極西というくくり方に元々無理があるのが残念。また、作者もそこを突き詰めることができないまに終わっている。
九十年代から後半の文学事情を知る資料として使える程度だがそういう需要もあるだろう。
プライム無料体験をお試しいただけます
プライム無料体験で、この注文から無料配送特典をご利用いただけます。
非会員 | プライム会員 | |
---|---|---|
通常配送 | ¥410 - ¥450* | 無料 |
お急ぎ便 | ¥510 - ¥550 | |
お届け日時指定便 | ¥510 - ¥650 |
*Amazon.co.jp発送商品の注文額 ¥3,500以上は非会員も無料
無料体験はいつでもキャンセルできます。30日のプライム無料体験をぜひお試しください。
¥1,760¥1,760 税込
発送元: Amazon.co.jp 販売者: Amazon.co.jp
¥1,760¥1,760 税込
発送元: Amazon.co.jp
販売者: Amazon.co.jp
¥289¥289 税込
ポイント: 3pt
(1%)
配送料 ¥257 6月16日-18日にお届け
発送元: 古書買取堂 静岡県からの発送です。 販売者: 古書買取堂 静岡県からの発送です。
¥289¥289 税込
ポイント: 3pt
(1%)
配送料 ¥257 6月16日-18日にお届け
発送元: 古書買取堂 静岡県からの発送です。
販売者: 古書買取堂 静岡県からの発送です。
無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
極西文学論―West way to the world 単行本 – 2004/12/25
仲俣 暁生
(著)
{"desktop_buybox_group_1":[{"displayPrice":"¥1,760","priceAmount":1760.00,"currencySymbol":"¥","integerValue":"1,760","decimalSeparator":null,"fractionalValue":null,"symbolPosition":"left","hasSpace":false,"showFractionalPartIfEmpty":true,"offerListingId":"PtuBc1YfdsrT%2FGU3RZWj5JSM%2BRlSJs8MHz55n1aicQPutvPVhcO3%2F6tTxZfOa0GMwdOt1uxKTO0Pt9X%2BeGNAA09%2FzV3hSh3qPr2XIZBh2umY17ibCCXpSIbUgvVXe6u9","locale":"ja-JP","buyingOptionType":"NEW","aapiBuyingOptionIndex":0}, {"displayPrice":"¥289","priceAmount":289.00,"currencySymbol":"¥","integerValue":"289","decimalSeparator":null,"fractionalValue":null,"symbolPosition":"left","hasSpace":false,"showFractionalPartIfEmpty":true,"offerListingId":"PtuBc1YfdsrT%2FGU3RZWj5JSM%2BRlSJs8M7ldFcNo2oLBe%2BSMD%2BbZa5BRSJaHNJ0bz2ALrPxRhSkI527IafaiY5oxnJ4uL7xqUMAjkAcJRmYnuQvtwFqdwbUTMAoj82K4IpPVD84HnxISbm%2BgLBQgtmMrpkK2Xf7cWRs1WWaCJZOWMWEWZrFF6LA%3D%3D","locale":"ja-JP","buyingOptionType":"USED","aapiBuyingOptionIndex":1}]}
購入オプションとあわせ買い
- 本の長さ234ページ
- 言語日本語
- 出版社晶文社
- 発売日2004/12/25
- ISBN-104794966458
- ISBN-13978-4794966452
この著者の人気タイトル
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
登録情報
- 出版社 : 晶文社 (2004/12/25)
- 発売日 : 2004/12/25
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 234ページ
- ISBN-10 : 4794966458
- ISBN-13 : 978-4794966452
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,298,323位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 174,096位ノンフィクション (本)
- - 344,060位文学・評論 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。
1964年東京生まれ。フリー編集者、文筆家。情報誌『シティロード』、デジタル文化誌『ワイアード日本版』などの編集部を経て、1997年より2005年まで『季刊・本とコンピュータ』の編集部に参加(03~05年は編集長)。同誌終刊後、現代文学論、出版メディア論などの執筆のかたわら、フリーランスで書籍やウェブサイトの企画・制作・編集にたずさわる。09年より株式会社ボイジャーと出版の未来を考えるWebメディア「マガジン航」を創刊、編集人をつとめる。
カスタマーレビュー
星5つ中2つ
5つのうち2つ
全体的な星の数と星別のパーセンテージの内訳を計算するにあたり、単純平均は使用されていません。当システムでは、レビューがどの程度新しいか、レビュー担当者がAmazonで購入したかどうかなど、特定の要素をより重視しています。 詳細はこちら
