序盤では死刑の存在意義が論じられる。「世に、まったく改悛の情を見せない凶悪犯罪者がいる以上、死刑制度は残すべきである」(p42)という著者の主張はシンプルだが、死刑廃止論者の主張を一つ一つ論破していくスタンスに裏打ちされているので説得力がある。死刑廃止論者は死刑は残酷だと言うが、終身刑を始めとして他の刑罰もみな残酷であるのだから、死刑だけやめる理由にはならないとジョン・スチュアート・ミルの言葉を引用する(p22)。欧州では死刑は廃止されているから日本も廃止すべきだ、という主張に対しては、「死刑を廃止したヨーロッパ諸国は、キリスト教国である。キリスト教ならば、「ローマ人への手紙」にある「復讐するは我にあり」つまり人が人に復讐すべきではなく、神の手に委ねるべきだという思想があり、死後、人々は神の国へ行き、最後の審判によって悪人は裁かれる、という「信仰」がある」(20p)と、そもそも文化の違いを見落としていることを指摘する。もちろんここでは、欧米がやったから日本も真似するべきだという姿勢も批判されねばならない。何でも欧米の真似をした方がいいと考える人は、では欧米が海外に植民地をもったから日本も植民地をもった方がいいと考えるのだろうか?また、死刑廃止論者は治安のいい高級住宅街に住むのではなく、「率先して、出所してきた凶悪犯罪者の近所に住んだらどうか」(p29-30)と提案するのも偽善を突いていて面白い。
その他、共和思想や天皇制について分かりやすく語られており参考になった。
プライム無料体験をお試しいただけます
プライム無料体験で、この注文から無料配送特典をご利用いただけます。
非会員 | プライム会員 | |
---|---|---|
通常配送 | ¥410 - ¥450* | 無料 |
お急ぎ便 | ¥510 - ¥550 | |
お届け日時指定便 | ¥510 - ¥650 |
*Amazon.co.jp発送商品の注文額 ¥3,500以上は非会員も無料
無料体験はいつでもキャンセルできます。30日のプライム無料体験をぜひお試しください。
¥2,640¥2,640 税込
発送元: Amazon.co.jp 販売者: Amazon.co.jp
¥2,640¥2,640 税込
発送元: Amazon.co.jp
販売者: Amazon.co.jp
¥259¥259 税込
配送料 ¥350 6月12日-13日にお届け
発送元: もったいない本舗 ※通常24時間以内に出荷可能です。 ※商品状態保証。 販売者: もったいない本舗 ※通常24時間以内に出荷可能です。 ※商品状態保証。
¥259¥259 税込
配送料 ¥350 6月12日-13日にお届け
発送元: もったいない本舗 ※通常24時間以内に出荷可能です。 ※商品状態保証。
販売者: もったいない本舗 ※通常24時間以内に出荷可能です。 ※商品状態保証。
無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
なぜ悪人を殺してはいけないのか―反時代的考察 単行本 – 2006/3/24
小谷野 敦
(著)
{"desktop_buybox_group_1":[{"displayPrice":"¥2,640","priceAmount":2640.00,"currencySymbol":"¥","integerValue":"2,640","decimalSeparator":null,"fractionalValue":null,"symbolPosition":"left","hasSpace":false,"showFractionalPartIfEmpty":true,"offerListingId":"SMVkFldAvPjeZdRY2xCk1UXyy2hxvrDnZVqTo6rvj54WPuY6rHkZdk4Tkl%2BiLqiTJ3M4n%2FJbaUH0SrxZg2h4DY5H1%2FLkF6RfU8HJ%2BApKlajl7SgMB81F7GuE%2F3OkYsuu","locale":"ja-JP","buyingOptionType":"NEW","aapiBuyingOptionIndex":0}, {"displayPrice":"¥259","priceAmount":259.00,"currencySymbol":"¥","integerValue":"259","decimalSeparator":null,"fractionalValue":null,"symbolPosition":"left","hasSpace":false,"showFractionalPartIfEmpty":true,"offerListingId":"SMVkFldAvPjeZdRY2xCk1UXyy2hxvrDnc7Yw9FsyA8c0yeott71RCDPo2JqGyPyYSj%2BX23dvDyjI%2Bdia%2BcG92d8%2FHNMk4LJIrLsKi5%2BiivfFQqJvPMniogXnc0EwC9KL7H9VGSEAWU4vfvXcLIA9QwBjUNAps2GxDfDQo4vwYFNyJcy0NVzZUA%3D%3D","locale":"ja-JP","buyingOptionType":"USED","aapiBuyingOptionIndex":1}]}
