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妻を帽子とまちがえた男 (サックス・コレクション) 単行本 – 1992/1/30
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- 本の長さ408ページ
- 言語日本語
- 出版社晶文社
- 発売日1992/1/30
- ISBN-104794925220
- ISBN-13978-4794925220
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登録情報
- 出版社 : 晶文社 (1992/1/30)
- 発売日 : 1992/1/30
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 408ページ
- ISBN-10 : 4794925220
- ISBN-13 : 978-4794925220
- Amazon 売れ筋ランキング: - 454,736位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 639位医学
- - 23,112位医学・薬学・看護学・歯科学
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2024年6月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
大昔に読んで大変興味深かったことを覚えています。自分の子供に、脳科学・認知・はたまたAI的な視点を持ってもらいたく、買いました。中身について評価できず、申し訳ございません。
2023年5月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
色々と考えさせられました
2021年2月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
何年も前に読んだ本なのですが、なんとなく読み返してみたら新しい発見の洪水でした。この本に★5をつけなくて何に★5をつけるんだというくらい面白いです。しかしこの本の目的はただ面白い症例を提示することではなくて、どのような神経疾患、どのような知的障害をもつ人であっても、調和のとれた魂をもっていること、そしてそれぞれの患者が常人には想像もつかない独特の世界認識をしているということを世に示すことです。スキマチックな検査では決して見つからない、患者の豊かで崇高なアイデンティティーの発見に生涯を捧げたサックス博士は魂の神経科医と呼べるのではないでしょうか。以下に印象に残った症例をいくつか紹介します。
妻を帽子と間違えた男
物体や顔貌を認識できなくなった男性の話。古典的神経学の常識(すべての脳損傷は抽象的把握能力を損ない、具体的なものの認識能力を残す)を覆す、具体的なものの認識能力を失い、抽象的把握能力を残した症例。バラを見て「約三センチありますね。ぐるぐると丸く巻いている赤いもので、緑の線状のものがついている」という描写はできるが、それがバラだとはわからない。手袋を見て、「表面はきれめなく一様につづいていて、全体がすっぽりと袋のようになっている」という描写はできるが、それが手袋だとはわからない。全てがこんな調子なので、食事、着替え、入浴などの日常動作もままならない。しかし不思議なことに、歌を歌いながらこうした動作を行うと極めてスムーズにいき、統一感を取り戻す。
ただよう船乗り
1945年で記憶が止まってしまった男性(ジミー)の話。(診察時は1975年なのに)1945年の世界に住んでいると思っており、1945年に起きたことを現在形で話す。新しい記憶は数秒間しか持続せず、見た端から見たものを、また見たという事実自体を忘れてしまう。人生をどんなふうに感じるかという質問に「なにも感じないなあ。」と無頓着に言うジミーを見て、サックス先生は「たえず変動してなんの意味もない瞬間瞬間にはりついているだけの存在」、「失われた魂」と評した。しかし彼が礼拝堂で祈る様子を見て考えを改める。「祈る」という一つの行為に全霊をかたむける彼の中に、連続性とリアリティを取り戻した有機的存在を見た。ジミーはまた、庭いじりをしているときにも同様の安定を示した。器質的障害がどんなにひどくても、芸術や祈り、自然とのふれあいによって人間らしさは回復されることを示した一例である。
からだのないクリスチーナ
急性多発性神経炎により、固有感覚を完全に失ってしまった女性(クリスチーナ)。体の各部がどこにあるのか目で見ていないとベッドに起き上がることも、話すこともできない。患者自身が「固有感覚というのは、からだのなかの目みたいなもので、それがなくなってしまうのは、からだが盲目になってしまったようなものなんですね。だから私の場合は、からだのなかの目のかわりに、顔についている目で見なくてはならないのですね。」と自分の病態を的確に分析するのが印象的。クリスチーナは固有感覚をなくした代わりに、視覚や聴覚によるフィードバック、脳の中に視覚的に描かれる身体イメージの補強などを駆使して、驚異的な適応を遂げていく。
