まずこの作品を初めて読みたいと思ったのはゴング格闘技の吉田豪氏がレビュー連載でこの本をくそみそにこき下ろしたのが原因である
正直この書物を初めて書店でチラッと読んだ時は柔術BJJの話も少ないしMMAの話ばっかそうだから特に関心が涌かないな…
と感じ
さっさと書店の本棚に閉まってしまった
だが
私が毛嫌いしているプロレスと極真空手の御用評論家の吉田豪氏がこき下ろしたのだとすれば話は別である
極真空手がカルト宗教だと描かれていたり
日本の格闘技書では絶対に描かれないような海外の格闘技愛好者の本音が聞けるのであれば是非とも読み直すべきだろうと感じ
書店で読み直してみたら中々痛烈な風刺が描かれていて面白い!
まず著者は元々はボディビルを
外見の男らしさを求めてやってみるものの
そこに闘争の強さが全く存在しないことに次第に冷めていき
次に極真空手をスタートした
そこまでの人生ではジョナサン・ゴットシャル がこの書を描くようなことにはならなかったであろう
だがそこでアメリカの格闘技界で大きな事件が起こる
細身のブラジル人の男がUFCというノールールの格闘技のイベントに出て優勝するという事件
ルールは目つぶし 金的 噛み付き 以外は全てオーケーというかなりいかれた内容
当時の試合は馬乗りになって無防備になってしまった相手をタコ殴りにしたり(実際にタコ殴りと表現されている!)
ベアナックル 素手で相手の顔面を殴るなど(当時の日本の格闘技界では顔面をグローブではなく素手で殴ったら一発で死人が出るなどという話が信じられていた)
当時の人々にとってはトラウマが残るような凄惨な試合が続出!
実際
著者ゴットシャルなどは初期のUFCを始めとするノーホールズバード(ノールール格闘技イベント)を
未成年にとってのポルノだと表現した
逆に柔術 レスリングなどグラップリングの技術に長けた者たちが
グラップリングの技術を全く勉強しなかった空手家や功夫 テコンドーなどを完封し無傷で勝利した時は
それまでの日本人 アメリカ人の最強格闘技のイメージ像から大きく外れていた結果に終わってしまっただけに世界の人々の格闘技観を一変させた
なにせそれまでのアメリカ人にとっての最強格闘技のイメージは当時のブラックベルトを見てもわかるように
殆どテコンドーか空手 アメリカ拳法 功夫 キックボクシング グラップリングノウハウが殆ど存在しない時代のジークンドーだったりするので
アメリカ人にとっての最強の男のイメージはせいぜいブルースリーの映画のようなイメージだったと推測できるのだ
日本でもそれはご同様でUFC登場前までは格闘技雑誌といえば
打撃系が圧倒的に占められおり空手 キックボクシング K-1 シュートボクシングなど
グラップリング 組み技系は全く日の目を見ることが無かった時代だということがわかる
それもその筈 日本のフィクサー権力者が空手界のボスだったり(笹川良一)
有名作家の梶原一騎が実在の空手家をモデルにした劇画を次々描いたり(描かれている事は全て嘘で単なるフィクションでしたが)
月刊空手道の論客 南郷継正などは柔道は空手より劣っている 比較にならないとハッキリ公言するなど
当時の日本におけるグラップリング 組み技格闘技の
格闘技における地位は極めて低かったと言わざるを得ないでしょう
実際問題 当時の格闘技雑誌では柔道とレスリングは殆どというよりは全く取り上げられず
サンボが何とか対抗して紹介されているくらいでしょうか
サンボの場合は当時擬似リアルファイトのプロレスUWFの人気がまだ高かったので
格闘技ファンから関節技て何?
