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カタコトのうわごと 単行本 – 1999/5/1
- 本の長さ227ページ
- 言語日本語
- 出版社青土社
- 発売日1999/5/1
- ISBN-104791757165
- ISBN-13978-4791757169
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
登録情報
- 出版社 : 青土社 (1999/5/1)
- 発売日 : 1999/5/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 227ページ
- ISBN-10 : 4791757165
- ISBN-13 : 978-4791757169
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,364,398位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 19,477位近現代日本のエッセー・随筆
- - 122,022位ビジネス・経済 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
【著者紹介】
多和田葉子(たわだ・ようこ)
小説家、詩人。1960年3月23日東京都中野区生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。ハンブルク大学大学院修士課程修了。文学博士(チューリッヒ大学)。
1982年よりドイツに在住し、日本語とドイツ語で作品を手がける。1991年『かかとを失くして』で群像新人文学賞、1993年『犬婿入り』で芥川賞を受賞。2000年『ヒナギクのお茶の場合』で泉鏡花文学賞、2002年『球形時間』でBunkamuraドゥマゴ文学賞、2003年『容疑者の夜行列車』で伊藤整文学賞、谷崎潤一郎賞、2005年にゲーテ・メダル、2009年に早稲田大学坪内逍遙大賞、2011年『尼僧とキューピッドの弓』で紫式部文学賞、『雪の練習生』で野間文芸賞、2013年『雲をつかむ話』で読売文学賞、芸術選奨文部科学大臣賞など受賞多数。2016年にドイツのクライスト賞を日本人で初めて受賞。2018年『献灯使』で全米図書賞翻訳文学部門受賞。
著書に『ゴットハルト鉄道』『飛魂』『エクソフォニー 母語の外へ出る旅』『旅をする裸の眼』『ボルドーの義兄』『百年の散歩』『地球にちりばめられて』などがある。
ヨーロッパ、アメリカ、アジアでこれまで700回以上の朗読会を開いている。アメリカではスタンフォード大学、コーネル大学、マサチューセッツ工科大学など1999年以降多数の大学に招かれ、数日から数ヶ月滞在。著作は日本語でもドイツ語でも20冊以上出版されており、フランス語訳、英訳の他にも、イタリア語、中国語、ポーランド語、韓国語、ロシア語、オランダ語、スェーデン語、ノルウェー語などの翻訳が出ている。
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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これがすごく面白いんです。
ドイツでの生活をおりまぜて(ドイツ語の罵倒集など大爆笑)日本を逆照射してみせます。もう日本語が、というより人間とは。という根本的な思索にまで到達した実地に基づく理論と、それを受け止める繊細な感性がすばらしい。
さすが! と何度も激しくうなずきました。
「コーヒーでいいです」という喫茶店でのオーダーをする若者の、その、「で」いいです、にこめられた気分を解説するくだりなど圧巻でした。責任を取らないために使う言い逃れの「で」。なるほど!です。
また「あなたが壊した」の「が」が、文句をいう、説教する、抗議するときに出てくる、という考察。へたな言語学の本よりもよほど「わかる」内容です。
いきいきとした筆致で物事の本質にせまりつつ、ほどよい軽さ、この余裕。
幸せに生きているんだな。物事を知るということは本来楽しいことなんだよな。と心がほのぼのしてきます。
若いころ、インドからヨーロッパに大旅行した著者のバイタリティーと優しさ、深さにぜひ触れてみてください。
すべって、ころんで、かかとがとれた
病院という異国への旅
犬婿入りについて
翻訳という熱帯旅行
失われた原稿
生い立ちという虚構
ドイツで書く嬉しさ
シャミッソー賞を受賞してみて
吹き寄せられたページたち
樹木・電流・プラスチック
ふとと思わず
ゆずる物腰ものほしげ
懐かしいかもしれない
アメリカの印象
通信手段
遊園地は嘘つきの天国
衣服としての日本語
◆記憶の中の本
刻み込まれていく文章
言葉のたけくらべ
舞台のある小説
人形の死体/身体/神道
罫線という私
◆衣服としての日本語
異界の目
線は具象 具象は線
外国語文学の時代
ジークリット・ヴァイゲルの性の地形学について
