全体的には、科学技術視点よりも、政治経済優先で書かれています。
国のエネルギー戦略という点で、大事な視点かと思います。
【ドイツの大衆主義】
もちろん国民の生活や安全を守り、国民の意見をよく聞くことは、大切な事です。
しかし、エネルギー問題は感情論だけでどうにかなる物ではないでしょう。
中長期的な国益を考えると、日露戦争時の様に、
国民を怒らせてでもやらなければいけない事があると言うことです。
ドイツ政府も、日本よりは地の利があるので、何とかやっているという事が解説されます。
【電力の基礎と歴史】
第2章では、各発電方式の出力やコストの比較が紹介され、また最近の揚水発電に
ついても触れられます。化石燃料を輸入に頼る日本において、
原発を使わない事がいかに経済を圧迫するかという事も解説されます。
しかも、化石燃料の消費が増えた分産業か発展するなら良いのですが、
現状維持の為に消費だけ増えるのはいただけません。
風力や太陽光で、送電の方が忙しくなるというのは知らなかったので、
勉強になりました。
【再生可能エネルギーの矛盾】
第3章では、風力や太陽光を育てるための制度で、
一般人や電力会社がどのような負担を強いられているかが解説されます。
しかも、バックアップの為に火力発電所を持っていなければいけないし、
火力の石炭が環境に悪いと、原発持ちとどちらがマシかとなりそうです。
環境に優しい再生可能エネルギーの為に、石炭を使わなければならないとは酷い矛盾ですね。
この本について言えば、ここまで書くなら
「風車やソーラーパネルを作るのにどの程度化石燃料が必要で、
それは火力発電所をどの位動かせば達成できるか」というようなデータも欲しかったです。
それと、日本風力と太陽光で言えば、台風や雨、雪が多いので、
日本でそれらをやると効率が悪いというのも書いた方が良かったように思います。
(うろ覚えで恐縮ですが、強風時は風車は止まったような)
【エネルギーは欲しいが、傍に置いて欲しくない】
厄介物を抱え込みたくないのは分かりますが、
原発の次は送電線の敷設も反発を食らっているようです。
日本の保育園問題もそうですが、問題点があるから止めろというだけで、
問題点に対して解決策を準備する気がないように思えます。
この辺もポピュリズム的と言いますか。
【日本の問題点】
ドイツの制度を真似た日本の問題点が紹介されます。
【放射線の怖さとは】
基本的になポイントが解り易く説明されています。
チェルノブイリでの報告や日本と旧ソ連の差などがありますし、
また放射線に侵された食品危険性等についても紹介されます。
確かに、放射線は危険として、どこの器官にどの程度害があるのかは、
あまり言及されてこなかったように思います。
銀座の放射線はほとんど雑学ですが、データの分析は面白いです。
ただし、やはり楽観側の見解、として見た方がいいとは思います。
【放射性廃棄物の処置】
廃棄物はとんでもない害悪、というのは考え過ぎと解説され、内容も解り易いと思います。
不安要素は少ない方が良いので、日本国内の処理場についても触れて欲しかったと感じました。
廃棄物も、ロシア辺りが引き受けてくれれば楽なんですが、
ロシア人がそうWin-Winの関係等作ってくれるかと言うと…
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ドイツの脱原発がよくわかる本: 日本が見習ってはいけない理由 単行本(ソフトカバー) – 2015/4/16
川口 マーン 惠美
(著)
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まさに悪戦苦闘。
それでも、脱原発へと進むドイツ。
しかし日本には、それをまねてはいけない理由がある。
そもそもドイツはどのように脱原発へと舵を切ったか? その結果、どんな困難に直面しているか?
「日本の脱原発」がそこから学ぶべき教訓は?
ドイツ在住30年の著者が、ドイツの原発と再生可能エネルギー事情を解説、ドイツの脱原発の現状レポートする。
現在、ドイツが脱原発に悪戦苦闘しながら進んでいることは間違いない。
それでもドイツが何とかやっていけているのは、日本よりずっと恵まれた環境にあるからだ。
著者は、ドイツよりもエネルギーに関して厳しい環境にある日本が真似ることに警鐘を鳴らす。
単にドイツをもてはやすのではなく、果敢に脱原発に挑むドイツで何が起こっているのかをよく見て、
良いことも悪いことも学ぶことが重要だ――。
日本の脱原発の議論を、事実に基づいた建設的なものになるよう促す一冊。
それでも、脱原発へと進むドイツ。
しかし日本には、それをまねてはいけない理由がある。
そもそもドイツはどのように脱原発へと舵を切ったか? その結果、どんな困難に直面しているか?
