著者曰く。
*******
ローティーが欧米の社会に対して遂行しようとしたことの一部を、多分その影響がなかなか及ばないであろう日本の社会において、日本の社会に受け入れられやすい形にして遂行しようとしているのが本書である、と考えていただけないでしょうか(P201)
*******
著者自身も自覚している通り、本書の主張は「プラトン→カント→文化左翼」の伝統に対するローティの批判に準じたもので、それ自体はオリジナルなものではありません。
著者の主張は、ようするにこういう話です。
プラトンに端を発する観念的理想主義は、ファシズム独裁・共産主義独裁に直結する。そこでは人間性は徹底的に軽視される。
人間尊重の開かれた社会は、ひとりひとりが「長ずるところ、信ずるところ」を勝手気ままに、試行錯誤的にやった結果として生まれる社会の変化を尊重する。
こういう「自由」を擁護するためには「プラトン→カント」の流れにある正統的西洋哲学の「観念的理想主義」を「無視」する必要があるし、論理的に言っても我々にはそれを無視する権利があるんだ・・・
著者のオリジナリティは、ローティが自らの主張を「西洋哲学史の文脈の中に位置づける」ために展開した膨大な論理を「日本人には無用のもの」とバッサリ省略して、普通の高校生にもわかる平易な言葉で記しているところにあります。
ところで、なぜ日本人に対しては、ローティが展開した膨大な論理は不要なのか。それは、現代の肯定主義的大衆社会のモラルであるところの「パブリックには積極的理想を放棄して、自他の非合理性を容認し、寛容に適当にふるまいつつ、プライベートでは通すべき筋にこだわっていく」というダブルスタンダード的態度を、すでに日本人は自らの歴史を通して、自分のものにしているからにほかありません。
著者は、本書の締めくくりでこう主張します。
*******
「アメリカ的グローバリズム」に対抗して、「アマイ!」と言われても、「タルイ!」と言われても「日本的グローバリズム」を打ち立てるのです。もっとも、地球人にはこの路線以外に道はないはずですから、遅かれ早かれ、世界はそこへと向かうのですが、私たちとしては、その方向に「《和》と《二重基準》の日本」という烙印を焼き付けて、その流れを促進する役目を担うべきではないか、と考えているのです。
*******
つまるところ、「あいまいな日本のわたし」こそが「地球人の未来」である・・・
なんとも壮大な話です。
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〈現代の全体〉をとらえる一番大きくて簡単な枠組: 体は自覚なき肯定主義の時代に突入した 単行本 – 2005/1/31
須原 一秀
(著)
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現代大衆社会の「正体」を明快に分析し、
暗さと閉塞感を突破する最もシンプルな思想を提示
本書の目的/まず「現代」というものの正体を単純にあからさまに提示する。その上で、具体的に実行可能な提言をし、現代の状況全体に対して漠然と「暗さ」と「閉塞感」を感じている人々に脱出口を提供する。それが本書の目的である。
本書の内容/「現代の全体」をおさえるためには、「現代大衆社会」の全体的性格をおさえなければならない。そのためには、その「大衆社会」を作り出したものを知る必要がある。それは紛れもなく「科学技術」と「民主主義」と「資本主義」であり、それらの背景にある「科学主義」、「自由主義」、「個人主義」、「人権主義」である。しかし一番重要なことは、それらのもう一段奥にある「ものの見方・感じ方・考え方」をおさえることである。ところが解りやすいことに、「科学・民主制・市場経済・大衆社会」は、ある一つの「単純な古代思想」と関連している。その関連を理解するための思考枠組を本書では提供する。
本書の結論/現時点で「普遍的真理」も「普遍的正義」も政治的・学問的・哲学的に成立していないという現実を踏まえた上で、若干挑発的・反常識的な主張を経由し、「暫定的原則」、「無原則の友好」、「無条件の寛容」、「二重基準の標準化」が結論される。
暗さと閉塞感を突破する最もシンプルな思想を提示
本書の目的/まず「現代」というものの正体を単純にあからさまに提示する。その上で、具体的に実行可能な提言をし、現代の状況全体に対して漠然と「暗さ」と「閉塞感」を感じている人々に脱出口を提供する。それが本書の目的である。
本書の内容/「現代の全体」をおさえるためには、「現代大衆社会」の全体的性格をおさえなければならない。そのためには、その「大衆社会」を作り出したものを知る必要がある。それは紛れもなく「科学技術」と「民主主義」と「資本主義」であり、それらの背景にある「科学主義」、「自由主義」、「個人主義」、「人権主義」である。しかし一番重要なことは、それらのもう一段奥にある「ものの見方・感じ方・考え方」をおさえることである。ところが解りやすいことに、「科学・民主制・市場経済・大衆社会」は、ある一つの「単純な古代思想」と関連している。その関連を理解するための思考枠組を本書では提供する。
