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「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか 単行本 – 2011/6/16
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原発は戦後成長のアイコンだった。フクシマを生み出した欲望には、 すべてのニッポンジンが共犯者として関わっている。
それを痛切に思い知らせてくれる新進気鋭の社会学者の登場!―― 上野千鶴子
原子力ムラという鏡に映し出される戦後日本の成長神話と服従のメカニズム。
本書の刊行はひとつの奇跡だ。―― 姜尚中
- ISBN-104791766105
- ISBN-13978-4791766109
- 出版社青土社
- 発売日2011/6/16
- 言語日本語
- 本の長さ412ページ
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登録情報
- 出版社 : 青土社 (2011/6/16)
- 発売日 : 2011/6/16
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 412ページ
- ISBN-10 : 4791766105
- ISBN-13 : 978-4791766109
- Amazon 売れ筋ランキング: - 227,657位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 45,938位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
1984年福島県生まれ。東京大学大学院情報学環准教授(2021-)。
他に、
環境省PFASに対する総合戦略検討専門家会議委員(2023-)。
福島県伝承者育成プログラム検討プロジェクトチーム委員(2022-)。
復興庁持続可能な復興広報を考える検討会議構成員(2022-)。
ふくしまFM番組審議会委員長(2022-)。
福島県立医科大学非常勤講師(2021-)。
NHK福島放送局ラジオ「ふくどん」レギュラーゲスト(2023-)。
東日本大震災・原子力災害伝承館上級研究員(2020-)。
国立研究開発法人日本原子力研究開発機構広報企画委員会委員(2018-)
東日本国際大学客員教授(2016-)。
経済産業省汚染水処理対策委員会多核種除去設備等処理水の取扱いに関する小委員会委員(2016-)。
楢葉町放射線健康管理委員会副委員長(2015-)。
これまでに、
原子力損害賠償・廃炉等支援機構福島第一廃炉国際フォーラム総合プロデューサー(2017-2023)。
NHK福島放送局ラジオ「こでらんに5NEXT」曜日パーソナリティー(2021-2023)。
ふくしまFM番組審議会委員(2017-2022)。
立命館大学衣笠総合研究機構准教授(2016-2021)。
福島原発事故後10年の検証(第二民間事故調)プロジェクト委員(2019-2021)。
福島県アーカイブ拠点施設調査研究・研修検討委員会委員(2018-2020)。
NHK福島放送局ラジオ「こでらんに5」曜日パーソナリティー(2016-2020)。
Yahoo!基金審査委員(2017-2019)。
京都女子大学非常勤講師(2018)。
福島大学客員研究員(2016-2018)。
Yahoo!基金評議委員(2015-2017)。
経済産業省資源エネルギー庁総合資源エネルギー調査会原子力小委員会委員(2014-2017)。
福島大学うつくしまふくしま未来支援センター特任研究員(2012-2016)。
早稲田大学文化構想学部非常勤講師(2014-2015)。
読売新聞読書委員(2013-2014)。
復興庁東日本大震災生活復興プロジェクト委員(2013-2014)。
福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)ワーキンググループメンバー(2011-2012)。
等を歴任。
東京大学文学部卒。同大学院学際情報学府博士課程単位取得満期退学。
著書に『日本の盲点』(PHP研究所)『はじめての福島学』(イースト・プレス)『漂白される社会』(ダイヤモンド社)『フクシマの正義 「日本の変わらなさ」との闘い』(幻冬舎)『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社)『東電福島原発事故 自己調査報告』(徳間書店、編者)『福島第一原発廃炉図鑑』(太田出版、編著)『常磐線中心主義』(河出書房新社、編著)など。フィールドレコーディング作品に「選別と解釈と饒舌さの共生」(Letter To The Future)。学術誌の他、新聞・雑誌等にルポ・評論・書評などを執筆。
第65回毎日出版文化賞人文・社会部門。
第32回エネルギーフォーラム賞特別賞。
第6回地域社会学会賞選考委員会特別賞。
第36回エネルギーフォーラム賞優秀賞。
第37回エネルギーフォーラム賞普及啓発賞。
2018Openbook年度好書奨(台湾の大手書評サイト「Openbook」の賞)。
尾崎行雄記念財団咢堂ブックオブザイヤー2021総合部門大賞。
(媒体プロフィール・イベント告知などで略歴が必要な場合は上のプロフィールを、近影が必要な場合は隣の写真をご利用下さい)
ご連絡はhiroshikainuma「アット」gmail.comまでお願い致します。
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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こうした値段で一般の本屋に並ぶという状況。これこそが3月11日の震災による
原発事故の起こした状況の中で生み出された皮肉な結果である。
その現実はあまりに重く、今なお収束をみせない事故や放射能汚染も伴い、
子どもをもつ母親として深く深く気持ちを沈ませる。
私が震災以後ショックだったのは、浜岡原発が停止したときにテレビに登場した
子どもをもつ若い母親が言った一言。
「浜岡は動いてほしいです。だって福島みたいになるかわからないし」
どうして、反原発と言わないのだろう?なぜ福島の人は東電を責めないのだろう?