購入オプションとあわせ買い
- 本の長さ276ページ
- 言語日本語
- 出版社新曜社
- 発売日2006/3/24
- ISBN-104788509857
- ISBN-13978-4788509856
この著者の人気タイトル
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
商品の説明
著者からのコメント
訂正です。p88「出向」→「出講」、p159「かつて良く」→「かっこ良く」、p211、注の39,40は38,39に訂正(以上増刷分で訂正済)、p39「判事の土本武司」→「元検事」、p72「御用学者の節」→「説」、p146、「昭和四十三」、「年」が抜けている。p164「本田忠籌」→「本多」、p210「ノスタルシー」→「ノスタルジー」
出版社からのコメント
◆私は大勢に迎合するのが好きではない◆
死刑は野蛮だ、未だ死刑を残しているような国は文明国とは言えない、というような「人道主義的」風潮があります。しかし、世の中には凶悪犯がいるのも事実で、その被害者や家族にとっては、極刑以外に救われない。問題は文明か野蛮かではなく、単に文化の違いにすぎないのかもしれません。また、天皇制的民主主義国家・日本において「共和制への夢」は生き延びうるかを、思想・文学・サブカルチャーのなかに探ります。死刑存置論と天皇制批判、この一見相反する考えが共存するところに著者の「反時代性」があるといえましょう。
死刑は野蛮だ、未だ死刑を残しているような国は文明国とは言えない、というような「人道主義的」風潮があります。しかし、世の中には凶悪犯がいるのも事実で、その被害者や家族にとっては、極刑以外に救われない。問題は文明か野蛮かではなく、単に文化の違いにすぎないのかもしれません。また、天皇制的民主主義国家・日本において「共和制への夢」は生き延びうるかを、思想・文学・サブカルチャーのなかに探ります。死刑存置論と天皇制批判、この一見相反する考えが共存するところに著者の「反時代性」があるといえましょう。
抜粋
私は何も怖ろしいことを言っているのではない。廃止論者がしばしば哀れみを誘おうとして持ち出す、改悛の情が明らかな死刑囚に対して、恩赦、特赦を下す制度を整えるというのなら理解する。しかしそういう死刑囚がいるから死刑を廃止しろというのは、論理の飛躍である。世に、まったく改悛の情を見せない凶悪犯罪者がいる以上、死刑制度は残すべきである。死刑廃止論者がいくら同情に値する死刑囚の例をあげても、それは死刑にするほかない者たちの存在を抹消することにはならないのである。おもしろいことに、死刑廃止論者が描いたノンフィクションや小説の中には、まるでその犯罪者に対して同情心の起こらないものがある。・・・加賀乙彦の『宣告』は名作とされているが、見沢知廉のように自ら殺人を犯しておいて、刑務所内での待遇に不満を並べて文学作品として通用させているのは、図々しいとしか思えない。(「なぜ悪人を殺してはいけないのか」より)
登録情報
- 出版社 : 新曜社 (2006/3/24)
- 発売日 : 2006/3/24
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 276ページ
- ISBN-10 : 4788509857
- ISBN-13 : 978-4788509856
- Amazon 売れ筋ランキング: - 440,928位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。
作家、比較文学者。1962年茨城県生まれ、埼玉県育ち。海城高校卒、東大文学部英文科卒、同大学院比較文学比較文化専攻博士課程修了、学術博士。大阪大学言語文化部講師、助教授(英語)、国際日本文化研究センター客員助教授、現在は文筆家。博士論文は『<男の恋>の文学史』、1999年『もてない男』がベストセラーに。2002年『聖母のいない国』でサントリー学芸賞。2011年『母子寮前』で芥川賞候補、2014年「ヌエのいた家」で同。
カスタマーレビュー
星5つ中3.9つ
5つのうち3.9つ
全体的な星の数と星別のパーセンテージの内訳を計算するにあたり、単純平均は使用されていません。当システムでは、レビューがどの程度新しいか、レビュー担当者がAmazonで購入したかどうかなど、特定の要素をより重視しています。 詳細はこちら
5グローバルレーティング
虚偽のレビューは一切容認しません
私たちの目標は、すべてのレビューを信頼性の高い、有益なものにすることです。だからこそ、私たちはテクノロジーと人間の調査員の両方を活用して、お客様が偽のレビューを見る前にブロックしています。 詳細はこちら
コミュニティガイドラインに違反するAmazonアカウントはブロックされます。また、レビューを購入した出品者をブロックし、そのようなレビューを投稿した当事者に対して法的措置を取ります。 報告方法について学ぶ
