『テヅカ・イズ・デッド』でマンガ批評界に確かな一石を投じた伊藤剛の新刊は、各媒体に発表してきた様々な形式のマンガ評論を纏めた、さながらミュージシャンのB面集、アウトテイク集といった按配の内容になった。
とくに白眉なのは本書のために書き下ろされた序文で、ともすると一貫性がないように感じられるアウトテイク集を読み進めるための道標として機能しているのはもちろん、本書で初めてマンガ批評に触れる読者に対して、現在のマンガ批評の状況を簡潔に説明しようという意図も感じられたりと、非常に親切な内容になっている。なかでもとりわけ意義深いのが、副題「”マンガ語り”から“マンガ論”へ」の背景にある、問題意識についての記述だろう。伊藤氏はかつてのマンガ評論形式(伊藤氏の言う「ぼくら語り」)からの脱却を試み、そして成功しているように見えるが、この序文を読めば、それは「ぼくら語り」を闇雲に否定するような態度ではなく、「ぼくら語り」が成立しえた根拠やその背景まで提示することで現在の豊かな“語り”の状況の成立までを見据えるような、広い視野と誠実な身振りが支えている事が分かる。それはひと口に、マンガ、ひいてはマンガに関わる人々への愛情と言って良い。
祈りにも似た一文によって結ばれる、この美しい序文だけでも読む価値はあるが、思考の変遷の記録である以上は伊藤氏のキャラクターが強く出ていることは間違いない。肌に合う合わないはあるだろう。だが批評家にとってもっとも大切なのは対象への愛だと考える私のような人間にとっては、まず間違いなくお薦めできる一冊だ。
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マンガは変わる: “マンガ語り”から“マンガ論”へ 単行本 – 2007/12/1
伊藤 剛
(著)
- 本の長さ308ページ
- 言語日本語
- 出版社青土社
- 発売日2007/12/1
- ISBN-104791763858
- ISBN-13978-4791763856
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登録情報
- 出版社 : 青土社 (2007/12/1)
- 発売日 : 2007/12/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 308ページ
- ISBN-10 : 4791763858
- ISBN-13 : 978-4791763856
- Amazon 売れ筋ランキング: - 877,907位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,051位コミック・アニメ研究
- - 16,506位社会学概論
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上位レビュー、対象国: 日本
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2008年1月10日に日本でレビュー済み
2008年2月27日に日本でレビュー済み
80年代のサブカル語りの時代が遠く過ぎ去っても、ひとり孤軍奮闘しているのが伊藤剛なのだと思う。「マンガは面白くなくなった」の一言で放り出しちゃった上の世代の思考停止に対するレジスタンス。一方で、マンガを総体として語らないっつーか、運動にするのはかっこ悪いっていう下の世代のクールさにも違和感を持っているっていうか、孤立無援な感じがするんだよね。そして、そこにシンパシーを感じるオレ。なんか判官びいきなとこにつけ込まれてる気もするけど。まぁ、マンガへの愛が深いことはよくわかる。
本書は「テヅカ・イズ・デッド」に至るまでの著者の小論を収めている。雑文集なので体系的ではないけれど、そのエッセンスは各所に散見できる。「まんがのネームが書き言葉と話し言葉の中間的存在」なんて捉え方は目から鱗だったし、さらにはこの人、基本的には表現論の人で、「「かけアミ」の違いによる“ビンボー度”」なんてのは夏目房之介、竹熊健太郎-相原コージの延長線上で、部分的にはネタとして充分に楽しめるんだけど、全体的に本気(マジ)なトーンにどこまでついて行けるかってことだよね。「マンガについて考えることが「知」なのではない。マンガそのものが「知」なのである」なんて語られちゃうと、正直、引いちゃうところもある。その愛、誰が受け止めるの?っていう。それと、理論的であったり、実験的であったり、革新的であったりすることが、イコール面白いってことでもないと思うんだよね。まぁ、オレが「ぼのぼの」っつーか、いがらしみきお的なものを、あまり面白いと思えないってだけのことなのかもしれないけど。ぶっちゃけ、今のマンガって面白いの?っていうちゃぶ台返しのような疑問が沸々と沸きあがってきちゃうんだよな。劣勢に見えるものを理屈で説得するのって、ほんと難しいよねぇ。
本書は「テヅカ・イズ・デッド」に至るまでの著者の小論を収めている。雑文集なので体系的ではないけれど、そのエッセンスは各所に散見できる。「まんがのネームが書き言葉と話し言葉の中間的存在」なんて捉え方は目から鱗だったし、さらにはこの人、基本的には表現論の人で、「「かけアミ」の違いによる“ビンボー度”」なんてのは夏目房之介、竹熊健太郎-相原コージの延長線上で、部分的にはネタとして充分に楽しめるんだけど、全体的に本気(マジ)なトーンにどこまでついて行けるかってことだよね。「マンガについて考えることが「知」なのではない。マンガそのものが「知」なのである」なんて語られちゃうと、正直、引いちゃうところもある。その愛、誰が受け止めるの?っていう。それと、理論的であったり、実験的であったり、革新的であったりすることが、イコール面白いってことでもないと思うんだよね。まぁ、オレが「ぼのぼの」っつーか、いがらしみきお的なものを、あまり面白いと思えないってだけのことなのかもしれないけど。ぶっちゃけ、今のマンガって面白いの?っていうちゃぶ台返しのような疑問が沸々と沸きあがってきちゃうんだよな。劣勢に見えるものを理屈で説得するのって、ほんと難しいよねぇ。