はじめに ―― クリシェとしてのミニマリスム
*
ラ・モンテ・ヤング
テリー・ライリー
スティーヴ・ライヒ
フィリップ・グラス
**
ポスト・ミニマル、或いはミニマリスムの拡散
コンポーザー=パフォーマー
美術から音楽へ、そして文学
反復/差異/プラトー
音楽実践の共同体
増補
増補分への蝶番
フィリップ・グラス インタヴュー
スティーヴ・ライヒ インタヴュー
スティーヴ・ライヒの「ユダヤ/回帰」?
ステフーヴ・ライヒ ―― 《ザ・ケイヴ》以後
初版へのあとがき
増補新版へのあとがき
主要参考文献
の内訳です。
当方は、直接にとWeb辞書編集班を通してと、2つのルートで音楽家の方々と交流しましたので、ミニマル・ミュージックは実践と普及解説との両方を考慮する対象となりました。本書は、好適な参考資料であります。
ミニマル・ミュージックに関する議論は、農学部の構内で始まりました。そして、それは外に出てからも続いたのであって、昭和、平成、令和と3代かかってもなお終わっていません。
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ミニマル・ミュージック 増補新版―その展開と思考 単行本 – 2008/3/25
小沼 純一
(著)
反復・差異・プラトー。反復と差異に着目し、〈音の現前化〉にたちあう新たな音楽体験をもたらしたミニマル・ミュージック。――ラ・モンテ・ヤング、テリー・ライリー、スティーヴ・ライヒ、フィリップ・グラスら、4人の代表的音楽家の活動のあとをたどり、シーンの先端で多彩な展開をみせる、ミニマリスムの新しい動向をさぐる。新たにライヒ、グラスへのインタビュー/論考を増補。
- 本の長さ374ページ
- 言語日本語
- 出版社青土社
- 発売日2008/3/25
- ISBN-104791764021
- ISBN-13978-4791764020
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商品の説明
著者について
小沼純一(こぬま・じゅんいち)
1959年東京生まれ。早稲田大学文学学術院教授。音楽文化論、音楽・文芸批評。第8回出光音楽賞(学術・研究部門)受賞。著書に『魅せられた身体 旅する音楽家コリン・マクフィーとその時代』(青土社)『バッハ 「ゴルトベルク変奏曲」 世界・音楽・メディア』(みすず書房)『サウンド・エシックス』(平凡社新書)『アライヴ・イン・ジャパン』(青土社)『武満徹 音・ことば・イメージ』(青土社)ほか。編書・編著に『武満徹対談選』(ちくま学芸文庫)『あたらしい教科書8 音楽』(プチグラパブリッシング)ほか。翻訳にシオン 『映画の音楽』(監訳、みすず書房)デュラス 『廊下で座っているおとこ』(書肆山田)ほか。詩集に『サイゴンのシド・チャリシー』(書肆山田)『いと、はじまりの』(思潮社)ほか。
1959年東京生まれ。早稲田大学文学学術院教授。音楽文化論、音楽・文芸批評。第8回出光音楽賞(学術・研究部門)受賞。著書に『魅せられた身体 旅する音楽家コリン・マクフィーとその時代』(青土社)『バッハ 「ゴルトベルク変奏曲」 世界・音楽・メディア』(みすず書房)『サウンド・エシックス』(平凡社新書)『アライヴ・イン・ジャパン』(青土社)『武満徹 音・ことば・イメージ』(青土社)ほか。編書・編著に『武満徹対談選』(ちくま学芸文庫)『あたらしい教科書8 音楽』(プチグラパブリッシング)ほか。翻訳にシオン 『映画の音楽』(監訳、みすず書房)デュラス 『廊下で座っているおとこ』(書肆山田)ほか。詩集に『サイゴンのシド・チャリシー』(書肆山田)『いと、はじまりの』(思潮社)ほか。
登録情報
- 出版社 : 青土社 (2008/3/25)
- 発売日 : 2008/3/25
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 374ページ
- ISBN-10 : 4791764021
- ISBN-13 : 978-4791764020
- Amazon 売れ筋ランキング: - 754,841位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,130位海外のロック・ポップス
- カスタマーレビュー:
著者について
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2011年4月11日に日本でレビュー済み
端正なたたずまいを見せながらも、この本は残酷さを持っている。
