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受苦者のまなざし: 初期マルクス再興 単行本 – 2004/11/1

4.9 5つ星のうち4.9 6個の評価

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 青土社 (2004/11/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2004/11/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 571ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4791761537
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4791761531
  • カスタマーレビュー:
    4.9 5つ星のうち4.9 6個の評価

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山之内 靖
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カスタマーレビュー

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上位レビュー、対象国: 日本

2017年9月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
以前、本書の著者の『マックス・ヴェーバー入門』(岩波新書、1997)を読んだとき、その最後の文章にある「受苦者の連帯」という言葉が心に残った。だから、本書の存在を知ったとき、さっそく購入して読んだ。詳細な註を含めて500頁を超える大著である。関連する多くの文献を駆使しつつ、「『経済学・哲学草稿』から第三草稿を取り出し、それを中心においてマルクスの全体像を再構築しよう」とする試みが執拗に行われる。以前から「初期マルクス」と「後期マルクス」との関係という問題設定があった。本書の特徴・特長は、その問題を現代社会の在り方との関連において論じ尽くしたところにあるといえよう。結果として、本書の論述は、「日本におけるマルクス系社会科学の墓碑銘」となった。その先に果して「希望」があるのか。私は、この問題を、湯川秀樹が発した「運命の連帯」(田中正著『湯川秀樹とアインシュタイン――戦争と科学の世紀を生きた科学者の平和思想』、岩波書店、2008)という言葉との関連において、考えたいと思っている。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2005年11月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
著者はマックス・ヴェーバーの新たな読み直しを行い、ヴェーバーと
ニーチェの関連を鮮明にした(同著者による「マックス・ヴェーバー
入門」、「ニーチェとヴェーバー」参照)。そこでは、現代社会は
人間が選択の余地なく放り込まれる「鉄の檻」ではないかという問題
意識が基本になっている。初期マルクスへの論考もこの延長線上に
ある。ヴェーバーへの取り組み同様、本書でも新しいマルクス観を
構築しようと努めている。「労働者の解放」ではなく「労働の廃
絶」(「労働からの解放」)こそが本来マルクスが目指していたこと
ではなかったか?
過去の研究以来揺るいでいない視点を持つ著者による本書は、現代
を捉える思索者の必読書と思う。
5人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2008年11月15日に日本でレビュー済み
本書の諸論文は、四半世紀以上前に、「現代思想」に掲載された諸論文で、自分も高校、大学時代に連載で読んだ記憶がある。特に「ヘーゲルの市民社会論」に就いては、たいへん感銘を受けた。苦労して読んだ「法の哲学」から、当時おぼろげながら感じたその重厚性と問題把握の先取性について、誰一人語っておらず、ほぼ黙殺に近かったが、著者の山之内氏だけが、はっきりと、論点を整理して、その現代性を語っていたことに感銘を受けた。マルクスにしても、「疎外論」というレッテルよりも、マルクスの生涯かけての問題意識を問うその真正面からの取り組みに教えられることが多かった。しかし、当時から20年以上、マルクス物は、全部、廣松かアルチュセールの物象化論か、ポスト・モダン流の改悪解釈が横行し、本書の諸論文は、相手にされる風潮はなかった。90年代後半からヘーゲルの再評価やポスト・モダン思想の失墜という背景が出来てきて、やっと読まれる風土ができたということか。明治生まれの哲学者には、山之内氏のような切実な研究者が多かったような気がするが、どうも世界的にも「荒んだ感性」の研究者が多く、なお貴重な気がする。著者は「現代社会の歴史的位相」や「ウェーバー論」など良い文章の良書が多いと思う。
10人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2005年10月20日に日本でレビュー済み
<「人間の精神が人間の肉体や経験的世界から自立化し疎遠なものとり、人間に対して超越的な支配力を及ぼす」こんな言葉に少しでも感じるところがあれば、ぜひ、一読を薦めたい。>全くその通りだ。『魂の労働』や『管理される心』といった労働現象論、あるいは『自己決定は幻想である』など生命倫理の領野からの提言を哲学的に支えるのが初期マルクスの論考であり、「受苦の人間学」たる本書の立場である。
大いに読まれるべき1冊である。
しかし、本書の「文学的」カタルシスとヒューマニズムの調べにはやはり疑いを抱いてしまう。フォイエルバッハを受けての「受苦的人間論を放棄してしまった後期マルクスには可能性がない」とする著者の断言は正しいのだろうか?それは、認識論的切断後の『資本論』に可能性がないという圧倒的な少数意見を述べているわけだが・・・・。
小生は次のように言いたくなる。
文学的・ロマン派的世界像(=哲学)を放棄せざる「初期マルクス」(山之内靖氏的)への先祖がえりとは、マルクス主義以前のマルクス、つまりヘーゲル左派的マルクス、マルクスならざるマルクスへの後退ではないのか?と。
しかし、本書の受苦的人間論の魅力あふれるメタファーに私小説的愛着を持ってしまうことを禁じえず、なおかつ遺憾ながら(?)、エンゲルスの「哲学の消滅」ではないが、「フォイエルバッハテーゼ」の最後の一句が頻りに想起されてくる。
そう、本書は心地よい。世界文学の「香り」がする。でもドストエフスキーの度し難さではない。トマス・ハーディー?ユーゴー?
世界大のグローバル資本主義は、これでは捉えきれないのでは?
ところがこちとら、認識論的切断も、物象化論も、トランスクリティークもアソシエーションも、はたまた超資本主義論もどれが信じるに足るか、否どれが正しいか適切なのか不明なのが悩ましい。
7人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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