「日本の脱原発」がそこから学ぶべき教訓は?
ドイツ在住30年の著者が、ドイツの原発と再生可能エネルギー事情を解説、ドイツの脱原発の現状レポートする。
現在、ドイツが脱原発に悪戦苦闘しながら進んでいることは間違いない。
それでもドイツが何とかやっていけているのは、日本よりずっと恵まれた環境にあるからだ。
著者は、ドイツよりもエネルギーに関して厳しい環境にある日本が真似ることに警鐘を鳴らす。
単にドイツをもてはやすのではなく、果敢に脱原発に挑むドイツで何が起こっているのかをよく見て、
良いことも悪いことも学ぶことが重要だ――。
日本の脱原発の議論を、事実に基づいた建設的なものになるよう促す一冊。
- 本の長さ224ページ
- 言語日本語
- 出版社草思社
- 発売日2015/4/16
- 寸法18.8 x 12.8 x 2.5 cm
- ISBN-104794221258
- ISBN-13978-4794221254
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商品の説明
著者について
川口マーン惠美
大阪生まれ。日本大学芸術学部卒業。85年、シュトゥットガルト国立音楽大学大学院ピアノ科修了。
シュトゥットガルト在住。著書に『ドイツで、日本と東アジアはどう報じられているか?』(祥伝社)、
『住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち』『住んでみたヨーロッパ 9勝1敗で日本の勝ち』
(いずれも講談社+α新書)、『証言・フルトヴェングラーかカラヤンか』(新潮社選書)、
『ドレスデン逍遥』『ドイツ流、日本流』(いずれも草思社)ほか。
大阪生まれ。日本大学芸術学部卒業。85年、シュトゥットガルト国立音楽大学大学院ピアノ科修了。
シュトゥットガルト在住。著書に『ドイツで、日本と東アジアはどう報じられているか?』(祥伝社)、
『住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち』『住んでみたヨーロッパ 9勝1敗で日本の勝ち』
(いずれも講談社+α新書)、『証言・フルトヴェングラーかカラヤンか』(新潮社選書)、
『ドレスデン逍遥』『ドイツ流、日本流』(いずれも草思社)ほか。
登録情報
- 出版社 : 草思社 (2015/4/16)
- 発売日 : 2015/4/16
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 224ページ
- ISBN-10 : 4794221258
- ISBN-13 : 978-4794221254
- 寸法 : 18.8 x 12.8 x 2.5 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 628,634位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 998位環境・エコロジー (本)
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1.
エコエティカという倫理学の一分野があります。今道友信さんというカトリックの哲学者が立ち上げ追究したものです。「生圏倫理学」と訳されます。技術が連関して成立している私たちの環境・生態系(生圏)における倫理を学問的に考えるものです。エコエティカの中核は「メタ・テクニカ」と「ウルバニカ」があります。「メタ・テクニカ」は、「技術」ということを俯瞰して検討する学問です。「ウルバニカ」は、生圏のなかでも最も密接に人間生活に関わってくる「都市」を検討する学問です。
「原発問題」を考えるとき、それを意識してエコエティカの課題とすることは重要です。つまり、そうしないと、つい「政治課題」としてしまう傾向があるのです。政治課題にすることは、悪いことではありません。ただし、その際は常に「ハイジャック」されることを覚悟すべきです。他の目標(資本主義を維持する、とか、社会主義を展開する、等)との抱き合わせでのみ、「政治課題」は、展開可能なものです。それで、たとえば「原発問題」を議論していたはずなのだけれど、いつのまにかそれが「資本主義の維持」とか「ロシアの脅威に対抗する」とかいう別の政治的課題に飲み込まれて行き、そして、その政治的課題の “解決” に奉仕するために「原発問題」の議論が利用される、という不具合が、実にしばしば起こるのです。それを私は「ハイジャック」と呼んでいます。政治課題として「原発問題」を扱うことには、そうした「ハイジャック」の危険があります。ですから、今回のような読書は、「政治的課題」のために為されるべきではないと思うのです。それで、最初に「エコエティカ」的な課題として、この本を読みます、という事を述べました。
「エコエティカ的な課題」を追究しているプロテスタントの工学博士から最近、「学会でも、技術倫理ということが盛んに語られたが、それは結局、研究論文発表倫理にとどまっている」という厳しい言葉を伺いました。現場にいる私たちは、そんな「とどまっている」暇はない。とてもじゃないが、モタモタとしていられない、と思います。私は今、是非、この本の読書も、「エコエティカ」の枠組みの中での学びの一環としたいと思います。
2.