みたいな感じでコアな人々から関心を持たれていたことでなんとか記事にされていましたね
ですがリアルファイトのMMAはやっぱりUFCとグレイシーが出現するまではマイナーで日陰の存在でしかなかったわけです
で
ジョナサン・ゴットシャルはリアルファイトでは無様にひっくり返され馬乗りなられ直接首を絞められたりした時とか
ギロチンで直接立った状態から首を絞められたりした時とかの対処法そのものが極真空手を始めとする既存の格闘技 武道には存在しなかった事に気づくわけです
そう
禁断の第一回UFCで
当時多くの格闘技関係者や武道武術関係者(今でも山田英司などがアンチ活動を行っていますが)がUFCやグレイシーに対するディスっていました
ですが
当時多くの若者がそういった格闘技武道の大御所の逃げ口上よりも目の前で行われるルール無用のリアルファイトに目を奪われ夢中になったんですよ
著者のゴットシャルもその一人
当時多くの既存格闘技武道は相手に馬乗りにされたりとかギロチンで立った状態で首を絞められたりした時の対処法を知らなかった
極真の高段者である彼の師は相手に転がされたらどうすればいいのか?という弟子であるゴットシャルの質問に
転がされないようにしなさい
という糞の役にも立たない回答を弟子であったゴットシャルに発言した事で
既存の格闘技武道がそれらに対する解決法を全く持ち合わせていないことに気づく
かくしてゴットシャルはハードなMMAの世界に入り込み
グラップリングのトレーニングでは女性柔術家にサブミッションを極められチョークで絞められ
打撃キックボクシングのトレーニングでは顔面にパンチをボコボコに喰らい脳へダメージを喰らう
そんな経験を持つ大学講師の彼が得た結論は
MMAは人類が開発した近接格闘の壮大な実験場なのだという事に落ち着く
そこにはブルースリーや宮本武蔵のような深い哲学も思想も必要なく
ただ単に実用的な近接戦闘の技術のみがあればいい
哲学や思想など不要であり科学があればそれでいいと結論付けたのだ
それというのも日本や中国を始めとするアジアや世界の伝統武術の多くは空手含めて
カルト宗教化されており
師の教えることは絶対であり疑問を抱くことを禁じている事
新たに技術を吸収したり考案したりすることを禁じている事
伝統的保守的なものの考えに終始した伝統武道武術の考えは宗教だと断じ
それらのノウハウが実際の戦いに置いて使えるものどうかはについて考え
誰の目に見ても明らかに胡散臭いと考えるようになったのだ
よって
ゴットシャルはこれら伝統的な武道を欧米のボクシングやレスリング タイ式ボクシング ブラジリアン柔術 柔道などの実際に戦う格闘競技の技術とは分けて考え
それら伝統的な武道武術を役に立たなインチキの類だと断罪した
もちろんその考えは必ずしも全て正しかったわけではなく
ブラジルのリョートマチダなどは伝統的な空手のノウハウを応用してMMAのトップに立っている
その点に関してはゴットシャルは自らの考えを見当はずれだったと認めている
だがそれもMMAの基礎であるボクシングのディフェンス ウィービングやらヘッドスリップなどを身に着けな刈ればいけない事が前提なのは
リョートの試合を見てもあきらかだ
伝統空手の大御所はリョートが姿勢を正しくせずに戦う姿を酷評したりしているが
その酷評は的外れであり彼らが実際にMMAの戦いに出ていないからであり
伝統武道の技術のみでは顔面をボコボコにされてあっという間にマットに這う羽目になるという事を理解していないのだ
伝統的な武道や武術はディフェンス面の技術は皆無でありまた学習能力もないという事をリョートはわかっているのだ
だからボクシングのディフェンスが必需だと理解しているのだ
この作品の著者ゴットシャルには同じく大学の学者で伝統武道の愛好者でもあるノブがいて
既存の伝統武道しかやらない者がストリートファイトの戦いで戦えるかどうかを著者ゴットシャルと野試合を行う事で実験したのだ
結果は伝統武道武術を擁護するノブには散々なものでノブは一方的にやられまくり
既存の伝統武道のみでは現代の近接格闘には勝てないという事実を立証してしまったのである
最後に興味深いエピソードが紹介されていたのでこのレビューでも紹介
著者はゴルドーとSNS Skypeでやり取りをしゴルドー(リングスに上がっていた空手家)が日本のMMA 柔術の権威の中井祐樹の眼を失明に追い込んだ時の事を愉快そうに話し
ゴットシャルは彼に罪悪感は無いのかと問いただしたところ
ナニ寝ぼけたこっと言ってんだ?
