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現代思想2011年12月臨時増刊号 総特集=上野千鶴子 ムック – 2011/11/21

3.3 5つ星のうち3.3 6個の評価

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登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 青土社 (2011/11/21)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2011/11/21
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • ムック ‏ : ‎ 309ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4791712374
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4791712373
  • カスタマーレビュー:
    3.3 5つ星のうち3.3 6個の評価

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信田 さよ子
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上位レビュー、対象国: 日本

2011年12月27日に日本でレビュー済み
「いのちより大切な価値」があると思っていない、と上野千鶴子氏は言っていたようだ。(p292下段)

であれば、右翼のテロに怯え国政を誤ったと言われる戦前の政治指導者を批判出来ないことになる。

上野氏は一般論ではなく、例えば自分が「当事者」として殺すぞと脅されたら自分の意見の発表を取りやめるということなのだろうか? そんな風にも思えない。
もちろん今の日本には「国家権力」による警察があって、脅迫は犯罪として抑止されている。

その警官が、或いは消防士が、今なら原発事故の修復作業員が自分の命を何より大切にし、他人の命を救う事を二の次にするなら、そんな警官や消防士等は職業に適性を欠くということになるだろう。

一体誰の命の事を言っているのだろう?

我々の社会は不特定の人々の命を救うために特定の職業に「命の危険を犯す」という役割を与えているようだ。(*)

命の危険が伴う職業は多い。そんな仕事には大抵男がつく。兵士もそうだ。

わたしたちは「暴力の男女共同参画」という難問の前に立たされている、と上野氏は考えているようだ。(p292上段)

軍隊が何のための「暴力」であるかを考えない幼稚さを抜きにしても、「命の危険を伴う職業」という、少し考えれば判るはずのヨリ一般的な職業概念に考えが及んでいないようだ。男女差別を考えるならなぜそのような職業に男女「差別」があるのかを考えてはどうか。

マーガレット・サッチャーもインディラ・ガンジーもゴルダ・メイアも女性政治家として戦争をやってるのに女性兵士を増やしたという話は聞いたこともない。まあ、女傑イコールフェミニストとは限らないのだろうけれど。

(*)これは「構造的暴力」とでも言えそうだ。
憲法など無視して考えるなら、男女を問わず抽選で強制的に割り当てる事にすれば「公平」であるが、「適性」や「選好」を無視した就業はありえない。なによりそれ自体が「政策的な暴力」になるだろう。

’11年12月27日

p120以降で成田龍一は上野千鶴子が日本の歴史学に発した「問い」を整理し、「いまだ上野が提出した論点は、歴史学の現場では議論され尽くしていない、と言わざるをえないであろう。」と結んでいる。

上野が論点としているのは旧くからある「歴史学の政治性」の暴露であり、歴史認識の客観性に対する疑義である。何ら根本的に新しいものではない、と言うことができる。
どのみち歴史家と言えども社会、政治、「歴史」の外にたってものを観ることはできない。

成田は上野の『ナショナリズムとジェンダー』(以下「ナジェ」)の中の「「記憶」の政治学」を引いて上野が提出した論点を描いている。
「実証史学」批判、歴史家の「第三者性」批判、最後にパラダイム転換である。

それでは上野の「「記憶」の政治学」の最終章である9 フェミニズムはナショナリズムをこえられるか を見てみよう。

「フェミニズムの目的はある排他的カテゴリーを別の排他的なカテゴリーに置き換えることではない。「女性」という本質主義的共同性をうちたてることでもない。・・・「わたし」が拒絶するのは単一のカテゴリーの特権化や本質化である。」として何やらM・シュティルナーを思わせる。

もちろん上野は「わたし」が「歴史の負荷」をおびていることや「関係性の集合」であることもは忘れてはいない。
そして後の「当事者主権」の考えと覚しきものが登場する。
「「固有のわたし」にとってどうしても受け入れることのできないのは「代表=代弁」の論理である。」

で、上野はこれを「慰安婦」訴訟に当てはめて「フェミニズムが国境を超える」だの何やら言っているがその内容は杜撰極まりない。

「戦後保障は二国間条約で賠償ずみ」の言説を批判しているが・・・そもそも韓国とは戦争していないのだから「賠償」はおかしい。実際支払われたのは「経済協力金」か何かである。
又、日本人個人が奪われた財産の問題に触れていない。引揚者達が奪われた個人財産を韓国は補償するのか?上野の論理ではこれは解決されていないはずである。敗戦国民には人権などはないのか?

「代弁の論理」を拒否するなら、日本国民が国家によって謝罪や補償を「代弁される」のを拒否することも可能なはずである。高市早苗議員の言っている論理でもある。
橋爪大三郎は相続の論理を持ち出して「負債」を相続することを根拠づけている。日本の在外「資産」の方は官民共に取り上げられているのに、である。

上野は「戦勝国」という巨大な権力がこの間に働いていたことをは知らないはずはない。(「ナジェ」p184)戦後の左翼は上野を含めみんなアメリカ帝国主義を批判していたはずである。そのアメリカは戦争当時帝国主義ではなかった、とでも思っているのか?社会主義のソ連や民族主義の中国と同盟していたら「良い帝国主義」なのか?

