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武士に「もの言う」百姓たち: 裁判でよむ江戸時代 単行本 – 2012/12/1
渡辺 尚志
(著)
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- 本の長さ230ページ
- 言語日本語
- 出版社草思社
- 発売日2012/12/1
- ISBN-104794219458
- ISBN-13978-4794219459
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登録情報
- 出版社 : 草思社 (2012/12/1)
- 発売日 : 2012/12/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 230ページ
- ISBN-10 : 4794219458
- ISBN-13 : 978-4794219459
- Amazon 売れ筋ランキング: - 236,627位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 6,369位日本史 (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2016年6月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
評定所(今で言う所の最高裁判所)で下った判決で吹いた。今迄の何ヶ月に及ぶ吟味は何だったんだ(笑)。時代小説を書いている方には(この話を上手く膨らませれば)小説として良い題材になるかもしれない。
2020年1月10日に日本でレビュー済み
『武士に「もの言う」百姓たち――裁判でよむ江戸時代』(渡辺尚志著、草思社)は、私の江戸時代の百姓観を根本から覆してしまいました。
本書の白眉は、信濃国(現・長野県)の松代藩真田家の領内で起こされた訴訟の経過が詳しく記されている部分です。「この一件は、村の名主を誰にするかという問題に端を発して、村財政の不正疑惑追及へと展開していきます。そして、村のなかだけでは収拾がつかずに、松代藩による裁判となりました。そこでは、証人尋問、証拠調べ、和解の試みなどがなされるとともに、原告・被告双方は自らの利益を賭けて、互いに主張をぶつけ合い、ときには突然前言を翻したりしました。裁判の裏側でも、さまざまな駆け引きがなされていました。そうした過程の全体を、つぶさにみていきたいと思います。なお、本書で松代藩を対象に選んだのは、訴訟・裁判に関する史料がたいへん豊富に残されているからです。しかし、本書の事例はけっして特殊なものではなく、訴訟・裁判のあり方はほかの藩でも多かれ少なかれ共通していました。たったひとつの訴訟という小さな窓からでも、江戸時代における百姓と武士の関係の特質という大きな問題がみえてきます」。
第一幕は、名主の選挙をめぐる、義兵衛(ぎへえ)派と弥惣八(やそはち)派の激突です。「この一件の発端は、村の名主(村運営の最高責任者)を誰にするかということでした。義兵衛と弥惣八という2人の有力候補があがり、村内が二派に分かれて、いずれとも決めかねる状況になりました。義兵衛は従来村運営を中心的に担っていた人物でしたが、弥惣八が、従来の村の財政運営に不正があったとして義兵衛を激しく批判したことから、事態は村財政の不正疑惑問題へと拡大していくことになります」。
第二幕は、武士による吟味と、弥惣八派の瓦解です。「村財政の不正疑惑をめぐる問題は村内では解決がつかず、松代藩の法廷にもちこまれました。ここにおいて、百姓同士の争いに武士が深く関わってきます。藩の担当役人は、それまで藩が南長池村に関わってきた経緯や、仲裁に入った百姓の意見などをふまえて、義兵衛派に有利なかたちで吟味を進めました。そのため、当初弥惣八派だった百姓たちも、形勢不利とみて、相次いで義兵衛派に転向しました。形勢は一気に義兵衛派有利に傾き、この一件は義兵衛派の勝訴で決着がつくかにみえました」。
