった。琉球併合から朝鮮・台湾の植民地化に至るまで大日本帝国の政策は「日本人であって日本人でない」曖昧模糊とした存在を生み出してきたのである。いかなるアクターがいかなる論理を展開し、「日本人の境界」を揺れ動かしてきたのか?大日本帝国支配の前に、境界の人々はどのような生き残りと社会的上昇戦略を試みたのか?膨大な史資料を渉猟しつつ描き出される本書の分析・叙述は極めて刺激的だ。日本の植民地主義を論じる上で、そしてこれからの社会の在り方を構想する上でも欠かすことのできない一冊だと思う。
大日本帝国の国民統合において、「包摂」と「排除」は常に表裏一体であった。朝鮮・台湾総督府・内地の内務省・民権運動家などといった多様なアクター間の葛藤、そして欧米の脅威という対外関係といった諸変数が交錯する中、「日本人の境界」は常に排除志向と包摂志向の狭間で揺れ動く。国家が国防・財政上の人的資源を動員しようと企図するとき「包摂」の力学が働く一方で、ご都合主義的な「排除」の力学も混入するのである。かくして朝鮮や台湾等の「日本人の境界」にあたる地域の人々は「日本人」としての義務を背負わされる一方で、「日本人」としての権利を付与されないという境遇に置かれてきたのであった。琉球併合から朝鮮・台湾の植民地化に至るまで大日本帝国の政策は「日本人であって日本人でない」曖昧模糊とした存在を生み出してきたのである。いかなるアクターがいかなる論理を展開し、「日本人の境界」を揺れ動かしてきたのか?大日本帝国支配の前に、境界の人々はどのような生き残りと社会的上昇戦略を試みたのか?膨大な史資料を渉猟しつつ描き出される本書の分析・叙述は極めて刺激的だ。日本の植民地主義を論じる上で、そしてこれからの社会の在り方を構想する上でも欠かすことのできない一冊だと思う。
2016年3月19日に日本でレビュー済み
初めてレビューを書かせていただきます。
小熊さんの書籍との出会いは、インド日記。
仕事柄、インドへの出張が結構ありましたが、著者の視点、捉え方が面白く、興味を持ちました。
小熊さんの著書を数冊読んで、最後に辿り着いたのがこの本。
まぁ、とにかくタフです。
史料を多く引用しており、面白さと言う点ではマイナス。
この本を2週間近くでどうにか、ヒィヒィ呻きながら読み上げました。
昨今のニュースでよく取り上げられている沖縄の基地問題の歴史的背景はかなり、以前からあったんだなぁと。
40年前ほどになりますが、沖縄に行った折に、「内地の人ね」と言われたのが印象に今でも残ってます。
それとフィリピンに三年ほどいた時に、フィリピンの友人に日本は単一民族ですと当然のごとく発した私の言葉に、沖縄、アイヌはどうなんだと切り返された時にギョ!と不意打ちを食らった強烈な思い出があります。
日本の教科書ではそんなこと、ほとんど触れられておらず、知らない人がほとんどでしょうね。
今更ながら自分の勉強不足を恥じた次第です。
歴史、特に近代史に関わる記述はどうしても国家、政府の意向が強く反映されます。
中国で支店を立ち上げた折に毎日、上海TVで放映される日本軍の虐殺行為には辟易とさせれれました。
また、中国の高校生の歴史教科書を取り寄せて読んでみましたが、戦時中の日本軍行為に関する記述のまぁ、凄いこと。これでは、日本に対して良い印象は持てなくなるのは当然だと。。。
国家が発行する世界地図は常に自国がど真ん中にあるように歴史教科書といのも国によって度合は違っても自国の都合が良いように解釈されているということを改めて思い知らされました。 韓国に行けば、豊臣秀吉、伊藤博文は悪人です。立場が変わればそういうもの。
昨日ニュースで放映されていた日本の文部省の検定教科書への干渉しかり!
だからこそ、小熊さんのような視点から捉えた著書が必要なのです。
沖縄のこと、アイヌのこと、朝鮮のことを深く知るにはタフで苦い著書です。
自国の歴史を国の干渉を受けずに出版できる日本はまだ、救われます。
中国でも韓国でも、もっと自由に発言、出版できる環境が早く訪れればいいのになぁと。
歴史問題に関しては皆、熱くなるは心情的には分かるけど、我々はもっと深く知識を得る努力がまずは、必要なんだなぁ、と改めて思い知らされた一冊となりました。
因みに私は司馬遼太郎の大ファンです。あのワクワクする、日本人を鼓舞する内容はタマリマセン!