白人で、男性で、キリスト教徒の権力が民族差別的追放政策をやっていた。その被害者の中にはユダヤ人や引揚者と言われた日本人が含まれる。上野が前者を引き合いに出し後者について指摘しないのはなぜか?
引揚者が個人補償をアメリカの裁判所に訴えるまで上野は知らないふりをするのだろうか?
慰安婦訴訟には福島瑞穂など日本人左翼運動家弁護士などが多く関わっていた。

左翼人権派の運動家が日本人、敗戦国民の人権侵害の救済には無関心なのは上野の言う「人権論の射程」(「ナジェ」p199)が「戦勝国史観のパラダイム」を脱しきれていないから、のように思える。

要は、やつらは見たいものしか見ない、と言う事なのだろう。

’11年12月28日
24人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2012年2月7日に日本でレビュー済み
私は1970年代半ばにフェミニズムの洗礼を受けて以来、上野千鶴子さんの
圧倒的な知力と卓越したお話の巧さに魅了されて、学術誌や社会系専門誌に
書かれた物がまとまって出版された際には欠かさず読んできました。

私自身が社会運動に携わっていたことで、上野さんの発信する言葉に私の思いや
理想が重なって納得していたことを述懐します。
携帯電話やインターネットがなかった時代、女性たちはそれぞれにコミュニティー
を形成する中で情報をやり取りして、上野さんは社会学者の立場から理論武装
する必要性を教えてくれた人でもありました。

上野さんの講演を聴いた方はおわかりになると思いますが、聴衆を引き込む
言語パフォーマンスには卓越したものがあります。
それはいろいろな対談でもいかんなく発揮されています。
本誌では小熊英二氏(社会学)と宮地尚子氏(文化精神医学)とそれぞれに
討議という形式で多くのページを割いています。

また、「上野千鶴子を語り尽くす」という座談会では、上野ゼミのOB・OG4人が
指導教官であった上野先生を縦横無尽に語っていて、教師としての彼女の日常
をとらえていて興味深く読みました。

昨年春の東大退官という区切りに際して、総勢50名近い多方面の分野の方々が
それぞれに自分にとっての上野千鶴子さんを語っています。
その中から詩人の伊藤比呂美さんが寄せた詩の一文を引用します。
 
 出会ったそのときからあたしはうえのさんをしんらいしている、ほんとである
 なにしろオーラがすごいのである、そしてエラそうなのである(原文のまま) 

情緒的な構成だけではなく、学術的資料が随所に掲載されているので上野さん
以外の著作を知る案内となり重宝します。
巻末には、1982年に「セクシィ・ギャルの大研究」で一躍社会に知られることになった
初著作から、最新の2011年「ケアの社会学」まで厳選した10冊を上野千鶴子の読み方
として詳細に紹介しています。
まだ一度も上野さんの著作を読んだことがない方も、適材適所の評者が解説をしている
ので、この中から興味ある本が見つかるのではないでしょうか。

誰もやらないことを最初にやる人は、どんな分野の人でも賛否両論の矢面に立たされます。
それを長く続けていくことは、凡人の私には計り知れない苦労の連続だった思います。
今回、現代思想の臨時増刊号で上野千鶴子さんの仕事の軌跡を知ることができました。
個人的な思いと合わさって大切な一冊となりました。
31人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2012年2月26日に日本でレビュー済み
 小熊さんとの対談がよかった。最近のケアの問題を扱った本から読み始めたシロートなんで、初期には吉本隆明さんの対幻想を中心に、恋愛に特化して論考を進めていったというのも始めて知りました。上野さんにとって対幻想というのは《本人にもそうと自覚できない、他者に向かう衝動のもとになるほぼ唯一の欲望ではないでしょうか》というところまで考え抜くんですね。《他者によって充足される必要のない性欲も十分にありうるということがわかりしまたから、それはそれであっていい。それでも、とことん自家中毒状態に嗜癖したあとに、自分というのはなんて退屈なんもんだろうと思った》とも書いていますが、そうした体験は全共闘運動から得たんだな、ということもわかります。

 途中、ちっょとダレるところもあるんですが、最後に日本人の国家論みたいなのので盛り上がるんですね。勝手に整理させていただくと、明治の近代国家の作り方が割とうまくできて、しかも1400年ぐらい続いてきた天皇制という資源もあったことから、日本では「日本は太古の昔からの共同体である」という幻想幻想を強く押し出すことができたのかな、と。その結果、日本では公を国家が独占しすぎてしまい、日本の近代的知識人は常に「国家と個人」を問題の中心にして論議を進めてきた、と。しかし、G8の中で二重国籍を許していないのは日本とドイツだけになってきた、と。

  共同幻想は共通性をもとにつながる絆だが、対幻想だけが差異をもとにつながる絆だという上野さんの主張は、吉本さんのオリジナルと比べると男女に特化しすぎているとは思いますが、人と人の間をつなぐ社会学を研究してきた上野さんの業績というのは、明るくポジティブな姿勢から生まれたんだな、と感じました。
12人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート