ジェンダーが後天的な弁別的な思考によって社会に定着するとは、わかりやすいが、
実は一見本質的に見えるセックスこそが、ジェンダー的発想によって、
人を強制的に「男/女」に区分けするイデオロギー装置だと看破した快著。
のみならず、本質的思考を排除し、パフォーマンス行為の蓄積がジェンダー/セックスを構成するという発想は、
ジェンダー理論、セクシュアリティ理論を越えた理論的有効性を持つ。
訳者である竹村和子氏の夭折が惜しまれます。
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ジェンダー・トラブル: フェミニズムとアイデンティティの撹乱 単行本 – 1999/3/1
- ISBN-104791757033
- ISBN-13978-4791757039
- 出版社青土社
- 発売日1999/3/1
- 言語日本語
- 本の長さ300ページ
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商品の説明
商品説明
本書は『Gender Trouble』の日本語版である。数あるジェンダー学(性差学)関連書の中で最も社会に影響を与えた1冊であり、かつ最も著名なのが本書。著者のジュディス・バトラーは、自身が生んだこの分野での草分け的議論に対して寄せられた批判的反響について説明している。にもかかわらず、フェミニストの古典にまでなった持論について、著者は見直したい気持ちを抑えつけた。
性意識と生物学的な性の不一致に苦しみながらも前向きに生きていたり、生きようとしていたりする人たちがまっとうな生活を送れるために、もしくは送れる可能性を高めるために本書を世に送り出すことにした、とバトラーは言う。
本書は、フランスフェミニズムの範囲の狭さやその基礎となった人類学のあり方を批判するだけでなく、これまでのジェンダー学に関するパロディーを用い、性差の決定に関する遺伝学的研究に文化的偏見が見られることや、性の形成を自然に起因させることに関して、重要な見解を示している。
ジェンダー学の入門書であり、大学のカフェで読むには刺激的な1冊である。(レジーナ・マーラー)
性意識と生物学的な性の不一致に苦しみながらも前向きに生きていたり、生きようとしていたりする人たちがまっとうな生活を送れるために、もしくは送れる可能性を高めるために本書を世に送り出すことにした、とバトラーは言う。
本書は、フランスフェミニズムの範囲の狭さやその基礎となった人類学のあり方を批判するだけでなく、これまでのジェンダー学に関するパロディーを用い、性差の決定に関する遺伝学的研究に文化的偏見が見られることや、性の形成を自然に起因させることに関して、重要な見解を示している。
ジェンダー学の入門書であり、大学のカフェで読むには刺激的な1冊である。(レジーナ・マーラー)
内容(「MARC」データベースより)
哲学、人類学、文学理論、精神分析のテクストに折り重なる言説を縦横に扱いつつ、女と男の弁別が身体の自然に根ざすとする本質論的前提を根底的に覆し、セクシュアリティ研究の方向を決定づける。
登録情報
- 出版社 : 青土社 (1999/3/1)
- 発売日 : 1999/3/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 300ページ
- ISBN-10 : 4791757033
- ISBN-13 : 978-4791757039
- Amazon 売れ筋ランキング: - 160,680位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2012年7月18日に日本でレビュー済み
2014年10月6日に日本でレビュー済み
何度も反復的に繰り返される既存の言説の引用的なパフォーマンスが、文化的構築物としての生物学的な性の概念をつくりだすが、その構築物はあたかも「自然」なものであるかのように化粧を施される。その厚い仮面に不整合が起こるとき、われわれはその「自然」が「幻」であることに気づく。攪乱とは、その不整合を積極的に起こしていく試みである。
2016年2月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
商品の状態等は何の問題もないです!