なぜ東京の人間は福島や他の地域に危険な原発を作って平気な顔をしているのだろう?。
震災以後、多くのメディアが福島を取り上げていたが、「原発か反原発か」という硬直した
二項対立に消耗する中で、本書を知った。
筆者は歴史研究家ではない。それでもフィールドワークから歴史修正主義に対抗する視座を
獲得しようとしてもがき続ける。そして原発は誘致が始まったら最後、
そこから逃れることはできないし、やがてそれは原発をおきたい中央(国家政策)と
おかれたいムラが共鳴し強固な原発維持の体制を維持することになる。
本書はいかなる読まれ方もされるだろう。私たちが今置かれている現状は、
福島の人たちが家を追われ土地を失い、共同体や家族を失ったという事実。
だが一方で、福島の人たちは筆者のいう「愛郷の実現」(293頁)の
ために自発的にまた能動的に原発を受け入れた。しかしながらその結果、福島の人々が難民のように
土地や家族を失ったという現実はあまりにも残酷な結果である。
ありきたりの解決法や希望はあえて書かれていない。
しかし、福島の人々がどのような経緯で原発に寄り添って生きるようになったのか。
私たちはその経緯を知らずして反原発を唱えることはできない、と心底思う。
どんなにそれが辛い事実であったとしても。
本書は今後、フクシマを考える際に間違いなく必読書とされる学術論文となった。
福島県出身の筆者の格闘と苦しみに、心から拍手したい。
序章が東京大学大学院の修士論文ということがあとがきで述べられており、用語や、考証の手続きが、新書などと比べると多少迂遠であったりもしますが、感情や印象、先入観に流されずに何かを考えるには、こういった積み重ねが必要であると再認識させられました。
だが、これまで原子力を受けれてきたムラの論理が理解されてこなかったという問題意識には大きな問題がある。内橋克人や鎌田慧の著作などを読めばわかるように、原子力を受け入れて来た人々が一方的な被害者といった受動的な存在ではないことはかなり以前から伝えられてきた。
著者はフィールドワークを行いムラに迫っていくが、内橋や鎌田などには遠く及ばない。
また論理が先にあり原子力ムラの分析から結論や主張が導き出されたとも言い難い。スピヴァクが好きなのはわかるが、突然引用して何か言った気になるのはやめて、とりあえずもっと勉強した方がよいだろう。後半のよくある冗長な社会分析はカットしてしまった方がよかった。
インタビューでの著者の物言いが話題になったが、修論を書き終えていきなり出版されて「自分が第一人者だ」とが勘違いするのはよく理解できるが、単純な二分法が蔓延してきたわけではないし、著者が考えるよりも多くのことが考えられ、言われてきたことを知るべきである。
修論としては力作だが、ムラの人々に迫りたいのなら、内橋克人『日本の原発、どこで間違えたのか』、鎌田慧『日本の原発危険地帯』、堀江邦夫『原発ジプシー』、樋口健二『これが原発だ』などを読むことをお勧めする。
【学術的な問題点】社会学者、取り分けカルチュラルスタディーズを専攻とする著者にとっての売りは第一の「認識」の問題なのでしょう。しかし、その点については学術的に不十分であり、また「フクシマ」論としてはミスリーディングな議論が多いです。
端的に言えば、ここで書かれている住民というのはあくまで原発のお膝元である双葉郡についてのみであり、その住民の選定もどこまで客観的に行われたかは疑わしく、これを福島県民全般に広げることはできないことに読者はよく注意すべきです。
- 対象の選定:著者は「葛藤がなかった」ことを理由に対象を福島第一・第二原発(双葉郡富岡町、大熊町)に絞り、この地区で原発が肯定的に受け入れられたとしています。しかし同じ福島県海岸部でも、双葉・浪江原発は反対運動のため建設は進んでいません。このことの重要性は著者は認識しているにもかかわらず、数頁しか割かれません。
