プライム無料体験をお試しいただけます
プライム無料体験で、この注文から無料配送特典をご利用いただけます。
非会員 | プライム会員 | |
---|---|---|
通常配送 | ¥410 - ¥450* | 無料 |
お急ぎ便 | ¥510 - ¥550 | |
お届け日時指定便 | ¥510 - ¥650 |
*Amazon.co.jp発送商品の注文額 ¥3,500以上は非会員も無料
無料体験はいつでもキャンセルできます。30日のプライム無料体験をぜひお試しください。
¥3,080¥3,080 税込
発送元: Amazon.co.jp 販売者: Amazon.co.jp
¥3,080¥3,080 税込
発送元: Amazon.co.jp
販売者: Amazon.co.jp
¥374¥374 税込
配送料 ¥350 5月26日-28日にお届け
発送元: ノースブックセンター(不備・不具合があれば返品・返金対応致します) 販売者: ノースブックセンター(不備・不具合があれば返品・返金対応致します)
¥374¥374 税込
配送料 ¥350 5月26日-28日にお届け
発送元: ノースブックセンター(不備・不具合があれば返品・返金対応致します)
販売者: ノースブックセンター(不備・不具合があれば返品・返金対応致します)
無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
戦争が遺したもの 単行本 – 2004/3/11
{"desktop_buybox_group_1":[{"displayPrice":"¥3,080","priceAmount":3080.00,"currencySymbol":"¥","integerValue":"3,080","decimalSeparator":null,"fractionalValue":null,"symbolPosition":"left","hasSpace":false,"showFractionalPartIfEmpty":true,"offerListingId":"rRrgnRvgAEyB5cX8kLxAdNPztJN%2BAxqiyJ1tKuzyk0DpSoDOhiOiJMW5DDSloXXLTG%2B%2FUIbHOmXiTxclbAluv76ZFfslW07LvIuHGBpovVzaj3n58J891fOtk64yS47Q","locale":"ja-JP","buyingOptionType":"NEW","aapiBuyingOptionIndex":0}, {"displayPrice":"¥374","priceAmount":374.00,"currencySymbol":"¥","integerValue":"374","decimalSeparator":null,"fractionalValue":null,"symbolPosition":"left","hasSpace":false,"showFractionalPartIfEmpty":true,"offerListingId":"rRrgnRvgAEyB5cX8kLxAdNPztJN%2BAxqiBqhcznlIE%2F%2FN7L2aIOMOJ3xUnLxWnXZ4X%2FMLy%2Fd7aR5SEX5F%2Bym61a6tOyQU2QkMOWiWfe4TvM2mAJaHyVOvzPvMq2HZ6uBPR%2FrHTogGl8NEszYycoSk7B2ilXGPIXkcc4QsCOv55Z17He0QXsIVgQ%3D%3D","locale":"ja-JP","buyingOptionType":"USED","aapiBuyingOptionIndex":1}]}
購入オプションとあわせ買い
◆鶴見俊輔氏がすべてを語る!◆
『〈民主〉と〈愛国〉』で読書界の話題をさらった小熊氏が、今回はあの上野千鶴子氏をさそって、戦後思想界の大御所・鶴見俊輔氏に、戦争体験を軸に戦中から戦後にかけての経験をお聞きします。戦時中の捕虜虐殺、慰安婦問題、戦後の『思想の科学』時代、「転向」研究、安保闘争、ベ平連と脱走兵援助、など、これまで聞き手が遠慮してきたようなこともすべてお聞きしています。また、鶴見氏も「今回はすべて話します」と言って、洗いざらい答えられています。鶴見ファンにとっては、はじめてお聞きするようなことがゴロゴロ出てきて、たまらない本になるでしょう。上野ファン、小熊ファンにとっても、それれの鋭い切り込みによる鶴見氏の赤裸々な「告白」をとおして戦後思想史の隠されていた部分が次々に明かされるスリルと、丁々発止の対談の魅力を味わうことができるでしょう。
『〈民主〉と〈愛国〉』で読書界の話題をさらった小熊氏が、今回はあの上野千鶴子氏をさそって、戦後思想界の大御所・鶴見俊輔氏に、戦争体験を軸に戦中から戦後にかけての経験をお聞きします。戦時中の捕虜虐殺、慰安婦問題、戦後の『思想の科学』時代、「転向」研究、安保闘争、ベ平連と脱走兵援助、など、これまで聞き手が遠慮してきたようなこともすべてお聞きしています。また、鶴見氏も「今回はすべて話します」と言って、洗いざらい答えられています。鶴見ファンにとっては、はじめてお聞きするようなことがゴロゴロ出てきて、たまらない本になるでしょう。上野ファン、小熊ファンにとっても、それれの鋭い切り込みによる鶴見氏の赤裸々な「告白」をとおして戦後思想史の隠されていた部分が次々に明かされるスリルと、丁々発止の対談の魅力を味わうことができるでしょう。
- 本の長さ403ページ
- 言語日本語
- 出版社新曜社
- 発売日2004/3/11
- ISBN-104788508877
- ISBN-13978-4788508873
よく一緒に購入されている商品
¥990¥990
最短で5月24日 金曜日のお届け予定です
残り16点(入荷予定あり)
総額:
当社の価格を見るには、これら商品をカートに追加してください。
ポイントの合計:
pt
もう一度お試しください
追加されました
一緒に購入する商品を選択してください。
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
商品の説明
著者からのコメント
◆小熊英二氏「まえがき」より◆
つまるところ、「戦後」を終わらせる、あるいは相対化するためには、「戦争が遺したもの」と向きあい、「戦後」を理解するべく努めるほかないという、いささか平凡な結論に到達する。いまだに「戦後世代」でしかありえない私たちは、いまだに「戦後」でしかありえない時代を生きてゆくなかで、そうした努力に迫られざるをえない。そうした意味で、鶴見氏の戦争体験と戦後体験をお聞きすることは意義を持つと考えた。
◆上野千鶴子「あとがき」より◆
鶴見さんの信頼の深さをまえに、わたしはバトンを手渡された気分である。わたしも小熊さんも戦争を知らない。日本では人口の三分のニまでが、戦後生まれで占められるようになった。戦争体験は、もはや経験者が語り継ぐものではなくなり、それをまったく知らないものたちが再構成して引き受けるほかないものになった。だが、二十一世紀の今日、戦争は少しも過去のものになっていない。あの惨憺たる経験から、わたしたちが学んだことはまだまだ足りない、かのように。
歴史は、それから学ぼうとする者にしか姿をあらわさない。歴史という道しるべのない道を、わたしたちの前に立って歩んできた鶴見さんという知性から、学ぶことは多い。わたしたちはいささか性急に、そしてあまりに無遠慮に、かれがこれまで多く語ってこなかったことを引き出したことを引き出したかもしれない。それというのも、鶴見さんがわたしたちに示した寛大さと信頼のしるしであり、それを受け取ったものには責任が生まれる。願わくばその責任を、読者のあなたにも分かちあってもらいたい。そう願って本書を読者のもとに送りたい。
つまるところ、「戦後」を終わらせる、あるいは相対化するためには、「戦争が遺したもの」と向きあい、「戦後」を理解するべく努めるほかないという、いささか平凡な結論に到達する。いまだに「戦後世代」でしかありえない私たちは、いまだに「戦後」でしかありえない時代を生きてゆくなかで、そうした努力に迫られざるをえない。そうした意味で、鶴見氏の戦争体験と戦後体験をお聞きすることは意義を持つと考えた。
◆上野千鶴子「あとがき」より◆
鶴見さんの信頼の深さをまえに、わたしはバトンを手渡された気分である。わたしも小熊さんも戦争を知らない。日本では人口の三分のニまでが、戦後生まれで占められるようになった。戦争体験は、もはや経験者が語り継ぐものではなくなり、それをまったく知らないものたちが再構成して引き受けるほかないものになった。だが、二十一世紀の今日、戦争は少しも過去のものになっていない。あの惨憺たる経験から、わたしたちが学んだことはまだまだ足りない、かのように。
歴史は、それから学ぼうとする者にしか姿をあらわさない。歴史という道しるべのない道を、わたしたちの前に立って歩んできた鶴見さんという知性から、学ぶことは多い。わたしたちはいささか性急に、そしてあまりに無遠慮に、かれがこれまで多く語ってこなかったことを引き出したことを引き出したかもしれない。それというのも、鶴見さんがわたしたちに示した寛大さと信頼のしるしであり、それを受け取ったものには責任が生まれる。願わくばその責任を、読者のあなたにも分かちあってもらいたい。そう願って本書を読者のもとに送りたい。
内容(「MARC」データベースより)
「今こそ、すべてを話そう」 アメリカでの投獄、戦時下の捕虜虐殺と慰安所運営、60年安保とベトナム反戦、丸山真男や吉本隆明との交流など、戦争から戦後を生抜いた知識人が、戦後60年を前にすべてを語る。
抜粋
上野 少数精鋭の同人で始まった『思想の科学』が、一般のからの投稿を受け入れるようになったのは、どういう経験からなんですか。
鶴見 それは、もともと私の発想じゃなかった。大野力という、群馬県の共産党の地区委員をやった人物が、共産党を除名されたところから『思想の科学』の同人に入ってきた。そして、彼の知り合いで同人に入りたい人がいたんだけれど、その当時は同人二名の推薦がなければはいれない。それを取っ払っちゃって、誰でも入れるようにしようということを私が言ったんだ。そこから、同人以外の寄稿を受けつけることも起こった。
その結果いろんな人が入ってきたんだけれども、当時の実務をやってくれていた市井三郎がものすごい打撃を受けちゃってね。つまり近くに同人がやってきて、市井三郎の勉強の時間を奪うわけ。からは阪大の理学部で化学の出身なんだよね。そして哲学は素人だったので、一所懸命に哲学史を勉強した。さっき話がでたラッセルの『西洋哲学史』というのは、彼が全部自分ひとりで訳したから、たいへんな勉強家なんだよ。それで、記号論理学も勉強したいとか考えているときに、いろんな人間にわっと入ってこられて、いろんなことを言われてたいへんに困った。それで彼は私に、大衆文化はやめようという意見を強く述べる葉書をくれた。
上野 じゃあ内部でも路線の対立があったわけですね。
鶴見 そうだけど、結局は、なんとなくその大衆文化の方向に行った。そうしないと雑誌も売れなかったしね(笑)。
上野 そうすると鶴見さんは、どちらの側に立たれたんですか。
鶴見 もう大衆化したんだから、やってしまえ、という方向だね。つまり初めの7人の顔ぶれは、丸山真男・都留重人・渡辺慧・武谷三男・武田紀代子に和子と私、これはレベルの高い同人会議だった。
上野 まさに少数精鋭ですね。
鶴見 だけど、それではやっていけなかった。とはいえ、大衆化する以外の選択の機会もあったんだ。というのも、最初の同人には英語を話せる人間のパーセンテージが高かったということもあって、ロックフェラー財団が補助してくれた。
上野 申請したんですか。申請しないとお金なんてくれないでしょう?
