良くも悪くも昔の別冊宝島のノリとでもいうのか、表のメディアがあまり取り上げたがらないような題材について、あまり取り上げないような角度から、真剣かつ責任を持って・きちんと時間をかけて検証した上で・著者の駄弁りやナンセンスな散文を混ぜて書かれた、随筆とルポの中間のような、たまにブンガク系にそれるような内容の一冊である。全盛期のサブカルが本気でジャーナリズムをやっていた感じとでも言うべきだろうか。自分は宝島世代じゃないし著者のことをまったく知らないので特別な感情は何もないが、おそらく宅八郎とかあのへんの界隈にいた人なのだろう(親交もあったらしい)。今のネットメディアでいちばんテイストが近いのはサイゾーか文春オンラインあたりだろうが、それならばもっと要旨のはっきりした軽い感じの文章になっているはずだ。現代精神医学や精神鑑定に携わる第一線の人物に取材している努力はうかがえるが、哲学的でもあれば下世話でもあり、鋭いところは鋭いが、的外れなところはまったく的外れだったり蛇足だったりしていて通底した評価がやりづらい本でもある。
やはり本書のメインになっているのは世間を騒がせた犯罪加害者に対する鑑定や診断の妥当性についての問題である。その他、報道のあり方についての問題、そしてニュースを消費する社会の問題、あるいは純粋に犯罪に怯える社会の真理、障害をもつ子の親としての心理、そもそも犯罪者の人格はどこから来るのかといった命題、様々な問題を漂流するかのように考察していくスタイルであり、切り込んでいくのかなあと思わせておいて、あまりすっぱりとは切らない。もう一度言うが漂流である。冒険というのはたとえば山の頂上を目指して紆余曲折を経ながらルートを歩んでいくような過程をいうのだろうから、その意味で本書は「冒険」と呼べるほど能動的ではないし明確な目標はない。「漂流」である。
たまに人格の歪んだ人物が変な事件を起こしたと報道されると、得てして2つの相反する推論が立ち上がる傾向がある。すなわち「生まれ育った環境に問題がある=親の責任(環境決定論)」と「当人の脳の構造に問題がある=生まれつき(遺伝決定論)」だが、本書中のすべてのケースにおいて著者が原則的にはこの双方に懐疑的な態度を取っているのが特徴的。じゃあ著者が何を言いたいのかというとフワフワして明確な結論に至らない。かといって優柔不断でもなく、一般メディアの言説にも2ちゃんねる的言論にもなびかず、一定の理解は示すものの双方を冷たく観察していたりして超然的なところがある。特定の考え方に陥って思考停止しないという立場では90年代サブカルの陽の側面をなぞっているのかも知れない。
ただしこの筆者の文体なのか、先に出した結論に対する根拠の文脈に補足説明が入り、そのまた補足説明に入り、気づけば別の話に飛んでいたりして、なぜ結論に至ったのか十分な論拠が伝わってこなかったりするので正直かなり読みにくい。一つの事柄について8割程度述べたらすべて読者に伝わった気になってしまっているのか、別の話に飛んでしまう。失礼だがあんまり文章がうまい人だとは思えない。
また人格障害をテーマにした本としては蛇足に思える章も多く、例えば神戸児童連続殺傷事件の少年Aをモデルにして人格障害云々を議論しているのは今日の観点でいえばバカバカしい。というのも、少年Aの行動はすべて性的サディズムで説明がついてしまうし、後に少年A自信が出版した自述からしてもこの診断に疑いの余地はないからだ。いろいろな人がいろいろな分析をしているのをまとめた努力は無駄ではないだろうが、犯行動機として人格障害は副次的なものでしかなく、あまり読む価値を見いだせない(少年Aの人格障害を問題にするならば知的な遅れも問題にすべきだろう。彼の知能指数は知的障害スレスレのレベルだったのだから)。長崎児童誘拐殺人事件についても同様で、最終的にはアスペルガー症という鑑定が出ているのに延々とADHDについての議論がなされているのでうんざりしてしまう。