翻訳者の門
ラビと27個の点
ハムレットマシーンからハムレットへ
◆身体・声・仮面
迷いの踊り
聴覚と視覚の間の溝を覗く
新ドイツ零年と引用の切り口
筆の跡
線は具象 具象は線
花言葉
2045年
あと、ドイツでは作家による「朗読会」がとても盛んで、印税だけで食べていけるベストセラー作家以外には、そういう会での収入も貴重なものらしい。私ともほぼ同世代の多和田葉子さん~次は何か小説を読んでみよう。
しかし、そうじゃない賢い子供もたくさんいるし、ツェランみたいな哀しい結末はもうやめてあげてほしい。どうかあのこを許してあげてほしい。大切ないのちを殺さないでほしい。
この作家の作品は、夢中になるというのではないが奇妙に惹かれるものがあって、
もっと読みたいと思ってしまう。
同じ興味が、小説ではなくエッセーだったらどうなるのだろう、という興味を呼んだ。
そしてしばらくは、日々の読書の中心にこの本があって、喜んで読んでいた。
小説よりもわかりやすい言葉で同じ感覚が得られる。
その感覚とは、思い切ってまとめれば、生き物としての言葉、ということになるだろうか。
作家自身がこの本の中でそんなことを言っている。
「ものを書いていると、言葉が、時には文字が、不思議な身体性を発散し始め、
やがて、わたしは、その身体の形、動きだけを追いながら書いていきたいという思いに駆られることがある。」(182)
私に言わせれば「…ことがある」どころか、それがすべてであって、
「生き物」というのも比喩を越えている。
多和田の書くものとは、その生き物に振り回されたり、手なづけたり、
遊んだり格闘したりの記録であるように見える。
そこでは言葉というものがいかにも気まぐれで身勝手な動物のようだから、
ときに駄洒落のようでもあり、どこまで作家は真面目なのだろう、という疑問も感じるのだが、
こうしてエッセーを読む限りは本人は大真面目で、
しかし書いているときにはおそらく真面目も不真面目も、そんな区別も範疇もないところで、
したがって言葉が自分の権利と自由で生きているところで、それと触れあっているのだ。
特有の奇妙なおかしさは、そんなところから来ているような気がする。
これを作家固有の感受性と呼ぶのか個性と呼ぶべきか知らないが、
変な味だがまた食べたくなる料理のような魅力で、
読みたくなるのはほとんど生理的な現象かもしれない。
1982年以来ドイツに長年暮らして、日独両言語で文章を書いてきた著者ならではの独特の言語感覚が垣間見える一冊です。
母語と遠く離れた言語世界で生きる人間が感じる、もどかしさや歯がゆさが日本語に落としこまれていて、外国暮らしの経験はないとはいえ旅に身を置くと同じような感覚を幾度も味わってきた私の心に、次の文章はとても添うところがありました。
「外国語であるドイツ語は、ぴったりしなくて当然だろうが、母国語が離れていってしまうのは、なんだか霧の中で文字が見えなくなっていくようで恐ろしかった。わたしは、言葉無しで、ものを感じ、考え、決心するようになってきた。」(11頁)
ただし、この本におさめられた随想の多くは私には少々小難しく感じました。
ドイツの詩とその日本語訳に関する考察や、私が読んだことのない本に関する書評などは、私には歯が立たないという無念な思いが残り、私の好きな多和田葉子の文章であるにも関わらず、心の底から楽しめたとはいえませんでした。
私には『 エクソフォニー-母語の外へ出る旅- 』のほうがずっと楽しく読めました。
初版発行は1999年。生い立ちまで知ることができる。
最初、ドイツに住み始めた頃の話。
日本語を全くしゃべらないうちに、半年が過ぎてしまった。日本語がわたしの生活から離れていってしまった感じだった。手に触れる物にも、自分の気分にも、ぴったりする日本語が見つからないのだった。外国語であるドイツ語は、ぴったりしなくて当然だろうが、母国語が離れていってしまうのは、なんだか霧の中で文字が見えなくなっていくようで恐ろしかった。わたしは、言葉無しで、ものを感じ、考え、決心するようになってきた。
このような異常事態は、多和田葉子の書く日記、手紙にも現れてきた、という。移民体験の重要な告白である。
また、ドイツ語には、日本語の「ふと」、「思わず」に直接当てはまる言葉がない、という。カフカを原文のドイツ語で読んでみると、「ふと」、「思わず」が使われずに作品が出来ているという。
多和田葉子はドイツ文学だけでなく、『枕草子』、『今昔物語集』、夢幻能なども読んでいる。博士号を取得するだけあって凄い。
翻訳についても、
翻訳の中で原文が新しい身体を授かるということかもしれない」。原文の中に隠されたある意味が翻訳可能性によって目に見えるようになる、という「翻訳者の使命」の中にあるベンヤミンのことばも思い出される。
印象に残ったところを、引用してもきりはないが、シェイクスピアの作品が、日本の『平家物語』のように複数の人間たちによって出来上がっているなどということも、新鮮であった。
いずれにしろ「初期?の多和田葉子」を知るためには必読の本である。