鶴見 くれるって意向が、向こうからきたんですよ。
上野 えーっ!
鶴見 やっぱり、それだけの集団だと認められていたわけですね。ところが一九五〇年ごろに、その補助の問題で総会が紛糾してね。その当時、井上清・奈良本辰也・林屋辰三郎といった共産党系の歴史家が、会にいた。彼らが、「アメリカ帝国主義の補助を受けるな」と主張したんだ。
小熊 逆コースや朝鮮戦争が始まって、共産党がアメリカと全面対決してゆく時機ですね。
(「五〇年代の葛藤」より)
鶴見 それは、もともと私の発想じゃなかった。大野力という、群馬県の共産党の地区委員をやった人物が、共産党を除名されたところから『思想の科学』の同人に入ってきた。そして、彼の知り合いで同人に入りたい人がいたんだけれど、その当時は同人二名の推薦がなければはいれない。それを取っ払っちゃって、誰でも入れるようにしようということを私が言ったんだ。そこから、同人以外の寄稿を受けつけることも起こった。
その結果いろんな人が入ってきたんだけれども、当時の実務をやってくれていた市井三郎がものすごい打撃を受けちゃってね。つまり近くに同人がやってきて、市井三郎の勉強の時間を奪うわけ。からは阪大の理学部で化学の出身なんだよね。そして哲学は素人だったので、一所懸命に哲学史を勉強した。さっき話がでたラッセルの『西洋哲学史』というのは、彼が全部自分ひとりで訳したから、たいへんな勉強家なんだよ。それで、記号論理学も勉強したいとか考えているときに、いろんな人間にわっと入ってこられて、いろんなことを言われてたいへんに困った。それで彼は私に、大衆文化はやめようという意見を強く述べる葉書をくれた。
上野 じゃあ内部でも路線の対立があったわけですね。
鶴見 そうだけど、結局は、なんとなくその大衆文化の方向に行った。そうしないと雑誌も売れなかったしね(笑)。
上野 そうすると鶴見さんは、どちらの側に立たれたんですか。
鶴見 もう大衆化したんだから、やってしまえ、という方向だね。つまり初めの7人の顔ぶれは、丸山真男・都留重人・渡辺慧・武谷三男・武田紀代子に和子と私、これはレベルの高い同人会議だった。
上野 まさに少数精鋭ですね。
鶴見 だけど、それではやっていけなかった。とはいえ、大衆化する以外の選択の機会もあったんだ。というのも、最初の同人には英語を話せる人間のパーセンテージが高かったということもあって、ロックフェラー財団が補助してくれた。
上野 申請したんですか。申請しないとお金なんてくれないでしょう?
鶴見 くれるって意向が、向こうからきたんですよ。
上野 えーっ!
鶴見 やっぱり、それだけの集団だと認められていたわけですね。ところが一九五〇年ごろに、その補助の問題で総会が紛糾してね。その当時、井上清・奈良本辰也・林屋辰三郎といった共産党系の歴史家が、会にいた。彼らが、「アメリカ帝国主義の補助を受けるな」と主張したんだ。
小熊 逆コースや朝鮮戦争が始まって、共産党がアメリカと全面対決してゆく時機ですね。
(「五〇年代の葛藤」より)
登録情報
- 出版社 : 新曜社 (2004/3/11)
- 発売日 : 2004/3/11
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 403ページ
- ISBN-10 : 4788508877
- ISBN-13 : 978-4788508873
- Amazon 売れ筋ランキング: - 224,950位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。
著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2022年2月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
Far better than expected!