宅間守についてはもっと酷く、「わけのわからない暴力」(195頁)を発散させた動機として「絶望しながら自分自身であろうとし」「正義の戦い」「正義こそ暴力の淵源」(199頁)などと勝手なことが書かれているが正直読む価値がない文章だと思った。宅間は逃げられた妻を連れ戻すことが絶望的になったことをトリガーとして→自暴自棄になって→自殺しようとしたが失敗し→エリートの子供を殺せば死刑になれると思って犯行に及んだのである。悪いことだと分かってやっていたからこそ心の底からふて腐れたような表情で連行されていったのだ。もし正義と信じてやったのならもっと勝ち誇ったような態度を片鱗でも見せていたはずだ。一体どこから正義なんて言葉が出てきたのかといえば、日本的な神話であるところの「家族」に対するテロルなのだという。何が何でも宅間を純化された思想犯に仕立て上げたいらしい。モデルケースに対する十分な情報が不足した状態で、憶測で思考ばかりを巡らせている感が拭えない。後の章になるとひどいもので、「人格障害とPTSDはコインの裏表である」とか「イラク戦争を起こしたアメリカは人格障害」「臨界事故を起こしたJCOは人格障害」といったくだらないこじつけが増えてくるのでまった読む気になれなかった。一部でかなり鋭いことを真面目に書いてはいるのだが、「酔っ払って新宿で店を一軒破壊した」みたいな著者の露悪的なエピソードを自慢げに出してきたりするのでサブカルのノリを脱出できていない。こういうところは90年代サブカルの負の側面でもある。もっとも青山ナントカのようにインモラルに走りすぎて自己崩壊した同時代の露悪系サブカルに比べたらはるかに倫理的で常識的でもあり、宅八郎が妄想性人格障害でなければこのぐらいの文章はかけていたのかなという感じはする。
繰り返すが本書のメインは人格障害そのものというよりも、少数の有名な重大事件の量刑判断の根拠として用いられる「人格障害」という用語の適用と実際、そしてその妥当性についての考察、およびそこから飛来した一貫性のない様々な思考と言葉たちなのだと思われる。したがって本書は世間一般の人格障害の人を扱った本ではなく、明確な訴えや終着点をもった本でもないので、タイトルは「エッセイ集『あの事件の精神鑑定をめぐる漂流』」あたりにとどめるのが妥当なのではないか。何度もこの言葉を使って失礼かも知れないが、サブカルの域を出ていないのでまともな評論だと思って読まない方がよい。著者の名前を知っている人以外にはおすすめしない。
誤植と思われる箇所:
192頁 「暴力は偏在している」と書かれているが、これだと逆の意味になってしまって前後の文脈にあわない。おそらく同音対義語の「遍在」が正しい。
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人格障害をめぐる冒険 単行本 – 2005/12/1
大泉 実成
(著)
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神戸の少年Aなど了解不能の事件が起るたびに登場する「人格障害」という言葉をめぐる斬新なルポ。人間存在の不可解さが見えてくる。
- 本の長さ265ページ
- 言語日本語
- 出版社草思社
- 発売日2005/12/1
- ISBN-104794214413
- ISBN-13978-4794214416
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商品の説明
出版社からのコメント
この本は、現在では「パーソナリティ障害」と名称変更された「呪文」をめぐるまさしく「冒険譚」です。この呪文が最初にメディアを飾ったのがあの「宮崎勤」事件のとき。以降、オウムの麻原彰晃、神戸の酒鬼薔薇聖斗、池田の宅間守と、私たちの日常のキャパを超える事件の度に登場してきました。
「だいたい心理学なんてのは占いと同じで、それらしい物語を創り上げてはお札みたいにペタペタ貼るだけじゃん」という私の暴言をニコニコと受け止めて、「じつは『人格障害』という言葉のルポをやりたいんです」と答えたのが大泉さん。もともと彼が進めていたこの企画を、「草思」というPR誌に連載して単行本にまとめていただいた次第です。
実際、彼の冒険旅行に併走してみると、コトは私の考えたように単純ではなかったようです。この言葉が、きわめて現代的な事象の微分から生まれたものであると同時に、いにしえから人間社会に存在してきた普遍的な機能であることもわかってきます。目眩をおこすほどの迷宮を、あちこち寄り道しながらも、じつはしっかりと足を付けて案内してくれる本書は、読み出したらやめられない、読み終わったら世界の見え方が少しだけ変わっている、というお得な一冊です。
カバーイラストは、当代一の愉快漫画絵師・桜玉吉さんの描き下ろしです。傑作!