と返されたそうである
既存の武道と武術に疑問 アンチテーゼを感じる方には是非ともお勧めしたい書である
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人はなぜ格闘に魅せられるのか――大学教師がリングに上がって考える 単行本 – 2016/2/26
ジョナサン・ゴットシャル
(著),
松田和也
(翻訳)
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- 本の長さ338ページ
- 言語日本語
- 出版社青土社
- 発売日2016/2/26
- ISBN-104791769120
- ISBN-13978-4791769124
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登録情報
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- 発売日 : 2016/2/26
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 338ページ
- ISBN-10 : 4791769120
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- Amazon 売れ筋ランキング: - 535,765位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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カスタマーレビュー
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6グローバルレーティング
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-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2016年9月18日に日本でレビュー済み
2023年1月2日に日本でレビュー済み
英語学科の非常勤講師である著者が、自らMMAのリングに上がり、人が格闘に魅せられる理由を考察して、ユーモアたっぷりに綴った本。
格闘技やスポーツといった儀式的闘争は、戦争や殺し合いを抑止すると同時に、それらの訓練としての機能を果たす。
格闘技やスポーツといった儀式的闘争は、戦争や殺し合いを抑止すると同時に、それらの訓練としての機能を果たす。
2018年1月6日に日本でレビュー済み
著者の知識が非常に古いことが気になりますね。
空手がMMAにおいて成果を示せていない、というのは、UFC初期のままで情報の更新が止まってでもいるのでしょうか。
リョート・マチダ、チャック・リデル、マリウス・ザロムスキー、堀口恭二など、UFCや他団体の「王者」経験者に空手出身は多いです。
菊野克典や、UFCにおいて完全なチャンピオンと呼ばれたジョルジュ・サンピエールは、著者がインチキカルトであるかの如くアンフェアな評価を加えている極真空手の出身です。
「絶対王者」の名で呼ばれ、とりわけ競合の激しかったミドル級に10年間無敗で君臨したアンデウソン・シウバはリョートのお父さんから空手を教わり、中足を返した前蹴りを多用していました。
この元となった蹴りの発展系である、飛び二段前蹴りでリョートが、著者がおそらく信奉しているであろう典型的なアメリカン・スタイルの伝説的元ヘビー王者ランディ・クートゥアを曲芸のようにKOして、引退を決意させたのは象徴的です。
著者の言う、カルトの世界にしか存在しないフィクショナルな伝統が、きわめてアスリート的に優れた運動能力の粋を集めた技術体系を粉々に打ち砕いた瞬間といえる。
この著者は、本の中で恨み言めいた回想として記述しているとおり、元々は極真空手の道場に通っていましたが、なぜか突然、頭の中に疑問が浮かび「もし倒されたら、どうやって戦いますか?」と、彼の師に尋ねると「倒されなければいい」と、かつての大山倍達が言っていた(そのような知識も著者には、ないのでしょう)「倒される(寝かされる)前に倒す」を師範なりの言い方でアレンジした返答を聞いて、先生は何も分かっていない、倒されてから始まる戦いもあるのだ! 極真空手は本当の戦いを直視していない! と道場を辞めてしまったのです。
空手、とりわけ極真には試合や組手のルール外の技術というものが攻撃体系の大きな範囲を占めており、彼の師の返答にはその領域を含んだ意図が反映されていたと思われます、なぜなら試合で倒される、つまり寝かされることはないわけで、その範疇から出た想定に対する返答ということです。
極真空手の高段者、それも初期道場からの世代の空手家には、大げさでなく、マゾヒスティックになまでに強烈な負荷を日々、加え続け、鍛え上げて凶器化した指で、自在に敵の耳をとったり、目や首の柔らかい皮膚を貫いたり、側頭部の薄い部分を割ったり出来る者が多くいますので、その前提での「倒される前に倒す」です、スポーツライクに戦うわけではなく、むしろ、MMAという競技には「実戦」がなく、練習と試合のためのみを想定して編まれた格闘体系であるため、よほどそちらの方が本当の戦いを直視していないといえるでしょう。
極真空手は格闘技とは呼べない! 大山を個人崇拝するカルトだ! と本気で信じる人は、ぜひ極真の道場に出向いて、世界選抜選手と向かい合ってみてください。
あなたの震えが止まらない足が感じた直感は間違っていません、彼らは全身鋼に包まれた戦闘機械です。
著者は、極真をカルトと誹りながら、なぜ武道マニアの友人などではなく、極真空手の高段者や、八巻建志を訪ねて実戦を申し込まなかったのでしょうか。
武道の本当を知りたいなら、マニアではなく武道家と戦わなければ答えは得られないと考えるのが自然かと思うのですが、「本当のこと」は著者にとって都合がわるい結果に結びつくことが容易に予想されたとでもいうのでしょうか。
ブラジリアン柔術は、砂浜で個対個で決闘することの多いブラジルで発展した、かの国で凄まじく有効な技術といえます、いえますが、アスファルト舗装されたフィールドの多いアメリカや日本や欧州の都市でゴロゴロと背中を地面に擦り付けたり、膝頭を強く打ちつけて踏ん張るわけにはいかないでしょう。
ガードポジションから三角絞めや腕十字に入ろうとした姿勢で、上になった人間から持ち上げられてバスターを放たれる、という局面はMMAで珍しくありません(結果、放った側がより深く絞められることなってタップする展開が近年では多い)が、路面にバスターされたら死にかねません。
そして、打撃技術や投げ技とは違い、長く密着した状態をつくることは試合の外ではそのこと自体が危機的状況であるのは間違いないです、相手が凶器化した指を持っていなくても、刃物があれば全てを終わらせられるのですから。
よくあることではないでしょうか?
