色々とネット上でお騒がせな、『1968』の下巻。
「大学紛争は、まだ生きている人が居るんだから、論じるのは失礼だ(死者も出てるし冒涜だ)」
「間違いだらけの偽書だ」
なんて、色々と言われているが、それも全て、著者にはお見通しだったなと思わせる一冊。
色々と『1968』を批判する人はいるが、
それは、全て事実関係の小さな間違いを指摘するだけのもので、
彼の社会学的分析に批判出来る人は居ないのではないだろう。
今や伝説や英雄談となっている当時の逸話をあれほどまで切り裂くとは・・・。面白い。
彼は結論で、「モラル・エコノミー」という歴史学の用語で、当時を説明している。
すなわち、モラルエコノミーとは、自分たちが信じている社会規範が破られた時に、それを直そうと、荒らし攻撃する行為。それは、大学紛争の最初に見られた行為であった。
そしてこの本は、その「モラル・エコノミー」をもう一度巻き起こす衝撃的な内容である。
運動に参加した人からすれば、自分たちの青春という動かし難い事実を、これほどまで切ればそれは怒るだろう。
色々と筆者の人格批判までが起きているが、それはあくまで筆者からすれば、想定の範囲内であろう。
また、『「民主」と「愛国」』の最後に論じられた、「第二の戦後」の終わりについての、その後の彼の分析も書かれており、前書を読んだ人にはとても面白い話だと思う。
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1968〈下〉叛乱の終焉とその遺産 単行本 – 2009/7/1
小熊 英二
(著)
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叛乱の終焉とその遺産
- ISBN-104788511649
- ISBN-13978-4788511644
- 出版社新曜社
- 発売日2009/7/1
- 言語日本語
- 本の長さ1011ページ
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登録情報
- 出版社 : 新曜社 (2009/7/1)
- 発売日 : 2009/7/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 1011ページ
- ISBN-10 : 4788511649
- ISBN-13 : 978-4788511644
- Amazon 売れ筋ランキング: - 117,864位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 26,467位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
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上位レビュー、対象国: 日本
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2009年8月8日に日本でレビュー済み
社会科学の研究書に対してこのような感想を持つのはおかしいと思われるかもしれないが、本書の読了感はあのモーゲンソーの大著「国際政治」を読了したときに感じたものと同質である。あの一見無味乾燥なリアリズムの古典が、モーゲンソーの「二度と悲惨な大戦を繰り返させたくない」という思いに裏打ちされているように思われたのと同様に、この小熊氏の大著には、「新自由主義によってセーフティネットが崩壊し、安定した生活を失ったひとびとの怒り」に対して、1970年パラダイムに替わる、新しい言説が必要なのではないか、という真摯な思いに貫かれているからである。そしてそのような観点から1968年を眺めることこそ、この運動を分析する意味があると著者は考えたし、筆者もそれはよく理解できた。
その観点からすると、本書の読みどころは上巻ではなくこの下巻にあり、特にベ平連とリブ運動を扱った章、そしてとりわけ「結論」の章であると思われる。いろいろな批判はあるだろうが、小熊氏の狙いがどこにあるかを洞察しなければ、それらの批判はすべて有効ではないだろう。つまり小熊氏が提出しなかった(できなかった)新たな分析の枠組みを提出しなければ単なる批判のための批判に終わってしまう。本書はあくまで発展的に批判されるべき本だというように理解したい。