この本を読んだのちになお、ミニマル・ミュージックに対して新鮮な興味を抱き続けることは難しいのではないか、と思う。増補にあたって著者が加えた、やや冷めた調子の文章が、そのような印象を強くする。
ラ・モンテ・ヤング、テリー・ライリー、フィリップ・グラス、スティーブ・ライヒという4人の作曲家について概説的に書かれた文章と、ミニマル・ミュージックの可能性を開いていくような考察を行った文章がこの本の初版には収められていた。しかし、初版刊行から約10年を経て増補版に加えられた文章を読んでみて分かるのは、ミニマル・ミュージックが持っていたかもしれない可能性についての思考が著者によってその間に継続されることはなかったということだ。もちろん、著者の関心の移行ということもあるだろう。しかし、むしろミニマル・ミュージックの可能性には限界があったとみるのが妥当ではないかと思う。
たとえば、演奏による共同体といった可能性に著者が言及しているのは面白い。しかし、同様のことならば、フリージャズにおいても強い説得力を持って指摘しうるだろう。また、演奏時における共同性の形成に対する言及は示唆に富むと思うけれども、そのような共同性を演奏していない時点にまで拡大するにはかなりの理論的な困難を伴うことが予想される。さらには、音楽を通じた共同性の形成ということになれば、演奏者と聴衆との共同性にまで視野を広げなければならなくなるだろう。初版において著者が示唆していた、これらの可能性は、ミニマル・ミュージックのみが特別に孕んでいたものではなかったのだろうと思う。このような事情を踏まえて、増補版を刊行するまでの約十年の時間を経てもなお、著者自身は可能性を示唆するにとどまらざるをえず、思考を展開することがなかったのではないかと推測する。そして、短くはない過程を経て変化している、ミニマル・ミュージックに対して著者が示す態度には、率直な真摯さが現れているとも思う。
本書を読むことを通して、その可能性について言及されながらも思考がさらに展開されることがなかったからこそ、ミニマル・ミュージックの可能性には限界があったのだろうということが強く印象付けられる。本書には、残酷にも、ミニマル・ミュージックの思考と展開、さらにはその限界までが示されてしまっている。
この本を読んだのちになお、ミニマル・ミュージックに対して新鮮な興味を抱き続けることは難しいのではないか、と思う。増補にあたって著者が加えた、やや冷めた調子の文章が、そのような印象を強くする。
ラ・モンテ・ヤング、テリー・ライリー、フィリップ・グラス、スティーブ・ライヒという4人の作曲家について概説的に書かれた文章と、ミニマル・ミュージックの可能性を開いていくような考察を行った文章がこの本の初版には収められていた。しかし、初版刊行から約10年を経て増補版に加えられた文章を読んでみて分かるのは、ミニマル・ミュージックが持っていたかもしれない可能性についての思考が著者によってその間に継続されることはなかったということだ。もちろん、著者の関心の移行ということもあるだろう。しかし、むしろミニマル・ミュージックの可能性には限界があったとみるのが妥当ではないかと思う。
たとえば、演奏による共同体といった可能性に著者が言及しているのは面白い。しかし、同様のことならば、フリージャズにおいても強い説得力を持って指摘しうるだろう。また、演奏時における共同性の形成に対する言及は示唆に富むと思うけれども、そのような共同性を演奏していない時点にまで拡大するにはかなりの理論的な困難を伴うことが予想される。さらには、音楽を通じた共同性の形成ということになれば、演奏者と聴衆との共同性にまで視野を広げなければならなくなるだろう。初版において著者が示唆していた、これらの可能性は、ミニマル・ミュージックのみが特別に孕んでいたものではなかったのだろうと思う。このような事情を踏まえて、増補版を刊行するまでの約十年の時間を経てもなお、著者自身は可能性を示唆するにとどまらざるをえず、思考を展開することがなかったのではないかと推測する。そして、短くはない過程を経て変化している、ミニマル・ミュージックに対して著者が示す態度には、率直な真摯さが現れているとも思う。
本書を読むことを通して、その可能性について言及されながらも思考がさらに展開されることがなかったからこそ、ミニマル・ミュージックの可能性には限界があったのだろうということが強く印象付けられる。本書には、残酷にも、ミニマル・ミュージックの思考と展開、さらにはその限界までが示されてしまっている。