筆者の幼少期から多感な少年時代
にかけての出来事を繊細なタッチで
描いており、郷愁感に包まれます。
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青の時代 単行本 – 1987/4/1
安西 水丸
(著)
- 本の長さ230ページ
- 言語日本語
- 出版社青林堂
- 発売日1987/4/1
- ISBN-104792601657
- ISBN-13978-4792601652
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登録情報
- 出版社 : 青林堂 (1987/4/1)
- 発売日 : 1987/4/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 230ページ
- ISBN-10 : 4792601657
- ISBN-13 : 978-4792601652
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,657,341位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 520,460位コミック
- カスタマーレビュー:
著者について
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1942年東京都生まれ。日本大学芸術学部美術学科造型卒業。電通、ニューヨークのデザインスタジオADAC、平凡社でアートディレクターを務めた後、フリーのイラストレーターとなる。エッセイや小説なども著す(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『古典芸能てんこ盛り』(ISBN-10:4473034089)が刊行された当時に掲載されていたものです)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2021年5月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
青林堂の改訂版を所有していますが、装丁の美しさをみて購入。内容には満足しています。ただ最近のamazonさんの発送はいただけません。軽梱包材に加えシュリンクもしていないため、袋の中で書籍のカバーや帯が暴れ痛むのです。今回もカバーがずれたのか上端が破れていました。切に改善を求めます。
2023年8月25日に日本でレビュー済み
詩的な部分、繊細な美しさなどは感じます
でも私がつげ義春さんや林静一さんのマンガを先に読んでいたこともあってか、二人(特に林さん)の影響を受けいてる描写が多く感じ、読み応えがあまりなかったです
でも私がつげ義春さんや林静一さんのマンガを先に読んでいたこともあってか、二人(特に林さん)の影響を受けいてる描写が多く感じ、読み応えがあまりなかったです
2014年6月5日に日本でレビュー済み
2014年3月19日に漫画家、イラストレーター、エッセイストの安西水丸が亡くなりました。享年72歳。本書は74年から77年にかけて月刊漫画誌「ガロ」に不定期に発表された、安西の自伝的な内容の短編を収録しています。ちなみに私が所有する版は、87年に青林堂から出版されたものですが、表紙のデザインは全く異なります。
断っておきますが、私は実は安西水丸の熱心な読者でも何でもありません。彼の著作で読んだことがあるのは本書だけなのです。とは言うものの、彼は亡くなる寸前まで新聞や雑誌にコンスタントにイラストを提供していたので、時々それらを目にして「ああ、お歳を召されてもお元気で仕事をなさっているのだな」と、ほのぼのしていたものです。その中にあって本書に収録されている諸短編は私の人生の重要な節目に登場して、強烈な思い出を残しているのです。
それについてまた個人的なことを書かせていただくと、高校に入って一念発起した私は(笑)、伝説の月刊誌「ガロ」を定期購読することに決めました。その動機として、マイナーでも「もっと大人な」漫画作品を読みたかったからで、それには「ガロ」が最適であったと考えたからです。しかもそのころに、偶然つげ義春作品に初めて接してKOされていたことも、キッカケの一つに挙げられます。そしてつげ氏がまた「ガロ」に新作を発表するかもしれないという、淡い期待を抱いたからでもあります。しかしその後「ガロ」誌上でつげ氏の新作に遭遇するのは、とても難しいことであるのがだんだん分かってきましたが、「ガロ」は読み続けました。そして最初の衝撃が本作に収録されている安西の諸作品です。
最近改めて気合いを入れて本作を読み直してみましたが、本作は切ない、実に切ない。物心ついてから小学校低学年ころまでのすべての子供が持っていたはずの脆くて危なくて、そして切ない感性を瑞々しく、余す所なく描いています。特に安西の描く1頁1コマ、さらには見開きで1コマの風景が何故かひたすら切なくて、自分の子供時代の思い出にかぶさってくるのです。
死後二カ月以上たってから「追悼」もあったものではありませんが、本書はなぜか絶版になって久しく、そのうち筑摩文庫あたりから追悼記念として出るだろう、そしたら改めて書こうと思っていたのだが、その気配は全くないのは何故なんだろう。もしかしたら本作に限り、青林堂から版権を引き上げていないのか?