その観点からすると、本書の読みどころは上巻ではなくこの下巻にあり、特にベ平連とリブ運動を扱った章、そしてとりわけ「結論」の章であると思われる。いろいろな批判はあるだろうが、小熊氏の狙いがどこにあるかを洞察しなければ、それらの批判はすべて有効ではないだろう。つまり小熊氏が提出しなかった(できなかった)新たな分析の枠組みを提出しなければ単なる批判のための批判に終わってしまう。本書はあくまで発展的に批判されるべき本だというように理解したい。
2009年9月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
フロントから疑問が出ている。フロント組織に属する活動家の文章をノンセクトの活動家と勝手に認定したあげくに、周りで使われている革命的表現を使ってみた文章と評価したり、党派としての活動をノンセクトの活動と誤認している箇所が多数発見されているようだ。これについては「月刊 先駆」参照のこと。
御用歴史家と書いたが、どうも小熊は、そのレベルに達していない。なんとなれば組織活動を行っていることを明言した文章を、勝手にノンセクトの文章として分類し紹介引用しているからだ。
そもそも、文献を読む基礎的な訓練や、知識の面で問題があると考えられる。こうした弱点を知っているが故に、資源ゴミ収集車のように大量の文書を使用せざるを得なかったというのが真相だろう。
だから以下の評価は「甘すぎる」のだが、経緯もあるので残しておく。
上下二巻を読んだ感想であるが、一言で言えば「中国共産党の御用歴史家が文化大革命や天安門事件を全否定しようとすれば、このように記述するであろう」ということに尽きる。
中国において、都市における労働者は1)古参党員、2)都市住民で近代産業に熟練したもの、3)共産党の指導下にあるが出身において前2者に劣るものとが峻別されていて、文化大革命や天安門事件は、これら下層都市住民が「儒教主義的な権威主義」というガラスの天井に対して立ち上がったものである。このガラスの天井は安保体制つまり日本を米国の属国とする体制が心地よいと考える進歩的知識人によって作り出された欺瞞によって作られていた。もう、この段階では日本の属国化を問題にすること自体、その主体を武力的弾圧の対象にする歴史的過程に入っていた。
ここちよい属国化を前提に、温室の中で自分たちだけが逃げ切ろうというのが、この時代の進歩的知識人である。欺瞞的なガラスの天井=ガラスの温室の内側にいることを「当たり前の差別」だと考えている御用学者にとってはプロレタリアの蜂起などではなく「自分探しのエピソード」にしか見えないのである。時代錯誤のブルジョワ的公共性などという階級的な内側に自閉した議論にしがみついている限り、失敗はあらかじめ約束されている。
著者自身の方法論で読み込めば、本書は二流地方大学の大学生が、いかにもヘタレなソ連主導の運動に参加して「誰にも相手にされなかった」というトラウマを負い、その後、学歴ロンダリングと儒教主義=権威主義へのすり寄りを行って「上から目線」を確立したというアイロニカルな自己回復の物語である。
丸山風に言えば「改心した亜インテリ」なのであるが、所詮は亜インテリなのでお里が知れてしまうところが多々あるというわけだ。
追記しておくが、週刊誌の最近号で今は昔の北田暁大が「あたれる限りの原資料を読み込み」と書いていた。この本に原資料などほとんど無い。すべて二次三次資料のつまみ食いでしかない。カルスタ業界の低水準というものを示すよい例である。北田も書く場所が消滅しつつあるので、ところをえらばず仲間ほめをしているのだろうが、ストレスで奇妙な事件を起こした同世代の社会学者もいるので注意した方が良い。良い時代は長くは続かないものだ。
御用歴史家と書いたが、どうも小熊は、そのレベルに達していない。なんとなれば組織活動を行っていることを明言した文章を、勝手にノンセクトの文章として分類し紹介引用しているからだ。
そもそも、文献を読む基礎的な訓練や、知識の面で問題があると考えられる。こうした弱点を知っているが故に、資源ゴミ収集車のように大量の文書を使用せざるを得なかったというのが真相だろう。
だから以下の評価は「甘すぎる」のだが、経緯もあるので残しておく。
上下二巻を読んだ感想であるが、一言で言えば「中国共産党の御用歴史家が文化大革命や天安門事件を全否定しようとすれば、このように記述するであろう」ということに尽きる。