激しい稽古について行けず、辞める理由を探していたところに他の分野への移行を決めた途端に、恨みがましく元いた場所をアンフェアな視点から粘着質に叩き始める行為は。
卑近な例でいえば「別れた女の悪口を言う」といいましょうか。
著者という人間をよく表しているのは、本の中に掲載されている、著者が自分の試合後に、腫らした顔で対戦相手と酒を酌み交わしている写真です。
もともと学校教師だということですが、ケンカ一つしたことのない内気なガリ勉くんなのか(しかしルールに守られる中で、試合を止めてくれるレフェリーがいて、医師も控えている状況です)、誰かとパンチの応酬をして目のまわりに青タンをつくっていることを、自慢したくてしようがないといった印象です。
殴り合いでも、エゲツないくらい強い人はめったに顔を腫らしたりしないし、腫らしたらそのことは恥じ隠したくなるものであって、見せびらかすための勲章であるなど、とんでもないことです。
自らの弱さから挫折感を植えつけられた経験に対して、アンフェアなポジションから復讐を行った結果としての表現物は、ろくなものにならないということが改めてよくわかる本でした。
MMAは、空手や他の全ての格闘技と同じくらい素晴らしい分野だと思うので、良性の動機から熱量をもって書かれたノンフィクションが読みたいものですね
空手がMMAにおいて成果を示せていない、というのは、UFC初期のままで情報の更新が止まってでもいるのでしょうか。
リョート・マチダ、チャック・リデル、マリウス・ザロムスキー、堀口恭二など、UFCや他団体の「王者」経験者に空手出身は多いです。
菊野克典や、UFCにおいて完全なチャンピオンと呼ばれたジョルジュ・サンピエールは、著者がインチキカルトであるかの如くアンフェアな評価を加えている極真空手の出身です。
「絶対王者」の名で呼ばれ、とりわけ競合の激しかったミドル級に10年間無敗で君臨したアンデウソン・シウバはリョートのお父さんから空手を教わり、中足を返した前蹴りを多用していました。
この元となった蹴りの発展系である、飛び二段前蹴りでリョートが、著者がおそらく信奉しているであろう典型的なアメリカン・スタイルの伝説的元ヘビー王者ランディ・クートゥアを曲芸のようにKOして、引退を決意させたのは象徴的です。
著者の言う、カルトの世界にしか存在しないフィクショナルな伝統が、きわめてアスリート的に優れた運動能力の粋を集めた技術体系を粉々に打ち砕いた瞬間といえる。
この著者は、本の中で恨み言めいた回想として記述しているとおり、元々は極真空手の道場に通っていましたが、なぜか突然、頭の中に疑問が浮かび「もし倒されたら、どうやって戦いますか?」と、彼の師に尋ねると「倒されなければいい」と、かつての大山倍達が言っていた(そのような知識も著者には、ないのでしょう)「倒される(寝かされる)前に倒す」を師範なりの言い方でアレンジした返答を聞いて、先生は何も分かっていない、倒されてから始まる戦いもあるのだ! 極真空手は本当の戦いを直視していない! と道場を辞めてしまったのです。
空手、とりわけ極真には試合や組手のルール外の技術というものが攻撃体系の大きな範囲を占めており、彼の師の返答にはその領域を含んだ意図が反映されていたと思われます、なぜなら試合で倒される、つまり寝かされることはないわけで、その範疇から出た想定に対する返答ということです。
極真空手の高段者、それも初期道場からの世代の空手家には、大げさでなく、マゾヒスティックになまでに強烈な負荷を日々、加え続け、鍛え上げて凶器化した指で、自在に敵の耳をとったり、目や首の柔らかい皮膚を貫いたり、側頭部の薄い部分を割ったり出来る者が多くいますので、その前提での「倒される前に倒す」です、スポーツライクに戦うわけではなく、むしろ、MMAという競技には「実戦」がなく、練習と試合のためのみを想定して編まれた格闘体系であるため、よほどそちらの方が本当の戦いを直視していないといえるでしょう。