2015年12月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
今年(2015年)7月20日、鶴見俊輔が逝去した。この新聞報道を見て、さっそくアマゾンで注文した。
手もとに届いたあと、しばらく放置して、最近になってようやく完読した。
鶴見俊輔、丸山眞男、竹内好、清水幾太郎、桑原武夫、鶴見和子等等この本に登場する戦後を代表する知識人の顔ぶれは錚々たるメンバーだ。
ほかにも、都留重人、小田実、埴谷雄高、三島由紀夫、藤田省三、橋川文三、網野善彦、西部邁などとの交流やその思想の評価が語られ
鶴見の視点から戦後思想史の座標軸を一望できる大変貴重な書物となっている。
かつて、上野千鶴子は、戦後思想は太平洋戦争の戦死者の死を悼むことから出発した、と発言したが
まさに、彼ら巨星たちが、いかにあの戦争を総括すべく格闘したか、がエピソードを交えて鶴見の口から語られる。
思想は単なる知識の寄せ集めや学説の網羅、学史の整理ではない。
民族の体験、自己の経験をもとに血肉化された個から語りおこされる、生ある者の知の営みといっていい。
だから、あくまで主観から世界を裁断する、といった点で大学で講義する社会科学、人文科学とは異なるものである。
また、思想は実践を伴ってこそ結実するもので、「思想の科学」の発行を通した市民との連携運動、「ベ平連」を
組織しての平和運動などの活動家を通して大きな時代なムーブメントを鶴見自身が引き起こしたことは特筆すべきことである。
そういう意味で鶴見俊輔は一介の(元)大学教授の研究者というより、戦後を代表する立派な思想家なのである。
こうした自他ともに認める認識の下に語られる話は、日ごろの私の問題意識に添うものであった。
五月雨式に共感した部分を列記する。
鶴見は懐疑主義を自認していて、共産主義の説く科学的歴史観に疑義を抱く。
しかし、共産党関係者には寛容で、行動を共にし、共闘関係を築いてゆく。
たとえば「ベ平連」の2代目事務局長である吉川勇一(元共産党員)とは信頼関係で結ばれた盟友である。
特定の主義主張を誇示するたいていの思想家は他の思想家と些細な問題で論争や闘争に明け暮れる。
しかし、鶴見は論争にかかわったことはなく、むしろ左翼・右翼にかかわらず多くの人々と交流を持つ。
こうした鶴見の包容力はアメリカで学んだプラグマティズムと
編集者でありオルガナイザーとしての彼の職業倫理からもたらされたものであることは言うまでもない。
そして、何より彼の、思想より人を見る姿勢、本人曰く、「ヤクザの仁義」を重んじる姿勢が、このような
人と人との交流を盛んにし、鶴見の思想の幹をより太くたくましく成長させる。
思想家は何より自己の生き方に対して徹底的に内省し、他者を批判するより以前に自己批判に徹し、
弁証法的に自己を乗り越えてゆく姿勢を持たなければならない。これは、おそらくサルトルを嚆矢とする
近代の実存主義者たちの持つ心性であり、モラルであると推察される。
鶴見俊輔、こうした意味で十分に思想家であり、モラリストであった。
自身で語られる彼の人生は自己否定の連続である。
まず、生まれ落ちた家に対するものから始まる。父祐輔は東京帝国大学出身の衆議院議員で戦後には厚生大臣まで務めた。
こうした特権階級に生まれた自身を自己否定する。これは直接的には母に対する反抗という形で現れる。中学生のころから
本を万引きし、これを売った金で売春婦のところへ通い、放蕩の限りを尽くして、最後には放校処分となる。
その後、アメリカのハーバード大学へ留学するが、戦争でアメリカの勝利が見えてくると、
戦後に勝者として敗者の日本に凱旋するという特権を嫌悪し、
戦時中の連絡船で、敗戦が明らかな日本に帰国して、軍属として戦地に送られる。
戦後、京都大学、東京工業大学に教員として勤めるが、
新安保条約に向けての岸内閣の姿勢に抗議して竹内好が都立大学を辞任したことを受けて、
自身も大学教授の特権を捨てて東京工業大学教授に辞表を提出する。
このような、ステータスに甘んじて精神が弛緩する態度を自ら卑しめ、
常に自身を最前線に置いてものを考えようという生き方は誰でも真似できるものではない。
最後に「一番病」について、鶴見は父祐輔を「彼は一番病だからね」と言って批判する。
「一番病」とは、世俗的な価値を第一に置き、時代の流行を追いかけ、世間の評価、
数字や順列で考量されるステータスに合わせ、
自らの置かれた地位を上げることだけに専念するエスタブリッシュメントを言う。
戦前戦中は軍国主義や(超)国家主義を標榜し、戦後になると豹変して民主主義のお先棒を担いだ知識人、
つまり鶴見たちの言う「転向した人々」の精神的構造を「一番病」という言葉はうまく言い表している。