大統領の演説
真面目な話をしているはずの大統領の演説を聞いて、失語症患者たちが大笑いしていたというエピソードをきっかけに書かれた話。知能は高いが、感覚失語または全失語で言葉を理解できなくなっている患者の多くは、失語症にもかかわらず、はなしかけられる内容をほとんど理解している。それは失語症患者たちが、単語を理解できなくても、「フィーリング・トーン」と呼ばれる声の表情を理解する能力に極めて長けているからである。だから失語症患者には嘘をついてもすぐに見やぶられてしまう。失語症患者たちが大統領の演説を聞いて笑っていたのはこのためである。
追想
脳卒中によりアイルランドでの子供時代に聞いた音楽やそのときの感情が極めて鮮明に呼び戻されるようになった女性の話。ペンフィールドによると、脳はその人の生涯の記憶を完全に保持しており、特定の条件下でそれが喚起されることがあるが、どの記憶が呼び戻されるかは完全にランダムに決まるという。しかし著者の考えでは、この女性の場合、両親を幼くして亡くし、幼少期の記憶がほとんどないことを悲しく思っていた事実と関係があるのではないかという。血栓の消失とともにこの発作も消失するが、この女性はこの発作が「一生のうちで一番健康で幸せな経験」だったと言う。
皮をかぶった犬
突然犬のように嗅覚が鋭くなった男性の話。嗅覚によって人々の恐怖や満足の度合い、性的な状態までをも嗅ぎ分けることができ、道や店を匂いで識別してニューヨークの街を迷わず歩くことができたという。その世界はきわめて具体的で、ひとつひとつがおそろしく直接的で、すべてを生で感じる一方、考えたり抽象化したり分類したりすることはなんとなく難しく真実味がないように思われたという。3週間後に元に戻って安堵するが、「失ったものも大きかったような気がしました。文明化の代償として、われわれ人間が何を失ってきたのか、よくわかりました」と語る。
詩人レベッカ
平凡な知的障害の女の子の話。日常生活では簡単な説明さえ理解できないのに、深遠な意味をもつ詩の中の比喩や象徴は容易に理解する。春の日に外を散歩しているときには旧約聖書の『伝道の書』の著者さながらの詩的表現をつぶやき、大好きなおばあちゃんが亡くなったときには「とても寒い。外が寒いからじゃない、家のなかが冬なの。死のように冷たい。おばあさんは私の一部だった。私の中のどこかが、おばあさんといっしょに死んでしまったの」と言って嘆いた。物語や演劇をこよなく愛し、劇で役を演じる時にはせりふもよどみなく、落ち着きもあり、極めて統一のとれた人間性を示す。
双子の兄弟
IQ60の双子の話。簡単な足し算さえできないのに、何万年前の日付でも瞬時に曜日を当てることができる。また4歳時以降のどの日付を言われても、その日の天気とその日に起こった出来事を新聞でも読むかのように正確かつ詳細に言える。あるときは、机からマッチ箱が落ちたのを見て、瞬時にマッチ棒の数を「111」と言い当て、続けて「37, 37, 37」とつぶやいた(111は37×3)。またあるときは、部屋の片隅で互いに6桁の素数を言い合い、ワインでも嗜むかのような悦に入った表情をしていた。サックス先生はこれらの観察を通して、彼らは単なる「人間計算機」ではなく、数を通して宇宙を見ているのであり、「天使とおなじ直覚的認識力をもっているかのようだ」と評する。
これを裏付ける話として、イアン・スチュアートが『現代数学の概念』で説いたモジュラー・アリスメチック(非常に大きな素数から生じるパターンを利用する高等算術)を用いると、ふつうの四則計算では歯が立たない場合でもすばやく答えが出てくることがあるという。曜日の計算は7という素数に関係し、マッチ棒の数は37という素数の3倍であることを考えると、この双子はこうした高等算術を直感的に把握していたのかもしれない。
こういう話を読むと、知的障害、発達障害、精神障害などのある人たちはいずれも多数派の決めたスタンダードに追いつくことができないだけで、もし彼らのうちの誰かと同様の精神機能を持つ人が多数派の世界であれば、我々(知的障害も発達障害も精神障害などがない人たち)は完全に落ちこぼれていただろう、と思わざるを得ません。
妻を帽子と間違えた男
物体や顔貌を認識できなくなった男性の話。古典的神経学の常識(すべての脳損傷は抽象的把握能力を損ない、具体的なものの認識能力を残す)を覆す、具体的なものの認識能力を失い、抽象的把握能力を残した症例。バラを見て「約三センチありますね。ぐるぐると丸く巻いている赤いもので、緑の線状のものがついている」という描写はできるが、それがバラだとはわからない。手袋を見て、「表面はきれめなく一様につづいていて、全体がすっぽりと袋のようになっている」という描写はできるが、それが手袋だとはわからない。全てがこんな調子なので、食事、着替え、入浴などの日常動作もままならない。しかし不思議なことに、歌を歌いながらこうした動作を行うと極めてスムーズにいき、統一感を取り戻す。
