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ネオリベ現代生活批判序説 単行本 – 2005/10/1
- 本の長さ262ページ
- 言語日本語
- 出版社新評論
- 発売日2005/10/1
- ISBN-104794806787
- ISBN-13978-4794806789
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登録情報
- 出版社 : 新評論 (2005/10/1)
- 発売日 : 2005/10/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 262ページ
- ISBN-10 : 4794806787
- ISBN-13 : 978-4794806789
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,121,554位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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著者について
1956年生まれ。東京都品川区出身。東京大学仏文科卒。早稲田大学文学研究科フランス文学専攻満期退学。2000年、パリ第7大学テクスト・資料学科、 言語・文学・文明系大学院より文学博士号(ドクトル・エス・レットル)取得。指導教授はジュリア・クリステヴァ。専門はフランス文学、特にユイスマンスを中心としたフランス19世紀末文学・美学。現代思想。現在、早稲田大学、駒澤大学、昭和女子大学非常勤講師。指揮者大野和士は実弟にあたる。
2006年、埼玉大学紛争を契機に白石嘉治と『ネオリベ現代生活批判序説』共編著(新評論)を出版。日本の中では比較的早い時期に新自由主義(ネオリベ)批判を展開した著として注目を集める。
2010年、パリ第7大学に提出した博士論文をもとに、一般向けに書き改めた主著『ユイスマンスとオカルティズム』(新評論)を執筆。「ユイスマンスを介して最も現代的な課題に肉薄する勇気ある一冊」(鹿島茂)と評される。
2018年、『オカルティズムー非理性のヨーロッパ』は、発売直後から話題を集め、「神なき時代をも貫く歴史的考察」(柄谷行人・朝日新聞読書欄)と高く評価されている。
翻訳の分野ではフランソワ・グザヴィエ・ヴェルシャヴ『フランサフリックーアフリカを食い物にするフランス』(緑風出版、高橋武智との共訳)は、アフリカ学、社会学の基本図書として、様々な著書・論文・教科書等に引用され「フランサフリック」という語はフランスの植民地主義を語る必須の用語として定着している。
2000年代、フランスから帰国後の日本の変化に驚きサブカル誌『TH(トーキングヘッズ)叢書』の定期的寄稿者となり一連のサブカル論を執筆。また奥本大三郎著『完訳ファーブル昆虫記』(集英社)にはフランス語校閲者として参加している。
著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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私はマーケットプレイスで古本購入しましたが、「なんの說明もないから、増補版が届くであろう」と高をくくっていたところ、うっかり2005年版が届いてしまい、結局あとから増補版を本屋で買うことになりました。新品で買う分には増補版が来るものと思いますが、古本で購入を考えている方はご注意ください。
「経営」という名の下に行われるさまざまな改革には、大学を良くするどころか文化までも破壊してしまう危険がある。本書はこのような抽象的なテーマを扱うわけだから、多少難しくとも我慢しよう。
本書の場合はボストモダンなどの現代思想に慣れた人たちが読むとおもしろいと感じるでしょう。
インタビュー形式でまとめられているため軽い内容に思われがちですが、いまどきの文系大学生には無理です。大学院でも社会学に興味ある人でないと、結構難しいと思います。
ただ、思想に慣れている方、読む価値は非常に高いですよ。もちろん、思想に慣れている方はこのネオリベ批判思想にも批判する場合もあるので一概にはいえませんけど。
しかし、そもそもポストモダンから先のイメージというものは、思想の解体とか言われ、個性が主張を競って勝ってにあっちこっちで繰り広げられ、その中で錯綜とした個性戯れる自由な風景がイメージされていましたが、本書からはそれこそが幻想で、ネオリベに絡めとられる思想ではないかということが想起されてます。つまり、個性的ポストモダンの自己主張の強い建築物である東京都庁舎の足元には、お決まりの浮浪者が寝泊りする風景が展開するということを考えてみれば、社会風景としては全然ポストモダンのイメージにはならないわけです。もちろん建築物はポストモダンですが、社会を総合的に見ればネオ階級社会が現出していて、自由でなんとなく心地よい自己主張のできるポストモダン社会はどこかいってしまって、ポストモダン建築物は貴族の建物みたいになっているわけです。
これがおかしいということに直感的に気がつかないというのは、社会の不幸です。
結局精神的にもネオリベ思想は人々の間に、「自由な市場競争」「自己責任」という形で蔓延してしまって、自らも「なんでこんなに忙しいのだろう」という具合で、気づいていないわけなんです。つまり、心までネオリベに操作されているという意味では、どうもネオリベというもの、すなわち新自由主義というものは一種の宗教のような、麻酔のような作用を社会にもたらしているのだろうと思われます。
それも、良かれと思い、悪いことになっていることが知られない、良かれと思い、差別や迫害をする。でも迫害していると思ってもいない、麻痺しているから気づかない・・・無慈悲な宗教(思い込み)に麻痺されているわけです。
まあ、ともかくも、アルゼンチンとか、チリの二の舞だけは勘弁してほしいなという感想です。
こざかしい論理で展開されているが、本当の弱者の立場を視野に入れていません。著者達もやっぱり余裕のある人々です。
ですが、今の大学では、この程度の批判精神も育まれていませんので、入門書としては良いかもしれません。