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2015年10月12日に日本でレビュー済み
どうも私は著者から「けっこう文学的素養のある人」と思われていたようである。これは光栄なことで私はさっそくそのブログのページを永久保存させて頂いた。(笑) しかし著者の支持者であるボケ老人(60代か)の老荘机が立証してくれたように七〇年間(五〇〇〇万人はいる)にたったひとつの用例を知る知らないで素養があるないと言われてもなぁ……、(笑)
さて、この本は、脱糞の小谷野の、いや失礼(笑)、著者の死刑廃止論及び戦後転向論ほか雑文と散文、あとは駄文をかき集めた粗末な内容という感じである。(笑) 思わず噴出してしまったのが死刑廃止論の中で、著者はこう書いている。
「ドストエフスキーの『罪と罰』のように、天涯孤独の身の上のユダヤ人老婆が殺されたら、誰がこの世にあってラスコーリニコフを責めるのか。ラスコーリニコフは、そのような家族がいないことを承知の上で殺した。だから彼は、誰からも直接の復讐心を向けられずに済んでいるのだ。(中略)『罪と罰』は、その意味で、二重に悪質なユダヤ人差別、家族のない者への差別小説なのである。」P33
はあ!? 天涯孤独の身の上!? はあ!? 承知の上で殺した!? はあ!? 家族のない者への差別小説なのである!? はあ……、読めてない……、いや読んでないよな?(笑)もう一度、著者は『罪と罰』を読み返したほうがいいのではなかろうか? まあ、著者お得意の飛ばし読みじゃ何百回読んでも無駄だろうが。(笑)
ユダヤ人老婆は天涯孤独の身の上ではない。そしてラスコーリニコフは、老婆に家族がいないことを承知の上で殺したのではない。これはよくテクストを読めば素養の無い者でもわかることである。(笑)老婆には確か障害を持つ妹と同居しており老婆はその妹を養っていたはずである。ラスコーリニコフは、老婆を殺害し殺人現場を目撃されたであろうその妹の存在に驚き、妹も殺害するのである。ラスコーリニコフは、自分よりも社会的弱者であった老婆の妹さえ殺めてしまったことに苦悩する……、これが読み取れれば、家族のない者への差別小説という解釈にはならないばずなのだが……、(笑) 著者のこれまでの漱石やドストエフスキーの低評価の原因は単に著者自身がテクストをよく読めていないからなのではないだろうか?
さて、リンチ殺人事件やコンクリート詰め殺人事件P28-29なんかは、仮に皇女が同じような目に遭えば「少年法」があろうと未成年でも死刑になると私は思うのだが、もしそれでも死刑にならないのなら凄いことだと思う。被害者が皇女なら死刑で一般女性なら死刑ではないのなら、その違いとは何なのか?
興味があれば読んでみるといいと思う。なお、私の著者の本を読んでのレビューはこれを最後にしたい。理由はいわずもがなであろうか。これまでの私の著者の本のレビューを読めばそれはわかると思う。
誤記?
P33 誰が→たれが ※著者は他の本では「たれ」と表記している。しかも「たれ」でいいと言う。
P33 誰から→たれから
P36 誰と誰か。誰もが→たれとたれか。たれもが
P36 もし誰かが→もしたれかが
P36 誰がどう→たれがどう
P42 誰に→たれに
※以降の「誰→たれ」は省略する。
さて、この本は、脱糞の小谷野の、いや失礼(笑)、著者の死刑廃止論及び戦後転向論ほか雑文と散文、あとは駄文をかき集めた粗末な内容という感じである。(笑) 思わず噴出してしまったのが死刑廃止論の中で、著者はこう書いている。
「ドストエフスキーの『罪と罰』のように、天涯孤独の身の上のユダヤ人老婆が殺されたら、誰がこの世にあってラスコーリニコフを責めるのか。ラスコーリニコフは、そのような家族がいないことを承知の上で殺した。だから彼は、誰からも直接の復讐心を向けられずに済んでいるのだ。(中略)『罪と罰』は、その意味で、二重に悪質なユダヤ人差別、家族のない者への差別小説なのである。」P33
はあ!? 天涯孤独の身の上!? はあ!? 承知の上で殺した!? はあ!? 家族のない者への差別小説なのである!? はあ……、読めてない……、いや読んでないよな?(笑)もう一度、著者は『罪と罰』を読み返したほうがいいのではなかろうか? まあ、著者お得意の飛ばし読みじゃ何百回読んでも無駄だろうが。(笑)
ユダヤ人老婆は天涯孤独の身の上ではない。そしてラスコーリニコフは、老婆に家族がいないことを承知の上で殺したのではない。これはよくテクストを読めば素養の無い者でもわかることである。(笑)老婆には確か障害を持つ妹と同居しており老婆はその妹を養っていたはずである。ラスコーリニコフは、老婆を殺害し殺人現場を目撃されたであろうその妹の存在に驚き、妹も殺害するのである。ラスコーリニコフは、自分よりも社会的弱者であった老婆の妹さえ殺めてしまったことに苦悩する……、これが読み取れれば、家族のない者への差別小説という解釈にはならないばずなのだが……、(笑) 著者のこれまでの漱石やドストエフスキーの低評価の原因は単に著者自身がテクストをよく読めていないからなのではないだろうか?
