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オオカミ少女はいなかった 心理学の神話をめぐる冒険 単行本 – 2008/10/3
鈴木 光太郎
(著)
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否定されているのに事実として何度もよみがえり、テキストにさえ載る心理学の数々の迷信や誤信。それらがいかに生み出され、流布されていくのか「人間の営み」としての心理学のドラマを読み解く!
- ISBN-10478851124X
- ISBN-13978-4788511248
- 出版社新曜社
- 発売日2008/10/3
- 言語日本語
- 本の長さ260ページ
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登録情報
- 出版社 : 新曜社 (2008/10/3)
- 発売日 : 2008/10/3
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 260ページ
- ISBN-10 : 478851124X
- ISBN-13 : 978-4788511248
- Amazon 売れ筋ランキング: - 496,163位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 19,798位心理学 (本)
- カスタマーレビュー:
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カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2023年6月28日に日本でレビュー済み
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一機に読みました。なかなか興味のある内容です。自分の知らなかったことを知るという事の意味を知りました。
2009年3月14日に日本でレビュー済み
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副題に「心理学の神話をめぐる冒険」とあるけれど、題材として「神話」と呼ぶに値するのは表題にもなった1章と、サブリミナル効果を扱った2章。緩く見積もって、せいぜいサピア=ウォーフ仮説を批判する3章も含めるかどうか、といったところではないか。
シリル・バートによる一卵性双生児についてのデータ捏造は、「氏か育ちか」論争史におけるスキャンダルの話。5章についてはソークの仮説が現在そのまま通用するわけではないにしろ、問題提起そのものは意義があったと著者自身が言っている。「実験者が結果を作り出す?」と題された6章は心理学実験における落とし穴について警告する寓話。
7章は「記憶物質」という概念を引っくり返したいのかもしれないが、そんなものを素朴に信じられないことは今や多くの人が知っている。しかもプラナリアの学習実験そのものは十分に意義あるものだったわけで、ただ当然ながら分子生物学や脳科学のここ数十年の成果を利用できなかったためにミスリーディングな解釈が残ったということで、仕方ないと言えば仕方ない。8章は神話批判というよりワトソン小伝といった趣きかな。
ただ全体に分かり易い言葉遣いで、読んで面白く構成されているし、取り上げられている主題もキャッチー。心理学において「人を引きつけること、おもしろそうなこと」(p214)を重視する著者らしい内容だから、楽しく読めることは確か。
シリル・バートによる一卵性双生児についてのデータ捏造は、「氏か育ちか」論争史におけるスキャンダルの話。5章についてはソークの仮説が現在そのまま通用するわけではないにしろ、問題提起そのものは意義があったと著者自身が言っている。「実験者が結果を作り出す?」と題された6章は心理学実験における落とし穴について警告する寓話。
7章は「記憶物質」という概念を引っくり返したいのかもしれないが、そんなものを素朴に信じられないことは今や多くの人が知っている。しかもプラナリアの学習実験そのものは十分に意義あるものだったわけで、ただ当然ながら分子生物学や脳科学のここ数十年の成果を利用できなかったためにミスリーディングな解釈が残ったということで、仕方ないと言えば仕方ない。8章は神話批判というよりワトソン小伝といった趣きかな。
ただ全体に分かり易い言葉遣いで、読んで面白く構成されているし、取り上げられている主題もキャッチー。心理学において「人を引きつけること、おもしろそうなこと」(p214)を重視する著者らしい内容だから、楽しく読めることは確か。
2009年4月5日に日本でレビュー済み
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おそらくどんな科学の領域であっても、本題の枕として用いられる小ネタがあるのだと思います。オオカミに育てられた少女やワトソンとアルバート坊やの話題などは、心理学関係書においては強力なツカミネタと言えるでしょう。本書は、そのような使われ方を多くされる「神話」的なトピックスの真偽を再検討しています。
過去の研究の実体を明らかにすることは容易ではありませんが、本書では一次資料を検討したり、著者自身の実験結果を織り交ぜたりすることで、一般に信じられている神話と現時点で推測される現実の姿とのギャップを示します。その結果、極めて黒に近いグレーから白っぽいグレーまで、あるいは実は別の色だったなどという事もあり、驚きと共に一気に読めてしまいました。
この本では、表題でもある「オオカミに育てられた少女」について、研究の大部分が事実ではないと判断しています。注意すべきは、だからと言って他の野生児研究も信用ならないと考えることは短絡的だ、ということです。これは他のトピックスについても当てはまります。白と黒をはっきりつけたいのは人の性と言えるでしょうけれども、十分な検証の前に極論に陥ることこそ著者が戒める一つであると思います。なぜなら、読者にとっては本書も一次資料ですらないのですから。
あとがきに、本書を書き上げるまで8年かかったと書かれています。興味を惹く話題が丹念に追跡されており、時間がかかったことも頷けます。とてもスリリングな、タイトル通りの「冒険」の書です。
過去の研究の実体を明らかにすることは容易ではありませんが、本書では一次資料を検討したり、著者自身の実験結果を織り交ぜたりすることで、一般に信じられている神話と現時点で推測される現実の姿とのギャップを示します。その結果、極めて黒に近いグレーから白っぽいグレーまで、あるいは実は別の色だったなどという事もあり、驚きと共に一気に読めてしまいました。
この本では、表題でもある「オオカミに育てられた少女」について、研究の大部分が事実ではないと判断しています。注意すべきは、だからと言って他の野生児研究も信用ならないと考えることは短絡的だ、ということです。これは他のトピックスについても当てはまります。白と黒をはっきりつけたいのは人の性と言えるでしょうけれども、十分な検証の前に極論に陥ることこそ著者が戒める一つであると思います。なぜなら、読者にとっては本書も一次資料ですらないのですから。
あとがきに、本書を書き上げるまで8年かかったと書かれています。興味を惹く話題が丹念に追跡されており、時間がかかったことも頷けます。とてもスリリングな、タイトル通りの「冒険」の書です。
2009年3月20日に日本でレビュー済み
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大変おもしろく読みました。特に「オオカミ少女」については、大学時代に講義で聞き、本物であると信じていたので驚きでした。と、思っていたら、このレビューの中に心理学の学者さんらしき方が、否定的な意見を書かれていたのを発見しました。そちらの方のお話もとても説得力がありました。結局「オオカミ少女」はいたのでしょうか?いなかったのでしょうか?
ちなみに、この著者がいる大学を昨年卒業した友人が「私、大学でオオカミ少女がいるって教わったけど・・・」とつぶやいておりました。
ちなみに、この著者がいる大学を昨年卒業した友人が「私、大学でオオカミ少女がいるって教わったけど・・・」とつぶやいておりました。
2009年2月11日に日本でレビュー済み
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昔大学では心理学は文系でしたが、今はどうなのでしょう。本書で示される実証主義から判断すると、心理学は科学ですね。
本書は、マスコミに踊らされて何か根拠の無いことを信じ込んでしまうことや、新興宗教に人が引きつけられるのはどういう状況下であろうか、等を客観的に考える機会を与えてくれます。
少し堅苦しいのは学術書だからでしょうか。
本書は、マスコミに踊らされて何か根拠の無いことを信じ込んでしまうことや、新興宗教に人が引きつけられるのはどういう状況下であろうか、等を客観的に考える機会を与えてくれます。
少し堅苦しいのは学術書だからでしょうか。
2009年2月11日に日本でレビュー済み
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本書を絶賛するコメントが多い中で、このようなことを書くのは気が引けますが、著者と同じ心理学者としてやはり言わねばならないと思い、投稿させていただきます。鈴木氏がこの書で読者に伝えようとしている「論理的にものを考える…、原典にあたること、噂に頼らぬこと、疑うこと」(p.216)という教訓は、この本自体に、そして氏自身に投げかけねばならないことであると思います。
確かに著者は多くの文献を読み込み、心理学の名の下で「常識」「神話」となっている逸話に疑問を投げかけ、その神話の陰に消されてしまった舞台裏をスリリングに紹介し、人々がなぜこうした神話を信じるようになってしまったかを生き生きと描いています。これらはメディア・リテラシー、あるいはサイエンス・リテラシーの意識を高めるという意味では大切だと思います。しかし氏自身が各逸話に下した結論や解釈は、それ自身科学的にいかがなものかと思われるものが多く、このような書き方をする氏の姿勢にもいささか憤りを覚えます。
たとえばオオカミ少女。写真がみんな同じときに写されていたのでは、という推理は確かに説得力があります(私も授業でこれらの写真を、ディテールの真偽はいまとなっては怪しいところもあるが、環境の重要性を伝えるインパクトのある逸話だから、として何回も使っていたのに、アングルや背景の同一さには気がつかなかった…!)。しかしそれらの写真や記録をねつ造とする積極的証拠は具体的に何も示されておらず、なんとなくアヤシイかも…程度の状況逸話を(ひょっとしたら自分の都合のいいように選択して)ならべて、いきなり「誇張と脚色」(p.30)と決めつけ、あとは「〜と思う」を羅列し、あげく最後のp.36で「アマラとカマラのほんとうの話」という見出しで「推測」をかなりディテールに渡って「作り上げて」います。これが氏の批判する「脚色」でなくて何でしょうか。少なくともここで紹介された本の著者たちは自分でインドに渡り、その真偽を確かめる労を執っています。氏はそれらをただ日本の研究室のアームチェアに座って引用したにすぎません(その意味では「噂」に頼り、原典=データにあたっていない)。いったいどちらが信じられるのでしょう。少なくとも、氏が科学の世界に求める誠実さを自分自身にあてはめるなら、そうした「憶測」(論理的に出てきたものではない)を、読者に結論のごとき印象を与える書き方で活字化すべきではないと思います(他にも同じような「揚げ足取り」としか思えない部分が多々ありますがスペースを喰うので割愛。今度学会でお目にかかったときに直接御本人に言いますね)。
こうした「ひょっとしたらアヤシイかも」的話は、研究室では戯れ言としてよく語られます。大学院生への教育は、論文を読んで「アヤシイかも」を探して批判することに多くが充てられるといっても過言ではありません。科学者はもしアヤシイと思ったら、原著と対等の立場で反証実験をして正々堂々と批判すべきであり、憶測を公に発するのは言語道断です。実際サイエンスやネーチャーに載る論文の多くは、後に反証されたり注釈がつけられる「アヤシイ話」だといわれます(そして反証の方はなかなか紹介されず、衆目を集めたオリジナルの方がずっと教科書に載ることもよくある)。しかしそれを「ねつ造」とはいいません。氏のスタンスなら同じ調子でジェームズもフロイトもピアジェもヴィゴツキーもエリクソンも、心理学の重要な理論を支える印象的な逸話や実験はことごとくみーんなアヤシイ話として矮小化可能でしょう。いえ、心理学に限りません。科学のいかなる領域も、こういう話で充ち満ちています。
重要なのは(誤解を恐れずに言えば)「逸話としてのインパクト」であり、それがその後の研究をいかに促進し、その領域の知見を豊かにできたかです。その意味でここで紹介された研究の多くは、それなりの役割を果たし、その後の展開までを含めて評価すべきでこそあれ、「でっち上げ」や「ねつ造」として紹介すべきものではない(少なくとも中立的立場であるべき)と思います。氏の姿勢は、一読する限り確かにサイエンスリテラシーの啓蒙としての役割を果たしている点で評価できますが、一歩つっこむと、科学的営みのあり方を根底から矮小化していること、そして問題は単に「論理的に考える、疑う、原典に当たる…」ことで解決するものではなく、人間の知の形成の真実はこういうところで常にもがきながらなされているという、もっと重要でスリリングな面が(同じ題材で描こうと思えば描けるのに)表現できていないということで、あえて星ひとつにしました。
こうして多くの読者が氏のスタンスを賞賛し、新しく創造された神話を信じるようになる様子を見るにつけ、あなたの罪も、あなたが批判した本書の登場人物同様に、重いですぞ、と言いたくなります。
確かに著者は多くの文献を読み込み、心理学の名の下で「常識」「神話」となっている逸話に疑問を投げかけ、その神話の陰に消されてしまった舞台裏をスリリングに紹介し、人々がなぜこうした神話を信じるようになってしまったかを生き生きと描いています。これらはメディア・リテラシー、あるいはサイエンス・リテラシーの意識を高めるという意味では大切だと思います。しかし氏自身が各逸話に下した結論や解釈は、それ自身科学的にいかがなものかと思われるものが多く、このような書き方をする氏の姿勢にもいささか憤りを覚えます。
たとえばオオカミ少女。写真がみんな同じときに写されていたのでは、という推理は確かに説得力があります(私も授業でこれらの写真を、ディテールの真偽はいまとなっては怪しいところもあるが、環境の重要性を伝えるインパクトのある逸話だから、として何回も使っていたのに、アングルや背景の同一さには気がつかなかった…!)。しかしそれらの写真や記録をねつ造とする積極的証拠は具体的に何も示されておらず、なんとなくアヤシイかも…程度の状況逸話を(ひょっとしたら自分の都合のいいように選択して)ならべて、いきなり「誇張と脚色」(p.30)と決めつけ、あとは「〜と思う」を羅列し、あげく最後のp.36で「アマラとカマラのほんとうの話」という見出しで「推測」をかなりディテールに渡って「作り上げて」います。