現在でも、若者たちの多くが「一番病」に罹患している。
何のために勉強をするのか、という問いかけの答えに
「少しでも世間で名の通った、偏差値の高い大学に入るため」と答える学生生徒が未だ後を絶たない。
知識を単なる世渡りの道具とみなす。
自分の頭で考えず、常に時流に逆らわず勝ち馬に乗ることだけを考える。
こうした人間は私の学生時代から多くいた。いわゆる学校秀才タイプの人間、
彼らを心の底から軽蔑していた。
また、戦争を起こそうという世論が主流となれば、彼らが容易になびく。
そんな状況になったとき、私は命をかけて反対できるか、ということを
高校のころからずっと考えていた。
鶴見俊輔は戦時中、命をかけて軍国主義に抵抗できなかった。
その悔恨が、戦後の平和運動の渦中に自ら身を投じる原動力となった。
私の問題意識そのままに戦後を駆け抜けた鶴見俊輔に対して、羨望と驚きの念を禁じ得ない。
以上、長々と書いたが、鶴見亡きあと、日本の知的基盤は地盤沈下を起こしている。
人間の生き死に、市井の人びとの生活にまで降りてきて、人と痛みを共有する思想家と呼べる人間が
いまの日本には皆無である。このことが悲しい。
本書の企画・編集・対談にあたった小熊英二は『単一民族神話の起源』『「日本人」の境界』 『<民主>と<愛国>』の3部作が
素晴らしく、期待の若手だが、思想家と呼ぶには器量不足で、やはり切れる大学の研究者といった評価がせいぜいだろう。
鶴見さん。天国という特権を否定して、もう一度この世の地獄に降りてきてください。
手もとに届いたあと、しばらく放置して、最近になってようやく完読した。
鶴見俊輔、丸山眞男、竹内好、清水幾太郎、桑原武夫、鶴見和子等等この本に登場する戦後を代表する知識人の顔ぶれは錚々たるメンバーだ。
ほかにも、都留重人、小田実、埴谷雄高、三島由紀夫、藤田省三、橋川文三、網野善彦、西部邁などとの交流やその思想の評価が語られ
鶴見の視点から戦後思想史の座標軸を一望できる大変貴重な書物となっている。
かつて、上野千鶴子は、戦後思想は太平洋戦争の戦死者の死を悼むことから出発した、と発言したが
まさに、彼ら巨星たちが、いかにあの戦争を総括すべく格闘したか、がエピソードを交えて鶴見の口から語られる。
思想は単なる知識の寄せ集めや学説の網羅、学史の整理ではない。
民族の体験、自己の経験をもとに血肉化された個から語りおこされる、生ある者の知の営みといっていい。
だから、あくまで主観から世界を裁断する、といった点で大学で講義する社会科学、人文科学とは異なるものである。
また、思想は実践を伴ってこそ結実するもので、「思想の科学」の発行を通した市民との連携運動、「ベ平連」を
組織しての平和運動などの活動家を通して大きな時代なムーブメントを鶴見自身が引き起こしたことは特筆すべきことである。
そういう意味で鶴見俊輔は一介の(元)大学教授の研究者というより、戦後を代表する立派な思想家なのである。
こうした自他ともに認める認識の下に語られる話は、日ごろの私の問題意識に添うものであった。
五月雨式に共感した部分を列記する。
鶴見は懐疑主義を自認していて、共産主義の説く科学的歴史観に疑義を抱く。
しかし、共産党関係者には寛容で、行動を共にし、共闘関係を築いてゆく。
たとえば「ベ平連」の2代目事務局長である吉川勇一(元共産党員)とは信頼関係で結ばれた盟友である。
特定の主義主張を誇示するたいていの思想家は他の思想家と些細な問題で論争や闘争に明け暮れる。
しかし、鶴見は論争にかかわったことはなく、むしろ左翼・右翼にかかわらず多くの人々と交流を持つ。
こうした鶴見の包容力はアメリカで学んだプラグマティズムと
編集者でありオルガナイザーとしての彼の職業倫理からもたらされたものであることは言うまでもない。
そして、何より彼の、思想より人を見る姿勢、本人曰く、「ヤクザの仁義」を重んじる姿勢が、このような
人と人との交流を盛んにし、鶴見の思想の幹をより太くたくましく成長させる。
思想家は何より自己の生き方に対して徹底的に内省し、他者を批判するより以前に自己批判に徹し、
弁証法的に自己を乗り越えてゆく姿勢を持たなければならない。これは、おそらくサルトルを嚆矢とする
近代の実存主義者たちの持つ心性であり、モラルであると推察される。
鶴見俊輔、こうした意味で十分に思想家であり、モラリストであった。
自身で語られる彼の人生は自己否定の連続である。
まず、生まれ落ちた家に対するものから始まる。父祐輔は東京帝国大学出身の衆議院議員で戦後には厚生大臣まで務めた。
こうした特権階級に生まれた自身を自己否定する。これは直接的には母に対する反抗という形で現れる。中学生のころから