でも時には苦いお薬となるような本も一読を・・・(^^;ゞポリポリ
小熊さんの書籍との出会いは、インド日記。
仕事柄、インドへの出張が結構ありましたが、著者の視点、捉え方が面白く、興味を持ちました。
小熊さんの著書を数冊読んで、最後に辿り着いたのがこの本。
まぁ、とにかくタフです。
史料を多く引用しており、面白さと言う点ではマイナス。
この本を2週間近くでどうにか、ヒィヒィ呻きながら読み上げました。
昨今のニュースでよく取り上げられている沖縄の基地問題の歴史的背景はかなり、以前からあったんだなぁと。
40年前ほどになりますが、沖縄に行った折に、「内地の人ね」と言われたのが印象に今でも残ってます。
それとフィリピンに三年ほどいた時に、フィリピンの友人に日本は単一民族ですと当然のごとく発した私の言葉に、沖縄、アイヌはどうなんだと切り返された時にギョ!と不意打ちを食らった強烈な思い出があります。
日本の教科書ではそんなこと、ほとんど触れられておらず、知らない人がほとんどでしょうね。
今更ながら自分の勉強不足を恥じた次第です。
歴史、特に近代史に関わる記述はどうしても国家、政府の意向が強く反映されます。
中国で支店を立ち上げた折に毎日、上海TVで放映される日本軍の虐殺行為には辟易とさせれれました。
また、中国の高校生の歴史教科書を取り寄せて読んでみましたが、戦時中の日本軍行為に関する記述のまぁ、凄いこと。これでは、日本に対して良い印象は持てなくなるのは当然だと。。。
国家が発行する世界地図は常に自国がど真ん中にあるように歴史教科書といのも国によって度合は違っても自国の都合が良いように解釈されているということを改めて思い知らされました。 韓国に行けば、豊臣秀吉、伊藤博文は悪人です。立場が変わればそういうもの。
昨日ニュースで放映されていた日本の文部省の検定教科書への干渉しかり!
だからこそ、小熊さんのような視点から捉えた著書が必要なのです。
沖縄のこと、アイヌのこと、朝鮮のことを深く知るにはタフで苦い著書です。
自国の歴史を国の干渉を受けずに出版できる日本はまだ、救われます。
中国でも韓国でも、もっと自由に発言、出版できる環境が早く訪れればいいのになぁと。
歴史問題に関しては皆、熱くなるは心情的には分かるけど、我々はもっと深く知識を得る努力がまずは、必要なんだなぁ、と改めて思い知らされた一冊となりました。
因みに私は司馬遼太郎の大ファンです。あのワクワクする、日本人を鼓舞する内容はタマリマセン!
でも時には苦いお薬となるような本も一読を・・・(^^;ゞポリポリ
2007年3月24日に日本でレビュー済み
初めに軽く全体的に目を通すと、「日本人であって日本人でない」「差別即平等」「異心同体」と何やらいびつな言葉の並びに気付く。しかし、この本に取り上げられた近代日本の植民地政策や言説の出現背景とそれらの時流による変化を丹念に追っていくと、そういった言葉が実際のものとして浮かびあがり、当にこの本における主題であることに気付かされる。
「単一民族神話の起源」に続き、膨大な資料をこなし整理することによって、様々な人間の思想模様と変化を見事に目の前に描いてくれる。個人的には「思想は人間のために存在するのであり、人間が思想のために存在するのではない」という言葉に見事に打ち抜かれてしまった。(本来欧米列強諸国のための)植民地政策を誤解や曲解を交えながら日本の政治家や学者が吸収し、それを植民地に実施するが、今度はその政策を被支配者であるはずの朝鮮人や台湾人などが学習し逆手に読み取り、「自らを日本人として認めながら」独自性を主張し行動する様は非常に印象に残った。そういった思想の読み違えによる利用を「思想の<正しい>解釈から批判するのは、およそ意味のないことである」とも記されている。
先発の欧米の文明に必死に追いつこうとするが、追いつけず、認めてもらえず、苦悩する後発の日本。植民地を「日本化」することと「文明化」することが必ずしも一致しなかった現実が、何よりそれを物語る。他に、現在でも議論の絶えない朝鮮半島での創氏改名や徴兵制政策、1972年の返還まで「日本人であって日本人でない」状態が続いた沖縄の闘い、何より思想家や学者の主張の起源を出身地や生い立ちまでさかのぼり分析して提示する著者の洞察力はすさまじい。近代日本の再考にはずせない一冊である。
「単一民族神話の起源」に続き、膨大な資料をこなし整理することによって、様々な人間の思想模様と変化を見事に目の前に描いてくれる。個人的には「思想は人間のために存在するのであり、人間が思想のために存在するのではない」という言葉に見事に打ち抜かれてしまった。(本来欧米列強諸国のための)植民地政策を誤解や曲解を交えながら日本の政治家や学者が吸収し、それを植民地に実施するが、今度はその政策を被支配者であるはずの朝鮮人や台湾人などが学習し逆手に読み取り、「自らを日本人として認めながら」独自性を主張し行動する様は非常に印象に残った。そういった思想の読み違えによる利用を「思想の<正しい>解釈から批判するのは、およそ意味のないことである」とも記されている。
先発の欧米の文明に必死に追いつこうとするが、追いつけず、認めてもらえず、苦悩する後発の日本。植民地を「日本化」することと「文明化」することが必ずしも一致しなかった現実が、何よりそれを物語る。他に、現在でも議論の絶えない朝鮮半島での創氏改名や徴兵制政策、1972年の返還まで「日本人であって日本人でない」状態が続いた沖縄の闘い、何より思想家や学者の主張の起源を出身地や生い立ちまでさかのぼり分析して提示する著者の洞察力はすさまじい。近代日本の再考にはずせない一冊である。
2011年9月24日に日本でレビュー済み
期待を持って読み始めたが、読み進むうちに腹が立ってきた。この著者にははじめから「正しい」答が用意されていて、その観点から過去を裁いている。一次資料をどの程度読み込んでいるかも疑問で、いろいろな文脈で言われたことを、その文脈から切り離してきて引用する傾向が目立つ。これはあくまでもジャーナリスティックな受けを狙った本で、歴史研究者としてはアマチュアの仕事だと評価する。