本書の結論/現時点で「普遍的真理」も「普遍的正義」も政治的・学問的・哲学的に成立していないという現実を踏まえた上で、若干挑発的・反常識的な主張を経由し、「暫定的原則」、「無原則の友好」、「無条件の寛容」、「二重基準の標準化」が結論される。
- 本の長さ222ページ
- 言語日本語
- 出版社新評論
- 発売日2005/1/31
- ISBN-104794806523
- ISBN-13978-4794806529
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登録情報
- 出版社 : 新評論 (2005/1/31)
- 発売日 : 2005/1/31
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 222ページ
- ISBN-10 : 4794806523
- ISBN-13 : 978-4794806529
- Amazon 売れ筋ランキング: - 463,931位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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上位レビュー、対象国: 日本
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2017年3月1日に日本でレビュー済み
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2013年5月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
現代の大衆社会と古代のギリシャは、肯定主義を容認している点でよく似ているのだそうです。
大昔から、人間がつくる社会はこんなものだと思えば、少し気が楽になる。
世間の猥雑さに腹が立つマジメな人におすすめします。
大昔から、人間がつくる社会はこんなものだと思えば、少し気が楽になる。
世間の猥雑さに腹が立つマジメな人におすすめします。
2014年3月25日に日本でレビュー済み
タイトルのまんま、私の好きな大言壮語系な野心作。
ときどき言葉の使い方に違和感を覚えます。
たとえば思想の枠組には五×二通りがあると言い、それは以下のような図式で示されます。
(1) 個人主義 - 全体主義
(2) 科学主義 - 神秘主義
(3) 結果主義 - 心情主義
(4) 真実主義 - ソフトウェア主義
(5) 肯定主義 - 否定主義
この図式から感じる違和感は、概念の抽象レベルが揃っていないということです。「全体を捉える枠組」を提案したいなら、もっと抽象レベルを上げないければうまく全体をカバーできないのではないか。「ソフトウェア主義」なんてイメージが具体的すぎると思います。
「抽象度の高い概念を貫徹する」か「大事なところを具体的に強調する」のどちらかにしてくれた方が腑に落ちます。
そんなわけで私なりに勝手に改変した図式は以下。
(1) 個人主義 - 全体主義
(2) 合理主義 - 非合理主義
(3) 現実主義 - 理想主義
(4) 絶対主義 - 相対主義
(5) 素直で元気主義 - つべこべ条件主義
(5)が違和感を覚える言葉(笑)になりましたが、肯定主義と否定主義こそ本書のキモとなる独特な概念であり、そのわりに名称が抽象的で分かりにくいため目立たせてみました。このような改変により取りこぼされる意図は間違いなくありますが、自分としてはこちらが使いやすいかな。
思想に対して答えを出したという本書の「答え」を、更に簡単に要約すると、大体以下のような主張です。
現代は上っ面ではゴチャゴチャ否定的なことも言われるが、根っこは大衆の欲望を肯定する方向に驀進している時代。そんな時代にうまく乗るために、「他人の多様性を容認しながら自分を強くもちましょう」
肯定主義への収斂により結論が示されているわけです。
ゴチャゴチャ難癖をつけてしまいましたが、私は本書のような大風呂敷が大好きです。
ときどき言葉の使い方に違和感を覚えます。
たとえば思想の枠組には五×二通りがあると言い、それは以下のような図式で示されます。
(1) 個人主義 - 全体主義
(2) 科学主義 - 神秘主義
(3) 結果主義 - 心情主義
(4) 真実主義 - ソフトウェア主義
(5) 肯定主義 - 否定主義
この図式から感じる違和感は、概念の抽象レベルが揃っていないということです。「全体を捉える枠組」を提案したいなら、もっと抽象レベルを上げないければうまく全体をカバーできないのではないか。「ソフトウェア主義」なんてイメージが具体的すぎると思います。
「抽象度の高い概念を貫徹する」か「大事なところを具体的に強調する」のどちらかにしてくれた方が腑に落ちます。
そんなわけで私なりに勝手に改変した図式は以下。
(1) 個人主義 - 全体主義