本を万引きし、これを売った金で売春婦のところへ通い、放蕩の限りを尽くして、最後には放校処分となる。
その後、アメリカのハーバード大学へ留学するが、戦争でアメリカの勝利が見えてくると、
戦後に勝者として敗者の日本に凱旋するという特権を嫌悪し、
戦時中の連絡船で、敗戦が明らかな日本に帰国して、軍属として戦地に送られる。
戦後、京都大学、東京工業大学に教員として勤めるが、
新安保条約に向けての岸内閣の姿勢に抗議して竹内好が都立大学を辞任したことを受けて、
自身も大学教授の特権を捨てて東京工業大学教授に辞表を提出する。
このような、ステータスに甘んじて精神が弛緩する態度を自ら卑しめ、
常に自身を最前線に置いてものを考えようという生き方は誰でも真似できるものではない。
最後に「一番病」について、鶴見は父祐輔を「彼は一番病だからね」と言って批判する。
「一番病」とは、世俗的な価値を第一に置き、時代の流行を追いかけ、世間の評価、
数字や順列で考量されるステータスに合わせ、
自らの置かれた地位を上げることだけに専念するエスタブリッシュメントを言う。
戦前戦中は軍国主義や(超)国家主義を標榜し、戦後になると豹変して民主主義のお先棒を担いだ知識人、
つまり鶴見たちの言う「転向した人々」の精神的構造を「一番病」という言葉はうまく言い表している。
現在でも、若者たちの多くが「一番病」に罹患している。
何のために勉強をするのか、という問いかけの答えに
「少しでも世間で名の通った、偏差値の高い大学に入るため」と答える学生生徒が未だ後を絶たない。
知識を単なる世渡りの道具とみなす。
自分の頭で考えず、常に時流に逆らわず勝ち馬に乗ることだけを考える。
こうした人間は私の学生時代から多くいた。いわゆる学校秀才タイプの人間、
彼らを心の底から軽蔑していた。
また、戦争を起こそうという世論が主流となれば、彼らが容易になびく。
そんな状況になったとき、私は命をかけて反対できるか、ということを
高校のころからずっと考えていた。
鶴見俊輔は戦時中、命をかけて軍国主義に抵抗できなかった。
その悔恨が、戦後の平和運動の渦中に自ら身を投じる原動力となった。
私の問題意識そのままに戦後を駆け抜けた鶴見俊輔に対して、羨望と驚きの念を禁じ得ない。
以上、長々と書いたが、鶴見亡きあと、日本の知的基盤は地盤沈下を起こしている。
人間の生き死に、市井の人びとの生活にまで降りてきて、人と痛みを共有する思想家と呼べる人間が
いまの日本には皆無である。このことが悲しい。
本書の企画・編集・対談にあたった小熊英二は『単一民族神話の起源』『「日本人」の境界』 『<民主>と<愛国>』の3部作が
素晴らしく、期待の若手だが、思想家と呼ぶには器量不足で、やはり切れる大学の研究者といった評価がせいぜいだろう。
鶴見さん。天国という特権を否定して、もう一度この世の地獄に降りてきてください。
2017年6月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
日本は敗戦という自滅とアメリカという外圧によって民主化されましたが、
造花のような見せかけの根無し民主主義であることを鶴見俊輔さんはよく知っていたようです。
本の内容は忘れてしまいましたが。
造花のような見せかけの根無し民主主義であることを鶴見俊輔さんはよく知っていたようです。
本の内容は忘れてしまいましたが。
2019年4月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
昭和とはあの戦争を境に大きく2つの時代に分けられると思う。
私は昭和の戦後生まれだが、ふと、元号が変わる前に、あの戦争の渦中にいた人の話を少し読んでみたくなった。
本書では、今の日本の平和な状況、特に平成の状況に馴染んだ人には、受け入れられない様な発想もあるだろう。
しかし、それも含めて、じっくりと考えてみる良い機会になるのかもしれない。
また、鶴見俊輔(故人)という名前を聞いて興味がわいた人は読んでみると良いのではないか。
今、当たり前の様に元号が変わり、新しい天皇を迎えるということが、本当に当たり前のことなのか?
そんなことがふと頭によぎるのだ。
私は昭和の戦後生まれだが、ふと、元号が変わる前に、あの戦争の渦中にいた人の話を少し読んでみたくなった。
本書では、今の日本の平和な状況、特に平成の状況に馴染んだ人には、受け入れられない様な発想もあるだろう。
しかし、それも含めて、じっくりと考えてみる良い機会になるのかもしれない。
また、鶴見俊輔(故人)という名前を聞いて興味がわいた人は読んでみると良いのではないか。
今、当たり前の様に元号が変わり、新しい天皇を迎えるということが、本当に当たり前のことなのか?