中国において、都市における労働者は1)古参党員、2)都市住民で近代産業に熟練したもの、3)共産党の指導下にあるが出身において前2者に劣るものとが峻別されていて、文化大革命や天安門事件は、これら下層都市住民が「儒教主義的な権威主義」というガラスの天井に対して立ち上がったものである。このガラスの天井は安保体制つまり日本を米国の属国とする体制が心地よいと考える進歩的知識人によって作り出された欺瞞によって作られていた。もう、この段階では日本の属国化を問題にすること自体、その主体を武力的弾圧の対象にする歴史的過程に入っていた。
ここちよい属国化を前提に、温室の中で自分たちだけが逃げ切ろうというのが、この時代の進歩的知識人である。欺瞞的なガラスの天井=ガラスの温室の内側にいることを「当たり前の差別」だと考えている御用学者にとってはプロレタリアの蜂起などではなく「自分探しのエピソード」にしか見えないのである。時代錯誤のブルジョワ的公共性などという階級的な内側に自閉した議論にしがみついている限り、失敗はあらかじめ約束されている。
著者自身の方法論で読み込めば、本書は二流地方大学の大学生が、いかにもヘタレなソ連主導の運動に参加して「誰にも相手にされなかった」というトラウマを負い、その後、学歴ロンダリングと儒教主義=権威主義へのすり寄りを行って「上から目線」を確立したというアイロニカルな自己回復の物語である。
丸山風に言えば「改心した亜インテリ」なのであるが、所詮は亜インテリなのでお里が知れてしまうところが多々あるというわけだ。
追記しておくが、週刊誌の最近号で今は昔の北田暁大が「あたれる限りの原資料を読み込み」と書いていた。この本に原資料などほとんど無い。すべて二次三次資料のつまみ食いでしかない。カルスタ業界の低水準というものを示すよい例である。北田も書く場所が消滅しつつあるので、ところをえらばず仲間ほめをしているのだろうが、ストレスで奇妙な事件を起こした同世代の社会学者もいるので注意した方が良い。良い時代は長くは続かないものだ。
2010年1月2日に日本でレビュー済み
リーダー:事件後生まれ 地方 歴史とかよく知らない 基礎知識なし
読書目的:'1、学生運動って聞いたことあるし有名な割には、身近な年配の人に聞いてもうやむや→実際何だったのか
'2、たまにテレビで見る時計台とか山荘の映像はすごくセンセーショナルっぽいわりに結局何も変わってないみたいで、この温度差が不思議。
'3、個人史でなく大づかみに大体の流れを知りたい 入口として。
目的達成度:'1、3…大満足。目的にかなった。 '2…ひとつの見方として本書内容もありだと思った。
いいところ:読みやすい。分厚くてびっくりしましたが、だれずに最後にむかって加速していく読ませる構成で大丈夫だった。
過度に美化せず等身大の感じがリアルで腑に落ちる。
わるいところ:信ぴょう性不明。ただし自分のようにアウトラインだけガバっと食いたい場合は気にならない。
注意点:すでにいろいろ知識のある人には物足りなかったり不満があるのはそうだろうと思います。著者のせいか当現象の性質のせいかは
分かりませんが。どういう目的で読むかによるでしょう。星5つの理由は 目的にかなったことと、読みやすさ の2点です。
読書目的:'1、学生運動って聞いたことあるし有名な割には、身近な年配の人に聞いてもうやむや→実際何だったのか
'2、たまにテレビで見る時計台とか山荘の映像はすごくセンセーショナルっぽいわりに結局何も変わってないみたいで、この温度差が不思議。
'3、個人史でなく大づかみに大体の流れを知りたい 入口として。
目的達成度:'1、3…大満足。目的にかなった。 '2…ひとつの見方として本書内容もありだと思った。
いいところ:読みやすい。分厚くてびっくりしましたが、だれずに最後にむかって加速していく読ませる構成で大丈夫だった。
過度に美化せず等身大の感じがリアルで腑に落ちる。
わるいところ:信ぴょう性不明。ただし自分のようにアウトラインだけガバっと食いたい場合は気にならない。
注意点:すでにいろいろ知識のある人には物足りなかったり不満があるのはそうだろうと思います。著者のせいか当現象の性質のせいかは
分かりませんが。どういう目的で読むかによるでしょう。星5つの理由は 目的にかなったことと、読みやすさ の2点です。
2009年9月6日に日本でレビュー済み
思うことは多々ありますが、上巻に引き続き箇条書きにて。
・佐藤栄作元首相が、なんでまたノーベル平和賞なのか、超疑問。
・当時の述懐が列挙されていますが、後藤田正晴氏の見解にブン殴られました。小泉改革で抵抗
勢力とされた保守政治家の一部にこそ、統治技術という点ですぐれた「職業」政治家が含まれ
ていたのかも知れません。
・それでもトライはしたのだ、みたいに美化しちゃ駄目なんじゃないの?