さて、リンチ殺人事件やコンクリート詰め殺人事件P28-29なんかは、仮に皇女が同じような目に遭えば「少年法」があろうと未成年でも死刑になると私は思うのだが、もしそれでも死刑にならないのなら凄いことだと思う。被害者が皇女なら死刑で一般女性なら死刑ではないのなら、その違いとは何なのか?
興味があれば読んでみるといいと思う。なお、私の著者の本を読んでのレビューはこれを最後にしたい。理由はいわずもがなであろうか。これまでの私の著者の本のレビューを読めばそれはわかると思う。
誤記?
P33 誰が→たれが ※著者は他の本では「たれ」と表記している。しかも「たれ」でいいと言う。
P33 誰から→たれから
P36 誰と誰か。誰もが→たれとたれか。たれもが
P36 もし誰かが→もしたれかが
P36 誰がどう→たれがどう
P42 誰に→たれに
※以降の「誰→たれ」は省略する。
2006年6月3日に日本でレビュー済み
実は書名を見てすぐ、「?」と思った。だって「悪人はこの世から排除しろ。異物は社会から排除しろ」っていう思想は、反時代的どころか、むしろ近年の大衆的感性に寄り添ってるもん。
…とワダカマリを抱えつつ最後まで読んだら、あとがきで著者自身がそのことに触れていた。一時期、死刑廃止論が下火になったので、大勢に迎合するみたいになるから単行本化は控えようとも考えたらしい(p262)。ま、著者の誠実さはそれなりに認めるけど、だったらタイトルにバーンと「反時代的考察」とブチ上げてるのはナゼ? という疑問は残る。著者はむしろ、取り澄ましたインテリ的感性を揶揄し、大衆に潜在する感性みたいなものに応えることで批評家としての地歩を築いてきたのじゃないか?
とは言え、私は著者の議論の大半に納得させられるし、諸文献を博捜し敵手の立論の虚偽ともつれを暴いていく手並みにいつも感心させられる。私は愛読している。本書に収められた論考の多くも非常に内容豊かだし、かつ読み物としても面白い(ただし最後の「カナダ留学実記」は、なぜ本書に収められたのか、よく分からなかったけど…ま、「それがコヤノだ」とも言える。コヤノという批評家の存在そのものが反時代的だと言うなら、納得できないでもない)。
一点だけ、「宮崎(勤)は精神異常を装って三十九条による無罪を狙った」(p29)という断言は、危ういと感じた。ここだけを拾い上げて著者の議論をひっくり返すことはできないにしても、議論の一つの分岐点になる重要なポイントだと思うので、指摘しておきたい。
…とワダカマリを抱えつつ最後まで読んだら、あとがきで著者自身がそのことに触れていた。一時期、死刑廃止論が下火になったので、大勢に迎合するみたいになるから単行本化は控えようとも考えたらしい(p262)。ま、著者の誠実さはそれなりに認めるけど、だったらタイトルにバーンと「反時代的考察」とブチ上げてるのはナゼ? という疑問は残る。著者はむしろ、取り澄ましたインテリ的感性を揶揄し、大衆に潜在する感性みたいなものに応えることで批評家としての地歩を築いてきたのじゃないか?
とは言え、私は著者の議論の大半に納得させられるし、諸文献を博捜し敵手の立論の虚偽ともつれを暴いていく手並みにいつも感心させられる。私は愛読している。本書に収められた論考の多くも非常に内容豊かだし、かつ読み物としても面白い(ただし最後の「カナダ留学実記」は、なぜ本書に収められたのか、よく分からなかったけど…ま、「それがコヤノだ」とも言える。コヤノという批評家の存在そのものが反時代的だと言うなら、納得できないでもない)。
一点だけ、「宮崎(勤)は精神異常を装って三十九条による無罪を狙った」(p29)という断言は、危ういと感じた。ここだけを拾い上げて著者の議論をひっくり返すことはできないにしても、議論の一つの分岐点になる重要なポイントだと思うので、指摘しておきたい。
2006年5月12日に日本でレビュー済み
現実に人を苦しめる悪はある。それを体現した人間はいる。正義なんてこの世にありはしないなんて虚無なんて役に立つだろうか。正義感を持たない人間なんて薄っぺらいと思う。許してはならない事ってある。キリストや親鸞の教えを元に、悪とは何かなんて問う人がいるが、人間もそう捨てたものでなくて、無意識に善悪や道徳って身に付くもんだ。悪い奴っている。殺さねば解決しない事ってある。支持します。脈絡なくてごめんなさい。