内容がかなり難しく、抽象的な表現が多いので、途中で読めなくなりました(笑)
内容がかなり難しく、抽象的な表現が多いので、途中で読めなくなりました(笑)
2006年2月5日に日本でレビュー済み
長女は、特にすすめたわけでもないのに、数あるキャラクターの中からウルトラマンを選び取り、ついにはつなぎのスーツを愛用するまでになりました。本当にいろいろな子どもがいます。そして大人がいます。
ジェンダーという言葉は、それ自体が一つの主張を持っているとも考えられます。そのため人によっては使う(あるいは使われる)のを嫌ったり、ためらったりするのかもしれません。個人の意思に反して性役割を押しつけられているという1つの主張を感じ取るのかもしれません。しかし現実にそのような押しつけ=不条理は確固として存在します。実に多岐にわたり。
特定の人たちだけでなく、およそ全ての人が「個性」や「自分らしさ」ということを、もう一度さらに深く考えるきっかけとなる書だと思います。
ジェンダーという言葉は、それ自体が一つの主張を持っているとも考えられます。そのため人によっては使う(あるいは使われる)のを嫌ったり、ためらったりするのかもしれません。個人の意思に反して性役割を押しつけられているという1つの主張を感じ取るのかもしれません。しかし現実にそのような押しつけ=不条理は確固として存在します。実に多岐にわたり。
特定の人たちだけでなく、およそ全ての人が「個性」や「自分らしさ」ということを、もう一度さらに深く考えるきっかけとなる書だと思います。
2010年8月6日に日本でレビュー済み
ジュディス・バトラーは、男装したレズビアン(ブッチ)であり、同時にユダヤ教改革派のとても熱心な信者である。ジェンダー/セクシュアリティ研究の必読書を翻訳した労は多とするが、訳者はバトラーの議論の宗教的背景がよく分かっていないのだと思う。“law”を「法」と訳しているが、これは同時にユダヤ教の律法(掟)のことでもある。バトラー理論のキーワードである「語りかけられ、語りかける」“agency”を「行為体」と訳しているが、これはユダヤ教の信仰主体の主観性(生きられた経験)ー旧約聖書とタルムードの解釈の世界ーのことである。バトラーがドラァグ(誇張された異性装)に思い入れして、「攪乱的なパフォーマンス」を戦略として主張する背景には、「新しい儀礼を創造すること」を重視する改革派の儀礼論がある。そうした点に解説があればもっとよかったので、☆ひとつ減点。
2005年9月27日に日本でレビュー済み
ラディカル・フェミニズムの教科書として定評のある本だが、わたくしは(男性ということもあるが)そのようなものとして読まなかった。
この本の「女性」という単語を、別のマイノリティ(「アイヌ」でも「障害者」でも何でもよい)に置き換えて読んでいただきたい。そうすると、わたくしのいわんとすることがお分かりだろう。このように読解すると、本書はラディカル・フェミニズムからラディカル・ヒューマニズムあるいはデモクラシーの本へと豹変する。幅広い学識に支えられて書かれている本書を、単にフェミニズムの本とだけして読むのは非常にもったいない、とわたくしは考える。
なお、性の問題を100%構築主義的にとらえるのはさすがにマチガイだろう。上野千鶴子や小倉千加子といった質の悪いフェミニストの議論を聞いていると、「男性の性欲は先天的・本質的だが、女性の性欲は100%後天的に形成されたものだ」と彼女たちが考えているとしか思えない(そしてその暗黙の了解の前半部は正しいのでは?)。彼女らの「性は全面的に言説によって構築されたもの」との主張は、それだけでもウソがあることがわかる。そして、残念ながら、この点においてはバトラーも同じ轍を踏んでしまっている。性は本質主義+構築主義の両面で捉えることこそ妥当なみかたであろう。
この本の「女性」という単語を、別のマイノリティ(「アイヌ」でも「障害者」でも何でもよい)に置き換えて読んでいただきたい。そうすると、わたくしのいわんとすることがお分かりだろう。このように読解すると、本書はラディカル・フェミニズムからラディカル・ヒューマニズムあるいはデモクラシーの本へと豹変する。幅広い学識に支えられて書かれている本書を、単にフェミニズムの本とだけして読むのは非常にもったいない、とわたくしは考える。
なお、性の問題を100%構築主義的にとらえるのはさすがにマチガイだろう。上野千鶴子や小倉千加子といった質の悪いフェミニストの議論を聞いていると、「男性の性欲は先天的・本質的だが、女性の性欲は100%後天的に形成されたものだ」と彼女たちが考えているとしか思えない(そしてその暗黙の了解の前半部は正しいのでは?)。彼女らの「性は全面的に言説によって構築されたもの」との主張は、それだけでもウソがあることがわかる。そして、残念ながら、この点においてはバトラーも同じ轍を踏んでしまっている。性は本質主義+構築主義の両面で捉えることこそ妥当なみかたであろう。