また、感覚的な不全感だけで突っ走って人が死ぬだけなのでは?
・社会運動論の一環としての実証研究では全然ありません。
そうだとすれば、たとえばトゥレーヌやグラムシに言及して(グラムシについては上巻のはじめ
のほうに名前だけ出てくる)いわゆる「新しい社会運動」との比較あたりを軸にしないと始まら
ないんじゃないかと。たとえば、ですけどね。
だから、本書は、制度や仕組みに照準した実証的な「社会」研究ではない。
そうではなく、歴史的事実に照準した社会的言説、その社会的言説の記述に徹した「社会学的」
研究です。その意味で重要な著作だと思います。
ただし、やはり著者自身があんまり自覚していないみたいですが。
・大量の文献を駆使して再現した本文部分の記述は「ノンフィクション」として読むべき価値あり
と思います。「結論」部分は微妙。
・「現代的不幸」をめぐって「70年代パラダイム」を乗り越えるのであれば、むしろ「もう若くな
いさ」と言い訳して髪を切った若者たちのその後をこそ知りたいです。
その後向き合うことになった「仕事」を介した世の中との関わりは、学生時代に「しがないサラ
リーマンにはなりたくない」と思っていたとおりの無機質な日々だったのか?それとも、仕事を
介してこそ、学生時代には自覚し得なかった「社会」を実感できることはなかったんでしょうか?
・なるほど、人文系の「近代批判」って、スローガンだったのですね。納得。
・佐藤栄作元首相が、なんでまたノーベル平和賞なのか、超疑問。
・当時の述懐が列挙されていますが、後藤田正晴氏の見解にブン殴られました。小泉改革で抵抗
勢力とされた保守政治家の一部にこそ、統治技術という点ですぐれた「職業」政治家が含まれ
ていたのかも知れません。
・それでもトライはしたのだ、みたいに美化しちゃ駄目なんじゃないの?
また、感覚的な不全感だけで突っ走って人が死ぬだけなのでは?
・社会運動論の一環としての実証研究では全然ありません。
そうだとすれば、たとえばトゥレーヌやグラムシに言及して(グラムシについては上巻のはじめ
のほうに名前だけ出てくる)いわゆる「新しい社会運動」との比較あたりを軸にしないと始まら
ないんじゃないかと。たとえば、ですけどね。
だから、本書は、制度や仕組みに照準した実証的な「社会」研究ではない。
そうではなく、歴史的事実に照準した社会的言説、その社会的言説の記述に徹した「社会学的」
研究です。その意味で重要な著作だと思います。
ただし、やはり著者自身があんまり自覚していないみたいですが。
・大量の文献を駆使して再現した本文部分の記述は「ノンフィクション」として読むべき価値あり
と思います。「結論」部分は微妙。
・「現代的不幸」をめぐって「70年代パラダイム」を乗り越えるのであれば、むしろ「もう若くな
いさ」と言い訳して髪を切った若者たちのその後をこそ知りたいです。
その後向き合うことになった「仕事」を介した世の中との関わりは、学生時代に「しがないサラ
リーマンにはなりたくない」と思っていたとおりの無機質な日々だったのか?それとも、仕事を
介してこそ、学生時代には自覚し得なかった「社会」を実感できることはなかったんでしょうか?