そんなことがふと頭によぎるのだ。
2019年1月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
鶴見は、アメリカに留学中、日本とアメリカとの間で戦争がはじまり、日本に帰るかどうか決断を迫られたが、結局、帰国した。理由について「日本はもうすぐ負けると思った。そして、負けるときに、負ける側にいたいとなにかぼんやり考えた。~勝ったアメリカにくっついて、英語を話して日本に帰ってくる自分なんて耐えられないと思った」と述べている。その態度は、愛国心とは何かを考えるときに参考になる。それだけでなく、なんらかの態度決定を迫られたとき鶴見のことばを思い浮かべたい
2017年4月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
80才の鶴見俊輔に、60才の上野千鶴子と40才の小熊英二が戦争のときのこと戦後のことを問うという形の対談形式の本である。
鶴見俊輔については、『私が子どもだった頃』?という本でその子ども時代の凄絶な育ち方を知って以来何冊か読み、何事かあると彼はどう考えるかを知りたくなる、私にとって大切な羅針盤の思想家である。あとの二人の本は読んだことがない。しかし、この対談の面白さは小熊英二の博覧強記な智力と思考能力によって、その年齢差にもかかわらず鶴見の豊かな経験と知性に渡り合い、的を得た質問と鶴見の正直極まりない返答を的確にすくい上げている点である。上野もまた立場の違いはあっても面と向かって質問しにくいことをズバッと問うて、面白い本になった。
もっとも感銘したのは、鶴見俊輔が問われたことに真正面から一生懸命正直に答えていることである。(私はヤクザだから…と照れながら)
いざとなったらどう行動するか、そのときの大勢に流されないで自分の頭でよく考えることを心に留めた。今、世界が再び戦前の気配を漂わせ始めているとき、先の大戦を複雑な立場で経験した偉大な思想家の告白を聞けたのは幸せなことだった。
鶴見俊輔については、『私が子どもだった頃』?という本でその子ども時代の凄絶な育ち方を知って以来何冊か読み、何事かあると彼はどう考えるかを知りたくなる、私にとって大切な羅針盤の思想家である。あとの二人の本は読んだことがない。しかし、この対談の面白さは小熊英二の博覧強記な智力と思考能力によって、その年齢差にもかかわらず鶴見の豊かな経験と知性に渡り合い、的を得た質問と鶴見の正直極まりない返答を的確にすくい上げている点である。上野もまた立場の違いはあっても面と向かって質問しにくいことをズバッと問うて、面白い本になった。
もっとも感銘したのは、鶴見俊輔が問われたことに真正面から一生懸命正直に答えていることである。(私はヤクザだから…と照れながら)
いざとなったらどう行動するか、そのときの大勢に流されないで自分の頭でよく考えることを心に留めた。今、世界が再び戦前の気配を漂わせ始めているとき、先の大戦を複雑な立場で経験した偉大な思想家の告白を聞けたのは幸せなことだった。
2023年2月10日に日本でレビュー済み
対談というと、大抵話者の言いたい内容が散逸し、やっぱり単著を読めばよかったとがっかりすることが私よくあります。
本作はどうかというと、かなり良かったのです。むしろ、雑談や話が逸れてしまうことをその価値としているように感じました。
・・・
本作は上野千鶴子氏(元東大教授)と小熊英二氏(慶大教授)が、昭和の知識人たる鶴見俊輔氏を三日に渡り囲み、彼の辿った昭和を振り返るという対談集です。
鶴見氏というと、戦中にハーバードを卒業しプラグマティズムを日本へ紹介したことで有名であります。またベ平連を率いていたということでも名前を見たりもします。京大、同志社大、東工大で教職に就かれていた経験もおありです。
そんな彼が、どのように戦前、戦中、戦後を過ごしてきたのか、米国で収容所へ入れられたとき、交換船で日本へ戻ってきたとき、徴兵されてジャカルタへ派遣されていたとき、同人を作り雑誌を発行していたとき、ベ平連を組織していたとき、どのように思い、どのように感じていたのかをつぶさに聞き取りされています。
・・・
で、鶴見氏の幼少期から青年期の母親との関係のこじらせ方は結構ぶっ飛んでいて面白かったです。また女性との関係の取り方も頑固というか、もうおかしいんじゃないかこの人、というくらい偏っていて、色々な意味ですごい人がいるのだなあと感心した次第です。
また、彼の目を通じて語られる都留重人、丸山眞男、小田実、吉本隆明らの発言や思い、鶴見氏から見た印象は、モノクロの戦後混乱期や学生運動の様子を、あたかもカラーで見ているかのようなビビッドさを読者に感じさせるものでした。
・・・
でも、それらを超えて目から鱗が落ちる思いだったのは、「トータルヒストリー」という考え方です。
対談二日目の夜ご飯時の雑談でこの話題が出ています。曰く、「公」のみならず「私」を含めてやっと十全な歴史が成り立つ、という考え方です。
例えば鶴見氏をとらえるとき、その「公」的な学歴や職歴だけを見ると、氏の人となりはおそらく数分の一しか伝わらないと思います。でもこのようなざっくばらんな対談集を読むと、相当な奇人(貴人)であることが分かります。これらを含めて新たな鶴見氏の像が立ち上がってくるわけです。
そういうこともあり、本書は裏話などの「私」の部分であふれている昭和史であると言えます。
・・・
そう考えますと、歴史というのは実に表面的な内容しか残らないものだと感じます。誰が、どうした・何した、だけしか伝わらないと。
ところが、実は、「どうして」、という部分の方が人は良く興味を持つのかもしれません。そしてその「どうして」が往々にして後世に伝わらない。どうして戦いを敢行したのか、どうしてその結婚をしたのか、どうして約束を破ったのか。等々。
