本文は1960年代に書かれた物を翻訳したもので、文章が非常に読みにくい。またアメリカの風俗や当時の人間なら知っていて当然の人物や言葉が羅列されていて、一応全部読んだものの何処まで理解しているか分からない――というか全然分からない。読んだあとに、出てきた名前をグーグルで検索して読み直すと、全体がやっと見えてくる。それは翻訳した人や作者が悪いのではないです。時の流れの中で人は変わってしまう・・・・・なんて感じです。
さて、この本は奇形の人の人生に神話を絡めた学術書(?)です。奇形の写真や細かいお話が聞きたいのであれば、他の本をオススメします。
カナダの郵便局では小人用のカウンターがあったとか、ヒゲ女や肥満女はモテモテでプロポーズを受けて幸せな結婚をしていたとか、両手がないアザラシ症の見世物小屋の手ナシ人間の多くは手を後ろで縛った健常者だったとか、小人が出演した映画が「人権派」の心優しい圧力団体によって映画が上映禁止になったときに小人が「俺たちから仕事を奪わないでくれ」と発言したとか、ヨーロッパの王族は小人を宮廷で雇い、中には小人を集めて繁殖しようとしていたとか、いい話、ひどい話があり、その中でフリークの意味を神話を絡めて論じています。
単に好奇心で奇形を思うのではなく、もう一歩踏み込んで考える一冊。
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フリークス 新版: 秘められた自己の神話とイメージ 単行本 – 1999/8/1
- 本の長さ434ページ
- 言語日本語
- 出版社青土社
- 発売日1999/8/1
- ISBN-104791757378
- ISBN-13978-4791757374
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
おぞましいと排除され、珍奇として見世物に供され、逆に聖なる存在と崇められもしたフリークス。文学・美術・人文科学の諸領域におけるフリークスの顕現と隠蔽の構造を詳細に解き明かす。90年刊に続く新版。
登録情報
- 出版社 : 青土社 (1999/8/1)
- 発売日 : 1999/8/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 434ページ
- ISBN-10 : 4791757378
- ISBN-13 : 978-4791757374
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,631,375位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 9,687位社会一般関連書籍
- - 33,143位社会学概論
- - 103,278位アート・建築・デザイン (本)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2012年2月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2015年12月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
古い本ですので、劣化はありましたが、文字には影響なく
きちんと保管されていると思いました。
きちんと保管されていると思いました。
2022年4月6日に日本でレビュー済み
この本を手にしたのは確か1991年か1992年のことで、初めて目を通したときの印象は残酷な真実を突きつけてくる文章が書かれた本だという単純な感想だったし、途中で読むのをやめたのだけど、数年放置したあとに読破した結果印象は全く変わりました。
内容としてはトッド・ブラウニングのフリークスという、奇形に代表される見世物小屋で生計を立てているようなタイプの人達にまつわる映画の評論の体裁で書かれた本であるが、フリーク(奇形)に限らず後のヒッピームーブメント時代に謳われたフリークアウトと言う表現の内包する、主流派的な考えとは相容れないアウトサイダーとして存在する自己の意識の発見やその発現に影響を及ぼしたであろう当時の映像・文章作品、その作家たちを例に、過去の王政時代の欧州から現代アメリカまで、大衆からはみ出してしまった存在(=フリークス)の社会においての位置づけや彼らの政治闘争・社会闘争までを論評しつつ社会と個人の摩擦に対して個人としてどう折り合いをつけるか、そこまで踏み込んで解答を得ようと挑戦している(そしてそれについては結論に至らずに終わっている)(当然だろう。個人がどう社会と折り合いをつけていくかは1個人それぞれの問題であってそれを総論として答えを導き出すのは不可能だろう)非常に刺激的な本です。
少なくとも読破したあとの当時の自分には、その先の10年の生きる指標だったと言えるほどの影響を与えられました。現在でもこれ以上の本に巡り合ったという意識はないので今なお自分の人生にとっては聖典と言える唯一の本です。
内容としてはトッド・ブラウニングのフリークスという、奇形に代表される見世物小屋で生計を立てているようなタイプの人達にまつわる映画の評論の体裁で書かれた本であるが、フリーク(奇形)に限らず後のヒッピームーブメント時代に謳われたフリークアウトと言う表現の内包する、主流派的な考えとは相容れないアウトサイダーとして存在する自己の意識の発見やその発現に影響を及ぼしたであろう当時の映像・文章作品、その作家たちを例に、過去の王政時代の欧州から現代アメリカまで、大衆からはみ出してしまった存在(=フリークス)の社会においての位置づけや彼らの政治闘争・社会闘争までを論評しつつ社会と個人の摩擦に対して個人としてどう折り合いをつけるか、そこまで踏み込んで解答を得ようと挑戦している(そしてそれについては結論に至らずに終わっている)(当然だろう。個人がどう社会と折り合いをつけていくかは1個人それぞれの問題であってそれを総論として答えを導き出すのは不可能だろう)非常に刺激的な本です。
少なくとも読破したあとの当時の自分には、その先の10年の生きる指標だったと言えるほどの影響を与えられました。現在でもこれ以上の本に巡り合ったという意識はないので今なお自分の人生にとっては聖典と言える唯一の本です。