第三幕は、明るみに出る、義兵衛派の村財政私物化です。「義兵衛派に有利に進んでいた吟味の流れは、ひとつの証言によって大逆転することになります。蓮証寺住職の息子が、覚悟を決めてそれまでの主張を撤回し、弥惣八派を全面的に支持したのです。この魂の主張に藩も動かされ、それまでの吟味は白紙に戻されてゼロからの再審理となりました。すると、村財政の不明朗な実態や、立入人三郎治の暗躍など、義兵衛派に不利な事実が次々と明るみに出てきました。こうして、吟味の様相は一変することになるのです」。
最終章は、評定所での判決と、その後です。「争点が複雑に絡み合い、二転三転した吟味も、ついに決着を迎えます。ここまでの流れからは、弥惣八派の逆転勝訴かと思われましたが、簡単にそうはならないのが江戸時代の裁判でした。藩の基本姿勢は、事実と法律にもとづいて黒白をはっきりつけることよりも、事態を丸く収めて両派の対立関係を修復するところに主眼がおかれました。司法判断よりも、政治的判断を優先させたといえるでしょう。そこに、今日とは異なる、江戸時代の裁判の特質が浮き彫りにされてきます。しかし、そうした判決で、弥惣八派を納得させることは至難の業であり、判決の言い渡し日が近づくにつれて、藩の奉行たちの間で緊張が高まっていきました」。
「江戸時代の後期には、村や地域における自治の発展、生産力の上昇による民冨の蓄積、寺子屋の普及による百姓の文化水準の向上、こうしたさまざまな要因によって、百姓たちの政治的・経済的・文化的力量は高まっていきました。こうした民力の上昇を背景として、百姓たちは武士に対して『もの申す』ようになります。その先頭に立っていたのが、弥惣八ら「自己主張する強情者」だったのです」。
実に読み応えのある一冊です。
本書の白眉は、信濃国(現・長野県)の松代藩真田家の領内で起こされた訴訟の経過が詳しく記されている部分です。「この一件は、村の名主を誰にするかという問題に端を発して、村財政の不正疑惑追及へと展開していきます。そして、村のなかだけでは収拾がつかずに、松代藩による裁判となりました。そこでは、証人尋問、証拠調べ、和解の試みなどがなされるとともに、原告・被告双方は自らの利益を賭けて、互いに主張をぶつけ合い、ときには突然前言を翻したりしました。裁判の裏側でも、さまざまな駆け引きがなされていました。そうした過程の全体を、つぶさにみていきたいと思います。なお、本書で松代藩を対象に選んだのは、訴訟・裁判に関する史料がたいへん豊富に残されているからです。しかし、本書の事例はけっして特殊なものではなく、訴訟・裁判のあり方はほかの藩でも多かれ少なかれ共通していました。たったひとつの訴訟という小さな窓からでも、江戸時代における百姓と武士の関係の特質という大きな問題がみえてきます」。
第一幕は、名主の選挙をめぐる、義兵衛(ぎへえ)派と弥惣八(やそはち)派の激突です。「この一件の発端は、村の名主(村運営の最高責任者)を誰にするかということでした。義兵衛と弥惣八という2人の有力候補があがり、村内が二派に分かれて、いずれとも決めかねる状況になりました。義兵衛は従来村運営を中心的に担っていた人物でしたが、弥惣八が、従来の村の財政運営に不正があったとして義兵衛を激しく批判したことから、事態は村財政の不正疑惑問題へと拡大していくことになります」。
第二幕は、武士による吟味と、弥惣八派の瓦解です。「村財政の不正疑惑をめぐる問題は村内では解決がつかず、松代藩の法廷にもちこまれました。ここにおいて、百姓同士の争いに武士が深く関わってきます。藩の担当役人は、それまで藩が南長池村に関わってきた経緯や、仲裁に入った百姓の意見などをふまえて、義兵衛派に有利なかたちで吟味を進めました。そのため、当初弥惣八派だった百姓たちも、形勢不利とみて、相次いで義兵衛派に転向しました。形勢は一気に義兵衛派有利に傾き、この一件は義兵衛派の勝訴で決着がつくかにみえました」。
第三幕は、明るみに出る、義兵衛派の村財政私物化です。「義兵衛派に有利に進んでいた吟味の流れは、ひとつの証言によって大逆転することになります。蓮証寺住職の息子が、覚悟を決めてそれまでの主張を撤回し、弥惣八派を全面的に支持したのです。この魂の主張に藩も動かされ、それまでの吟味は白紙に戻されてゼロからの再審理となりました。すると、村財政の不明朗な実態や、立入人三郎治の暗躍など、義兵衛派に不利な事実が次々と明るみに出てきました。こうして、吟味の様相は一変することになるのです」。
最終章は、評定所での判決と、その後です。「争点が複雑に絡み合い、二転三転した吟味も、ついに決着を迎えます。ここまでの流れからは、弥惣八派の逆転勝訴かと思われましたが、簡単にそうはならないのが江戸時代の裁判でした。藩の基本姿勢は、事実と法律にもとづいて黒白をはっきりつけることよりも、事態を丸く収めて両派の対立関係を修復するところに主眼がおかれました。司法判断よりも、政治的判断を優先させたといえるでしょう。そこに、今日とは異なる、江戸時代の裁判の特質が浮き彫りにされてきます。しかし、そうした判決で、弥惣八派を納得させることは至難の業であり、判決の言い渡し日が近づくにつれて、藩の奉行たちの間で緊張が高まっていきました」。
「江戸時代の後期には、村や地域における自治の発展、生産力の上昇による民冨の蓄積、寺子屋の普及による百姓の文化水準の向上、こうしたさまざまな要因によって、百姓たちの政治的・経済的・文化的力量は高まっていきました。こうした民力の上昇を背景として、百姓たちは武士に対して『もの申す』ようになります。その先頭に立っていたのが、弥惣八ら「自己主張する強情者」だったのです」。
実に読み応えのある一冊です。
2013年3月13日に日本でレビュー済み
捕り物帖などのフィクションで江戸時代の「刑事裁判」について描かれることは多いですが、本書は江戸時代の「民事裁判」について詳しく書かれています。
2部に分けられており、第1部では、江戸時代の裁判や訴訟についての概論です。そして第2部では、松代藩(現在の長野県)で19世紀に実際に争われた名主選挙にかかわる訴訟を丁寧かつ詳細に辿っています。一度は決着しかけるものの、証人が敢然と証言を翻したたため、裁判の流れが一気に変わっていく部分は、小説のように面白いです。また、読み書き能力を持ち、複数の裁判や争いごとを経験した人が、「裁判ゴロ」のような行動をとっていたことには、あきれてしまいます。
そういった中で、江戸時代の農民たちが極めて粘り強く生きていたことと同時に、江戸時代が、武士の面目をいかに守るかといったことを非常に重視した社会であったことも浮き彫りにされています。
2部に分けられており、第1部では、江戸時代の裁判や訴訟についての概論です。そして第2部では、松代藩(現在の長野県)で19世紀に実際に争われた名主選挙にかかわる訴訟を丁寧かつ詳細に辿っています。一度は決着しかけるものの、証人が敢然と証言を翻したたため、裁判の流れが一気に変わっていく部分は、小説のように面白いです。また、読み書き能力を持ち、複数の裁判や争いごとを経験した人が、「裁判ゴロ」のような行動をとっていたことには、あきれてしまいます。
そういった中で、江戸時代の農民たちが極めて粘り強く生きていたことと同時に、江戸時代が、武士の面目をいかに守るかといったことを非常に重視した社会であったことも浮き彫りにされています。
2012年12月30日に日本でレビュー済み
星5つでも足りないほどの名著。
恐らく大半の方は江戸時代というのは時代劇のように民百姓は武士に頭を押さえつけられて、抗えば斬り捨てられる、そんな感覚で見ていたと思うのですが、本書を読めばそれが全く違うことに気付かされます。
「もの言わぬ悲惨な民としての百姓像は、実態からはほど遠いと言わざるを得ません。実際の百姓たちは、自らの利益を守るためには積極的に訴訟をおこし、武士に対しても堂々と自己主張をしていたのです。」
で、ある一つの事件を掘り下げてそれを解き明かしていくんですけど、それがすこぶる面白い。
内容はよくあるもので、村の名主、いまで言うところの町長選出をめぐってのトラブル。
二人の人物が立候補するんですけど、片方は現職の不正を追求して糾弾するし、受けて立つ現職も適正がないことを訴えて応戦するという、ほんとに村が二分した戦いが取り上げられています。
で、何が面白いって単に従来の歴史感を覆すだけじゃなく、裁判の行方がミステリー小説のようでハラハラするし、どうしようもなくくだらないオチに笑ったりと、読んでいてすごく楽しい。
こういう素材って堅苦しい文章か著者だけが熱くなっていて白々しく感じる文章かそういうのに陥りがちですけど、ほんと、必要十分の平易にして簡明な文章なので突っかかるところがなかった。
だいたい5時間ぐらいで読みきりましたけど、全然疲れなかった。
途中途中、要所要所で補足説明を入れてくれるのでそれも凄い助かりました。
いや、ほんと、ためになるし笑えるしで文句なしにおすすめの本です。
ていうか、読んでいて「ほんとに江戸時代の話?」って感じますよ。
恐らく大半の方は江戸時代というのは時代劇のように民百姓は武士に頭を押さえつけられて、抗えば斬り捨てられる、そんな感覚で見ていたと思うのですが、本書を読めばそれが全く違うことに気付かされます。
「もの言わぬ悲惨な民としての百姓像は、実態からはほど遠いと言わざるを得ません。実際の百姓たちは、自らの利益を守るためには積極的に訴訟をおこし、武士に対しても堂々と自己主張をしていたのです。」
で、ある一つの事件を掘り下げてそれを解き明かしていくんですけど、それがすこぶる面白い。
内容はよくあるもので、村の名主、いまで言うところの町長選出をめぐってのトラブル。
二人の人物が立候補するんですけど、片方は現職の不正を追求して糾弾するし、受けて立つ現職も適正がないことを訴えて応戦するという、ほんとに村が二分した戦いが取り上げられています。
で、何が面白いって単に従来の歴史感を覆すだけじゃなく、裁判の行方がミステリー小説のようでハラハラするし、どうしようもなくくだらないオチに笑ったりと、読んでいてすごく楽しい。
こういう素材って堅苦しい文章か著者だけが熱くなっていて白々しく感じる文章かそういうのに陥りがちですけど、ほんと、必要十分の平易にして簡明な文章なので突っかかるところがなかった。
だいたい5時間ぐらいで読みきりましたけど、全然疲れなかった。
途中途中、要所要所で補足説明を入れてくれるのでそれも凄い助かりました。
いや、ほんと、ためになるし笑えるしで文句なしにおすすめの本です。
ていうか、読んでいて「ほんとに江戸時代の話?」って感じますよ。
2013年3月6日に日本でレビュー済み
信濃国松代藩に残された裁判資料から、著者は、江戸時代末期の農民たちの肖像を描く。
現在の長野市に近い南長池村の「名主」選出をめぐり、争いが起きた。その争いは、簡単に言えば、長く地域を差配してきた名望家支配に対して、八反程度の土地持ちでしかないが、紺屋商売から会計的センスや進取の気風に恵まれた「弥惣八」という男が、酒造業を営む起業家や一般の百姓たちを味方につけて「名主(村経営権)」に挑んだというものである。背景には、長く差配してきた名望家の不正や不適切な会計処理がある。万事、穏やかにことを収めたい松代藩は「内済(和解)」に誘導しようとするが「弥惣八」たちはあくまで拒絶する。やむを得ず藩は双方痛み分けの「評定」を出して沈静化を図る。しかしその後も争いは続く。資料から「弥惣八」はやがて「名主」となり近郷村落のまとめ役として活躍したものと思われる。そういう物語である。
原資料が松代藩に残された裁判記録であるため、物語は、訴訟の記録と江戸時代の裁判のシステムの解説とともに進む。読者にとっては、懇切丁寧な解説が、ともすれば入り組んだ物語を平明にしてくれる。「藩士」たちは多くの場合外来者であり、土地に生きてきた農民に遠慮もあれば武士としての面子もある。お歳暮という形であるが「賄」ともとれる金子を受け取ってきた上司同僚への遠慮もある。しかし、百姓たちを納得させることができなければ、施政権、行政権を持つ立場がない。
著者によれば、江戸時代の農民は訴訟を怖れない。積極的に裁判を起こし、本来、秘密とされた「公事方御定書」や様々な「御法度」は書き写されて庶民の手にあったという。また、「判例集」は幕府や諸藩に保管され、「評定」の参考にされていた。
江戸には「公事宿」があり、宿の主人が「代書人(司法書士、行政書士)」のような仕事をしていたことは広く知られているが、この松代藩にも代書人的立場にある農民がいて様々なアドバイスをしていたことが記されている。
古代から日本人に「法」意識が強かったことは、瀧川政次郎の著作や朝河貫一の「入来文書」等一連の著作を読めば分かる。恐らく縄文時代にまで遡る、「ムラ」=「村落共同体」の生活の営みが生み出した明示的・非明示的「掟」が、民法的概念を含む法秩序を作り上げてきたのだろう。
実はこのようにルールに基づく「裁判」「談合」を好む民衆は、血なまぐさい「革命」を嫌う。限界があっても「村」のことは自分たちで差配できる実感があるからである。このような農民にとってアナーキーな状態は耐え難い。ロシアや中国の農民に起きたことが、日本では起こらない理由の一つである。
著者の一連の著作は、一般読者を江戸時代の農村に導いてくれる。藤沢周平の時代小説を読むときとはまた別な感懐を抱かさせてくれる。
現在の長野市に近い南長池村の「名主」選出をめぐり、争いが起きた。その争いは、簡単に言えば、長く地域を差配してきた名望家支配に対して、八反程度の土地持ちでしかないが、紺屋商売から会計的センスや進取の気風に恵まれた「弥惣八」という男が、酒造業を営む起業家や一般の百姓たちを味方につけて「名主(村経営権)」に挑んだというものである。背景には、長く差配してきた名望家の不正や不適切な会計処理がある。万事、穏やかにことを収めたい松代藩は「内済(和解)」に誘導しようとするが「弥惣八」たちはあくまで拒絶する。やむを得ず藩は双方痛み分けの「評定」を出して沈静化を図る。しかしその後も争いは続く。資料から「弥惣八」はやがて「名主」となり近郷村落のまとめ役として活躍したものと思われる。そういう物語である。
原資料が松代藩に残された裁判記録であるため、物語は、訴訟の記録と江戸時代の裁判のシステムの解説とともに進む。読者にとっては、懇切丁寧な解説が、ともすれば入り組んだ物語を平明にしてくれる。「藩士」たちは多くの場合外来者であり、土地に生きてきた農民に遠慮もあれば武士としての面子もある。お歳暮という形であるが「賄」ともとれる金子を受け取ってきた上司同僚への遠慮もある。しかし、百姓たちを納得させることができなければ、施政権、行政権を持つ立場がない。
著者によれば、江戸時代の農民は訴訟を怖れない。積極的に裁判を起こし、本来、秘密とされた「公事方御定書」や様々な「御法度」は書き写されて庶民の手にあったという。また、「判例集」は幕府や諸藩に保管され、「評定」の参考にされていた。
江戸には「公事宿」があり、宿の主人が「代書人(司法書士、行政書士)」のような仕事をしていたことは広く知られているが、この松代藩にも代書人的立場にある農民がいて様々なアドバイスをしていたことが記されている。
古代から日本人に「法」意識が強かったことは、瀧川政次郎の著作や朝河貫一の「入来文書」等一連の著作を読めば分かる。恐らく縄文時代にまで遡る、「ムラ」=「村落共同体」の生活の営みが生み出した明示的・非明示的「掟」が、民法的概念を含む法秩序を作り上げてきたのだろう。
実はこのようにルールに基づく「裁判」「談合」を好む民衆は、血なまぐさい「革命」を嫌う。限界があっても「村」のことは自分たちで差配できる実感があるからである。このような農民にとってアナーキーな状態は耐え難い。ロシアや中国の農民に起きたことが、日本では起こらない理由の一つである。
著者の一連の著作は、一般読者を江戸時代の農村に導いてくれる。藤沢周平の時代小説を読むときとはまた別な感懐を抱かさせてくれる。