(2) 合理主義 - 非合理主義
(3) 現実主義 - 理想主義
(4) 絶対主義 - 相対主義
(5) 素直で元気主義 - つべこべ条件主義
(5)が違和感を覚える言葉(笑)になりましたが、肯定主義と否定主義こそ本書のキモとなる独特な概念であり、そのわりに名称が抽象的で分かりにくいため目立たせてみました。このような改変により取りこぼされる意図は間違いなくありますが、自分としてはこちらが使いやすいかな。
思想に対して答えを出したという本書の「答え」を、更に簡単に要約すると、大体以下のような主張です。
現代は上っ面ではゴチャゴチャ否定的なことも言われるが、根っこは大衆の欲望を肯定する方向に驀進している時代。そんな時代にうまく乗るために、「他人の多様性を容認しながら自分を強くもちましょう」
肯定主義への収斂により結論が示されているわけです。
ゴチャゴチャ難癖をつけてしまいましたが、私は本書のような大風呂敷が大好きです。
2009年3月3日に日本でレビュー済み
私たちはこれからいったいどこへ向かえばいいのでしょう? 人々は単純明快な永遠の解答を探し求めていますが著者はそんなものはどこにもないと言うのです(これは正しいです)。そして様々な価値観の並列の中で居心地悪く生きていけと言うのです。ただ生物学的に言えば、人間は右か左かといった単純明快な思考パターンでサバンナを生き延び、今日までを生き延びてきました。著者の指し示す”ちょっと居心地の悪い、葛藤の続く世界”を踏みにじり蹂躙するのが人間の本能であることも、覚悟のできたこの著者ならよく分かっていたはずなのですが・・・
2005年4月30日に日本でレビュー済み
とてもいい本だし、破壊力もある。しかも、それこそちょっと気の利いた高校生ならラクに読みこなせる、易しい言葉と、スッキリした論理で書かれている。
著者の主張はp175に、これ以上ないほど簡潔明瞭に述べられている。要するに「普遍的な正義と真理の実現という積極的理想は放棄しよう。民主主義制度の枠組みの中で、人類の共存・共栄に向けて地道な努力を続けよう」ということ。
著者自身も自覚しているように、主張そのものは別に目新しいものではない。しかし、これも著者がp166で述べるように、これを「『哲学の不成立』という事情と『肯定主義』という現実の潮流にしっかり関連づけ」て論じている点が、本書の魅力。しかも韜晦とは一切無縁な、議論そのものに淫することのない、まっすぐな言葉で綴られている。それがどんなに貴重なことか! まともに受け止めれば、現在の思想界に棲息する大半が、自ら恥じて筆を折ることになるはずだ。
でも、そうならないんだろうなァ。みんな密かに読んで、読んだことには口を噤み、読まなかったことにして、でもこっそり自分の立ち位置をずらしながら言論界を処世していくんだろうな。アイツも、アイツも、アイツも…(それとも逆ギレして、本書のシンプルさをナイーブさと曲解して叩くか? あるいは狡猾にも、声高に本書を推薦したりして、自らのアリバイとするか?)
また他方で、すでに著者の主張を体現する形で、尊敬すべき仕事をし続けているアノ人、アノ人、アノ人の名前も脳裡に浮かぶ。
読むべき本です。
著者の主張はp175に、これ以上ないほど簡潔明瞭に述べられている。要するに「普遍的な正義と真理の実現という積極的理想は放棄しよう。民主主義制度の枠組みの中で、人類の共存・共栄に向けて地道な努力を続けよう」ということ。
著者自身も自覚しているように、主張そのものは別に目新しいものではない。しかし、これも著者がp166で述べるように、これを「『哲学の不成立』という事情と『肯定主義』という現実の潮流にしっかり関連づけ」て論じている点が、本書の魅力。しかも韜晦とは一切無縁な、議論そのものに淫することのない、まっすぐな言葉で綴られている。それがどんなに貴重なことか! まともに受け止めれば、現在の思想界に棲息する大半が、自ら恥じて筆を折ることになるはずだ。
でも、そうならないんだろうなァ。みんな密かに読んで、読んだことには口を噤み、読まなかったことにして、でもこっそり自分の立ち位置をずらしながら言論界を処世していくんだろうな。アイツも、アイツも、アイツも…(それとも逆ギレして、本書のシンプルさをナイーブさと曲解して叩くか? あるいは狡猾にも、声高に本書を推薦したりして、自らのアリバイとするか?)
また他方で、すでに著者の主張を体現する形で、尊敬すべき仕事をし続けているアノ人、アノ人、アノ人の名前も脳裡に浮かぶ。
読むべき本です。
2005年4月9日に日本でレビュー済み
誰もが薄々感づいていながらやりすごしていた身も蓋もない事実・「哲学は学問にはならない」を確信犯的な単純さにおいて明らかにした書物。もちろん、これまでにも哲学を内部から批判し、哲学の解消や脱構築を目指した書物はあった。しかし、それらは結局学問としての哲学の延命装置としてしか機能しなかった。本書の確信犯的な「身も蓋もなさ」は、それら中途半端な哲学批判さえも痛打する。後半はもう背中しか見えませんでしたが、約三千年を一気に走りきるその脚力に茫然。