ただよう船乗り
1945年で記憶が止まってしまった男性(ジミー)の話。(診察時は1975年なのに)1945年の世界に住んでいると思っており、1945年に起きたことを現在形で話す。新しい記憶は数秒間しか持続せず、見た端から見たものを、また見たという事実自体を忘れてしまう。人生をどんなふうに感じるかという質問に「なにも感じないなあ。」と無頓着に言うジミーを見て、サックス先生は「たえず変動してなんの意味もない瞬間瞬間にはりついているだけの存在」、「失われた魂」と評した。しかし彼が礼拝堂で祈る様子を見て考えを改める。「祈る」という一つの行為に全霊をかたむける彼の中に、連続性とリアリティを取り戻した有機的存在を見た。ジミーはまた、庭いじりをしているときにも同様の安定を示した。器質的障害がどんなにひどくても、芸術や祈り、自然とのふれあいによって人間らしさは回復されることを示した一例である。
からだのないクリスチーナ
急性多発性神経炎により、固有感覚を完全に失ってしまった女性(クリスチーナ)。体の各部がどこにあるのか目で見ていないとベッドに起き上がることも、話すこともできない。患者自身が「固有感覚というのは、からだのなかの目みたいなもので、それがなくなってしまうのは、からだが盲目になってしまったようなものなんですね。だから私の場合は、からだのなかの目のかわりに、顔についている目で見なくてはならないのですね。」と自分の病態を的確に分析するのが印象的。クリスチーナは固有感覚をなくした代わりに、視覚や聴覚によるフィードバック、脳の中に視覚的に描かれる身体イメージの補強などを駆使して、驚異的な適応を遂げていく。
大統領の演説
真面目な話をしているはずの大統領の演説を聞いて、失語症患者たちが大笑いしていたというエピソードをきっかけに書かれた話。知能は高いが、感覚失語または全失語で言葉を理解できなくなっている患者の多くは、失語症にもかかわらず、はなしかけられる内容をほとんど理解している。それは失語症患者たちが、単語を理解できなくても、「フィーリング・トーン」と呼ばれる声の表情を理解する能力に極めて長けているからである。だから失語症患者には嘘をついてもすぐに見やぶられてしまう。失語症患者たちが大統領の演説を聞いて笑っていたのはこのためである。
追想
脳卒中によりアイルランドでの子供時代に聞いた音楽やそのときの感情が極めて鮮明に呼び戻されるようになった女性の話。ペンフィールドによると、脳はその人の生涯の記憶を完全に保持しており、特定の条件下でそれが喚起されることがあるが、どの記憶が呼び戻されるかは完全にランダムに決まるという。しかし著者の考えでは、この女性の場合、両親を幼くして亡くし、幼少期の記憶がほとんどないことを悲しく思っていた事実と関係があるのではないかという。血栓の消失とともにこの発作も消失するが、この女性はこの発作が「一生のうちで一番健康で幸せな経験」だったと言う。
皮をかぶった犬
突然犬のように嗅覚が鋭くなった男性の話。嗅覚によって人々の恐怖や満足の度合い、性的な状態までをも嗅ぎ分けることができ、道や店を匂いで識別してニューヨークの街を迷わず歩くことができたという。その世界はきわめて具体的で、ひとつひとつがおそろしく直接的で、すべてを生で感じる一方、考えたり抽象化したり分類したりすることはなんとなく難しく真実味がないように思われたという。3週間後に元に戻って安堵するが、「失ったものも大きかったような気がしました。文明化の代償として、われわれ人間が何を失ってきたのか、よくわかりました」と語る。
詩人レベッカ
平凡な知的障害の女の子の話。日常生活では簡単な説明さえ理解できないのに、深遠な意味をもつ詩の中の比喩や象徴は容易に理解する。春の日に外を散歩しているときには旧約聖書の『伝道の書』の著者さながらの詩的表現をつぶやき、大好きなおばあちゃんが亡くなったときには「とても寒い。外が寒いからじゃない、家のなかが冬なの。死のように冷たい。おばあさんは私の一部だった。私の中のどこかが、おばあさんといっしょに死んでしまったの」と言って嘆いた。物語や演劇をこよなく愛し、劇で役を演じる時にはせりふもよどみなく、落ち着きもあり、極めて統一のとれた人間性を示す。
双子の兄弟
IQ60の双子の話。簡単な足し算さえできないのに、何万年前の日付でも瞬時に曜日を当てることができる。また4歳時以降のどの日付を言われても、その日の天気とその日に起こった出来事を新聞でも読むかのように正確かつ詳細に言える。あるときは、机からマッチ箱が落ちたのを見て、瞬時にマッチ棒の数を「111」と言い当て、続けて「37, 37, 37」とつぶやいた(111は37×3)。またあるときは、部屋の片隅で互いに6桁の素数を言い合い、ワインでも嗜むかのような悦に入った表情をしていた。サックス先生はこれらの観察を通して、彼らは単なる「人間計算機」ではなく、数を通して宇宙を見ているのであり、「天使とおなじ直覚的認識力をもっているかのようだ」と評する。