この本をどう評価するか、の結論を先に申し上げます。この本は、すばらしい。なぜならば、この本は、「何をしてはいけないか」を、読者にはっきり教えてくれる本になっているからです。
この本は、「市民」目線でドイツの脱原発の現実をルポルタージュしている点に、重要な意味があります。この本は、不合理と矛盾の中に嵌まっていく2015年のドイツ社会の実際の状況を切り取っています。その切り取り方が正しいかどうかは、次節「3」で確認しましょう。
この本は、2015年のドイツの状況を基盤として、「脱原発」という政策を検討します。そのために、この本は、とても基本的な事柄を丁寧に確認して行きます。それはとても有益な作業になっていました。特に「電力そのもの」の特徴を腑分けして示し、「ベースロード電源」「ミドル電源」「ピーク電源」の三つがなければ都市は機能しないことを示しています。「技術そのもの」を踏まえて「都市の成立要件」にまで目を拡げている点、この確認作業は、エコエティカ的な課題に向けての学びとして、有益です。
だだし、この有益な作業の中に、この本の不合理があります。
この本は、「脱原発」という政策への批判を語ろうとしています。そのために、「再生可能エネルギー」の弱点と、それを無視・糊塗して進められる政策の欺瞞を指摘しています。しかし、それは「原子力」によっては補填されないことも、この本は、確かに指摘しているのです。にもかかわらず、「再生可能エネルギーの限界性があるのだから、脱原発はダメだ」という印象を与えるように、この本は構成されているのです。これは、この本の大きな問題です。
こうしたトリックを、この本の著者は、ときどき、行うようです。たとえばドイツに本社を持つ世界最大の化学メーカーBASFは、大規模なリストラを行い、ドイツ国外へのシフトを進めています。その結果、その子会社、つまり中小企業は大打撃を受けることになる。その原因は「エネルギーコストの高騰」にあるのですが、それはしかし「ガス代金の高騰」であって、かならずしも「電気代金の高騰」ではない。にもかかわらず「だから脱原発はだめだ」という議論を立てていたりします。ドイツ国内の「ガス代の高騰」は、もちろん、ドイツによるロシア制裁の結果です。それはそれで、重要な問題ですが、別問題です。ここにトリックがあり、冒頭に述べた「ハイジャック」がある。そう思います。
このような問題が起こるのはなぜか。それは、参考文献を見るとよく分かります。明らかに、「ある偏り」が、そこに見られます。私たちが「福島県キリスト教連絡会 放射能問題学習会」でずっと読んできた本が、まったく、無視されています。そして、私たちが批判してきたような議論を立論する本ばかりが、参考文献として挙げられています。それで、こんな変な本になってしまった。
これは、とても大切なことを私たちに教えています。私たちも、私たちが無意識に読まないで済ませている本(たとえば、この本の第7章に挙げられているような議論を立論している本)を無視していると、おそらく、この本と同じような失敗をする。そういう教訓を豊かに与えてくれる、この本は素晴らしい本だと思います。
3.