大泉さんはこの本とほぼ同時に、水木しげるサンの名言録『本日の水木サン』(編纂・小社刊)を刊行しました。さらについ先日、講談社から『萌えの研究』という本も出されています。どれも非常にオモシロイ本なので、ぜひ読んでみてください。
「だいたい心理学なんてのは占いと同じで、それらしい物語を創り上げてはお札みたいにペタペタ貼るだけじゃん」という私の暴言をニコニコと受け止めて、「じつは『人格障害』という言葉のルポをやりたいんです」と答えたのが大泉さん。もともと彼が進めていたこの企画を、「草思」というPR誌に連載して単行本にまとめていただいた次第です。
実際、彼の冒険旅行に併走してみると、コトは私の考えたように単純ではなかったようです。この言葉が、きわめて現代的な事象の微分から生まれたものであると同時に、いにしえから人間社会に存在してきた普遍的な機能であることもわかってきます。目眩をおこすほどの迷宮を、あちこち寄り道しながらも、じつはしっかりと足を付けて案内してくれる本書は、読み出したらやめられない、読み終わったら世界の見え方が少しだけ変わっている、というお得な一冊です。
カバーイラストは、当代一の愉快漫画絵師・桜玉吉さんの描き下ろしです。傑作!
大泉さんはこの本とほぼ同時に、水木しげるサンの名言録『本日の水木サン』(編纂・小社刊)を刊行しました。さらについ先日、講談社から『萌えの研究』という本も出されています。どれも非常にオモシロイ本なので、ぜひ読んでみてください。
登録情報
- 出版社 : 草思社 (2005/12/1)
- 発売日 : 2005/12/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 265ページ
- ISBN-10 : 4794214413
- ISBN-13 : 978-4794214416
- Amazon 売れ筋ランキング: - 119,579位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2021年12月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2006年3月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「一九九九年の夏、僕はある“言葉”をルポルタージュしようと試みていた」という魅力的な書き出し(序章)に惹かれて読み始めた読者は、失望するかもしれない。「人格障害という語の使用」に徹底して拘るかのように始まる本書は、間もなく禁欲性を失い、「脱線」を繰り返すようになる(p253参照)。
“言葉”の位置づけ自体は、ある意味明快。精神医学における「精神病質」概念が、70年安保の周辺で青医連等から批判され、使用されなくなった(p168. 著者は触れていないが、サルトル的実存主義の系譜を引く本質主義批判、レインなどの反精神医学も当然絡むはず)。DSMに依拠する「人格障害」概念がこの空隙に入り込み、様々な事件の原因を個人の資質に還元することで象徴的に排除・隔離して、社会の安心を確保するのに貢献する(p250)。この診断なら裁判で死刑判決も出せる。
しかし話題は息子のADHDやアスペルガー(の疑い)、自分の生い立ち、さらには東海村JCOウラン転換工場での臨界事故(1999)に起因する(と診断された)母親のPTSD、住友金属鉱山・JCO・動燃批判、裁判闘争へと拡大し、実はこっちの話の方が面白い! 第14章では自ら「人格障害的組織」なんてイカモノ概念をデッチ上げ、権力のみっともなさを笑い飛ばそうとする。
“言葉”の「研究」としては、失敗作だろう。生物学還元論を批判する議論も、率直に言って浅い(福島章はともかく、生物学的視点は重要だと私は思っている)。それでも“言葉”の悪魔祓い的用法に対する著者の一貫した苛立ちは貴重だし、感動的ですらある。しかもヘンにイデオロギー的な戦い方を選ばない、水木しげる原理主義者らしい踏ん張り方(踏ん張らなさ?)も、好ましい。
“言葉”の位置づけ自体は、ある意味明快。精神医学における「精神病質」概念が、70年安保の周辺で青医連等から批判され、使用されなくなった(p168. 著者は触れていないが、サルトル的実存主義の系譜を引く本質主義批判、レインなどの反精神医学も当然絡むはず)。DSMに依拠する「人格障害」概念がこの空隙に入り込み、様々な事件の原因を個人の資質に還元することで象徴的に排除・隔離して、社会の安心を確保するのに貢献する(p250)。この診断なら裁判で死刑判決も出せる。
しかし話題は息子のADHDやアスペルガー(の疑い)、自分の生い立ち、さらには東海村JCOウラン転換工場での臨界事故(1999)に起因する(と診断された)母親のPTSD、住友金属鉱山・JCO・動燃批判、裁判闘争へと拡大し、実はこっちの話の方が面白い! 第14章では自ら「人格障害的組織」なんてイカモノ概念をデッチ上げ、権力のみっともなさを笑い飛ばそうとする。
“言葉”の「研究」としては、失敗作だろう。生物学還元論を批判する議論も、率直に言って浅い(福島章はともかく、生物学的視点は重要だと私は思っている)。それでも“言葉”の悪魔祓い的用法に対する著者の一貫した苛立ちは貴重だし、感動的ですらある。しかもヘンにイデオロギー的な戦い方を選ばない、水木しげる原理主義者らしい踏ん張り方(踏ん張らなさ?)も、好ましい。
2006年1月8日に日本でレビュー済み
「消えたマンガ家」に大いに感銘を受けて以来、大泉実成さんのルポには注目している。大泉氏のルポには強烈に「自分」が出て来て、それが私のようなファンにはこたえられないのであるが、読者によっては好悪が分かれるところだろう。本書は「人格障害」という「コトバ」の生成から消滅(専門用語としての)までを追ったルポではあるが、「人格障害」ということばに象徴される、現代日本の「こころ」の世界の迷宮に筆者が迷い込む、その率直な記録である。従って、なにも確たる「解決策」が提示されるわけではない。が、その煩悩溢れる迷宮探索に付き合うことで、何やら気持ちが軽くなる。同じ病いに悩む人の「告白」が、こころの病いを癒すようなものであろうか。
2011年1月25日に日本でレビュー済み
「人格障害」という言葉が使われるようになってから、この言葉が何を指し、どんな意味(というよりは文脈で、です、定義ではなく、雰囲気を纏って、と置き換えても可)で使われているのか?という『単語をめぐるルポタージュ』を描いたノンフィクションです。
「人格障害」という単語の意味を定義し、その翻訳(海外から入ってきた概念なので)の段階や、それ以前に使われていた該当する言葉、あるいはテレビや新聞で使われている意味ではなくニュアンスを追い、言葉そのものの背後にあるもの、それを使う人の意味を捉えようとします。やはり最初に出てくるのは宮崎勤であり、松本智津夫であり、酒鬼薔薇聖斗です。精神科医である人が患者である人の精神(というか 心 そのもの)を病的であるいかどうか判断を下すことの難しさと、それに乗っかってただ『単語』で括られることで安心したい、という心理を炙り出し、さらにその先にあるものを探り出そうとします。
しかし、当然、より鋭く考察しようとすると、その単語を使う著者大泉氏の姿勢みたいなものも問われるわけで、そこへ落とし込むことで話しは段々脱線していきます。が、一見脱線しているようで、大泉さんにとっての『人格障害』という言葉をめぐる考察なのであればこういうやり方も有りだと私は感じられました。
精神科医、というその道のプロフェッショナルであってさえ、精神鑑定を行う人数によって結果にばらつきがあるということからも、その難しさが現れていますし、言葉の意味においては、やはり定義づける以外にはありえないと考えます。その定義するものに数値化されない部分がある以上、人の心を覗くことが出来ない以上、解剖学的にもいまだf-MRIくらいしか探れていない状況な以上、ある程度幅のあるものにならざる得ないと思います。大泉さんも言及されていますが、テクノロジーの進化が未知の領域の解明し、説明できる部分が増えたとしても、未だ全てに及んだわけではありませんし、言葉で括って『自分とは関係のない他者』にすることでの、安心するための、報道や周知の徹底に用語を使用している部分は実際にあります。仕方のない部分ではありますが、せめてその危険性や視点の多数化はメディアに求めたいのですが、あくまでスポンサーの絡む『みんなの見たいもの』を見せることで成り立つ、所詮その程度の媒体でしかないことに、もう少し受け手の側にもリテラシーがあって良いと思います。民度の問題なんでしょうけど。
精神的疾病を脳の機能障害に全て集約してしまおうという精神科医、福島 章氏の極端に単純な恐ろしさと、遺伝子にすべての理由を還元出来るという根拠の無い(今のところ、しかしこの説を唱える方々の環境因子への配慮の無さは徹底し過ぎているように感じさせる=傲慢に映る部分)仮説への抗いがたい、研究者として数値化したい、という欲求は分からないでもないのですが、それを単純に言葉にし、ある意味偏見を増長させかねない意見を専門家が語ることの無配慮に、個人的には恐ろしさを感じました。「脳病」という認識というか刷り込みの強さを、見たいものしか、理解したいようにしか理解しない(私にもそういう部分がもちろんあるのですが)、それでいて自分はおよそその病気の全て理解出来ている(疑念の余地は無いと)単純に信じ込める恐ろしさを感じさせます。