これが氏の批判する「脚色」でなくて何でしょうか。少なくともここで紹介された本の著者たちは自分でインドに渡り、その真偽を確かめる労を執っています。氏はそれらをただ日本の研究室のアームチェアに座って引用したにすぎません(その意味では「噂」に頼り、原典=データにあたっていない)。いったいどちらが信じられるのでしょう。少なくとも、氏が科学の世界に求める誠実さを自分自身にあてはめるなら、そうした「憶測」(論理的に出てきたものではない)を、読者に結論のごとき印象を与える書き方で活字化すべきではないと思います(他にも同じような「揚げ足取り」としか思えない部分が多々ありますがスペースを喰うので割愛。今度学会でお目にかかったときに直接御本人に言いますね)。
こうした「ひょっとしたらアヤシイかも」的話は、研究室では戯れ言としてよく語られます。大学院生への教育は、論文を読んで「アヤシイかも」を探して批判することに多くが充てられるといっても過言ではありません。科学者はもしアヤシイと思ったら、原著と対等の立場で反証実験をして正々堂々と批判すべきであり、憶測を公に発するのは言語道断です。実際サイエンスやネーチャーに載る論文の多くは、後に反証されたり注釈がつけられる「アヤシイ話」だといわれます(そして反証の方はなかなか紹介されず、衆目を集めたオリジナルの方がずっと教科書に載ることもよくある)。しかしそれを「ねつ造」とはいいません。氏のスタンスなら同じ調子でジェームズもフロイトもピアジェもヴィゴツキーもエリクソンも、心理学の重要な理論を支える印象的な逸話や実験はことごとくみーんなアヤシイ話として矮小化可能でしょう。いえ、心理学に限りません。科学のいかなる領域も、こういう話で充ち満ちています。
重要なのは(誤解を恐れずに言えば)「逸話としてのインパクト」であり、それがその後の研究をいかに促進し、その領域の知見を豊かにできたかです。その意味でここで紹介された研究の多くは、それなりの役割を果たし、その後の展開までを含めて評価すべきでこそあれ、「でっち上げ」や「ねつ造」として紹介すべきものではない(少なくとも中立的立場であるべき)と思います。氏の姿勢は、一読する限り確かにサイエンスリテラシーの啓蒙としての役割を果たしている点で評価できますが、一歩つっこむと、科学的営みのあり方を根底から矮小化していること、そして問題は単に「論理的に考える、疑う、原典に当たる…」ことで解決するものではなく、人間の知の形成の真実はこういうところで常にもがきながらなされているという、もっと重要でスリリングな面が(同じ題材で描こうと思えば描けるのに)表現できていないということで、あえて星ひとつにしました。
こうして多くの読者が氏のスタンスを賞賛し、新しく創造された神話を信じるようになる様子を見るにつけ、あなたの罪も、あなたが批判した本書の登場人物同様に、重いですぞ、と言いたくなります。
2015年10月11日に日本でレビュー済み
インドのミドナプールで孤児院を営むイギリス人夫妻のところに預けられた、オオカミに
育てられた少女たち。その記録がインチキだったなんて!
オオカミに育てられ人間性を身に着けられなかったと思われていたアマラとカマラは、
実は、自閉症か精神障害で遺棄された子どもで、シング牧師の記録はねつ造だった。
少女たちをうつした写真もニセモノ。よく観察すればその写真もおかしいことだらけ。
そのほかに、人々に信じられていた「神話」も7つほど取り上げて検証している。
目からうろこの面白さ。
育てられた少女たち。その記録がインチキだったなんて!
オオカミに育てられ人間性を身に着けられなかったと思われていたアマラとカマラは、
実は、自閉症か精神障害で遺棄された子どもで、シング牧師の記録はねつ造だった。
少女たちをうつした写真もニセモノ。よく観察すればその写真もおかしいことだらけ。
そのほかに、人々に信じられていた「神話」も7つほど取り上げて検証している。
目からうろこの面白さ。
2008年11月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
いやぁ面白かった。
「イッキ読み」してしまいました。いちおう学術書だというのに(笑)。
なんで一気に読めるかというと、良質のミステリを読むのと同じワクドキ感があるからなのだ。「神話」の一つ一つを検証する筆者の論理は明快で痛快。それはあたかも、名探偵が関係者を集めて「謎解き」をするかのようだ。
特に「オオカミ少女」の写真をめぐる「謎解き」には唸らされた。
もっとも有名なこの「事件」の謎解きをしてもらうだけでも、この本は十分買うに値すると思う。
「イッキ読み」してしまいました。いちおう学術書だというのに(笑)。
なんで一気に読めるかというと、良質のミステリを読むのと同じワクドキ感があるからなのだ。「神話」の一つ一つを検証する筆者の論理は明快で痛快。それはあたかも、名探偵が関係者を集めて「謎解き」をするかのようだ。
特に「オオカミ少女」の写真をめぐる「謎解き」には唸らされた。
もっとも有名なこの「事件」の謎解きをしてもらうだけでも、この本は十分買うに値すると思う。