この本の「答え合わせ」をしてみましょう。それは、著者によって昨年配信されたひとつの動画(「農家反乱 ドイツ問題児は極右より極左政権」杉山大志_キヤノングローバル戦略研究所)に、よく表れています。「答え合わせ」とは、どういうものか、ここで少し確認しておきたいと思います。
量子力学の知見によると、「極所性」と「実在性」のどちらか一方は成立していない、というのが、この世界です。つまり
(1)「すべてのものごとは、
もともと存在するのではなく、すべては生成する。
ただし、すべては一期一会である。」
のか、あるいは
(2)「すべてのものごとは、同時に複数、存在する。
そして、すべては何かの法則のようなもの・御心のような何かで、
既に決定されている。」
のか、どちらかなのだ、ということです。この「ものごと」には「過去の出来事」も「過去の判断」も「過去の意識」も、すべて、含まれます。
現代のファンタジーやSFには「マルチバース」がよく語られます。これは(2)を受け入れて世界を表現してみる試みです。そして、常に、人間の責任は極小化されます(あるいは、すべては無責任に遣り過ごされて行きます)。ファンタジーやSFでは、「続編」を作って、過去の出来事を「なかったこと」にしてしまう、という物語の紡ぎ方が跋扈してしまうわけです。また、現実の世界において(2)であるならば、「だって仕方がなかったんだ」「天命だったのだ」という論理が成立し、まかり通ります。そしてさらに、「そんなことはなかったように、別の人生を、別人のように生きる」という厚顔無恥が跋扈します。それは例えば、1945年の日本で、実際に起こったことでした。
逆に、(1)だとすれば、必ず、人間の責任は極大化します。「過去は、変えられない。それは、誰でもない・自分自身だけが、引き受けるのだ」ということになります。過去の自分の発言を、匿名ではなく自分の名前で、引き受けること。そして、それが間違っていたら、そう気づいたその時に、自分の在り方を変える。回心する。それは「正しいこと」とされる。そういう生き方が要請されます。
私は神学者ですから、組織神学的に考える人間です。その私の目からすると、上記の事柄は、とてもわかる気がします。まず、「この世界」は上記(1)か(2)しかない(だから、単純な「二重予定説」は、いつも、現場で頓挫する)。そして、この世界の「外側」に神様はいる。さらに、その神さまがこの世界の「内側」に来てくださった。この世界をそのように肯定してくださった。ただし、それは「あらしむるもの(ヤハウェ)」として、ご自身を顕現されるという形で、責任看取するという仕方で、この世界を引き受けられた。(それがキリスト教の語る福音そのものである)。だから、倫理は常に(2)ではなく(1)を選ぶべきことを、すべての人に要請する――ということになるかと思います。
そう確認した上で、この本の「答え合わせ」をしてみます。上記のビデオを見る限り、おそらく、この本が憂慮していた問題点・提示していた「ドイツの脱原発」の問題は、なるほど、その通りだったのだと思います。本人が、その答え合わせをしている、ということが、とても大切なことだと思います。しかしその上で、論理的に言って、その問題が「脱原発」に由来するとは、とても、言えない。問題のすり替えが起こっている。そして、問題のすり替えのトリックが大々的に行われる程度に、確かに、「ドイツの脱原発」の政策は、間違っていた・問題だらけだったことを、この本の著者は、昨年、はっきり語ってくれている。その様に、「答え合わせ」ができると思います。
その問題は、どこにあったのか。この本には、その問題の所在が明らかにされていると思います。それは、「性急すぎる脱原発を決めた」(201頁)ことにあった。
あなたは正しすぎてはならない。
知恵がありすぎてはならない。
なぜあなたは自分を滅ぼそうとするのか。
(伝道者の書7章16節)