極真空手は格闘技とは呼べない! 大山を個人崇拝するカルトだ! と本気で信じる人は、ぜひ極真の道場に出向いて、世界選抜選手と向かい合ってみてください。
あなたの震えが止まらない足が感じた直感は間違っていません、彼らは全身鋼に包まれた戦闘機械です。
著者は、極真をカルトと誹りながら、なぜ武道マニアの友人などではなく、極真空手の高段者や、八巻建志を訪ねて実戦を申し込まなかったのでしょうか。
武道の本当を知りたいなら、マニアではなく武道家と戦わなければ答えは得られないと考えるのが自然かと思うのですが、「本当のこと」は著者にとって都合がわるい結果に結びつくことが容易に予想されたとでもいうのでしょうか。
ブラジリアン柔術は、砂浜で個対個で決闘することの多いブラジルで発展した、かの国で凄まじく有効な技術といえます、いえますが、アスファルト舗装されたフィールドの多いアメリカや日本や欧州の都市でゴロゴロと背中を地面に擦り付けたり、膝頭を強く打ちつけて踏ん張るわけにはいかないでしょう。
ガードポジションから三角絞めや腕十字に入ろうとした姿勢で、上になった人間から持ち上げられてバスターを放たれる、という局面はMMAで珍しくありません(結果、放った側がより深く絞められることなってタップする展開が近年では多い)が、路面にバスターされたら死にかねません。
そして、打撃技術や投げ技とは違い、長く密着した状態をつくることは試合の外ではそのこと自体が危機的状況であるのは間違いないです、相手が凶器化した指を持っていなくても、刃物があれば全てを終わらせられるのですから。
よくあることではないでしょうか?
激しい稽古について行けず、辞める理由を探していたところに他の分野への移行を決めた途端に、恨みがましく元いた場所をアンフェアな視点から粘着質に叩き始める行為は。
卑近な例でいえば「別れた女の悪口を言う」といいましょうか。
著者という人間をよく表しているのは、本の中に掲載されている、著者が自分の試合後に、腫らした顔で対戦相手と酒を酌み交わしている写真です。
もともと学校教師だということですが、ケンカ一つしたことのない内気なガリ勉くんなのか(しかしルールに守られる中で、試合を止めてくれるレフェリーがいて、医師も控えている状況です)、誰かとパンチの応酬をして目のまわりに青タンをつくっていることを、自慢したくてしようがないといった印象です。
殴り合いでも、エゲツないくらい強い人はめったに顔を腫らしたりしないし、腫らしたらそのことは恥じ隠したくなるものであって、見せびらかすための勲章であるなど、とんでもないことです。
自らの弱さから挫折感を植えつけられた経験に対して、アンフェアなポジションから復讐を行った結果としての表現物は、ろくなものにならないということが改めてよくわかる本でした。
MMAは、空手や他の全ての格闘技と同じくらい素晴らしい分野だと思うので、良性の動機から熱量をもって書かれたノンフィクションが読みたいものですね
2016年3月7日に日本でレビュー済み
UFC信者のアメリカンが書いた本という事を頭に入れておいた方が良い内容です。
彼にとっての格闘技はメンツをかけて一対一で行う儀礼的闘争競技であって武術や武道的なモノは非科学的なオカルトという扱いです。
その為極真空手について実戦的でないカルト宗教団体みたいな事を書いてあって、まあ確かにそういう面もあるのですが、カチンときてしまいます。
著者はアメリカに住んでいてマニアではないのでそのあたりの情報は少ないのでしょう。
動物学や人類学等からの話は面白かったのでそのあたりが非常に残念でした。
彼にとっての格闘技はメンツをかけて一対一で行う儀礼的闘争競技であって武術や武道的なモノは非科学的なオカルトという扱いです。
その為極真空手について実戦的でないカルト宗教団体みたいな事を書いてあって、まあ確かにそういう面もあるのですが、カチンときてしまいます。
著者はアメリカに住んでいてマニアではないのでそのあたりの情報は少ないのでしょう。
動物学や人類学等からの話は面白かったのでそのあたりが非常に残念でした。