- 社会調査の記述:原発との利害関係に関わらず原発に肯定的だったというテーゼを証明するために、聞き込みの対象としては原発と関係しない住民を選んだとしています。まずその聞き込みが20人弱という少数であるのは、このような非統計的調査では仕方ないでしょう。しかし各住民の特性は住所と年齢・性別しか与えられず、またどの発言がどの住民のものかもわかりにくいです。従って各発言から著者が導き出している結論について、読者が検証することはできません。
- 対象の厳密さ:著者は社会調査だけでなく様々な史資料で彼の考察をサポートしています。県政についての史資料を使うのは、原発立地のプロセスを考えれば当然ですし、そこで福島県の政治家が中央に対して能動的であった旨の描写は注目に値します。他方で地元住民の認識を論ずるところで、たとえば相馬・いわきの詩人、常磐炭鉱の労働者の言説を引いているのですが、これらはいずれも原子力や双葉郡とは関係なく、ただパラレルであることが仮定されているだけです。
著者は本の冒頭において(双葉と限定せずに、また実際「平・湯元」への言及からするにいわきの住民の声として)、いまだに福島県民が原発に対して肯定的であり、ともすればこの事故を雇用の機会として捉えているかのように読者に印象付け、そして著者の憤りを共有させようとしています。しかし、まず調査対象である双葉郡においてもどこまで一般的な認識かは疑わしく、そしてそもそも双葉の調査でしかないものをあたかも「フクシマ」全般に演繹することはできないでしょう。
本の中では、双葉郡が「福島のチベット」と言い、県内の経済格差をクロスセクションの図も用いて表しています。その図をよく見れば同じ海岸部の中でも相馬やいわきは比較的豊かであったことがわかります。また私自身がこの夏に相馬を訪ねたときの住民の方々の声からも、(人によっては事故前から)原子力に対してさほど肯定的でなく、東電・政府(また人によっては立地を受け入れた地元の町村)に対して憤りを強く表していました。
※ 一般読者にとっては問題ではないでしょうが、ここで引用される学術文献が日本での原発に関する社会調査と、スピバックその他の社会思想に限られています。私は社会学者そのものではないのですが、アメリカの社会学の文献(そもそも非日本語の文献)もきちんと調べたのでしょうか。また日本語であっても社会学以外の地域研究も狩猟したのでしょうか。とりわけ、理論部において著者の貢献がどこまで独自なのかは、彼が引用する文献リストでは不分明です。修士論文であれば尚更、大風呂敷を広げる前に、対象がどんなに小さくとも厳密にし、また貢献もどんなに小さくても明確にすべきでしょう。
【アクチュアルな問題】原発の立地する双葉郡を対象とした著者の調査は十分に意義のあるもので、先述のような問題はあるにせよ更に発展させるべきでしょう。しかしこれを「フクシマ」論と称し、また著者も積極的に「福島県」出身(ただし「いわき」であり原発の地元ではない)を触れ回っているのは、誠実さに欠け、また現在の情況を鑑みるに有害だとさえ言えます。
すなわち、この本が売れる土壌として、人々がもはや双葉のみならずフクシマ全体が放射能に汚染され、また原発立地の当事者と看做してる情況があります。他方で、双葉はともかく、一般的な県民には(ごくわずかの核燃料税を除けば)原発による利益は無く、むしろ今は大なり小なりの放射能汚染を蒙り、そして「フクシマ」というだけでの負のレッテル張りに悩まされています。ウェブ上や私の周辺でも、福島県出身というだけで原発の恩恵を受け、そして原発を積極的に推進した咎を負わせようとする心無い人が十二分にいました。
そのような情況の下で、双葉郡住民が積極的に受け入れたことを「フクシマ」の問題手として提示するのは、著者と出版社にとっては派手に売るよい戦術であるものの、「フクシマ」や県民に対する誤解を増すばかりです。いわきも原発の交付金は受けておらず、原発の恩恵は大きくない一方で、今は(放射能の線量はさほど高くないにもかかわらず)震災直後に物資は滞り、いまも観光客は激減しています。(相馬、会津、郡山、福島市等々もしかり。)