・なるほど、人文系の「近代批判」って、スローガンだったのですね。納得。
2011年3月20日に日本でレビュー済み
事実に基づくため、あらゆる記録を漁るように引用しているため、事実誤認も
多いのは仕方がないだろう。しかし、当時の全共闘運動やべ平連などについては
ああそうだったのかと記憶違いを指摘される場面、そうだったと当時を思い起こ
す場面も多数あった。とくにべ平連の章については、よく調べてくれたと敬意を
表する。連赤や党派については、もう触れなくともいいから、べ平連について、
もう一度まとめてもらいたい。読み応えがあった。
多いのは仕方がないだろう。しかし、当時の全共闘運動やべ平連などについては
ああそうだったのかと記憶違いを指摘される場面、そうだったと当時を思い起こ
す場面も多数あった。とくにべ平連の章については、よく調べてくれたと敬意を
表する。連赤や党派については、もう触れなくともいいから、べ平連について、
もう一度まとめてもらいたい。読み応えがあった。
2011年4月23日に日本でレビュー済み
1968年に小学校低学年だった私にとって、全共闘運動という名称はいやと言うほど聞いていたが、その原因や運動をになった団塊世代の、当時の心情については全く知らなかったし、単に失敗に終わった政治運動と思っていたので積極的に知ろうともしなかった。そんな私にとって、団塊世代は、集団的に「現代的不幸」に直面した初めての世代であり、全共闘運動は彼らがくりひろげた大規模な「自分探し」だという本書の主張はとても新鮮だ。また、当時の若者たちの心情がよくわかる引用文は、青春期のみずみずしさにあふれ感情移入して読めるので、膨大なページ数もほとんど気にならなかった。
著者によれば、全共闘運動は高度経済成長に対する違和感の表明であり、日本が途上国から先進国に脱皮するプロセスで必要な通過儀礼だった。そして、彼ら団塊世代の最大の成果は、結果的に大衆消費社会へ見事に適応したこと?だという。なるほど、私は団塊世代とは十数年の違いしかない。しかし、物心ついた時から既に大衆消費社会だった最初の世代であり、著者のいう「適応」というプロセスを意識的に行う必要はなかった。幼い頃から無意識のうちに消費社会に適応、すなわち多種多様な商品の中から、ある商品を選択することによってアイデンティティを確立したのだ。だから、違和感を抱きつつも意識的に適応せざるを得なかったベビーブーム世代、あるいはさらに年長の世代とは、消費社会に対する感じ方がまるで違うのだろう。
明治以降、急激な変化にさらされ続けてきた近代日本は、常に大きなジェネレーション・ギャップを抱えてきたと言ってよいだろうが、本書を読んで私自身もそれを再認識させられた。書評を見ても、実際に体験した世代とより若い世代とでは、まるで評価が違うようだし、改めて世代を超えた議論の大切さを教えられた。
著者によれば、全共闘運動は高度経済成長に対する違和感の表明であり、日本が途上国から先進国に脱皮するプロセスで必要な通過儀礼だった。そして、彼ら団塊世代の最大の成果は、結果的に大衆消費社会へ見事に適応したこと?だという。なるほど、私は団塊世代とは十数年の違いしかない。しかし、物心ついた時から既に大衆消費社会だった最初の世代であり、著者のいう「適応」というプロセスを意識的に行う必要はなかった。幼い頃から無意識のうちに消費社会に適応、すなわち多種多様な商品の中から、ある商品を選択することによってアイデンティティを確立したのだ。だから、違和感を抱きつつも意識的に適応せざるを得なかったベビーブーム世代、あるいはさらに年長の世代とは、消費社会に対する感じ方がまるで違うのだろう。
明治以降、急激な変化にさらされ続けてきた近代日本は、常に大きなジェネレーション・ギャップを抱えてきたと言ってよいだろうが、本書を読んで私自身もそれを再認識させられた。書評を見ても、実際に体験した世代とより若い世代とでは、まるで評価が違うようだし、改めて世代を超えた議論の大切さを教えられた。