2010年5月14日に日本でレビュー済み
「攪乱」とは、いかにも魅惑的な言葉ではないだろうか。そこには何か、自由闊達な冒険の匂いが漂う。
だが、本書の煽動する「攪乱」とは、決して無責任で遊蕩的なものではなく、きわめて禁欲的なものである。
そこでは、「起源」「実体」「本質」「自然」「外部」に根拠を求める思考は、ことごとく疑われ、却下される。また、イメージを禁止しつつ産出する、権力機構のパラドックスを看過することは、一瞬たりとも許されない。罠は、いたるところに張り巡らされているという闘争の感覚が、漲る。
そして、陳腐さの側に回収されることを拒み、「文化のオルタナティヴな配置」を目指す言語の戦略として、「攪乱」は措定される。それは、つくづく禁欲的かつ技巧的な実践ではないだろうか。
「例外」や「異質なもの」こそが、自明な世界の転覆を可能にする、と本書の著者は書いている。思えば、異性愛を強制のグリッドと捉えるような視線は、ある種の異質さを生きる者によってのみ、導入されえたものだ。
「攪乱」とは、いわば行為として生きられる異質なる者の意志であり、苛酷な禁欲と技巧に基礎を置く限りにおいて、それは肯定すべき「トラブル」を呼び寄せることが出来る……本書が語りかけるのは、そのようなレッスンではないだろうか。
だが、本書の煽動する「攪乱」とは、決して無責任で遊蕩的なものではなく、きわめて禁欲的なものである。
そこでは、「起源」「実体」「本質」「自然」「外部」に根拠を求める思考は、ことごとく疑われ、却下される。また、イメージを禁止しつつ産出する、権力機構のパラドックスを看過することは、一瞬たりとも許されない。罠は、いたるところに張り巡らされているという闘争の感覚が、漲る。
そして、陳腐さの側に回収されることを拒み、「文化のオルタナティヴな配置」を目指す言語の戦略として、「攪乱」は措定される。それは、つくづく禁欲的かつ技巧的な実践ではないだろうか。
「例外」や「異質なもの」こそが、自明な世界の転覆を可能にする、と本書の著者は書いている。思えば、異性愛を強制のグリッドと捉えるような視線は、ある種の異質さを生きる者によってのみ、導入されえたものだ。
「攪乱」とは、いわば行為として生きられる異質なる者の意志であり、苛酷な禁欲と技巧に基礎を置く限りにおいて、それは肯定すべき「トラブル」を呼び寄せることが出来る……本書が語りかけるのは、そのようなレッスンではないだろうか。
2004年9月5日に日本でレビュー済み
傑作である。本書は非常に学術的な内容を多く含む論文であるが、一般読者にも広く受容された。「ジェンダー」が論争的な概念であるということをここまで徹底的に突き詰めて考えて、一つのまとまりのある論文に完成させた論者はそれまでいなかった。
バトラーはフーコー、デリダ、ラカン、レヴィ=ストロースなどのポスト/構造主義派の論者の言説を批判的に受け継ぎながら、「ジェンダー」の社会的構築という問題について訴える。その中から生まれた「エイジェンシー」「パフォーマティヴィティ」などは、まさしく実存主義と構造主義の間の脱構築を試みる刺激的な概念である。
本書は「女」の基盤的実在を無に解消したという理由で多くのフェミニストから激しい批判に晒されることになる。だが、その極めて理論的な文章の奥底には、彼女の「政治」的な問題意識が常に強く存在する。1990年代に爆発的な勢いを持つことになったクィア理論などは、その政治的問題意識を本書の中に注意深く読み込むことから発展したといってよい。
本書はフェミニズムを研究する者にとっては避けては通れないものである。私たちの認識の基盤を揺るがす書物はそう多くはないが、本書はその数少ないものの一つである。
バトラーはフーコー、デリダ、ラカン、レヴィ=ストロースなどのポスト/構造主義派の論者の言説を批判的に受け継ぎながら、「ジェンダー」の社会的構築という問題について訴える。その中から生まれた「エイジェンシー」「パフォーマティヴィティ」などは、まさしく実存主義と構造主義の間の脱構築を試みる刺激的な概念である。
本書は「女」の基盤的実在を無に解消したという理由で多くのフェミニストから激しい批判に晒されることになる。だが、その極めて理論的な文章の奥底には、彼女の「政治」的な問題意識が常に強く存在する。1990年代に爆発的な勢いを持つことになったクィア理論などは、その政治的問題意識を本書の中に注意深く読み込むことから発展したといってよい。
本書はフェミニズムを研究する者にとっては避けては通れないものである。私たちの認識の基盤を揺るがす書物はそう多くはないが、本書はその数少ないものの一つである。