著者はそのいわき出身であり、むしろそのような誤解を解きたいと思ってしかるべきなのに、本では県内の違いをぼやかしています。そして佐野眞一氏からの献辞でも見られるように、あたかも調査対象である原発そのものの地元出身であるかのように思わせ、特権的なポジションを甘受することに躊躇が無い。(そもそも「あとがき」において国道六号沿いの風景を殊更に醜く描写しており、これを読むと佐野氏が言う「郷土への愛」があるとは思えないでしょう。) 私はこのような著者のスタンスと売り込み方に強い憤りさえ覚えます。
【追記 2011/8/18】著者の最近のtwitterを見たところ、私のコメントと同様に福島県内での多様性に目を配るべきではないかという著者にコメントしている社会学系の研究者がいた。それに対し著者は、この本では問題設定を(本文中で)原発立地村に限定しており、そのようなコメントは「鳥類図鑑が載っているのに蝶々が載ってない」というクレイムと同じだと返している。
もしも著者と同じ例えをするならば、著者はまず烏(原発立地村)の調査だけで鳥類図鑑(「フクシマ論」)と銘打って、更に自分が鳩(「いわき」出身)だからといって烏の気持ちもよくわかるという売り方をしている。しかし上述のように、烏の言うことを持論に合うように都合よく解釈している傾向があり、また検証を不可能にさせている。そして都合よく機会主義的に「フクシマ」の意味を広げたり縮めたりしている。この2点に、社会科学者として、また今この時期に発言する者としての不誠実さを感じる。
著者はトークショーやベストセラーランキングをRe-tweetしたり、行政とのコネクションを作り、自分を売り込むことに忙しいようだ。しかし、この本自体は所詮は内実共に「修士論文」でしかなかったのであり、自分の論の不完全さを素直に受け止め、世間に大風呂敷を広げるのをやめたほうがいい。またそのように諭すのが、吉見俊哉氏や上野千鶴子氏といった指導教官の為すべき指導ではないだろうか。
「本書は原子力や原発それ自体の研究ではない。」「本書で解き明かしてきたのは、今日みられる地方の自動的かつ自発的な服従の歴史的形成過程だった。」とあるように、本書のメインテーマは中央と地方との関係。中央と地方との関係に植民地性や切り離し、排除・固定化、隠蔽などを見いだしている。
原発はメインテーマではなく、原発を通して上記のメインテーマに迫っている。従って、原発の問題点(事故の影響や核燃料サイクル、使用済み燃料問題)についての言及はほとんどないし、原発の是非について何か主張があるわけではないので、そこに期待して読むと物足りないだろう。ただ、インタビューや資料引用も豊富で、読み物としてはなかなか面白かったです。
原発の是非に関心のある者としては、原発の問題点に加え、立地交付金などの原発を支える制度面をしっかりと書いて欲しかった。原発による成長は、将来世代への抑圧の構図も持っている。今後は時系列の視点をもった研究に期待。
新自由主義、小泉改革、電力自由化への理解が浅いままイメージで語っている印象を受けた。
「現在少なからぬ地方が、新自由主義的な政策のもとで競争に放り出された状態にあるのだとすれば」「その実態が「地方同士が生存を求め合いなりふり構わない弱肉強食の闘争のなかに追いやられるあり方」になっていくことはこれまで見てきたとおりだ。」
日本は新自由主義的な政策をとっていると本気で思っているのだろうか?日本は、個人の面では競争社会になっているが、地域間競争という意味では日本はまだまだ社会主義的な国家である。地域、地方は自由な競争に放り出されていない。一長一短あるが橋下氏らが主張しているように地方が自立できないなど弊害の方が大きいのでは?
今後の期待を込めて3点。