2グローバルレーティング
虚偽のレビューは一切容認しません
私たちの目標は、すべてのレビューを信頼性の高い、有益なものにすることです。だからこそ、私たちはテクノロジーと人間の調査員の両方を活用して、お客様が偽のレビューを見る前にブロックしています。 詳細はこちら
コミュニティガイドラインに違反するAmazonアカウントはブロックされます。また、レビューを購入した出品者をブロックし、そのようなレビューを投稿した当事者に対して法的措置を取ります。 報告方法について学ぶ
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2005年1月5日に日本でレビュー済み
著者の言いたいことは、本文p225からp229とepilogueにコンパクトにまとめられている。こちらを先に読んでから本文を読み始めたほうが、すっきり理解できると思う。
巻頭、著者は極東を極西と位置づけなおす地政学的認識の反転を行う。とりあえずは日本を亜細亜共同体的な幻想の中で捉える欺瞞を断ち切り、アメリカを中心とするグローバリゼーションの圏域に位置づけていると考えてよい。ただし「西」の意味内容は本文中で濫用気味に拡張されるので、最終的には世界のすべての地域をアメリカ文化圏の一地方と捉える認識と受け取るべきだろう。グローバリゼーションってそういう意味だし。ま、こういう考え方そのものは特に目新しいものではない。こういう認識の下で日本文学を読みましょうよ、という呼びかけだ。
この本の批評の道具立てでより本質的なのは、視線と恐怖という対概念だろう。視線とは権力の視線であり、恐怖とはなすすべなく権力によって眼差される恐怖だ。たとえば爆撃機から地上を見下ろす視線と、燃え盛る地上を逃げ惑う恐怖。GPS衛星から地上のすべてを誤差数センチ以下で捕捉する視線や、街頭の監視カメラの視線と、「いま・ここ」の主体性を剥奪される私たちの存在論的恐怖。
著者が現代日本の文学作品に探るのは、こうした権力関係に対する抵抗のあり方だ。比喩的に言えば、眼差し返すこと。ただし上空から見下ろし返すことで権力関係を再生産するのではなく、見下ろす視線と見上げる視線、そして水平的な視線の交錯の様態、つまり権力関係そのものを見返すこと。「極西」といういかがわしい用語は、サイード的オリエンタリズムの視線の反転という意味で、この眼差し返しを暗示する言葉でもあるのだろう。
こうした立場から、たとえばかつて吉本隆明が「ハイ・イメージ論」で肯定的に提示したような「世界視線」は棄却される。著者はあくまでも言葉を信頼する。実際、恐怖とは名指しえぬものへの恐怖に他ならないのだから、眼差し返すためには名指さなくてはならないのだ。
著者は、村上春樹が恐怖の問題に固執することを重視する。しかし村上はこの問題を「60年代」という特殊性に還元した点で失敗した、というのが著者の主張だ。本書が扱うのは、この村上がしくじった地点で、さらに歩みを進めた90年代以降の作家たちである。その各論が読みたい方は、どうぞ。
最後に1点だけ。本書でヴェンダースが論じられているが、視線の宙吊りということで言えば「ことの次第」にも触れて欲しかった。あのラストシーン、射殺された撮影者の手から路上に投げ出され、それでもまわり続けるキャメラ。主のない視線が撮り続ける、横向きの街角の風景。あれが私にとってもっとも印象深いヴェンダースです。
巻頭、著者は極東を極西と位置づけなおす地政学的認識の反転を行う。とりあえずは日本を亜細亜共同体的な幻想の中で捉える欺瞞を断ち切り、アメリカを中心とするグローバリゼーションの圏域に位置づけていると考えてよい。ただし「西」の意味内容は本文中で濫用気味に拡張されるので、最終的には世界のすべての地域をアメリカ文化圏の一地方と捉える認識と受け取るべきだろう。グローバリゼーションってそういう意味だし。ま、こういう考え方そのものは特に目新しいものではない。こういう認識の下で日本文学を読みましょうよ、という呼びかけだ。
この本の批評の道具立てでより本質的なのは、視線と恐怖という対概念だろう。視線とは権力の視線であり、恐怖とはなすすべなく権力によって眼差される恐怖だ。たとえば爆撃機から地上を見下ろす視線と、燃え盛る地上を逃げ惑う恐怖。GPS衛星から地上のすべてを誤差数センチ以下で捕捉する視線や、街頭の監視カメラの視線と、「いま・ここ」の主体性を剥奪される私たちの存在論的恐怖。
著者が現代日本の文学作品に探るのは、こうした権力関係に対する抵抗のあり方だ。比喩的に言えば、眼差し返すこと。ただし上空から見下ろし返すことで権力関係を再生産するのではなく、見下ろす視線と見上げる視線、そして水平的な視線の交錯の様態、つまり権力関係そのものを見返すこと。「極西」といういかがわしい用語は、サイード的オリエンタリズムの視線の反転という意味で、この眼差し返しを暗示する言葉でもあるのだろう。
こうした立場から、たとえばかつて吉本隆明が「ハイ・イメージ論」で肯定的に提示したような「世界視線」は棄却される。著者はあくまでも言葉を信頼する。実際、恐怖とは名指しえぬものへの恐怖に他ならないのだから、眼差し返すためには名指さなくてはならないのだ。
著者は、村上春樹が恐怖の問題に固執することを重視する。しかし村上はこの問題を「60年代」という特殊性に還元した点で失敗した、というのが著者の主張だ。本書が扱うのは、この村上がしくじった地点で、さらに歩みを進めた90年代以降の作家たちである。その各論が読みたい方は、どうぞ。
最後に1点だけ。本書でヴェンダースが論じられているが、視線の宙吊りということで言えば「ことの次第」にも触れて欲しかった。あのラストシーン、射殺された撮影者の手から路上に投げ出され、それでもまわり続けるキャメラ。主のない視線が撮り続ける、横向きの街角の風景。あれが私にとってもっとも印象深いヴェンダースです。