という知恵のことばは、やはり、至言であったということだと思います。ここに、「ドイツの脱原発」の問題の所在があった。この本は、この問題の所在にこそ、集中すべきだったと惜しまれます。そうすれば、たとえば「核のゴミ」の行き場がない、ということを正しく丁寧に指摘している等、「脱原発しか、どうも、道はないらしい」ということを指摘しつつ、「しかし、それは性急なものにならないように、気を付けないといけない」という、実に建設的な回答を示し得たと思われ、残念に思います。この本の著者の周りにいる人たちが、この本の著者をだきこみ、ハイジャックしている。ここには「ハイジャック」の具体例も、はっきり見える。その意味でも、この本は(痛々しくも)素晴らしい本だと思います。
ここで、神学が伝統的に使ってきた図式で、事柄を整理して終わりたいと思います。伝統的な図式とは「預言者・王・祭司」というモデルを用いたものです。もう少し付言すれば、「預言者」と「王」と「祭司」は別人である。それが一つであるのは、ただ、神と等しい方の終末論的な表われにおいてのみ、確認される。これが、神学の語る所です。
「脱原発」は、預言者の声です。それは正しすぎる声です。聞いても人々は理解せず、悟らない。「脱原発」を語るのは、よろしい。でも、それを人々は、なかなか、理解しない。だからと言って、それを権力をもって押し付けてはいけない。権力を持つ人は、また「脱原発」を語る人とは別に、必要となる。そして、「脱原発」を語れない・語らない人々の側に立って、そのとりなしをする人もまた、必要である。その「違う人々」の出会いの出来事の中で、何かが創発する。「最初から定まった答」があるという世界に、私たちは生きていない。神ですら、そうした世界にご自身を現わされなかった。私たちは「神のようになること」への誘惑にさらされている。戒めなければならない。そして、その自戒が行き届いた先に、はじめて「政治的課題」として、違う人々の出会いと話し合いが、義理と人情とやせ我慢の中で、続けられる。そうして「性急な結論」から私たちは守られる。そうあらねばならない。
そのようなことを学ぶ、読書の時となりました。この本を読むことができて、とても良かったと思います。
エコエティカという倫理学の一分野があります。今道友信さんというカトリックの哲学者が立ち上げ追究したものです。「生圏倫理学」と訳されます。技術が連関して成立している私たちの環境・生態系(生圏)における倫理を学問的に考えるものです。エコエティカの中核は「メタ・テクニカ」と「ウルバニカ」があります。「メタ・テクニカ」は、「技術」ということを俯瞰して検討する学問です。「ウルバニカ」は、生圏のなかでも最も密接に人間生活に関わってくる「都市」を検討する学問です。
「原発問題」を考えるとき、それを意識してエコエティカの課題とすることは重要です。つまり、そうしないと、つい「政治課題」としてしまう傾向があるのです。政治課題にすることは、悪いことではありません。ただし、その際は常に「ハイジャック」されることを覚悟すべきです。他の目標(資本主義を維持する、とか、社会主義を展開する、等)との抱き合わせでのみ、「政治課題」は、展開可能なものです。それで、たとえば「原発問題」を議論していたはずなのだけれど、いつのまにかそれが「資本主義の維持」とか「ロシアの脅威に対抗する」とかいう別の政治的課題に飲み込まれて行き、そして、その政治的課題の “解決” に奉仕するために「原発問題」の議論が利用される、という不具合が、実にしばしば起こるのです。それを私は「ハイジャック」と呼んでいます。政治課題として「原発問題」を扱うことには、そうした「ハイジャック」の危険があります。ですから、今回のような読書は、「政治的課題」のために為されるべきではないと思うのです。それで、最初に「エコエティカ」的な課題として、この本を読みます、という事を述べました。
「エコエティカ的な課題」を追究しているプロテスタントの工学博士から最近、「学会でも、技術倫理ということが盛んに語られたが、それは結局、研究論文発表倫理にとどまっている」という厳しい言葉を伺いました。現場にいる私たちは、そんな「とどまっている」暇はない。とてもじゃないが、モタモタとしていられない、と思います。私は今、是非、この本の読書も、「エコエティカ」の枠組みの中での学びの一環としたいと思います。
2.
