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共感覚者の驚くべき日常: 形を味わう人、色を聴く人 単行本 – 2002/4/1
五感が入り混じる特異な人たちの脳のミステリー
ものを食べると、指先に形を感じる。音を聴くと、色が見える――。
10万人に1人という、この共感覚をもつ人たちは、まったく正常に暮らしており、本人が告白しない限り共感覚者かどうか見分ける方法はない。それどころか、共感覚者は特異な記憶能力を発揮することさえある。また、カンディンスキーやナボコフなど、共感覚のある芸術家も多く、その作品に影響をおよぼしているという。
共感覚者の脳のなかでは、いったい何が起きているのだろうか。
本書は、共感覚者の脳を研究しはじめた神経科学者が、やがて脳科学最大の謎である「意識」の正体へと迫っていく、たぐいまれな探究の書である。
- 本の長さ334ページ
- 言語日本語
- 出版社草思社
- 発売日2002/4/1
- ISBN-104794211279
- ISBN-13978-4794211279
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商品の説明
商品説明
本書は神経科医の著者が、共感覚者との偶然の出会いから研究を開始し、共感覚をきっかけに、脳のしくみや感覚認知、理性と情動の関係、ひいては医療のありかたにまで切り込んでいくさまを、ミステリー仕立てに描いた1冊である。
共感覚者は、外見的にはまったく普通で、神経医学的な検査を行っても異常は見つからない。しかも、共感覚は本人以外には確認のしようがない感覚であるため、他人から変だと思われるのを嫌がって、自らそのことを告白する人は少ない。医学的な関心を持たれることもほとんどなく、その研究と実験はゼロからのスタートだった。
著者は随所で、医療のあり方に対し、鋭い批判を繰り返している。現代医療の現場においては、患者側にも「機械にまちがいを立証されるのではないかという不安、何が正しいか何が現実かを自分自身より機械のほうが知っているという暗黙の思い込み」が浸透しているという。機械による検査に引っかからなければ、すべて患者の気のせいだと切り捨てるのではなく、主観的な体験も重視すべきだという主張には説得力がある。
「共感覚は、実際は私たちがだれでももっている正常な脳機能なのだが、その働きが意識にのぼる人が一握りしかいない」というのが著者の仮説である。日々人の脳の中で起こっている情報処理の過程を通し、人間の心の正体について思いを巡らせることのできる1冊である。(朝倉真弓)
内容(「MARC」データベースより)
登録情報
- 出版社 : 草思社 (2002/4/1)
- 発売日 : 2002/4/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 334ページ
- ISBN-10 : 4794211279
- ISBN-13 : 978-4794211279
- Amazon 売れ筋ランキング: - 136,872位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 6,292位心理学 (本)
- - 7,144位医学・薬学・看護学・歯科学
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著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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芸術家に共感覚がある人が多いのではと予測していたのですが、事実そのようです。
共感覚者といっても皆が同一に「ソ」の音に同じ色を感じるのではなく、各自で違う感じ方をするということが新発見でした。
後半からは実験を通じて、共感覚の原因を探ってゆく過程が、とても面白いです。
また、著者は医師という科学者の立場でありながら、情動も重視するオープンな観点が良いと思いました。
「共感覚は、実際は私達がだれてでももっている正常な脳機能だのだが、その働きが意識にのほる人が一握りしかいないのだと私は考える。」と書いてあります。
ドラッグを使った実験などは、変性意識状態の実験などと少し通じる所があると思います。
著書の中に特に言及がある訳ではないのですが、共感覚は幻覚や夢、また瞑想状態といった、皮質部分の「理性の働き」が押さえられた時に発現する現象と共通するものがあるという印象を受けました。
科学でもいまいち解明されていない分野なので、もっとこういった脳科学の研究が今後進むことを願います。
様々な感覚が絡み合った特異な感覚が共感覚である。
ロマンチックな感じもするが、他人には理解できない世界かもしれない。変な人と思われることが多いのも確かである。