また、箇条書きで出てくる人格障害に該当する項目にまるで当てはまらない人、というのは存在しないのではないか?あるいはそう信じられる人こそ(自身を客観性持って見られていないが為にこそ、「全てにおいて私は該当しない」と言い切れる人こそ)「人格障害」と診断(もちろん精神科医が、であって私が勝手に想像しているわけですが)しているのではないか?と感じました。
そして、「人格障害的組織」という概念には正直笑わされた。あまりにヒドイ不条理にあたって、人は笑うくらいしか出来ないのではないか、という印象を持ちました。
物事を多角的に考えて見たい方に、日常に出会う(自分を棚に挙げているわけですが)人格障害に興味がある方にオススメ致します。
「人格障害」という単語の意味を定義し、その翻訳(海外から入ってきた概念なので)の段階や、それ以前に使われていた該当する言葉、あるいはテレビや新聞で使われている意味ではなくニュアンスを追い、言葉そのものの背後にあるもの、それを使う人の意味を捉えようとします。やはり最初に出てくるのは宮崎勤であり、松本智津夫であり、酒鬼薔薇聖斗です。精神科医である人が患者である人の精神(というか 心 そのもの)を病的であるいかどうか判断を下すことの難しさと、それに乗っかってただ『単語』で括られることで安心したい、という心理を炙り出し、さらにその先にあるものを探り出そうとします。
しかし、当然、より鋭く考察しようとすると、その単語を使う著者大泉氏の姿勢みたいなものも問われるわけで、そこへ落とし込むことで話しは段々脱線していきます。が、一見脱線しているようで、大泉さんにとっての『人格障害』という言葉をめぐる考察なのであればこういうやり方も有りだと私は感じられました。
精神科医、というその道のプロフェッショナルであってさえ、精神鑑定を行う人数によって結果にばらつきがあるということからも、その難しさが現れていますし、言葉の意味においては、やはり定義づける以外にはありえないと考えます。その定義するものに数値化されない部分がある以上、人の心を覗くことが出来ない以上、解剖学的にもいまだf-MRIくらいしか探れていない状況な以上、ある程度幅のあるものにならざる得ないと思います。大泉さんも言及されていますが、テクノロジーの進化が未知の領域の解明し、説明できる部分が増えたとしても、未だ全てに及んだわけではありませんし、言葉で括って『自分とは関係のない他者』にすることでの、安心するための、報道や周知の徹底に用語を使用している部分は実際にあります。仕方のない部分ではありますが、せめてその危険性や視点の多数化はメディアに求めたいのですが、あくまでスポンサーの絡む『みんなの見たいもの』を見せることで成り立つ、所詮その程度の媒体でしかないことに、もう少し受け手の側にもリテラシーがあって良いと思います。民度の問題なんでしょうけど。
精神的疾病を脳の機能障害に全て集約してしまおうという精神科医、福島 章氏の極端に単純な恐ろしさと、遺伝子にすべての理由を還元出来るという根拠の無い(今のところ、しかしこの説を唱える方々の環境因子への配慮の無さは徹底し過ぎているように感じさせる=傲慢に映る部分)仮説への抗いがたい、研究者として数値化したい、という欲求は分からないでもないのですが、それを単純に言葉にし、ある意味偏見を増長させかねない意見を専門家が語ることの無配慮に、個人的には恐ろしさを感じました。「脳病」という認識というか刷り込みの強さを、見たいものしか、理解したいようにしか理解しない(私にもそういう部分がもちろんあるのですが)、それでいて自分はおよそその病気の全て理解出来ている(疑念の余地は無いと)単純に信じ込める恐ろしさを感じさせます。
また、箇条書きで出てくる人格障害に該当する項目にまるで当てはまらない人、というのは存在しないのではないか?あるいはそう信じられる人こそ(自身を客観性持って見られていないが為にこそ、「全てにおいて私は該当しない」と言い切れる人こそ)「人格障害」と診断(もちろん精神科医が、であって私が勝手に想像しているわけですが)しているのではないか?と感じました。
そして、「人格障害的組織」という概念には正直笑わされた。あまりにヒドイ不条理にあたって、人は笑うくらいしか出来ないのではないか、という印象を持ちました。
物事を多角的に考えて見たい方に、日常に出会う(自分を棚に挙げているわけですが)人格障害に興味がある方にオススメ致します。