この本をどう評価するか、の結論を先に申し上げます。この本は、すばらしい。なぜならば、この本は、「何をしてはいけないか」を、読者にはっきり教えてくれる本になっているからです。
この本は、「市民」目線でドイツの脱原発の現実をルポルタージュしている点に、重要な意味があります。この本は、不合理と矛盾の中に嵌まっていく2015年のドイツ社会の実際の状況を切り取っています。その切り取り方が正しいかどうかは、次節「3」で確認しましょう。
この本は、2015年のドイツの状況を基盤として、「脱原発」という政策を検討します。そのために、この本は、とても基本的な事柄を丁寧に確認して行きます。それはとても有益な作業になっていました。特に「電力そのもの」の特徴を腑分けして示し、「ベースロード電源」「ミドル電源」「ピーク電源」の三つがなければ都市は機能しないことを示しています。「技術そのもの」を踏まえて「都市の成立要件」にまで目を拡げている点、この確認作業は、エコエティカ的な課題に向けての学びとして、有益です。
だだし、この有益な作業の中に、この本の不合理があります。
この本は、「脱原発」という政策への批判を語ろうとしています。そのために、「再生可能エネルギー」の弱点と、それを無視・糊塗して進められる政策の欺瞞を指摘しています。しかし、それは「原子力」によっては補填されないことも、この本は、確かに指摘しているのです。にもかかわらず、「再生可能エネルギーの限界性があるのだから、脱原発はダメだ」という印象を与えるように、この本は構成されているのです。これは、この本の大きな問題です。
こうしたトリックを、この本の著者は、ときどき、行うようです。たとえばドイツに本社を持つ世界最大の化学メーカーBASFは、大規模なリストラを行い、ドイツ国外へのシフトを進めています。その結果、その子会社、つまり中小企業は大打撃を受けることになる。その原因は「エネルギーコストの高騰」にあるのですが、それはしかし「ガス代金の高騰」であって、かならずしも「電気代金の高騰」ではない。にもかかわらず「だから脱原発はだめだ」という議論を立てていたりします。ドイツ国内の「ガス代の高騰」は、もちろん、ドイツによるロシア制裁の結果です。それはそれで、重要な問題ですが、別問題です。ここにトリックがあり、冒頭に述べた「ハイジャック」がある。そう思います。
このような問題が起こるのはなぜか。それは、参考文献を見るとよく分かります。明らかに、「ある偏り」が、そこに見られます。私たちが「福島県キリスト教連絡会 放射能問題学習会」でずっと読んできた本が、まったく、無視されています。そして、私たちが批判してきたような議論を立論する本ばかりが、参考文献として挙げられています。それで、こんな変な本になってしまった。
これは、とても大切なことを私たちに教えています。私たちも、私たちが無意識に読まないで済ませている本(たとえば、この本の第7章に挙げられているような議論を立論している本)を無視していると、おそらく、この本と同じような失敗をする。そういう教訓を豊かに与えてくれる、この本は素晴らしい本だと思います。
3.
この本の「答え合わせ」をしてみましょう。それは、著者によって昨年配信されたひとつの動画(「農家反乱 ドイツ問題児は極右より極左政権」杉山大志_キヤノングローバル戦略研究所)に、よく表れています。「答え合わせ」とは、どういうものか、ここで少し確認しておきたいと思います。
量子力学の知見によると、「極所性」と「実在性」のどちらか一方は成立していない、というのが、この世界です。つまり
(1)「すべてのものごとは、
もともと存在するのではなく、すべては生成する。
ただし、すべては一期一会である。」
のか、あるいは
(2)「すべてのものごとは、同時に複数、存在する。
そして、すべては何かの法則のようなもの・御心のような何かで、
既に決定されている。」
のか、どちらかなのだ、ということです。この「ものごと」には「過去の出来事」も「過去の判断」も「過去の意識」も、すべて、含まれます。
現代のファンタジーやSFには「マルチバース」がよく語られます。これは(2)を受け入れて世界を表現してみる試みです。そして、常に、人間の責任は極小化されます(あるいは、すべては無責任に遣り過ごされて行きます)。ファンタジーやSFでは、「続編」を作って、過去の出来事を「なかったこと」にしてしまう、という物語の紡ぎ方が跋扈してしまうわけです。また、現実の世界において(2)であるならば、「だって仕方がなかったんだ」「天命だったのだ」という論理が成立し、まかり通ります。そしてさらに、「そんなことはなかったように、別の人生を、別人のように生きる」という厚顔無恥が跋扈します。それは例えば、1945年の日本で、実際に起こったことでした。
