「ガリツィアのユダヤ人」(2008人文書院)で、著者は、中世ポーランド王国に移住したユダヤ人が、ポーランド貴族やウクライナ人との間に形成した社会構造を分析し、それが19世紀の「ポグロム」と1930年代の「ナチスの人種政策」によって未曾有のホロコーストに転化していくことを描いた。それは20世紀最大の悲劇の一つを、遠く深い背景から説明するものであった。
本書は、そのホロコーストを生き延びたユダヤ人が、その後、「難民(Displaced Persons 略称DP)」として連合国がドイツ国内などに造った「ユダヤ人DPキャンプ」に保護され、移民、帰還等、様々な人生を歩んだことを追跡したものである。
特に、ポーランドに帰還したユダヤ人たちはどのような運命をたどったのか。また、アメリカ、そしてイギリスが委任統治していたパレスティナに向かったユダヤ人はどうなったのか？
ともすれば、ユダヤ人やポーランド人を「ナチスの被害者」としてしか見ない日本人に、著者は、それぞれの民族が被害者にも加害者にもなり得る歴史の複雑な姿を垣間見させてくれる。
「アウシュビッツ収容所」が造られた「ガリツィア地方」では、ポーランド人とウクライナ人の反ユダヤ意識は根強いものがあった。ワルシャワでも同じことである。戦前の首都に60万人いたユダヤ人の大半が、収容所に送られ、逃亡し、住居や財産が放棄された。そうであれば、ポーランド人がそれらを占有したとしても不思議はない。しかし、20万人のユダヤ人がワルシャワに帰還したとき、ポーランド人は果たして奪い取ったものを素直に返しただろうか？もちろん、そんなことはなかった。「ポーランド人は、ユダヤ人に直ぐに立ち去るように脅迫した」。
1946年7月「キェルツェのポグロム」でユダヤ人42人がポーランド人に撲殺された事件を機に、ユダヤ人のポーランドからの再脱出が始まる。ドイツ降伏後数年間に起きたポーランドでのユダヤ人殺害事件は、2000件を超える。ポーランド人は、ナチスから迫害方法を学んでいた。ポーランドに帰還しながら再脱出したユダヤ人は、ソビエト支配下のルブリン政権、社会主義体制よりも、ポーランド人のユダヤ迫害を怖れたのかも知れない。
第二次大戦でドイツ軍の死者は500万人。もともとズデーテンやシレジアの住民の95%はドイツ人だったが、ドイツ軍とともに、ポーランド、ズデーテン等東方に移住したドイツ民間人は一千万人を超えた。ドイツの敗戦による彼らの帰還は、死のロードであった。ドイツ人であれば、現地人から略奪され、強姦されても文句は言えなかった。四百万人がドイツ帰還の帰途で犠牲になったと言われる。
著者は、遠慮がちに指摘する。ナチスの収容所を脱出し、連合国の「DPキャンプ」にたどり着くまでの間、ユダヤ人もまた、ドイツ人から略奪し、強姦した、と。
しかし、こうして1945年から1947にかけて、「DPキャンプ」には、数十万人のユダヤ人が集まったのである。彼らは、やがて、アメリカやパレスティナに散っていくのであるが、「シオニズム」に対する英米の対応策と「移民受け入れ政策」の変遷について見落とせない。
「1924年移民法」という法律がアメリカにはあった。1890年の国勢調査における出身国別人口数を基礎として、国別に移民数を割り当てたものである。我が国では「排日移民法」と呼んでいるものであるが、北西ヨーロッパ諸国に85%が割り当てられたため、ユダヤ人は年間2万人を超えてアメリカに移住することができなかった。1939年には、27000人まで拡大されたが、この硬直した移民受け入れ政策が、ユダヤ人600万人の犠牲者の原因の一つであったことは間違いない。
一方、第一次大戦後、イギリスはパレスチナを信託統治していたが、シオニズムのユダヤ人とパレスチナのアラブ人に対する政策は、終始一貫せず、対立と混乱を深めるものであった。石油利権との関係で、イギリスはアラブに配慮したかった。戦後、パレスチナを目指しながら、イギリスによって追い返されたユダヤ人の多さに読者は驚くことだろう。
著者は、静かに、淡々と、中央ヨーロッパのユダヤ人に起きたことがらを描く。しかし、読者は、歴史の中のユダヤ人を対象に、人間と人間の織りなす歴史と物語の深さを思い知らされるに違いない。
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