だからこそ歴史ドラマでは新たな解釈も生まれ、現代人が過去に思いを馳せることができるのかもしれません。
歴史というと、一つの固定的な事実のようにも思えますが、「公」的な内容をまとめるだけでやっと半分、しかもその「公」の部分であっても、まとめる人のポジショニングにより歴史はその形を変えると言えます。むしろ歴史は、縁取りした水泡のごとく、常に大きくなったり小さくなったり、その姿を変えつつ、展開しているといっても良いかもしれません。
ふと、以前読んだ息子の中学国語の教科書を思い出しました。インターネットとSNSの価値を論じるお話が載っていたのです。曰く、大衆のその都度都度の記録が残ることがSNSの大きな価値の一つだ、という内容だったと思います。読んだ当時は、ブログとかSNSとか、よくもまあそんなものに価値があるといえるなあと思ったのですが、トータルヒストリーという考え方を知ると、その記録は、歴史の「私」の部分を充実させる貴重な手がかりになりうると、すかさず翻意した次第です。
(もちろん、どうやったってすべての内容は知りえないという不可知論もあろうかと思いますがそれは擱いておきます)
・・・
ということで昭和現代史を「私」的に振り返る作品でした。トータルヒストリーという考え方にえらく共感したと同時に、著者のお三方に一層興味を持った読書でありました。
昭和戦後史、歴史学、社会学等に興味のある方には楽しく読んでいただけると思います。
本作はどうかというと、かなり良かったのです。むしろ、雑談や話が逸れてしまうことをその価値としているように感じました。
・・・
本作は上野千鶴子氏(元東大教授)と小熊英二氏(慶大教授)が、昭和の知識人たる鶴見俊輔氏を三日に渡り囲み、彼の辿った昭和を振り返るという対談集です。
鶴見氏というと、戦中にハーバードを卒業しプラグマティズムを日本へ紹介したことで有名であります。またベ平連を率いていたということでも名前を見たりもします。京大、同志社大、東工大で教職に就かれていた経験もおありです。
そんな彼が、どのように戦前、戦中、戦後を過ごしてきたのか、米国で収容所へ入れられたとき、交換船で日本へ戻ってきたとき、徴兵されてジャカルタへ派遣されていたとき、同人を作り雑誌を発行していたとき、ベ平連を組織していたとき、どのように思い、どのように感じていたのかをつぶさに聞き取りされています。
・・・
で、鶴見氏の幼少期から青年期の母親との関係のこじらせ方は結構ぶっ飛んでいて面白かったです。また女性との関係の取り方も頑固というか、もうおかしいんじゃないかこの人、というくらい偏っていて、色々な意味ですごい人がいるのだなあと感心した次第です。
また、彼の目を通じて語られる都留重人、丸山眞男、小田実、吉本隆明らの発言や思い、鶴見氏から見た印象は、モノクロの戦後混乱期や学生運動の様子を、あたかもカラーで見ているかのようなビビッドさを読者に感じさせるものでした。
・・・
でも、それらを超えて目から鱗が落ちる思いだったのは、「トータルヒストリー」という考え方です。
対談二日目の夜ご飯時の雑談でこの話題が出ています。曰く、「公」のみならず「私」を含めてやっと十全な歴史が成り立つ、という考え方です。
例えば鶴見氏をとらえるとき、その「公」的な学歴や職歴だけを見ると、氏の人となりはおそらく数分の一しか伝わらないと思います。でもこのようなざっくばらんな対談集を読むと、相当な奇人(貴人)であることが分かります。これらを含めて新たな鶴見氏の像が立ち上がってくるわけです。
そういうこともあり、本書は裏話などの「私」の部分であふれている昭和史であると言えます。
・・・
そう考えますと、歴史というのは実に表面的な内容しか残らないものだと感じます。誰が、どうした・何した、だけしか伝わらないと。
ところが、実は、「どうして」、という部分の方が人は良く興味を持つのかもしれません。そしてその「どうして」が往々にして後世に伝わらない。どうして戦いを敢行したのか、どうしてその結婚をしたのか、どうして約束を破ったのか。等々。
だからこそ歴史ドラマでは新たな解釈も生まれ、現代人が過去に思いを馳せることができるのかもしれません。
歴史というと、一つの固定的な事実のようにも思えますが、「公」的な内容をまとめるだけでやっと半分、しかもその「公」の部分であっても、まとめる人のポジショニングにより歴史はその形を変えると言えます。むしろ歴史は、縁取りした水泡のごとく、常に大きくなったり小さくなったり、その姿を変えつつ、展開しているといっても良いかもしれません。
ふと、以前読んだ息子の中学国語の教科書を思い出しました。インターネットとSNSの価値を論じるお話が載っていたのです。曰く、大衆のその都度都度の記録が残ることがSNSの大きな価値の一つだ、という内容だったと思います。読んだ当時は、ブログとかSNSとか、よくもまあそんなものに価値があるといえるなあと思ったのですが、トータルヒストリーという考え方を知ると、その記録は、歴史の「私」の部分を充実させる貴重な手がかりになりうると、すかさず翻意した次第です。
(もちろん、どうやったってすべての内容は知りえないという不可知論もあろうかと思いますがそれは擱いておきます)
・・・
ということで昭和現代史を「私」的に振り返る作品でした。トータルヒストリーという考え方にえらく共感したと同時に、著者のお三方に一層興味を持った読書でありました。
昭和戦後史、歴史学、社会学等に興味のある方には楽しく読んでいただけると思います。
2017年4月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
鶴見俊輔の著書はたくさん読んでいます。この人の生い立ちが曲折したものなので、とてもその後の人生をどのように生きていかれたのか興味があります。そういえば近年亡くなられましたね。惜しいことです。