これを裏付ける話として、イアン・スチュアートが『現代数学の概念』で説いたモジュラー・アリスメチック(非常に大きな素数から生じるパターンを利用する高等算術)を用いると、ふつうの四則計算では歯が立たない場合でもすばやく答えが出てくることがあるという。曜日の計算は7という素数に関係し、マッチ棒の数は37という素数の3倍であることを考えると、この双子はこうした高等算術を直感的に把握していたのかもしれない。
こういう話を読むと、知的障害、発達障害、精神障害などのある人たちはいずれも多数派の決めたスタンダードに追いつくことができないだけで、もし彼らのうちの誰かと同様の精神機能を持つ人が多数派の世界であれば、我々(知的障害も発達障害も精神障害などがない人たち)は完全に落ちこぼれていただろう、と思わざるを得ません。
2010年9月27日に日本でレビュー済み
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著作時期(80年代後半)が古さを感じる。
それは現在(2010年)、脳科学は黎明期(90年代後半)を通過し、幻滅期に入っている点では当該分野はここ20年で大変化を遂げたのでツッコミどころが多い。
ただ非常に多くの臨床事例が載っており網羅性が高く浅く広い知識が得られるため温故知新とも言える内容になっている。
また、内容も平易で読み易く一般人でも興味のそそる講談的な語り口が良い。
それは現在(2010年)、脳科学は黎明期(90年代後半)を通過し、幻滅期に入っている点では当該分野はここ20年で大変化を遂げたのでツッコミどころが多い。
ただ非常に多くの臨床事例が載っており網羅性が高く浅く広い知識が得られるため温故知新とも言える内容になっている。
また、内容も平易で読み易く一般人でも興味のそそる講談的な語り口が良い。
2016年5月20日に日本でレビュー済み
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読みたい本がないときにこの本をおすすめされたので買いましたが大正解でした。
分厚いので届いた時は少し心配でしたが読み始めると文章が簡潔でスラスラ読めるおかげが読み疲れず、ずっと読んでいられます。
内容は主にオリバーさんが出会った患者の中で珍しい症状を持つ人達の話です。
その中にはタイトルの妻を帽子と間違えた男から始まり、計24人の話が乗っているみたいです。
自分には医学的な知識は皆無ですがそれでもこの本は楽しく読めています。
万人におすすめできる作品だと思いました。
分厚いので届いた時は少し心配でしたが読み始めると文章が簡潔でスラスラ読めるおかげが読み疲れず、ずっと読んでいられます。
内容は主にオリバーさんが出会った患者の中で珍しい症状を持つ人達の話です。
その中にはタイトルの妻を帽子と間違えた男から始まり、計24人の話が乗っているみたいです。
自分には医学的な知識は皆無ですがそれでもこの本は楽しく読めています。
万人におすすめできる作品だと思いました。
2022年9月23日に日本でレビュー済み
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投稿文の中でも評価が高かった書籍に期待を持って読みました。満足です。
2015年9月15日に日本でレビュー済み
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「知の逆転」の書籍の中でこちらが紹介されていたので、
エッジの効いたタイトルもあいまって購入に至りました。
人間とは何かを改めて考えさせられる内容で、
本を読み終わった後、久々の帰省で再開した認知症の祖母に
対して抱いた感情はこれまでの人生にはなかったものでした。
エッジの効いたタイトルもあいまって購入に至りました。
人間とは何かを改めて考えさせられる内容で、
本を読み終わった後、久々の帰省で再開した認知症の祖母に
対して抱いた感情はこれまでの人生にはなかったものでした。
2014年6月11日に日本でレビュー済み
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脳のメカニズムはどんどん解明されていますが、
メカニズムをプログラムを読むように理解するだけではなく、
現象としてどんな奇妙な「事実」「不思議」が起きている
のかを知ることで、より人間を理解することになるのだと
思います。
筆者の愛情がありながらも冷静な文章は訳者の巧さもあるの
でしょうが、素晴らしいです。
メカニズムをプログラムを読むように理解するだけではなく、
現象としてどんな奇妙な「事実」「不思議」が起きている
のかを知ることで、より人間を理解することになるのだと
思います。
筆者の愛情がありながらも冷静な文章は訳者の巧さもあるの
でしょうが、素晴らしいです。