著者が共感覚についての研究を始めるとある事実にぶち当たる。
先行研究が殆ど無いのだ。共感覚自体が眉唾であり、科学的探求の対象ではないと思われている。共感覚者も何か変な人と思われるのを怖れて自分の持つ感覚世界について他者に話そうとしないことと同じ状況である。
それでも著者はめげずに共感覚についての研究を始める。いや、誰も本格的に扱っていないという事実がかえって研究の意欲をかき立てたともいえるだろう。古い文献を当たり、仮説を立て、実証する。良き指導者と論議を重ね、次第に共感覚を引き起こす脳の働きへと迫っていく過程は科学的読み物として、科学への入門書として楽しめた。また共感覚者の友人マイケルが否定してきた自分の一部をかけがえのない自分の一部として再確認していく過程とも重なり合っていることも読み物としての深みをあたえることとなっている。
どのような脳のメカニズムが共感覚を引き起こしているのか、具体に記してしまうとこれから読む人の楽しみを奪ってしまうので詳しくは書かないが抽象ではなく具体、理性ではなく情動により関係が深いということは驚きであった。著者も例に出しているように禅の世界と共感覚は確かに似通った印象を持つ。理性を越えたもしくは理性以前の世界である。こうなると共感覚の研究は単に共感覚という一つの現象を越え、人間の脳の働きや人間か築き上げた文化というものに対する深い考察の入り口となりえる。
共感覚を医学的見地から考察しているので,たとえば「ぼくには数学が風景に見える」とは全く異なる視点で書かれている。本書を読んでから「ぼくには〜」に進む分には問題はないが,反対に「ぼくには〜」を読んでから本書に進むとかなり違和感があるかもしれない。
とはいえ,本書に出てくる共感覚者に対する脳の血流量測定実験の結果は素人目にも驚異的。この部分が本書のハイライトかもしれない。
共感覚者についていろいろと知りたくて買った本だったので
読み始めは「いったいいつになったら共感覚のいろんな例が出てくるのか」と思いました。
なので、私のような期待を持っている人は、この本は期待はずれになるかもしれません。
だけどこの本の評価はそんなことでは下げられません。
平易な文章で読みやすく、
著者の学術研究から科学そのものに対する姿勢や批判がとても面白かったです。
私にとって、おいしいものを食べて幸福を感じるような、
栄養も喜びももらった本となりました。
この翻訳者のほかの書籍も読んでみたくなった。
シトーウェックが、共感覚者と出会うことから、「物語」は始まる。
臨床にありながら的確な研究的視点で、ミステリーを紐解くように進む物語には、時間を忘れて引き込まれた。
一連の実験を通して明らかになった「共感覚」の原因は、予想外であるが比較的シンプル。
この本の真髄は、「私たちが日常当たり前であると感じて生活していることを、実は脳が絶妙な仕組みで調節して認識しており、その脳も実は、、、(ぜひ読んでください。)」
お勧めの一冊。
視覚・聴覚・触覚・味覚・臭覚が混じり合う状態を持つ人。
例えば、チキンを食べたとき辛みを感じると同時に”とがり”を感じる。例えば、高音を聞いたときに色を感じる。
これらは共感覚者以外の人がメタファーとして表現するのとは違い、実際、不随意にわき上がってくる感覚だという。
記憶力を上げるために五感をバランス良く使うことが推奨されたりするけれど、トレーニングでどうこうでなく生まれたときからそんな感覚を持っている。
こんな人たちが案外存在しているのだ。
そして、共感覚者以外が目にしているものも又加工されている可能性がある。
「マップ」我々はそれぞれのマップで物事を知覚し判断するけれど、結構不確かなものなんだな。そんなことも教えてくれる。
共感覚はおそらく日常生活に支障をきたさないので、その存在は自己申告によらないと分からない(ただし、ある人が共感覚者かどうかを客観的に判定することはできる)。本書のお陰で共感覚者がカミングアウトするようになったのか、本書には共感覚者は10万人に一人と書いてあるのだが、(Grossenbacher, P. G. & Lovelace, C. T., 2001, Trends Cogn. Sci. 5: 36-41)によると2000人に一人というから、結構な比率で存在するのだ。もっとも、インターネットで検索すると山ほど引っかかってくるのだが、どうも胡散臭いのが多い。
本書では、共感覚を記載するにとどまらず、そのメカニズムの解明に迫っている。研究の結果、共感覚の座は、大脳の皮質ではなく辺縁系にあることが明らかになった。皮質は理性を、辺縁系は情動を司っている。ヒトは、皮質が極端に発達した動物であると一般に思われているが、実は、皮質と辺縁系が共進化してきたのだ。こうして筆者は、第2部において情動(辺縁系)の重要性を滔々と述べるのであるが、これは蛇足である。もう一つ欲を言えば、共感覚者が世界をどう認識しているのかという「共感覚の博物学」的記載がもっと欲しかったところだ。