逆に、(1)だとすれば、必ず、人間の責任は極大化します。「過去は、変えられない。それは、誰でもない・自分自身だけが、引き受けるのだ」ということになります。過去の自分の発言を、匿名ではなく自分の名前で、引き受けること。そして、それが間違っていたら、そう気づいたその時に、自分の在り方を変える。回心する。それは「正しいこと」とされる。そういう生き方が要請されます。
私は神学者ですから、組織神学的に考える人間です。その私の目からすると、上記の事柄は、とてもわかる気がします。まず、「この世界」は上記(1)か(2)しかない(だから、単純な「二重予定説」は、いつも、現場で頓挫する)。そして、この世界の「外側」に神様はいる。さらに、その神さまがこの世界の「内側」に来てくださった。この世界をそのように肯定してくださった。ただし、それは「あらしむるもの(ヤハウェ)」として、ご自身を顕現されるという形で、責任看取するという仕方で、この世界を引き受けられた。(それがキリスト教の語る福音そのものである)。だから、倫理は常に(2)ではなく(1)を選ぶべきことを、すべての人に要請する――ということになるかと思います。
そう確認した上で、この本の「答え合わせ」をしてみます。上記のビデオを見る限り、おそらく、この本が憂慮していた問題点・提示していた「ドイツの脱原発」の問題は、なるほど、その通りだったのだと思います。本人が、その答え合わせをしている、ということが、とても大切なことだと思います。しかしその上で、論理的に言って、その問題が「脱原発」に由来するとは、とても、言えない。問題のすり替えが起こっている。そして、問題のすり替えのトリックが大々的に行われる程度に、確かに、「ドイツの脱原発」の政策は、間違っていた・問題だらけだったことを、この本の著者は、昨年、はっきり語ってくれている。その様に、「答え合わせ」ができると思います。
その問題は、どこにあったのか。この本には、その問題の所在が明らかにされていると思います。それは、「性急すぎる脱原発を決めた」(201頁)ことにあった。
あなたは正しすぎてはならない。
知恵がありすぎてはならない。
なぜあなたは自分を滅ぼそうとするのか。
(伝道者の書7章16節)
という知恵のことばは、やはり、至言であったということだと思います。ここに、「ドイツの脱原発」の問題の所在があった。この本は、この問題の所在にこそ、集中すべきだったと惜しまれます。そうすれば、たとえば「核のゴミ」の行き場がない、ということを正しく丁寧に指摘している等、「脱原発しか、どうも、道はないらしい」ということを指摘しつつ、「しかし、それは性急なものにならないように、気を付けないといけない」という、実に建設的な回答を示し得たと思われ、残念に思います。この本の著者の周りにいる人たちが、この本の著者をだきこみ、ハイジャックしている。ここには「ハイジャック」の具体例も、はっきり見える。その意味でも、この本は(痛々しくも)素晴らしい本だと思います。
ここで、神学が伝統的に使ってきた図式で、事柄を整理して終わりたいと思います。伝統的な図式とは「預言者・王・祭司」というモデルを用いたものです。もう少し付言すれば、「預言者」と「王」と「祭司」は別人である。それが一つであるのは、ただ、神と等しい方の終末論的な表われにおいてのみ、確認される。これが、神学の語る所です。
「脱原発」は、預言者の声です。それは正しすぎる声です。聞いても人々は理解せず、悟らない。「脱原発」を語るのは、よろしい。でも、それを人々は、なかなか、理解しない。だからと言って、それを権力をもって押し付けてはいけない。権力を持つ人は、また「脱原発」を語る人とは別に、必要となる。そして、「脱原発」を語れない・語らない人々の側に立って、そのとりなしをする人もまた、必要である。その「違う人々」の出会いの出来事の中で、何かが創発する。「最初から定まった答」があるという世界に、私たちは生きていない。神ですら、そうした世界にご自身を現わされなかった。私たちは「神のようになること」への誘惑にさらされている。戒めなければならない。そして、その自戒が行き届いた先に、はじめて「政治的課題」として、違う人々の出会いと話し合いが、義理と人情とやせ我慢の中で、続けられる。そうして「性急な結論」から私たちは守られる。そうあらねばならない。
そのようなことを学ぶ、読書の時となりました。この本を読むことができて、とても良かったと思います。
2016年4月27日に日本でレビュー済み
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なんでもいろんな角度から実際に見て語らなければなりませんね。
原発反対でもなく推進でもなく実情から何が現実に大事かを教えてくれる一冊です。
危なっかしいお隣の国の原発や、南シナ海に20基も作ろうとしている原発を止める方が
先ですね。
原発反対でもなく推進でもなく実情から何が現実に大事かを教えてくれる一冊です。
危なっかしいお隣の国の原発や、南シナ海に20基も作ろうとしている原発を止める方が
先ですね。
2015年11月30日に日本でレビュー済み