タイトルの「意志もまたひとつの孤独である」は安西の友人でもある嵐山光三郎の心のこもった解説から引用しました。青林堂の長井オーナーや当時の編集長であった渡辺和博、常連作家の永島慎二、杉浦日向子、さらに安西らが亡くなり、アラーキー、ひさうちみちお、南伸坊、たむらしげる、糸井重里そして赤瀬川原平らも年老いた今、時代の流れをしみじみ感じる今日この頃です(涙)。
断っておきますが、私は実は安西水丸の熱心な読者でも何でもありません。彼の著作で読んだことがあるのは本書だけなのです。とは言うものの、彼は亡くなる寸前まで新聞や雑誌にコンスタントにイラストを提供していたので、時々それらを目にして「ああ、お歳を召されてもお元気で仕事をなさっているのだな」と、ほのぼのしていたものです。その中にあって本書に収録されている諸短編は私の人生の重要な節目に登場して、強烈な思い出を残しているのです。
それについてまた個人的なことを書かせていただくと、高校に入って一念発起した私は(笑)、伝説の月刊誌「ガロ」を定期購読することに決めました。その動機として、マイナーでも「もっと大人な」漫画作品を読みたかったからで、それには「ガロ」が最適であったと考えたからです。しかもそのころに、偶然つげ義春作品に初めて接してKOされていたことも、キッカケの一つに挙げられます。そしてつげ氏がまた「ガロ」に新作を発表するかもしれないという、淡い期待を抱いたからでもあります。しかしその後「ガロ」誌上でつげ氏の新作に遭遇するのは、とても難しいことであるのがだんだん分かってきましたが、「ガロ」は読み続けました。そして最初の衝撃が本作に収録されている安西の諸作品です。
最近改めて気合いを入れて本作を読み直してみましたが、本作は切ない、実に切ない。物心ついてから小学校低学年ころまでのすべての子供が持っていたはずの脆くて危なくて、そして切ない感性を瑞々しく、余す所なく描いています。特に安西の描く1頁1コマ、さらには見開きで1コマの風景が何故かひたすら切なくて、自分の子供時代の思い出にかぶさってくるのです。
死後二カ月以上たってから「追悼」もあったものではありませんが、本書はなぜか絶版になって久しく、そのうち筑摩文庫あたりから追悼記念として出るだろう、そしたら改めて書こうと思っていたのだが、その気配は全くないのは何故なんだろう。もしかしたら本作に限り、青林堂から版権を引き上げていないのか?
タイトルの「意志もまたひとつの孤独である」は安西の友人でもある嵐山光三郎の心のこもった解説から引用しました。青林堂の長井オーナーや当時の編集長であった渡辺和博、常連作家の永島慎二、杉浦日向子、さらに安西らが亡くなり、アラーキー、ひさうちみちお、南伸坊、たむらしげる、糸井重里そして赤瀬川原平らも年老いた今、時代の流れをしみじみ感じる今日この頃です(涙)。
2022年3月19日に日本でレビュー済み
安西水丸の処女作といってよい作品集である。復刊となる本書には、1970年代、漫画雑誌『ガロ』への連載を薦めた嵐山光三郎による解説や、生前の安西水丸が当時を振り返って語るインタビュー記事も収録されている。
そのインタビューの中で、安西水丸はこう語っている。「僕の場合、ストーリーを作っても、辻褄があっているよりも、全体的に詩のような展開が好きなんだよね。無意味な風景が出ることによって、詩のようなものが生じて、読者を違う方向に引っ張っていくような」
また解説では、嵐山光三郎がこう書く。「水丸の作品には、男がほとんど登場しない。(中略)そしてただ一人登場する男が、『ノボル』である自分なのである。水丸は、さまざまな女たちを登場させ、その女たちの事件を描くことのつみ重ねのなかから、男である自分『ノボル』少年を浮きあがらせようとする」
つまり本作は、詩的にして私的な作品なのである。理解するのではなく、感じる類の作品といってもいいだろう。リアルタイムで読んでいない者としては、正直「まあこんなものかな」と思ったのだけれど、安西水丸ファンとしては読んでおきたい作品であることは間違いない。
そのインタビューの中で、安西水丸はこう語っている。「僕の場合、ストーリーを作っても、辻褄があっているよりも、全体的に詩のような展開が好きなんだよね。無意味な風景が出ることによって、詩のようなものが生じて、読者を違う方向に引っ張っていくような」
また解説では、嵐山光三郎がこう書く。「水丸の作品には、男がほとんど登場しない。(中略)そしてただ一人登場する男が、『ノボル』である自分なのである。水丸は、さまざまな女たちを登場させ、その女たちの事件を描くことのつみ重ねのなかから、男である自分『ノボル』少年を浮きあがらせようとする」
つまり本作は、詩的にして私的な作品なのである。理解するのではなく、感じる類の作品といってもいいだろう。リアルタイムで読んでいない者としては、正直「まあこんなものかな」と思ったのだけれど、安西水丸ファンとしては読んでおきたい作品であることは間違いない。