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最近は何でも「レッテル貼り」が流行っているが、そんなレッテル貼りに惑わされず、
原子力発電を扱った本。
原子力発電の問題は単に賛成反対だけはなく、国や地域の安全保障や地政学的な観点
から俯瞰して考えなければ見誤ることが良く分かる。
賛成反対の双方の方に是非読んで頂きたい。
原子力発電を扱った本。
原子力発電の問題は単に賛成反対だけはなく、国や地域の安全保障や地政学的な観点
から俯瞰して考えなければ見誤ることが良く分かる。
賛成反対の双方の方に是非読んで頂きたい。
2017年7月13日に日本でレビュー済み
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著者は電機・原子力の専門家ではないため、素人(著者を含む)が理解できるレベルに話しを噛み砕いてあり、たいへん分かりやすい。
例えば、ベクレルとシーベルトの説明である。この一般人では混乱するこの概念を「たき火の火の強さを表すのがベクレル。その影響でどれだけ暖まったのがシーベルト。」と表現したのは、良い喩えと思う。
脱原発を性急に行うべきでない、との立場から書かれており、日本とドイツの置かれている立場の違いを解説する。具体的には以下のようなことである。
(1)陸続きの国があり、他国と電力の融通が可能である。(それが不経済・不効率であっても)
(2)ドイツ自体が石炭と褐炭の産出国であり、エネルギーの45%を自給できる。(日本の自給率は6%)
それほど有利な環境にあるドイツであるが、脱原発が順調に進んでいるわけではない。
著者は多面的に解説しているが、印象的だったことを一つだけ記す。
ドイツの自然エネルギーは北部に多い。風量発電が多く設置されているのである。一方、電力の消費地は南部工業地帯である。当然、北部から南部に高圧電線を通して、電気を運ぶべきである。もちろんその計画もある。しかし、これが遅々として進まない。
何故か。高圧電線が通る地域の住民が反対するからである。理由は電磁波による健康被害への恐れ、景観問題、自然保護問題などである。
脱原発と同じ理由・構造で反対運動が起こり計画が進まないとは、なんとも皮肉なことである。
本書は原子力に偏らず、電力問題全体を俯瞰して論じられており、脱原発に賛成の人にも反対の人にも有益な内容と思う。多少難を言えば、日本は原爆に対する恐怖がそのまま原発へのアレルギーに転化しており、冷静な論議の妨げとなっている思う。本書にはその観点はない。
例えば、ベクレルとシーベルトの説明である。この一般人では混乱するこの概念を「たき火の火の強さを表すのがベクレル。その影響でどれだけ暖まったのがシーベルト。」と表現したのは、良い喩えと思う。
脱原発を性急に行うべきでない、との立場から書かれており、日本とドイツの置かれている立場の違いを解説する。具体的には以下のようなことである。
(1)陸続きの国があり、他国と電力の融通が可能である。(それが不経済・不効率であっても)
(2)ドイツ自体が石炭と褐炭の産出国であり、エネルギーの45%を自給できる。(日本の自給率は6%)
それほど有利な環境にあるドイツであるが、脱原発が順調に進んでいるわけではない。
著者は多面的に解説しているが、印象的だったことを一つだけ記す。
ドイツの自然エネルギーは北部に多い。風量発電が多く設置されているのである。一方、電力の消費地は南部工業地帯である。当然、北部から南部に高圧電線を通して、電気を運ぶべきである。もちろんその計画もある。しかし、これが遅々として進まない。
何故か。高圧電線が通る地域の住民が反対するからである。理由は電磁波による健康被害への恐れ、景観問題、自然保護問題などである。
脱原発と同じ理由・構造で反対運動が起こり計画が進まないとは、なんとも皮肉なことである。
本書は原子力に偏らず、電力問題全体を俯瞰して論じられており、脱原発に賛成の人にも反対の人にも有益な内容と思う。多少難を言えば、日本は原爆に対する恐怖がそのまま原発へのアレルギーに転化しており、冷静な論議の妨げとなっている思う。本書にはその観点はない。
2016年9月11日に日本でレビュー済み
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脱原発のお手本のドイツでさえこのようなありさま。原発停止の日本では、効率の悪い老朽火力発電所が不足分を補っていて、再生可能エネルギーなぞ無きに等しことがよくわかった。
2015年11月4日に日本でレビュー済み
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ドイツの脱原発の危うさが良く判りました、日本はよくよく時代の流れに沿ったエネルギー政策が望まれます事が良く判りました。
原発反対できない理由が良く判りました、有難うございました」。
原発反対できない理由が良く判りました、有難うございました」。